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第2章 宇宙ステーション『新・紅』
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宇宙ステーション『新・紅』は、その名が示すとおり、日系資本が8割を占めるステーションだ。作られてから20年近くたっており、もう数年で廃棄リサイクル処分になることになっている。
かつては、宇宙開発の先端を行くステーションともてはやされていたが、老朽化に伴い、研究ステーションとしてより、他惑星との中継ステーション、宇宙飛行士の新人訓練ステーション、及び宇宙体験観光ルートとなっている。
地球よりの高度は450km。太陽電池パネルがとりつけてある突端からドッキングプレートが並ぶ端まで全長ほぼ260m、その間に作られている2層のドーナツ型の居住区が直径110m。居住区は上下の層が逆方向にゆっくりと回転して、その内側に0.7Gの重力を生み出している。ステーション内の温度は23度前後、気圧は1気圧に保たれ、居住区においては、ほぼ地上と変わらない生活を満喫できる。
収容人員は50名。そのうち20名が、中継基地として使われているために必要な人員だ。
乗務員登録者は30名。10名ずつ90日交代勤務になっているが、全員『CN』であることが義務づけられている。何か問題が起こったときには、交代なしで長期の宇宙滞在が可能なように配慮されているのだ。
このステーションの長を務めるスライ・L・ターンは、今、部下の報告を聞きながら、険しく顔をしかめていた。
「じゃあ、モリは『自殺』した、といいたいんだな、クルド?」
ステーション居住区の管理室で、壁を背後にしたデスクについたまま、スライは目の前に立っている大柄な男を見上げた。いつもどおり、柔らかな茶色の頬に穏やかな表情をたたえているクルドが、少しためらいながら答える。
「ああ。モリの死因は窒息死……ただし、多量の睡眠薬が体内から検出されたそうだ。特に抵抗した様子もないし、わざわざ、無重力の中央ホールに居たところを見ると…」
スライは自分の眉のあたりがぴくぴくとひきつれるのを感じた。ちりちりする不快感で今にも爆発しそうな気分になっている。
長い付き合いのクルドはそれを見抜いている。ゆったりとなだめるような声で、
「あんたにゃ、納得したくないことだろう。だが、ファルプも言ってたが、十中八九『自殺』だと思うな」
「原因は何だ?」
スライはいらいらと尋ねた。
「モリは『CN』だったはずだ。いまさら『宇宙不適応症候群』でもないだろう」
「さあ…」
クルドは一瞬、駄々をこねている子どもを見るように呆れ顔になったが、すぐに肩を軽くすくめた。
「だが、モリは日系だった」
スライはクルドをにらんだ。クルドはたじろいだふうもなく続けた。
「2世代前までは、純、に近い日系……あんたは人権団体からつるし上げをくらうほどの有名な日系嫌いだ。あんたと働くのは難しかったのかもしれない」
「俺は、宇宙でも地球でもろくな働きをしないで居場所がない奴は自己主張なんかせずにおとなしくしてればいい、と言ったんだ。……日系人のことを言ったわけじゃない」
「じゃあ、『GN』のことか」
クルドがしらっとした顔でまぜっ返して、スライは唸った。
「連邦に入った矢先に『GN』のカナンのやり方にけちをつけたのは、あんたぐらいだよ」
「…それは今、関係ないだろう。……俺は仕事の上で、モリを差別したことなどない」
(俺が日系嫌いだからといって働くのがどうのというのはモリの問題だ。俺には責任がない)
それはさすがに胸におさめて繕ったが、クルドはごまかせなかった。
「そういうところは、あんたはほんの若造だよ」
静かに重く首を振りながら、
「何にもわかっちゃいない。人が人を差別するってことが、どんな酷いことなのか、まったくわかっちゃいない。わからないからできるんだ。それこそ、『いまさら』あんたに『GN』になったり日本人になったりしてくれと言ってるわけじゃないが、あんたがはっきり差別してるってことは認めるべきだよ」
「お説教なら今はいらん」
スライはクルドの凝視から目を逸らせた。
デスクの上にはボードにとめられた書類がある。
一番上に、黒髪を肩まで垂らし、黒々とした瞳で気弱そうに笑いかけている1人の娘の写真がある。サヨコ・J・ミツカワ。立体写真は嫌いだと拒んだので、旧式の写真になったのだという。
その娘の顔に、やはりどこか弱々しい、そのくせ感情が読めない表情を浮かべるモリの顔が重なって、スライはますます顔をしかめた。
「俺は……差別なんかしていない」
低い呟きに、クルドはいたわるような声をかけてきた。
「あんたが10歳のときのことで拘っているのはわかる…だが…」
「クルド」
弾かれたようにスライは顔を上げた。
胸にあった何かの仕掛けが突然鋭く刺さったような気がした。唇をきつく結び、クルドを睨みつける。不用意に口を開けば、ステーションの長らしくない罵倒を浴びせそうな不安があった。ことさら写真の顔を見ないように背筋を逸らせ、必死に感情の波をくぐり抜ける。
やがて、我ながらひんやりとした声でスライは吐いた。
「クルド。俺が何にもわかっちゃいない、と言ったな。だが俺にはわかっている。10歳のときに十分に教え込まれたんだ」
体の奥が熱くねじれていくような痛みを感じて、スライはいったんことばを切った。
「『GN』も『日本人』も根本的には同じだ。ほかの価値感や人格を認めようとしない。それが在ることさえ許そうとしない。言っとくが、俺が差別したんじゃない。先に俺を差別したのは奴らのほうだ。俺は殴りかかってくる奴に、俺が悪かったのかもしれないなんて考えられるほど、お人よしじゃないんだ。俺は、生まれ故郷を奴らにやった。宇宙にまで逃げてきた。それなのに、ここまで追っかけてきて、やれ権利だの差別だの、いいかげんにしてくれ。地球でしか暮らせない、自分の国は沈んでしまった、そう奴らは訴える。だから、地球は譲ってやったじゃないか。なのに、宇宙へも出たい、いや、出るのは当然の権利だなどと言い始め
る。地球でも満足に自分達の役目を果たせなかった奴らが、宇宙に出て何ができる? 日本人は権利を喰う化け物だよ」
一息にまくしたてて、ふいに黙る。
無言で聞いていたクルドが、スライの気持ちを救い上げようとするように話しかける。
「スライ…」
「……すまん」
スライは重く息を吐いた。
「あんたの言っていることはわかる……あんたは、俺にとって家族みたいなものだ……だから……こんな話もできる」
「…わかっているよ」
力なく、それでもゆっくりと頷いたクルドは、話を変えた。
「それより、その娘か、今度の事件の調査に来るというのは」
「ああ」
クルドが書類に視線を走らせるのに、スライは見やすいように書類を回して押しやった。
クルドはこのステーションの副長にあたる。情報は必要だと考えたのだ。
「ふうん…若いな……とてつもなく、若い。19だって?」
「優秀な心理療法士だそうだ。数々の難しいケースを回復させているし、『今回のような複雑な問題』には適任だろうと言ってよこしている」
「ああ……だが…スライ、こいつは…」
クルドが書類の記載に気づいてぎょっとした顔でスライを見た。茶色の穏やかな目に不審が広がる。
「この娘は『GN』じゃないか」
「そう、らしい」
「『GN』がステーションでうまくやっていけるかな」
スライは初めて皮肉な笑いをクルドに向けた。
「人を差別するなと言ったのは、あんただぜ、クルド」
「差別じゃない、区別だ。『GN』は『草』を使っていても、『宇宙不適応症候群』に近い症状を示すことがある、と聞いた。大丈夫だろうか」
「まあ、どちらにせよ、ここは連邦支配下、カナンの手の中だ。カナンも失敗することは望んでないだろう」
スライは溜め息まじりに応じ、安心させるように笑って見せた。
「俺もできるかぎり、余計なことは考えないようにする。……彼女は明日には着くそうだ。部屋の準備と……そうだな、ほかの連中には、しばらくの間、彼女が『GN』であることは伏せておいたほうがいいかもしれない。頼む、クルド」
軽く片目をつぶって見せると、クルドは体を起こし、首を振りながら言った。
「わかったよ…努力しよう。だが」
クルドも悪戯っぽい顔で片目をつぶって見せる。
「あんたは、ひどく、カナンに恨まれてるよ、たぶん」
「そのようだ。仕事にかかってくれ」
「わかった」
クルドが書類を戻し、背中を向けて部屋を出て行くと、スライは笑みを消して椅子にもたれた。
再びまじまじと写真を見つめる。
黒い瞳と髪、浅黒い肌、唇に淡いルージュ。弱々しく何を考えているのかよくわからない微笑。ほぼ生粋の日本人……今ではかえって珍しい。一部の日本人に見られたように、純血に固執した家系なのだろうか。
「いずれにせよ、日本人で、『GN』で、女か。最悪だな」
立ち上がり、窓の外を見る。
窓の外は暗い宇宙が広がっている。細かな宝石のかけらがまき散らされたビロードの布に似て、底知れない深さがその奥にある。
ガラス窓にスライの顔も映っていた。
濃い黒い髪、たぶん標準より整った、端整、と言われる東洋系の顔。そして、暗い緑の目。日系とよく間違われて、何度も不愉快な争いを起こした。
スライはむっとした顔になって、窓から目をそらせ、部屋を出た。
行き先は中央ホールだ。
ゆっくりと歩きながら、カナンがあの娘を送り込んできたことについて考えてみた。
カナンがスライを煙たがっているのは知っている。地球連邦へ配属された矢先に、『CN』と『GN』の在るべき姿についてやりあった因縁の仲だ。その後、みるみる昇進していくカナンと対照的に、スライは左遷され続けている、それが世間の評価を物語っている。
だが、わざわざ、いくら優秀な心理療法士とはいえ、連邦警察の付き添いもなしに、ここへ送り込んでくるのは、どう考えてもカナンのやり方ではない。
(それとも、カナンはこの事件の解決を望んでいないのか?)
カナンはしつこくタフな女闘士だ。無駄なことは一切しない。名声や金、権力の座にはこだわっていないが、それらが、彼女のやりたいことを妨げることができないようにするのは大好きだ。
つまりは、望んでいる結果を導き出せれば、どんな手段を取ることも辞さない。
そういうカナンが、なぜ、この事件の解決を望まないのだろうか。
(どうも、そこに引っ掛かる)
スライはもう一度事件を思い起こして見た。
クルドが技術屋と呼ぶ、モリ・イ・トールプは、ステーションにおける一級の整備士だ。37歳、国籍はオーストラリア。日系移民の末裔で、もし適切な教育が受けられていれば、新しいステーションを開発し発明していたかもしれない。だが、現実には、モリはこのオンボロステーションしか整備できない技術屋で、このステーションが廃棄された後は、新しいステーションで働くこともできずに地上にいるしかない、と愚痴っていたと言う。
もっとも、それが悩みだったというのではないらしい。その愚痴を言うときのモリは、不思議にさばさばした明るい表情のことが多く、宇宙に居ることを好む傾向にある『CN』にしては変わり者だと噂されていた。
そのモリが、死体で発見されたのは、3日前のことだ。
朝のミーティングに出てこないのに不審を抱いた仲間が、モリの部屋へ行くと妙に片づけられていた。日常品に至るまで個人所有のものが廃棄され人の気配がなくなっていた部屋に、仲間が異常を感じた。ステーションがくまなく捜査された結果、クルドが中央ホールの真ん中に浮いているモリを発見したのだ。
中央ホールは、ステーションに来て無重力を楽しみたい人々や新人飛行士の訓練のために作られているホールで、居住区とドッキングプレートの間にある。
モリは多量の睡眠薬を服用して眠っていた様子、しかも『フィクサー』で自分の体を固定していた。
『フィクサー』とは、無重力空間で自分の位置を固定するために使われる、細いロープの先に小さな強力な吸着盤がついたものを発射する装置だ。
モリはその数本を使って自分の体をホールの一箇所に固定しており、そのために無重力になった場で自分の吐き出した二酸化炭素が顔を覆う形となって窒息したのだろう、と医師のファルプが診断した。普通ならば、船内換気があるため、無重力空間で動けなくなったとしても空気が循環していて問題がないはずなのだが、換気が止まっていて空気が動かなかったのだ。
多量の睡眠薬は、ファルプが、以前モリが不眠を訴えたときに与えたものと、モリが仲間内から集めたものと知れた。ファルプにそれほどたくさん薬はもらえない、けれど、どうも眠れないときがある、と言ってたらしい。多かれ少なかれ、ステーションに出て落ち着かなくなる傾向は『CN』にもある。睡眠薬は医師の診断によって投与されることになっているが、『新・紅』のように、長年同じようなメンバーで構成されたステーションでは、乗務員のなれ合いも珍しくない。
中央ホールは、地球標準時間に合わせた夜間、午後10時から翌朝6時までは閉鎖されているはずだが、モリは整備士でもあり、管理室の警報を鳴らさずに、夜間中央ホールに入り込むことはできただろうと思われた。
問題は、なぜ、モリが死んだか、だ。
もし、ファルプがいうように、自殺だとすれば原因は何だったのか。将来への漠然とした不安か、それともクルドが言ったように、スライの無意識的な差別か。それとも、もっと別の原因か。
スライには、自殺は納得できなかった。
では、他殺だとすれば、なぜ、どうやって、誰が、モリを殺したのか。モリが誰かの秘密を知ってしまったのか。それとも、殺意に満ちた人物がこのステーションに入り込んでいて、たまたまモリが殺されたのか。恨み、嫉妬、恐怖…?
たとえ殺されたとしても、どうやって、モリに多量の睡眠薬を飲ませることができたのか。食事は食堂で食べることになっている。モリ1人に、不自然でない形で、何かを多量に取らせるのは不可能に近い。もし、できるとすれば、モリ個人が、自室で、自ら取るしかない。
それに、どうやって、夜間の閉鎖された中央ホールにモリを呼び出すことができたのか。
多量の睡眠薬を飲んでいては連れてくるのが大変だったろうし、かと言って、飲む前に呼び出せばモリが不審がって出向かなかっただろう。顔を見られる危険もあるし、万が一何かの事故が起こって、モリが予定より早く発見されていたなら、彼の口から告発される恐れさえある。
中継ステーションとはいえ、ここしばらくは人間の出入りがなかった。数カ月前に1度、お偉方の視察と称する宇宙見物ツアーがあった程度だ。言わば、大きな密室となっていたこのステーションの中で、仮に殺人者がいたとしても、正体がわかってしまう危険を起こすとは、スライには思えなかった。
(他殺は無理だ)
事故だとしたら。
だが、モリが『誤って』多量の睡眠薬を飲み、『誤って』中央ホールの夜間ロックをこじ開けて入り、『誤って』フィクサーを使って自分の体を固定したうえで眠り込んでしまう可能性となると、他殺より少ないだろう。理性的に考えれば、モリは何らかの原因で、自殺したと考えるのが正しい。
おそらくは、カナンもそう考えているはずだ。
(本当に、そうか? 『CN』が宇宙で自殺なんてするだろうか。それは、『CN』も『GN』と同じ、『宇宙不適応症候群』になるということだ。それでは、『CN』と『GN』の差なんて、ないことになる)
だから、スライは、地球連邦に対して、あらゆる可能性を調査するということで、連邦警察の派遣を要求したのだ。なのに、それに対する答えは心理療法士の派遣、それもいくら優秀とは言え『GN』の心理療法士を派遣するという。
(カナンは『CN』を信じてないからな)
『CN』に支配されていく宇宙をカナンは歓迎していない。今回も、へたに『CN』を送って庇い合われては困る、ということではないだろうか。
スライはうんざりした。
(宇宙は『GN』のためにあるんじゃない)
それは、地球連邦の名を借りた、地球内での国際勢力をもつ国家が、結局は宇宙も陣取り合戦の戦場にしてしまった今でもそうだ、とスライは思っている。
確かに、現実を見る限り、人類は果てしなく己の欲望を満たし、支配範囲を広げることに夢中で、対象が宇宙になっただけ、己の本質を新しく目覚めさせるような存在になってはいない。
だが、『CN』には、その先駆けとなれそうな要素があるのではないか。それが、宇宙環境への適応ということではないのか。
スライは地球連邦に入った当初、そう述べて、カナンと真っ向からぶつかった。
カナンによれば、スライの意見は、自分達を新人類と考えたいための詭弁にしかすぎない。人類はそもそも地球に在ってこそ、その種に適した進化を成し遂げていくものである。やたら宇宙にこぎ出そうとするのは、かつて巨大化していった恐竜達が、やがては自分達の体を持て余して滅びたと同じ結果を人類にもたらす。人類は地球上で十分に成熟してこそ、宇宙へと広がる種としての条件を満たすのであり、現在の『CN』には、そのような成熟は認められない、と主張した。
2人の意見は、それぞれの立場で熱狂的に支持された。カナンが地球連邦総合人事部の長として健在なのも、スライが完全に葬られることなくそれなりの地位を保てるのも、そのせいだ。
スライにとっては、宇宙こそ『CN』に開かれた場所、だからこそ、そこで自殺することを選ぶという発想は理解できない。
スライは、ゆったりとした足取りで、エレベーターを乗り継ぎ、中央ホールに入った。
太陽や星々の光をグラスファイバーで巧みに取り入れ、ホール全体に拡散させているせいで、グレイに塗られた壁面はかすかに光っているようだ。エレベーターが通る筒を中心に球形に広がる空間は、光の取り入れ方次第で、宇宙空間のような演出もできる。
エレベーターの壁を軽く突いて、スライはホールに体を浮かばせ漂わせた。フィクサーは使わずに、ゆらゆらと船内換気の微細な流れにまかせたまま、ホールの中で浮いている。
無重力空間の常で、首はわずかに仰け反り、腰は曲がり、両手が浮く。見えない椅子に腰かけているような、重力下では不安定に思える姿勢だが、へたに地上と同じ姿勢を取ることは余計な筋肉疲労をまねくだけだ。
フリュード・シフトと呼ばれる、無重力空間で体液が上半身に集まってくる現象は、既にエレベーター内から始まっていたが、それで起こるぼうっとした顔面や上半身の腫れたような感覚も、スライにとっては苦痛というより自分の内側に集中するための手順に感じる。
気持ちがみるみる、体を越えた外へと広がり出していくようだ。スライは軽く目を閉じた。
忘れたくとも忘れられない思い出がよみがえりつつあった。
宇宙暦29年3月。
スライの住んでいた合衆国の小さな町では、建国記念日に継ぐ祭が近づいているせいで、次第に活気が増していた。
人口、3400人余り。元はもっと小さな町だったが、それまでの結び付きから、日本沈没の際にかなりの移民者を受け入れた。それから約60年。移民者達も少しずつ町になじみ、中には町の発展に少なからず尽くした日本人もいて、ほかの多くの移民先よりも和気あいあいと暮らしていた。
と、少なくとも、スライ達は思っていた。
だが、宇宙暦開始を祝う祭の日に、惨劇は起こった。
始めは、酒に酔った数人の、今では『CN』だったか『GN』だったか、日本人だったかその他だったかわからない人間の、ささやかな悪ふざけだったのだろう。
数人の女を男が囲み、上品とは言えないからかいをした。怒った女とその連れが、からかった相手を無視して囲みから出ようとし、止めに入った男を突き飛ばした。かっとなった男が女の腕を掴む。女が抵抗し、そこへ女の家族が通りかかった。祭だから、と間に入った者もいた。大人気ない、と男をしかる者もいた。だが、パールハーバーってのを知ってるか、日本人みたいに卑怯なまねはするなよ、と野次った者がいた。ゲンバクってのはどうだ、俺達が実験台にされたんだ、と応じた者がいた。『GN』ってのは『草』を使うしかない病人だ、と誰かが叫んだ。宇宙に住めるのに地球にへばりついている『CN』が問題を起こすんだ、と別の人間が叫び返した。祭はやがて悲鳴と怒号あふれる暴動と化していた。
スライは、そのとき、家に居た。
祭が盛り上がり過ぎてるな、と苦笑した父。今は行かない方がいいわね、と座り直した母。面白そうだね、と悪戯っぽくいった妹。
穏やかな夕食後の光景は、突然破られたドアに引き裂かれた。
入り込んできたのは日本人だった。血走った目をあちこちに向け、何を思ったか、奥へ走り込んで、暖炉の上に飾られていたものを抱え込んだ。
何をする、と駆け寄った父親は、次々入り込んできた男女の群れに飲まれた。母親が悲鳴を上げて妹をかばう背中に、黒髪の男がパイプのようなものを振り下ろした。突き飛ばされたスライを、見知らぬ金髪の女が蹴っていった。
強奪と暴力の波はすぐに別の家へと流れて行った。
体中の痛みに耐えて目を上げたスライは、今の今まで笑っていた父や母や妹が、物のように転がっているのを見た。開いたドアの向こうに広がる、破壊と炎の海を見た。踏みにじられた家と夕食の残りを見た。
誰かが遠くで泣き叫んでいた。
スライは数時間後に駆けつけた州警察と軍に保護された。
このとき、暴動に加わったのは町の3分の2近くにあたる2000人余り、死傷者併せて1500人。破壊された町は復興に1年以上かかり、人々の傷が癒えるには10年以上かかった。
国は同様の問題が、各地の移民先に起こることを恐れ、事情調査と報道管制に乗り出した。原因は、もともと潜在していた反日感情や移民によるストレス、『CN』と『GN』の互いに対する差別意識にあったのだろうとされている。
スライは、学校や地域活動で、日本と日本人に起こった状況について学び、移民を受け入れることの国際的な意義も認識しようとしていた。多くの日本人と多くの日本人の子どもが町にあふれ、今まで当然のようにしてきたことも一々話し合わなくてはならない面倒さはあったが、国家や地球や人類に対する義務だと教えられ、そう考えるようにしてきた。スライ自身は、日本人や『GN』を差別する気持ちを抱いたことは、ほとんどなかった。
だが、この夜起こった暴動とその結果は、スライの信じたものを打ち砕くのに十分だった。
始まりは日本人ではなかったかもしれない。だが、スライの家を襲ったのは日本人だった。日本人が移民しなくてはならなかったのは、日本人のせいではなかったかもしれない。だが、スライの町を破壊し、家族を奪った暴動は、日本人がいなければ起こらなかったかもしれなかった。
(日本人が、あの国と一緒に沈んでいれば、みんな生きていたかもしれない)
それは考えてはならぬこと、そう思いながらも、スライの胸に暗い炎は宿り続け、ふとした拍子に吹き上がってくる。そして、それは、日本人と同じように、新しい世界に十分適応しようとしないまま、じわじわとスライの居場所を侵していく『GN』にも重なってくる、重く荒々しい怒りの炎だ。
炎は20年たった今でも、より一層激しいものとなって、スライの胸の傷を焼き焦がし、あの夜に引き戻してスライを苦しめている。
スライは目を開けた。
彼には、もう家族はいない。
帰る故郷もない。
守るべきは、このステーションのみだ。
10歳のとき、スライは家や家族を守る術を持たなかった。
(だが、今は違う)
スライはここの責任者であり、このステーションはスライの家だ。
カナンや地球連邦や、サヨコとかいう薄汚れた日本人の手に、むざむざ渡してしまうわけにはいかない。
(カナンはがっかりするだろうが、サヨコ・J・ミツカワには、ファルプの元で適当に相手をさせ、このケースには力不足として、早々に地球へ帰ってもらうことにしよう)
スライは薄く冷たく笑った。
かつては、宇宙開発の先端を行くステーションともてはやされていたが、老朽化に伴い、研究ステーションとしてより、他惑星との中継ステーション、宇宙飛行士の新人訓練ステーション、及び宇宙体験観光ルートとなっている。
地球よりの高度は450km。太陽電池パネルがとりつけてある突端からドッキングプレートが並ぶ端まで全長ほぼ260m、その間に作られている2層のドーナツ型の居住区が直径110m。居住区は上下の層が逆方向にゆっくりと回転して、その内側に0.7Gの重力を生み出している。ステーション内の温度は23度前後、気圧は1気圧に保たれ、居住区においては、ほぼ地上と変わらない生活を満喫できる。
収容人員は50名。そのうち20名が、中継基地として使われているために必要な人員だ。
乗務員登録者は30名。10名ずつ90日交代勤務になっているが、全員『CN』であることが義務づけられている。何か問題が起こったときには、交代なしで長期の宇宙滞在が可能なように配慮されているのだ。
このステーションの長を務めるスライ・L・ターンは、今、部下の報告を聞きながら、険しく顔をしかめていた。
「じゃあ、モリは『自殺』した、といいたいんだな、クルド?」
ステーション居住区の管理室で、壁を背後にしたデスクについたまま、スライは目の前に立っている大柄な男を見上げた。いつもどおり、柔らかな茶色の頬に穏やかな表情をたたえているクルドが、少しためらいながら答える。
「ああ。モリの死因は窒息死……ただし、多量の睡眠薬が体内から検出されたそうだ。特に抵抗した様子もないし、わざわざ、無重力の中央ホールに居たところを見ると…」
スライは自分の眉のあたりがぴくぴくとひきつれるのを感じた。ちりちりする不快感で今にも爆発しそうな気分になっている。
長い付き合いのクルドはそれを見抜いている。ゆったりとなだめるような声で、
「あんたにゃ、納得したくないことだろう。だが、ファルプも言ってたが、十中八九『自殺』だと思うな」
「原因は何だ?」
スライはいらいらと尋ねた。
「モリは『CN』だったはずだ。いまさら『宇宙不適応症候群』でもないだろう」
「さあ…」
クルドは一瞬、駄々をこねている子どもを見るように呆れ顔になったが、すぐに肩を軽くすくめた。
「だが、モリは日系だった」
スライはクルドをにらんだ。クルドはたじろいだふうもなく続けた。
「2世代前までは、純、に近い日系……あんたは人権団体からつるし上げをくらうほどの有名な日系嫌いだ。あんたと働くのは難しかったのかもしれない」
「俺は、宇宙でも地球でもろくな働きをしないで居場所がない奴は自己主張なんかせずにおとなしくしてればいい、と言ったんだ。……日系人のことを言ったわけじゃない」
「じゃあ、『GN』のことか」
クルドがしらっとした顔でまぜっ返して、スライは唸った。
「連邦に入った矢先に『GN』のカナンのやり方にけちをつけたのは、あんたぐらいだよ」
「…それは今、関係ないだろう。……俺は仕事の上で、モリを差別したことなどない」
(俺が日系嫌いだからといって働くのがどうのというのはモリの問題だ。俺には責任がない)
それはさすがに胸におさめて繕ったが、クルドはごまかせなかった。
「そういうところは、あんたはほんの若造だよ」
静かに重く首を振りながら、
「何にもわかっちゃいない。人が人を差別するってことが、どんな酷いことなのか、まったくわかっちゃいない。わからないからできるんだ。それこそ、『いまさら』あんたに『GN』になったり日本人になったりしてくれと言ってるわけじゃないが、あんたがはっきり差別してるってことは認めるべきだよ」
「お説教なら今はいらん」
スライはクルドの凝視から目を逸らせた。
デスクの上にはボードにとめられた書類がある。
一番上に、黒髪を肩まで垂らし、黒々とした瞳で気弱そうに笑いかけている1人の娘の写真がある。サヨコ・J・ミツカワ。立体写真は嫌いだと拒んだので、旧式の写真になったのだという。
その娘の顔に、やはりどこか弱々しい、そのくせ感情が読めない表情を浮かべるモリの顔が重なって、スライはますます顔をしかめた。
「俺は……差別なんかしていない」
低い呟きに、クルドはいたわるような声をかけてきた。
「あんたが10歳のときのことで拘っているのはわかる…だが…」
「クルド」
弾かれたようにスライは顔を上げた。
胸にあった何かの仕掛けが突然鋭く刺さったような気がした。唇をきつく結び、クルドを睨みつける。不用意に口を開けば、ステーションの長らしくない罵倒を浴びせそうな不安があった。ことさら写真の顔を見ないように背筋を逸らせ、必死に感情の波をくぐり抜ける。
やがて、我ながらひんやりとした声でスライは吐いた。
「クルド。俺が何にもわかっちゃいない、と言ったな。だが俺にはわかっている。10歳のときに十分に教え込まれたんだ」
体の奥が熱くねじれていくような痛みを感じて、スライはいったんことばを切った。
「『GN』も『日本人』も根本的には同じだ。ほかの価値感や人格を認めようとしない。それが在ることさえ許そうとしない。言っとくが、俺が差別したんじゃない。先に俺を差別したのは奴らのほうだ。俺は殴りかかってくる奴に、俺が悪かったのかもしれないなんて考えられるほど、お人よしじゃないんだ。俺は、生まれ故郷を奴らにやった。宇宙にまで逃げてきた。それなのに、ここまで追っかけてきて、やれ権利だの差別だの、いいかげんにしてくれ。地球でしか暮らせない、自分の国は沈んでしまった、そう奴らは訴える。だから、地球は譲ってやったじゃないか。なのに、宇宙へも出たい、いや、出るのは当然の権利だなどと言い始め
る。地球でも満足に自分達の役目を果たせなかった奴らが、宇宙に出て何ができる? 日本人は権利を喰う化け物だよ」
一息にまくしたてて、ふいに黙る。
無言で聞いていたクルドが、スライの気持ちを救い上げようとするように話しかける。
「スライ…」
「……すまん」
スライは重く息を吐いた。
「あんたの言っていることはわかる……あんたは、俺にとって家族みたいなものだ……だから……こんな話もできる」
「…わかっているよ」
力なく、それでもゆっくりと頷いたクルドは、話を変えた。
「それより、その娘か、今度の事件の調査に来るというのは」
「ああ」
クルドが書類に視線を走らせるのに、スライは見やすいように書類を回して押しやった。
クルドはこのステーションの副長にあたる。情報は必要だと考えたのだ。
「ふうん…若いな……とてつもなく、若い。19だって?」
「優秀な心理療法士だそうだ。数々の難しいケースを回復させているし、『今回のような複雑な問題』には適任だろうと言ってよこしている」
「ああ……だが…スライ、こいつは…」
クルドが書類の記載に気づいてぎょっとした顔でスライを見た。茶色の穏やかな目に不審が広がる。
「この娘は『GN』じゃないか」
「そう、らしい」
「『GN』がステーションでうまくやっていけるかな」
スライは初めて皮肉な笑いをクルドに向けた。
「人を差別するなと言ったのは、あんただぜ、クルド」
「差別じゃない、区別だ。『GN』は『草』を使っていても、『宇宙不適応症候群』に近い症状を示すことがある、と聞いた。大丈夫だろうか」
「まあ、どちらにせよ、ここは連邦支配下、カナンの手の中だ。カナンも失敗することは望んでないだろう」
スライは溜め息まじりに応じ、安心させるように笑って見せた。
「俺もできるかぎり、余計なことは考えないようにする。……彼女は明日には着くそうだ。部屋の準備と……そうだな、ほかの連中には、しばらくの間、彼女が『GN』であることは伏せておいたほうがいいかもしれない。頼む、クルド」
軽く片目をつぶって見せると、クルドは体を起こし、首を振りながら言った。
「わかったよ…努力しよう。だが」
クルドも悪戯っぽい顔で片目をつぶって見せる。
「あんたは、ひどく、カナンに恨まれてるよ、たぶん」
「そのようだ。仕事にかかってくれ」
「わかった」
クルドが書類を戻し、背中を向けて部屋を出て行くと、スライは笑みを消して椅子にもたれた。
再びまじまじと写真を見つめる。
黒い瞳と髪、浅黒い肌、唇に淡いルージュ。弱々しく何を考えているのかよくわからない微笑。ほぼ生粋の日本人……今ではかえって珍しい。一部の日本人に見られたように、純血に固執した家系なのだろうか。
「いずれにせよ、日本人で、『GN』で、女か。最悪だな」
立ち上がり、窓の外を見る。
窓の外は暗い宇宙が広がっている。細かな宝石のかけらがまき散らされたビロードの布に似て、底知れない深さがその奥にある。
ガラス窓にスライの顔も映っていた。
濃い黒い髪、たぶん標準より整った、端整、と言われる東洋系の顔。そして、暗い緑の目。日系とよく間違われて、何度も不愉快な争いを起こした。
スライはむっとした顔になって、窓から目をそらせ、部屋を出た。
行き先は中央ホールだ。
ゆっくりと歩きながら、カナンがあの娘を送り込んできたことについて考えてみた。
カナンがスライを煙たがっているのは知っている。地球連邦へ配属された矢先に、『CN』と『GN』の在るべき姿についてやりあった因縁の仲だ。その後、みるみる昇進していくカナンと対照的に、スライは左遷され続けている、それが世間の評価を物語っている。
だが、わざわざ、いくら優秀な心理療法士とはいえ、連邦警察の付き添いもなしに、ここへ送り込んでくるのは、どう考えてもカナンのやり方ではない。
(それとも、カナンはこの事件の解決を望んでいないのか?)
カナンはしつこくタフな女闘士だ。無駄なことは一切しない。名声や金、権力の座にはこだわっていないが、それらが、彼女のやりたいことを妨げることができないようにするのは大好きだ。
つまりは、望んでいる結果を導き出せれば、どんな手段を取ることも辞さない。
そういうカナンが、なぜ、この事件の解決を望まないのだろうか。
(どうも、そこに引っ掛かる)
スライはもう一度事件を思い起こして見た。
クルドが技術屋と呼ぶ、モリ・イ・トールプは、ステーションにおける一級の整備士だ。37歳、国籍はオーストラリア。日系移民の末裔で、もし適切な教育が受けられていれば、新しいステーションを開発し発明していたかもしれない。だが、現実には、モリはこのオンボロステーションしか整備できない技術屋で、このステーションが廃棄された後は、新しいステーションで働くこともできずに地上にいるしかない、と愚痴っていたと言う。
もっとも、それが悩みだったというのではないらしい。その愚痴を言うときのモリは、不思議にさばさばした明るい表情のことが多く、宇宙に居ることを好む傾向にある『CN』にしては変わり者だと噂されていた。
そのモリが、死体で発見されたのは、3日前のことだ。
朝のミーティングに出てこないのに不審を抱いた仲間が、モリの部屋へ行くと妙に片づけられていた。日常品に至るまで個人所有のものが廃棄され人の気配がなくなっていた部屋に、仲間が異常を感じた。ステーションがくまなく捜査された結果、クルドが中央ホールの真ん中に浮いているモリを発見したのだ。
中央ホールは、ステーションに来て無重力を楽しみたい人々や新人飛行士の訓練のために作られているホールで、居住区とドッキングプレートの間にある。
モリは多量の睡眠薬を服用して眠っていた様子、しかも『フィクサー』で自分の体を固定していた。
『フィクサー』とは、無重力空間で自分の位置を固定するために使われる、細いロープの先に小さな強力な吸着盤がついたものを発射する装置だ。
モリはその数本を使って自分の体をホールの一箇所に固定しており、そのために無重力になった場で自分の吐き出した二酸化炭素が顔を覆う形となって窒息したのだろう、と医師のファルプが診断した。普通ならば、船内換気があるため、無重力空間で動けなくなったとしても空気が循環していて問題がないはずなのだが、換気が止まっていて空気が動かなかったのだ。
多量の睡眠薬は、ファルプが、以前モリが不眠を訴えたときに与えたものと、モリが仲間内から集めたものと知れた。ファルプにそれほどたくさん薬はもらえない、けれど、どうも眠れないときがある、と言ってたらしい。多かれ少なかれ、ステーションに出て落ち着かなくなる傾向は『CN』にもある。睡眠薬は医師の診断によって投与されることになっているが、『新・紅』のように、長年同じようなメンバーで構成されたステーションでは、乗務員のなれ合いも珍しくない。
中央ホールは、地球標準時間に合わせた夜間、午後10時から翌朝6時までは閉鎖されているはずだが、モリは整備士でもあり、管理室の警報を鳴らさずに、夜間中央ホールに入り込むことはできただろうと思われた。
問題は、なぜ、モリが死んだか、だ。
もし、ファルプがいうように、自殺だとすれば原因は何だったのか。将来への漠然とした不安か、それともクルドが言ったように、スライの無意識的な差別か。それとも、もっと別の原因か。
スライには、自殺は納得できなかった。
では、他殺だとすれば、なぜ、どうやって、誰が、モリを殺したのか。モリが誰かの秘密を知ってしまったのか。それとも、殺意に満ちた人物がこのステーションに入り込んでいて、たまたまモリが殺されたのか。恨み、嫉妬、恐怖…?
たとえ殺されたとしても、どうやって、モリに多量の睡眠薬を飲ませることができたのか。食事は食堂で食べることになっている。モリ1人に、不自然でない形で、何かを多量に取らせるのは不可能に近い。もし、できるとすれば、モリ個人が、自室で、自ら取るしかない。
それに、どうやって、夜間の閉鎖された中央ホールにモリを呼び出すことができたのか。
多量の睡眠薬を飲んでいては連れてくるのが大変だったろうし、かと言って、飲む前に呼び出せばモリが不審がって出向かなかっただろう。顔を見られる危険もあるし、万が一何かの事故が起こって、モリが予定より早く発見されていたなら、彼の口から告発される恐れさえある。
中継ステーションとはいえ、ここしばらくは人間の出入りがなかった。数カ月前に1度、お偉方の視察と称する宇宙見物ツアーがあった程度だ。言わば、大きな密室となっていたこのステーションの中で、仮に殺人者がいたとしても、正体がわかってしまう危険を起こすとは、スライには思えなかった。
(他殺は無理だ)
事故だとしたら。
だが、モリが『誤って』多量の睡眠薬を飲み、『誤って』中央ホールの夜間ロックをこじ開けて入り、『誤って』フィクサーを使って自分の体を固定したうえで眠り込んでしまう可能性となると、他殺より少ないだろう。理性的に考えれば、モリは何らかの原因で、自殺したと考えるのが正しい。
おそらくは、カナンもそう考えているはずだ。
(本当に、そうか? 『CN』が宇宙で自殺なんてするだろうか。それは、『CN』も『GN』と同じ、『宇宙不適応症候群』になるということだ。それでは、『CN』と『GN』の差なんて、ないことになる)
だから、スライは、地球連邦に対して、あらゆる可能性を調査するということで、連邦警察の派遣を要求したのだ。なのに、それに対する答えは心理療法士の派遣、それもいくら優秀とは言え『GN』の心理療法士を派遣するという。
(カナンは『CN』を信じてないからな)
『CN』に支配されていく宇宙をカナンは歓迎していない。今回も、へたに『CN』を送って庇い合われては困る、ということではないだろうか。
スライはうんざりした。
(宇宙は『GN』のためにあるんじゃない)
それは、地球連邦の名を借りた、地球内での国際勢力をもつ国家が、結局は宇宙も陣取り合戦の戦場にしてしまった今でもそうだ、とスライは思っている。
確かに、現実を見る限り、人類は果てしなく己の欲望を満たし、支配範囲を広げることに夢中で、対象が宇宙になっただけ、己の本質を新しく目覚めさせるような存在になってはいない。
だが、『CN』には、その先駆けとなれそうな要素があるのではないか。それが、宇宙環境への適応ということではないのか。
スライは地球連邦に入った当初、そう述べて、カナンと真っ向からぶつかった。
カナンによれば、スライの意見は、自分達を新人類と考えたいための詭弁にしかすぎない。人類はそもそも地球に在ってこそ、その種に適した進化を成し遂げていくものである。やたら宇宙にこぎ出そうとするのは、かつて巨大化していった恐竜達が、やがては自分達の体を持て余して滅びたと同じ結果を人類にもたらす。人類は地球上で十分に成熟してこそ、宇宙へと広がる種としての条件を満たすのであり、現在の『CN』には、そのような成熟は認められない、と主張した。
2人の意見は、それぞれの立場で熱狂的に支持された。カナンが地球連邦総合人事部の長として健在なのも、スライが完全に葬られることなくそれなりの地位を保てるのも、そのせいだ。
スライにとっては、宇宙こそ『CN』に開かれた場所、だからこそ、そこで自殺することを選ぶという発想は理解できない。
スライは、ゆったりとした足取りで、エレベーターを乗り継ぎ、中央ホールに入った。
太陽や星々の光をグラスファイバーで巧みに取り入れ、ホール全体に拡散させているせいで、グレイに塗られた壁面はかすかに光っているようだ。エレベーターが通る筒を中心に球形に広がる空間は、光の取り入れ方次第で、宇宙空間のような演出もできる。
エレベーターの壁を軽く突いて、スライはホールに体を浮かばせ漂わせた。フィクサーは使わずに、ゆらゆらと船内換気の微細な流れにまかせたまま、ホールの中で浮いている。
無重力空間の常で、首はわずかに仰け反り、腰は曲がり、両手が浮く。見えない椅子に腰かけているような、重力下では不安定に思える姿勢だが、へたに地上と同じ姿勢を取ることは余計な筋肉疲労をまねくだけだ。
フリュード・シフトと呼ばれる、無重力空間で体液が上半身に集まってくる現象は、既にエレベーター内から始まっていたが、それで起こるぼうっとした顔面や上半身の腫れたような感覚も、スライにとっては苦痛というより自分の内側に集中するための手順に感じる。
気持ちがみるみる、体を越えた外へと広がり出していくようだ。スライは軽く目を閉じた。
忘れたくとも忘れられない思い出がよみがえりつつあった。
宇宙暦29年3月。
スライの住んでいた合衆国の小さな町では、建国記念日に継ぐ祭が近づいているせいで、次第に活気が増していた。
人口、3400人余り。元はもっと小さな町だったが、それまでの結び付きから、日本沈没の際にかなりの移民者を受け入れた。それから約60年。移民者達も少しずつ町になじみ、中には町の発展に少なからず尽くした日本人もいて、ほかの多くの移民先よりも和気あいあいと暮らしていた。
と、少なくとも、スライ達は思っていた。
だが、宇宙暦開始を祝う祭の日に、惨劇は起こった。
始めは、酒に酔った数人の、今では『CN』だったか『GN』だったか、日本人だったかその他だったかわからない人間の、ささやかな悪ふざけだったのだろう。
数人の女を男が囲み、上品とは言えないからかいをした。怒った女とその連れが、からかった相手を無視して囲みから出ようとし、止めに入った男を突き飛ばした。かっとなった男が女の腕を掴む。女が抵抗し、そこへ女の家族が通りかかった。祭だから、と間に入った者もいた。大人気ない、と男をしかる者もいた。だが、パールハーバーってのを知ってるか、日本人みたいに卑怯なまねはするなよ、と野次った者がいた。ゲンバクってのはどうだ、俺達が実験台にされたんだ、と応じた者がいた。『GN』ってのは『草』を使うしかない病人だ、と誰かが叫んだ。宇宙に住めるのに地球にへばりついている『CN』が問題を起こすんだ、と別の人間が叫び返した。祭はやがて悲鳴と怒号あふれる暴動と化していた。
スライは、そのとき、家に居た。
祭が盛り上がり過ぎてるな、と苦笑した父。今は行かない方がいいわね、と座り直した母。面白そうだね、と悪戯っぽくいった妹。
穏やかな夕食後の光景は、突然破られたドアに引き裂かれた。
入り込んできたのは日本人だった。血走った目をあちこちに向け、何を思ったか、奥へ走り込んで、暖炉の上に飾られていたものを抱え込んだ。
何をする、と駆け寄った父親は、次々入り込んできた男女の群れに飲まれた。母親が悲鳴を上げて妹をかばう背中に、黒髪の男がパイプのようなものを振り下ろした。突き飛ばされたスライを、見知らぬ金髪の女が蹴っていった。
強奪と暴力の波はすぐに別の家へと流れて行った。
体中の痛みに耐えて目を上げたスライは、今の今まで笑っていた父や母や妹が、物のように転がっているのを見た。開いたドアの向こうに広がる、破壊と炎の海を見た。踏みにじられた家と夕食の残りを見た。
誰かが遠くで泣き叫んでいた。
スライは数時間後に駆けつけた州警察と軍に保護された。
このとき、暴動に加わったのは町の3分の2近くにあたる2000人余り、死傷者併せて1500人。破壊された町は復興に1年以上かかり、人々の傷が癒えるには10年以上かかった。
国は同様の問題が、各地の移民先に起こることを恐れ、事情調査と報道管制に乗り出した。原因は、もともと潜在していた反日感情や移民によるストレス、『CN』と『GN』の互いに対する差別意識にあったのだろうとされている。
スライは、学校や地域活動で、日本と日本人に起こった状況について学び、移民を受け入れることの国際的な意義も認識しようとしていた。多くの日本人と多くの日本人の子どもが町にあふれ、今まで当然のようにしてきたことも一々話し合わなくてはならない面倒さはあったが、国家や地球や人類に対する義務だと教えられ、そう考えるようにしてきた。スライ自身は、日本人や『GN』を差別する気持ちを抱いたことは、ほとんどなかった。
だが、この夜起こった暴動とその結果は、スライの信じたものを打ち砕くのに十分だった。
始まりは日本人ではなかったかもしれない。だが、スライの家を襲ったのは日本人だった。日本人が移民しなくてはならなかったのは、日本人のせいではなかったかもしれない。だが、スライの町を破壊し、家族を奪った暴動は、日本人がいなければ起こらなかったかもしれなかった。
(日本人が、あの国と一緒に沈んでいれば、みんな生きていたかもしれない)
それは考えてはならぬこと、そう思いながらも、スライの胸に暗い炎は宿り続け、ふとした拍子に吹き上がってくる。そして、それは、日本人と同じように、新しい世界に十分適応しようとしないまま、じわじわとスライの居場所を侵していく『GN』にも重なってくる、重く荒々しい怒りの炎だ。
炎は20年たった今でも、より一層激しいものとなって、スライの胸の傷を焼き焦がし、あの夜に引き戻してスライを苦しめている。
スライは目を開けた。
彼には、もう家族はいない。
帰る故郷もない。
守るべきは、このステーションのみだ。
10歳のとき、スライは家や家族を守る術を持たなかった。
(だが、今は違う)
スライはここの責任者であり、このステーションはスライの家だ。
カナンや地球連邦や、サヨコとかいう薄汚れた日本人の手に、むざむざ渡してしまうわけにはいかない。
(カナンはがっかりするだろうが、サヨコ・J・ミツカワには、ファルプの元で適当に相手をさせ、このケースには力不足として、早々に地球へ帰ってもらうことにしよう)
スライは薄く冷たく笑った。
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