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74.『黒竜』(3)
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元々は華奢な性質だし、それほど筋肉畑でもなかったが、オウライカに鍛えられ、カークと暮らし出してからガードとしての腕も磨いていたから、自分一人の体ぐらいは何とか支えられる。
金属の輪を片方離し、もう片方の輪を持ち、別の手を次の輪に伸ばす。体が伸びると同時に浮いた左足を右脚の窪みに寄せ、踏み替えた。そして右脚を次の窪みへ。それを繰り返し、次の岩柱の階段へ辿りつく。
赤錆に汚れた掌を軽く払い、階段を今度はゆっくりと降りていった。しばらくすると、もう少し低い場所で、同じように次の岩柱へ移る通路があり、今度は上へ登っていく。そしてもう一回。
どこでも同じく、渡り始めた時には階段は崩れて欠け落ちてしまい、後には誰も登れなくなる。
まるでライヤー一人を待っていたかのような造り、帰りはどうやって戻るのかなと考えた自分に苦笑した。
(戻る場所なんか、考えたことがなかったのに)
オウライカの所へ来るまではもちろん、オウライカの所から『塔京』へやってくる時も、再び『斎京』に戻れるとは思っていなかった。なのに今、ライヤーは戻る場所を考え、カークのことを思い出している。
時々抜け落ちている岩柱の細い階段を注意深く登っていき、やがて上半身が岩舞台の上に出て、それでも地下空洞の天井はまだ頭上遥かな高みにあった。誰もいないのを確かめて、ゆっくりと穴から体を抜き出し、立つ。
思っていた以上に平らな岩舞台は、周囲から寄り集まるような岩柱に支えられて、狭まり細くなりながら、中央へ、湖の上へ張り出していく。先端を目指して歩み寄り、人一人立つ突端で覗き込む。
圧巻だった。
湖に注ぎ込む流れはない。水が湧き上がっているような場所もない。岩舞台を作り上げる岩柱群のそこここから溢れる水が滝となって地面を穿ち、そこから溢れて入り込むだけだ。左右をみやるが、通路上には水は溢れていなかった。周囲の壁から滲み出した地下水が、岩柱の中を伝って寄り集まり、ここに落とし込まれてくるのだろう。ざりりと足元で砂が鳴って覚る。
だからこの岩柱は崩れていくのだ。
動きがない洞窟に造られた自然の偉容、けれどその内側には地表からの雨水や地下水が流れ込み、奔り動き、内側を削り取っていく。厚みを減らされ、強度を緩められ、細い岩柱から次第に、やがては太い岩柱も次々に、合わさる継ぎ目はより容易く崩れていくのだろう。金属の輪の赤錆は、湿気からだけではない、あの内側にも水が接し始めているからだ。
砂漠になる前は岩と水があったのか。
「……」
ぞくりと体が震えた。
産まれた時から砂漠だったのではなく。
岩場が雨風に削られ穿たれ崩されて、或いは含まれた水分が寒暖の差に膨張と収縮を繰り返し、やがて無数の砂粒となった。
けれどそこには水があった。
岩を穿ち、細胞を膨らませ、天を駆け、地の全てを覆う水が。
「動くな」
「…」
背後からの声にライヤーは振り向いた。
黒いおかっぱのトゥオンが銃を構えてライヤーを狙っている。
「どうやって来れたの?」
それが一番不思議で、ライヤーは尋ねた。
「階段は壊れてたよね?」
「階段を使うのは『地を這う男』だ」
トゥオンはくすりと笑った。真下の湖からの淡い光に、赤い唇の間で、白い歯と銀の金具が光る。
「『天舞う巫女』は必要としない」
「へえ」
ライヤーは不自由な姿勢から向き直った。
「君が巫女なの」
こんな場所で何をやってたの。
いつ撃たれるかということより、何が起ころうとしているかということの方が気になってしまう。
「祈りを捧げたに決まってる」
馬鹿にしたようにトゥオンは嗤った。
「太平の祈りだ」
「ずいぶん平凡だね」
「人が全ていなくなりますようにと」
「…訂正する。なかなかぶっ飛んでるよ」
「人の最後の一人として終るのが私の務めだ」
「……踊ってよ」
ライヤーは促した。元の道には戻れない。どちらにせよ、トゥオンを制しなければ生還できない。
「こんな場所で踊れたのか興味がある」
応じないかと思ったが、トゥオンはボアのついた革ジャケットを脱ぎ捨てた。銃をその下に入れ、唐突に飛び上がる。足元はいつの間にか裸足、崩れかけた岩舞台の穴だらけの平面を、まるで超一流の役者のために設えられた磨かれたステージのように跳ねて舞う。白シャツにカーキ色の作業ズボン、それがまるで花を撒きながら翻る衣装のように見えた。
「死ね…死ね……死ね………人よ……死ね……」
呟くように囁くように、唇から漏れる呪文。
そのことばを、ライヤーも胸の中でずっと聞いていた。
滅びよ、世界。これほどまでに醜く苦しく傷みしか産まないのならば。
トゥオンが舞台を蹴るたび、ざらざらと、がらがらと岩舞台が蹴落とされて穴が広がっていく。
「堕ちてくれる気なのか、君もまた」
ライヤーは呟いた。
ちら、とトゥオンがこちらを見返る。透徹した眼差し、罪悪さえも飛び越えて。
「僕らと一緒に闇夜の果てに」
これほど滅亡を願う心に寄り添わなくていいものを。
消滅後の復活さえ望まない、凍てつき壊れた魂を抱えて産まれてきたのに。
「全く誰も彼も」
どうして救ってやろうとするのか。
がらっと足元が崩れた。背後に仰け反る。抵抗せずに、虚空に呑まれながら叫ぶ。
「謳え、巫女!」
人よ永久なれと祈り讃えよ!
はっとしてトゥオンが振り返る。驚愕に見開いた目が、ライヤーの体の遥か彼方へ投げられる。
脳裏に浮かぶオウライカの顔、ああ、ほんと、ごめんなさい、オウライカさん。
僕は今、人を棄てる。
だって、こっちの方が気持ちいいんです。
トゥオンの目線とずれることなく、眼下の湖から怒濤の奔流とともに立ちのぼってくるものが、仰け反った視界に逆さまに見える。
やあ、黒竜。
笑み綻んで両手を差し伸べる。
「君だったのか」
「ライヤー!」
トゥオンの叫びを耳に、ライヤーは目の前に開いた紅蓮のあぎとに噛み締められた。
金属の輪を片方離し、もう片方の輪を持ち、別の手を次の輪に伸ばす。体が伸びると同時に浮いた左足を右脚の窪みに寄せ、踏み替えた。そして右脚を次の窪みへ。それを繰り返し、次の岩柱の階段へ辿りつく。
赤錆に汚れた掌を軽く払い、階段を今度はゆっくりと降りていった。しばらくすると、もう少し低い場所で、同じように次の岩柱へ移る通路があり、今度は上へ登っていく。そしてもう一回。
どこでも同じく、渡り始めた時には階段は崩れて欠け落ちてしまい、後には誰も登れなくなる。
まるでライヤー一人を待っていたかのような造り、帰りはどうやって戻るのかなと考えた自分に苦笑した。
(戻る場所なんか、考えたことがなかったのに)
オウライカの所へ来るまではもちろん、オウライカの所から『塔京』へやってくる時も、再び『斎京』に戻れるとは思っていなかった。なのに今、ライヤーは戻る場所を考え、カークのことを思い出している。
時々抜け落ちている岩柱の細い階段を注意深く登っていき、やがて上半身が岩舞台の上に出て、それでも地下空洞の天井はまだ頭上遥かな高みにあった。誰もいないのを確かめて、ゆっくりと穴から体を抜き出し、立つ。
思っていた以上に平らな岩舞台は、周囲から寄り集まるような岩柱に支えられて、狭まり細くなりながら、中央へ、湖の上へ張り出していく。先端を目指して歩み寄り、人一人立つ突端で覗き込む。
圧巻だった。
湖に注ぎ込む流れはない。水が湧き上がっているような場所もない。岩舞台を作り上げる岩柱群のそこここから溢れる水が滝となって地面を穿ち、そこから溢れて入り込むだけだ。左右をみやるが、通路上には水は溢れていなかった。周囲の壁から滲み出した地下水が、岩柱の中を伝って寄り集まり、ここに落とし込まれてくるのだろう。ざりりと足元で砂が鳴って覚る。
だからこの岩柱は崩れていくのだ。
動きがない洞窟に造られた自然の偉容、けれどその内側には地表からの雨水や地下水が流れ込み、奔り動き、内側を削り取っていく。厚みを減らされ、強度を緩められ、細い岩柱から次第に、やがては太い岩柱も次々に、合わさる継ぎ目はより容易く崩れていくのだろう。金属の輪の赤錆は、湿気からだけではない、あの内側にも水が接し始めているからだ。
砂漠になる前は岩と水があったのか。
「……」
ぞくりと体が震えた。
産まれた時から砂漠だったのではなく。
岩場が雨風に削られ穿たれ崩されて、或いは含まれた水分が寒暖の差に膨張と収縮を繰り返し、やがて無数の砂粒となった。
けれどそこには水があった。
岩を穿ち、細胞を膨らませ、天を駆け、地の全てを覆う水が。
「動くな」
「…」
背後からの声にライヤーは振り向いた。
黒いおかっぱのトゥオンが銃を構えてライヤーを狙っている。
「どうやって来れたの?」
それが一番不思議で、ライヤーは尋ねた。
「階段は壊れてたよね?」
「階段を使うのは『地を這う男』だ」
トゥオンはくすりと笑った。真下の湖からの淡い光に、赤い唇の間で、白い歯と銀の金具が光る。
「『天舞う巫女』は必要としない」
「へえ」
ライヤーは不自由な姿勢から向き直った。
「君が巫女なの」
こんな場所で何をやってたの。
いつ撃たれるかということより、何が起ころうとしているかということの方が気になってしまう。
「祈りを捧げたに決まってる」
馬鹿にしたようにトゥオンは嗤った。
「太平の祈りだ」
「ずいぶん平凡だね」
「人が全ていなくなりますようにと」
「…訂正する。なかなかぶっ飛んでるよ」
「人の最後の一人として終るのが私の務めだ」
「……踊ってよ」
ライヤーは促した。元の道には戻れない。どちらにせよ、トゥオンを制しなければ生還できない。
「こんな場所で踊れたのか興味がある」
応じないかと思ったが、トゥオンはボアのついた革ジャケットを脱ぎ捨てた。銃をその下に入れ、唐突に飛び上がる。足元はいつの間にか裸足、崩れかけた岩舞台の穴だらけの平面を、まるで超一流の役者のために設えられた磨かれたステージのように跳ねて舞う。白シャツにカーキ色の作業ズボン、それがまるで花を撒きながら翻る衣装のように見えた。
「死ね…死ね……死ね………人よ……死ね……」
呟くように囁くように、唇から漏れる呪文。
そのことばを、ライヤーも胸の中でずっと聞いていた。
滅びよ、世界。これほどまでに醜く苦しく傷みしか産まないのならば。
トゥオンが舞台を蹴るたび、ざらざらと、がらがらと岩舞台が蹴落とされて穴が広がっていく。
「堕ちてくれる気なのか、君もまた」
ライヤーは呟いた。
ちら、とトゥオンがこちらを見返る。透徹した眼差し、罪悪さえも飛び越えて。
「僕らと一緒に闇夜の果てに」
これほど滅亡を願う心に寄り添わなくていいものを。
消滅後の復活さえ望まない、凍てつき壊れた魂を抱えて産まれてきたのに。
「全く誰も彼も」
どうして救ってやろうとするのか。
がらっと足元が崩れた。背後に仰け反る。抵抗せずに、虚空に呑まれながら叫ぶ。
「謳え、巫女!」
人よ永久なれと祈り讃えよ!
はっとしてトゥオンが振り返る。驚愕に見開いた目が、ライヤーの体の遥か彼方へ投げられる。
脳裏に浮かぶオウライカの顔、ああ、ほんと、ごめんなさい、オウライカさん。
僕は今、人を棄てる。
だって、こっちの方が気持ちいいんです。
トゥオンの目線とずれることなく、眼下の湖から怒濤の奔流とともに立ちのぼってくるものが、仰け反った視界に逆さまに見える。
やあ、黒竜。
笑み綻んで両手を差し伸べる。
「君だったのか」
「ライヤー!」
トゥオンの叫びを耳に、ライヤーは目の前に開いた紅蓮のあぎとに噛み締められた。
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