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36.『接続』
しおりを挟む「ライヤー! 行くぞ!」
大声にこめかみを抑えて顔をしかめる。
「いった~」
「何してんだ」
「頭痛いんですよ…」
「ふん」
「痛くないんですか~」
「あれぐれえの酒で仕事が勤まるかよ」
仕事と酒の強さは無関係だろうとは思ったが、そこは大人しく、たいしたもんですねえ、と感嘆しながらのろのろと泊めてもらった二階から降りてくる。
「なまっちろい面に似合いのへたれだな!」
「あ~騒がないでくださいって」
「へ、た、れ、だな!」
「わかったわかった……」
『隊長』が嬉しそうに上からのしかかって繰り返すのを、はいはいと手を振って遠ざける。
「お水一杯下さいね?」
「さっさと飲めよ、朝飯は奢ってやらん」
昨日散々飲ませたからな、と笑う『隊長』がそれでもコップに水を汲んでくれたのを、だらだらとカウンターに座って口元に運んだ。
「た~」
眉を寄せて目を閉じたのは満更頭痛のせいばかりではない。大体が頭痛だって、酒のせいというよりは無理矢理カークの意識を捕まえようとしたからだ。
オウライカならば軽々とできるそれは、『斎京』の人間が全部できるわけではない荒技だ。こちらへ意識を向けていない、あるいは全く違うところへ意識を向けている相手の感覚を横取りするように入り込む。
実のところ、ライヤーがそれができると知ったブライアンは驚いたような、一種独特の不愉快そうな顔になった。ただ、それは、その能力が『夢喰い』の能力に酷似しているからだ、とは後で知ったことだったが。
「まいった、な~」
小さく呟いたライヤーの耳には掠れた甘い声が響いている。
『いや…っ、嫌だっ、オウライカさんっ、オウライカ………っ』
涙に濡れた声は必死で切なげだ。
『大丈夫』
今にも泣き崩れそうなのを放っておけず、深く入り込んで寄り添うと、カークの心がきりきりと鋭い音をたてて巻き込まれていた。あまりに強く巻き過ぎて今にもねじ切れそうな鎖の色は紅がもっと強くなっている。このままではもたないと思わず囁くと、小さな子供のように、誰、誰、と何度も繰り返した。
会えると言っても信じない。無茶をするなと言っても聞き入れない。守りに行くと嘯けば、馬鹿なと軽く嘲笑されて、それでも零れ落ちてくる涙は痛いほど熱く滴ってくる。
魅かれて吸い取ったのに身体を震わせて仰け反り、こちらの腕を掴んで一瞬頭を預け、目を閉じながら、
『早く……』
来て、とそれはことばになっていなかったが、意識ではごまかせるはずもなく、すがりつくように爪を立ててくるのにまるでこちらが犯しているような気になって。
「どうしよう…」
ほ、とライヤーは溜め息をついた。
「なんだ、行くのを止めるのか?」
「行きますよ、行きますけどね」
コップの水を一気に飲み干す。
本当は、カークの鎖を全部切り解いて砕いてしまい、抜け殻になったのを『斎京』へ連れ去るつもりだった。オウライカの代わりの贄になるなら精神など要らぬこと、崩壊させておけばこちらのささやかな罪悪感を消し去ってくれる、そう踏んでいたのだが。
「欲しく、なっちゃった」
「あん? ユンはもう渡さねえぞ」
ぎろりと目を光らせた『隊長』に、違いますよ、と苦笑する。
「じゃあ誰のことだ」
「……カークさんって、男は好きですかねえ」
「うっ」
『隊長』が何を露骨なことを言いやがる、と顔を強ばらせて身を引いた。
「こんなお天道様の下で言うことじゃねえだろう、それは」
「何か御存じなんですか?」
店を出て扉に鍵をかけながら、『隊長』は妙な表情でライヤーを見下ろした。
「……が、男を好きならどうだってんだよ」
「僕じゃお気に召さないかなあと思って」
「……ぶぶぶぶっ!」
『隊長』が目一杯派手に吹き出した。
「お前…っ、お前な、そりゃ、ユンなら手玉にでも取れるだろうが、相手は魔王よ? レグル、シュガットを侍らせて爪先で蹴りつけるようなタマだよ?」
「レグル、シュガット……へえ」
「う」
今のなしな、オフレコな、と『隊長』が微妙な顔で訂正を入れる。
「確かお二方ともカークさん率いる『塔京』のその上を仕切ってるという噂でしたが、もうそうじゃないんですね?」
「う、う」
「じゃあ、残ってるのはハイトさんだけかあ…」
「く、詳しいじゃねえか」
「まあ、それなりにはね」
にっこり笑ってライヤーが見上げると、『隊長』が生真面目な顔で首を振る。
「よせ、やめとけ、無駄だ、相手にされるわけがねえ」
「夕べは喰われてこいって言ったくせに」
「あれはまじに喰われてこいって意味だろが」
なんですか、それは、と呆れ返るような会話をしながら、それでも中央庁へはすぐだった。
大階段には今日はエバンスもファローズもいない。先に立つ『隊長』はさっさと用事を済ませるだけだと言う顔で、ライヤーをどんどん奥へ導いていく。
「今さらですが、いいんですか」
これって『塔京』を裏切ってますよね、と突っ込むと、
「ユンを食われるよりはましだ」
あっさり『隊長』に応じられて、まいったな~と照れ笑いした。ほんと、これだからまっすぐで強い人は苦手なんだよ、そういやトラスフィさんも苦手だったなあ、と呟くと、
「トラスフィって……あの、トラスフィか?」
「御存じですか」
「『塔京』でトラスフィを知らないのはもぐりだろうが」
オウライカ恋しでさっさと姿消しちまったって聞いたが、そうか『斎京』に居んのか。
そううなずいた『隊長』はどこか嬉しそうだ。
「適材適所ってやつよ、なあ」
「『斎京』でも派手に動いてますよ」
「じゃ、何か、この間ネフェルんとこのがぶつかったのは、トラスフィか。古い知り合いに邪魔されたってヒステリー起こしてたぜ」
「そうでしょうね」
「…………おらよ、ここだ」
『隊長』が立ち止まったのはのっぺりとした塵一つ落ちていない廊下の、同じようなドアが続くうちの一つだ。『EVANS』の灰色文字のプレートだけが部屋の所有者を教えている。
「ありがとうございました」
「後は知らねえ」
無言でぺこりと頭を下げて礼を示し、急ぎ足に去っていく『隊長』を見送った。
まさかライヤーがカークを本気で狙っているとは思ってもいないのだろう、ひょろりとした背中が角を曲がって消えた途端、ライヤーはちらりと『EVANS』のドアを横目で見遣り、書かれた名前を確認しながら、そこからゆっくりと廊下を離れていく。
目当ての部屋はそれほど遠くはなかった。
ドアの前で髪を掻き上げ、ネクタイは欲しかったな、と呟きながらノックする。
「入っていいよ」
「失礼しまーす」
気軽に開いたそのドアのネームプレートは部屋の持ち主を『NAFEER』だと告げていた。
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