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108.『覇を競うなかれ』(3)
しおりを挟む 震えた体が突然分かれ始めた。
幾つもの姿に分裂していく。
熱情を放つもの、憎悪を抱くもの、困惑に竦むもの、恋慕に呻くもの、慈愛に溢れるもの、激怒に震えるもの、破壊に喜ぶもの、蹂躙に耐えるもの、ただただ前へ進むがために。
重ね合わせてついに一つとなろうとしたエネルギーは、進むがために様々な形を取り、新しい世界への形を求める。
かつて地球で、そうであったように。
青い輝きの雫が黄金竜に包み込まれて小さく縮んで行こうとした、その矢先。
何。
しゃらしゃらと微かな音が空間に満ちた。
何が起こった。
奔流の周囲に無数の銀の蝶が待っている。
よく見れば一つ一つは骨の形を背負っている。白く乾いて今にも砕けそうな細かな塵、地上に撒かれて土に埋め込まれた人の欠片のように。
だが、その細かな骨を粘りつくような黒い闇が引き寄せ繋いでいる。消失の不安と怒り、自らの体への執着と恋慕、滅べと願う声を凌駕しようと練り上げられた生きる意思。
瞳は輝く深紅の石だった。
骨の蝶が銀色に輝く翅を羽ばたかせ、煌めく紅の殺意で襲いかかってくる。
餓えている。
どれほどエネルギーを注いでも即座に飲み干すほどに餓えている。
包み込まれ締め上げられ搾り取られる、命の証の最後の一滴さえも。
私に注げ。
冷徹な声が命じる。
その力を全て。
黄金竜は理解し、恐怖する。
なぜ地球を離れて月を求めたのか。
十分に力を蓄えていたなら、数瞬の人の命など目に止める必要もなかっただろう。
躍り上ったのは不安が募ったからだ。
人は餓えている。
竜のエネルギーを食い尽くすほどに。
う、う、う。
奪われる、容赦なく、既に痛みと感じるほどに鋭い快感と引き換えに、命の炎が削られていく。
銀の蝶が構築の金の蝶を伴って離れていく。
番いの呼び声は本能で放つよりも多くのエネルギーを吸い込み、黄金竜は枯渇していく。
うろたえた。
金の鎧を剥がされて、柔らかく傷つきやすい紅の肉が晒されようとしている。その底には、自分を最後の一辺まで与えて悔いないと断じる存在が待ち構えている。
あの男であればよかったのだ、赤竜を制するのが。
欲望に弱く己の存在しか守ることを知らない、そうして己の存在さえも食い潰すしかできない、脆くて小さな無機物の塊である、あの男なら。
しかし、あれはもう満たされてしまった。
無機物に落とし込めば満たされることなどないと思ったのに、それと知らず突き進んだ快楽の果てに作り出した同じような無機物と、互いの粒子を交わらせて、存在の意味に気づいてしまった。
もはや、あれは『足りない』と思わない。
黄金竜の贄にはなれない。
悲鳴を上げる。
月に辿り着けない。
存在を満たせない。
骨に縛られ、血に脅かされ、彼方の海が飲み込みに来る、温かな褥から引き剥がして、守る物一つない無力で無知な存在へ引き戻そうと。
嫌だ。
崩れながら黄金竜は襲いかかる白波に攫われていく。
そうして全てを引き剥がされた矢先。
「…そう、怖がるな」
優しい声に瞬きした。
「お前を傷つけたりはしない」
静かな響きが届く。
「心配するな、お前はただ眠るだけだ」
眠るだけ…?
「そうだ、しばらくの間、眠るのだ」
それは死と同義ではないのか。
「お前は多くのエネルギーを成長に使った」
声は穏やかに諭した。
「数々のものを取り入れ、数々のものを受け取った」
そうだ、私は必死に掻き集めた、そうしなければ消え失せてしまうから。
「それらはお前の内側に残され、誰も奪うことはできない」
誰も?
「なぜなら、それはお前と深く繋がれ、絆されていて、他のものでは扱えないのだ」
では、なぜ眠る。
私はまだこの世界を眺めていたい。
熱に溢れ意思に満ち力弾けるこの空間を。
「…お前は世界を愛してるんだな」
愛…?
「自らを壊してでも、この世界に居たいと願う、それが愛情でなくて、何だろうな」
愛情…?
「けれどお前は忘れている」
何を?
「世界もお前を愛している」
私を?
「魂の最後の一粒まで磨り潰されることがないようにと願っている」
願っている?
「だからこそ、眠れと望んでいる」
眠る…。
「お前がこれ以上小さくなってしまわないように」
……小さくなって、いるのか、私は。
地球を引き裂き、宇宙を切り裂き、月を穿つほどに巨大な存在ではなかったのか。
手を伸ばしてみた。
か細い今にも消えそうな光が数本束ねられて震えている。
ああ……小さいな。
「そうだ」
こんな手では…何も……掴めないな。
潤んだ視界に呻きが漏れる。
こんな体では、何もできない。
「そうじゃない」
優しい声は笑みを含んだ。
「新しい世界には、その姿が一番いい」
なぜ?
「今まで見たことも聞いたこともない、お前の思う遥か外に存在するものを受け入れるためには、前の形はない方がいい」
私の思う、遥か外に存在するもの。
霞む目で煙る地球と鮮やかな月を見渡し、周囲を包む暗闇を眺める。
これよりも、外。
「目が覚めたら、出かけよう」
目が、覚めたら。
「一緒に、次の場所へ」
次の、場所。
「さあ、おやすみ」
掌が翻る。
白くて甘い光が包み込んで来る。
……わかった。
目を閉じる時にふと不安になって尋ねる。
…置いていかない?
「……連れて行こう、どこまでも」
安心した。
幾つもの姿に分裂していく。
熱情を放つもの、憎悪を抱くもの、困惑に竦むもの、恋慕に呻くもの、慈愛に溢れるもの、激怒に震えるもの、破壊に喜ぶもの、蹂躙に耐えるもの、ただただ前へ進むがために。
重ね合わせてついに一つとなろうとしたエネルギーは、進むがために様々な形を取り、新しい世界への形を求める。
かつて地球で、そうであったように。
青い輝きの雫が黄金竜に包み込まれて小さく縮んで行こうとした、その矢先。
何。
しゃらしゃらと微かな音が空間に満ちた。
何が起こった。
奔流の周囲に無数の銀の蝶が待っている。
よく見れば一つ一つは骨の形を背負っている。白く乾いて今にも砕けそうな細かな塵、地上に撒かれて土に埋め込まれた人の欠片のように。
だが、その細かな骨を粘りつくような黒い闇が引き寄せ繋いでいる。消失の不安と怒り、自らの体への執着と恋慕、滅べと願う声を凌駕しようと練り上げられた生きる意思。
瞳は輝く深紅の石だった。
骨の蝶が銀色に輝く翅を羽ばたかせ、煌めく紅の殺意で襲いかかってくる。
餓えている。
どれほどエネルギーを注いでも即座に飲み干すほどに餓えている。
包み込まれ締め上げられ搾り取られる、命の証の最後の一滴さえも。
私に注げ。
冷徹な声が命じる。
その力を全て。
黄金竜は理解し、恐怖する。
なぜ地球を離れて月を求めたのか。
十分に力を蓄えていたなら、数瞬の人の命など目に止める必要もなかっただろう。
躍り上ったのは不安が募ったからだ。
人は餓えている。
竜のエネルギーを食い尽くすほどに。
う、う、う。
奪われる、容赦なく、既に痛みと感じるほどに鋭い快感と引き換えに、命の炎が削られていく。
銀の蝶が構築の金の蝶を伴って離れていく。
番いの呼び声は本能で放つよりも多くのエネルギーを吸い込み、黄金竜は枯渇していく。
うろたえた。
金の鎧を剥がされて、柔らかく傷つきやすい紅の肉が晒されようとしている。その底には、自分を最後の一辺まで与えて悔いないと断じる存在が待ち構えている。
あの男であればよかったのだ、赤竜を制するのが。
欲望に弱く己の存在しか守ることを知らない、そうして己の存在さえも食い潰すしかできない、脆くて小さな無機物の塊である、あの男なら。
しかし、あれはもう満たされてしまった。
無機物に落とし込めば満たされることなどないと思ったのに、それと知らず突き進んだ快楽の果てに作り出した同じような無機物と、互いの粒子を交わらせて、存在の意味に気づいてしまった。
もはや、あれは『足りない』と思わない。
黄金竜の贄にはなれない。
悲鳴を上げる。
月に辿り着けない。
存在を満たせない。
骨に縛られ、血に脅かされ、彼方の海が飲み込みに来る、温かな褥から引き剥がして、守る物一つない無力で無知な存在へ引き戻そうと。
嫌だ。
崩れながら黄金竜は襲いかかる白波に攫われていく。
そうして全てを引き剥がされた矢先。
「…そう、怖がるな」
優しい声に瞬きした。
「お前を傷つけたりはしない」
静かな響きが届く。
「心配するな、お前はただ眠るだけだ」
眠るだけ…?
「そうだ、しばらくの間、眠るのだ」
それは死と同義ではないのか。
「お前は多くのエネルギーを成長に使った」
声は穏やかに諭した。
「数々のものを取り入れ、数々のものを受け取った」
そうだ、私は必死に掻き集めた、そうしなければ消え失せてしまうから。
「それらはお前の内側に残され、誰も奪うことはできない」
誰も?
「なぜなら、それはお前と深く繋がれ、絆されていて、他のものでは扱えないのだ」
では、なぜ眠る。
私はまだこの世界を眺めていたい。
熱に溢れ意思に満ち力弾けるこの空間を。
「…お前は世界を愛してるんだな」
愛…?
「自らを壊してでも、この世界に居たいと願う、それが愛情でなくて、何だろうな」
愛情…?
「けれどお前は忘れている」
何を?
「世界もお前を愛している」
私を?
「魂の最後の一粒まで磨り潰されることがないようにと願っている」
願っている?
「だからこそ、眠れと望んでいる」
眠る…。
「お前がこれ以上小さくなってしまわないように」
……小さくなって、いるのか、私は。
地球を引き裂き、宇宙を切り裂き、月を穿つほどに巨大な存在ではなかったのか。
手を伸ばしてみた。
か細い今にも消えそうな光が数本束ねられて震えている。
ああ……小さいな。
「そうだ」
こんな手では…何も……掴めないな。
潤んだ視界に呻きが漏れる。
こんな体では、何もできない。
「そうじゃない」
優しい声は笑みを含んだ。
「新しい世界には、その姿が一番いい」
なぜ?
「今まで見たことも聞いたこともない、お前の思う遥か外に存在するものを受け入れるためには、前の形はない方がいい」
私の思う、遥か外に存在するもの。
霞む目で煙る地球と鮮やかな月を見渡し、周囲を包む暗闇を眺める。
これよりも、外。
「目が覚めたら、出かけよう」
目が、覚めたら。
「一緒に、次の場所へ」
次の、場所。
「さあ、おやすみ」
掌が翻る。
白くて甘い光が包み込んで来る。
……わかった。
目を閉じる時にふと不安になって尋ねる。
…置いていかない?
「……連れて行こう、どこまでも」
安心した。
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