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6.法の網の目

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「……大沢さんの人たちかな?」
 妙な沈黙の漂う中、ぽつりと直樹が尋ねた。不敵な笑みを浮かべて、ぐるりと回りを見回す。男達は無言で一歩、詰め寄ってくる。チンピラ風、というのではない、どこにでもいそうなサラリーマンのように見えるのが、一層凄みがある。
「!」
 無言で飛びかかってきた一人を、直樹が平然と躱す。
「うわ!」
 流されてたたらを踏んだ男がこっちへ来るのに、無我夢中で両手を握って突き出すと、幸運にもどちらかが当たったらしい。げ、と呻いてよろめきながら、それでも脚を振り回してくる。飛び退くなんて器用なことが俺にできるわけがない。もろに脚蹴りをくらってひっくり返り、踏まれかけて危うく避けた時には、既に乱闘まっただ中だった。
「ひゅ!」「わ」「ぐっ!」「ひえ!」「ぎゃっ!」「うわわわ…」
 男達の苦しげな悲鳴はもちろん直樹が生み出したもの、続いた情けない声は、巻き込まれかけて必死に逃げている俺の声、よく時代劇の殺陣で主人公に一人ずつ斬り掛かってくるという光景を見るが、あんなふうに順序良く来てくれるわけもなく、地面を這いずり回りながらただただ必死に逃げているのが、時々直樹への攻撃をしかけた男の脚を狙って突っ込んだ状態になったりする。
 けれど、それももうぼちぼち限界だった。
「滝さん!」
 凛と直樹の声が響いたのは、左頬に見事なストレートをくらった時で、ぼやけて揺れる視界でそちらを見やると、直樹は魔法のようなフットワークで男達の攻撃をかわしながら、じりじりこちらへ近づいてきていた。
 殴り掛かった男のこぶしを身を沈め、傾けて避け、背後から殴り掛かった相手の鳩尾に肘鉄を入れて倒し、斜めから突進してきた男は寸前に身を翻し、重い音が響き渡った後には三人同時に地面に沈むという華々しさだ。しかも、呻いて体を起こそうとした最後の一人の顎を靴の踵で蹴り飛ばす、というおまけまでつけている。
 猫科の野生動物が二足歩行していたら、こういうやり方で自分からほとんど仕掛けず、相手の力だけで相打ちに持っていって擦り抜けてくるんじゃないか。
「すげえ…」
「だいじょう…」
 紅潮した頬に薄笑いを浮かべて呼びかけてきた声、最後のぶ、は雷のように轟いた爆音に消えた。背中からいきなり照らされたシルエットになった直樹の姿、振り返って相手を確認していたわけではないだろう、それでも駆け寄ってきた直樹が的確に突っ込んで来たバイクの進路から俺を突き飛ばす。
「危ないっ!」
「ひえいっ!」
 今の今まで俺が立っていた場所を削るようにバイクが通り過ぎていった。だが、少し前方ですぐにターンして、再び戻ってくる。
「走るんだ!」
 俺と一緒に転がった直樹が服を掴んで怒鳴った。
「わかった!」
 慌てて起き上がるが、かたかた震えた脚がなかなか言うことをきかない。先に立って走る直樹の革ジャンをヘッドライトが白く灼き、俺の視界を眩く光らせた。すぐ後ろから来る重量感、耳を叩きつける轟音、追ってくる、追ってくる。
「こっち!」
 直樹に続いて細い路地に飛び込んだ。一瞬だけ遅れて、俺の踵の外側をタイヤが駆け、気配を唸りで断ち切っていく。直樹はなおも走り続ける。ずきずき痛む左頬、何だか歯がぐらぐらするのは気のせいか。まっすぐ前に見えてきた路地の出口、直樹が安心したように飛び出しかける、だが。
「っっ!」
 体を半身出しかけた直樹が歯を食いしばり、片目を閉じて精一杯の早さで身を引いた。ウワァン、と叫んだバイクが、直樹の髪の毛を掴もうとするように伸びた腕とともに、路地の出口の外を駆け抜けていく。あっ、と小さな悲鳴が上がって、直樹が腕を抱えて壁にもたれた。
「直樹!」
「擦っただけ」
 に、と笑った顔は白い。
「囲まれちまったみたいだな」
 静まり返っていた路地に、大型バイクの重い唸りが響いていた。どの方角からとも言えない、逆にどこからでも聞こえてくるような、腹をえぐっていく音。
 直樹はだらりと垂らした左腕を軽く右手で押さえている。
 その袖口から一筋、赤黒い糸が下へと滴り落ちるのにはっとした。
「直樹!」
「え?」
「どこが擦っただけなんだ!」
「…ああ」
 今は擦っただけさ。
「それで傷がちょっと開いて」 
 青ざめた頬にふてぶてしい笑みを押し上げながら、直樹は応じた。額に浮いた汗が次第に範囲を広げる。
「! 事故の、か!」
 思い出した。
 こいつはバイクで事故ってたのだ。
 慌ててポケットを探り、一、二週間洗ってない気もするハンカチを見つけた。
「手を貸せ」
「いいよ、すぐ止まる」
「貸せったら貸せ!」
 思わず怒鳴る。
 どうして、この手の顔の奴はすぐ意地を張るんだろう。
(ああ、こいつは整形してたんだっけ)
 そうだ、もう一人の意地っ張りは、もうとっくに。
 脳裏を掠めたその思考に胸が詰まった。革ジャンから腕を抜き、渋々差し出した直樹から目を伏せ、歯をくいしばる。
 革ジャンの下のカッターシャツとセーターが赤黒く濡れている。セーターを脱がせ、カッターシャツの上からハンカチを縛りつける。
「痛むか?」
「慣れてっから、どうってことねえよ」
 低く答え、直樹はセーターと革ジャンに手を通した。
「どうする、かなあ」
 バイクの音はぐるぐると周囲を囲みつつ響き続けている。
 この騒ぎを聞きつけて、警察が来てくれないだろうか。
「冗談じゃねえよ」
 漏らしたつぶやきに、じろりと直樹は俺を睨みつけた。
「あんた、俺達のやってること、わかってんのか? 法律の内か、外か、ぎりぎりのところでやってんだぜ」
「…」
 そりゃそうだ。
 突っ込まれるとこちらは一言もなかった。
 社会的には綾野は死んでしまっているのだし、周一郎の仇討ち気分になっているのは、俺ぐらいのものだろう。 
「ほんとにおかしな人だな。マジで人のことを心配するくせして、自分のことにはいい加減でさ」
 皮肉めかして肩を竦めた直樹の顔色は、時折閃くバイクのライトに交互に染められ、以前より青くなってきているようだ。このままではいずれ身動き取れなくなる。いっそ、もっと派手な騒ぎになってしまえばいいのかもしれない。 
(騒ぎになって、警察を呼ばずにはいられなくなるような……?)
 警察に捕まって困るのはお互いさま、けれど奴らの方が早く逃げるんじゃないか?
 周囲を見回して、水色のポリバケツが幾つか目についた。周囲にある飲食店のゴミをいれておく類だろう。
「おい…何を…」
 生ゴミがぎっちり入ったポリバケツは結構重い。臭いを堪えて、ずるずると引きずり集めてくる。直樹の声を無視して、路地の入り口に陣取る。ポリバケツを蓋をしっかり閉めて、横に寝かせ、一方の壁がヘッドライトで照らされた矢先、力の限り道路に向かって蹴り出した。
 キキキーッ! ドォン! グワッシャッ!
「っ……っ!」「わ…ああっ…!」「くそおっ!」
 怒号が飛ぶ、悲鳴が響く。
 半身ほど路地から乗り出してみると、オートバイが数台絡むようにして止まり、中には転がっているのもあるのがわかった。しかも、ポリバケツを破壊したらしく、辺りに散乱する生ゴミ塗れ、悪臭とべたべた汚れが一気に撒かれている。
「やっ…!」
 たね、と続けたかったが、すぐに腕を引っ張られて後ずさりした。耳元に口を近づけた直樹が叫ぶ。
「あんたもたいがい、無茶な人だな!」
 ほら、来たぜ!
 直樹が促すまでもなく、バイクに乗っていた男が俺達に気づいて走ってきた。呑気にそちらを眺めていた俺に向かって、気合いとともに拳を繰り出してくる。
「わ!」
 その瞬間、足下に散っていた生ゴミで滑った。どすっと尻餅をついたとたん、踏ん張っていた両足が蹴り上がり、相手の脚を引っかける。俺の頭上で相手が呻いてひっくり返る。
 落ちてきた男の体を、俺はかろうじて避けた。
「今のうちだぜ、滝さん!」
「ああ!」
 俺達は逆方向へ向かって走り出した。
「前!」
「っ」
 正面から走り込んできた男を、瞬時の当て身で直樹が倒す。
「そっちだぞ!」「回れっ」「逃がすな!」
 叫び声が飛び交う中、俺達は走った。
 法治国家日本なんて、誰が言った。世界に冠たる日本警察は何をしてる。息を切らせながら考える。これだけの物音、これだけの騒ぎ。なぜまだやってこない。曲がる角、流れる路地、慌てて逃げ去る野良猫。
 二人して細い路地へ再び逃げ込んだ時には、もう話すどころじゃなかった。荒い息を吐きながら、お互いの顔を見るともなく見つめて、同じことを考えているのを知る。
(いつまでもつ?)
「ふ、ぅっ」
 深い息を一度吐いて、すぐに再び喘ぐ呼吸になりながら、直樹は膝に両手をついて前屈みになり、体を支えている。左手の甲に改めて紅が糸を引き始めている。
「大丈夫か?」
 乱れる呼吸を何とか整えて、肩を上下させている相手に声をかけた。呼びかけに上げた直樹の顔に、まだ不敵な笑みが残っているのにほっとする。
「夜の方が調子…よくってね」
 にっと直樹は笑った。
 ウワァン、と遠くでバイクが唸る。
「ここもいずれ見つかっちまうな……は、ご大層なこったぜ」
 ひねた口調でぼやきながら身を起こす。
「ま、綾野と日本支部にとっちゃ、起死回生の機会だからな」
「キシカイセイ?」
 漢字が思いつかない。きっと脳味噌が前代未聞の酸素不足に陥っているんだろう。
「そっ。つまりさ…」
 直樹の話すところによると、綾野の失敗は組織全体に響くものだった。綾野一人失脚するのならまだしも、周一郎という敵を引っ張り込み、あまつさえ公的な警察権力の介入を呼び込んだ。壊滅状態になりかけた組織は、綾野に責任を取るように詰め寄り、仕方なしに彼は大勝負に出ることにした。
 モレリー・コレクションの密輸だ。
「もれりー・これくしょん?」
「……あんたが言うと、珍獣大紹介みたいな感じがするな」
「ほっとけ」
「モレリー・コレクションって言うのは、無名だが一部のマニアの間で異常に高値で取引されているモレリー家のコレクションで、未来へ残す国家的な美術遺産の一つとして注目されているんだ。ただ、モレリー家の当主はひねくれた老人で、今回全てのコレクションを放出するにはするが、美術館関係者と外国人には一切売らないと言い出した」
 直樹はひょいと肩を竦めた。
「もちろん、そのままでは、コレクションは美術愛好家の眼に触れることなく、世界中に散ってしまう。そこでじいさんは少し譲歩したんだな。コレクションの買い手が決まった後、主要各国で各々一週間前後の展覧会を行う、責任はモレリー家のもとにおく、と。この巡業旅行を狙ったのが綾野で、展覧会の間に偽物と取り替えて売買してしまおうって魂胆らしい」
 そんな危険なんか、深く考えなくても想像つくだろうに、金持ちの考えることはわからない。
「まあ、自分達の手に入れたものを見せびらかしたい、羨ましがる周囲の顔を見てやりたいってとこじゃねえのか」
「ふうん…」
「そこに、罠を仕掛ける」
 再び遠くの方で響いた爆音、ぽつりと呟いた直樹の目が、一つ向こうの路地を駆け抜けた光条を追った。
「罠か…」
 お由宇の謎めいた微笑が脳裏を過った。
 確かに綾野にとっても大勝負だろうが、こっちにとっても大博打なんじゃないだろうか。へたをすれば、こっちが強盗団に仕立て上げられかねないんじゃないだろうか。いや、それだから、あのアンリとかいうのが関わってきているんだろうか。
 ふいに、路地を眩い光が照らし出した。
「居たぞ!」
「滝さん!」「ああ!」
 俺達は再び走り出した。それでも、どうしても怪我のせいで一歩遅れた形になる直樹に光が迫る。
「くそっ」
 息を切らせながら前をみる、と。
「直樹!」
 思わず叫んで後ろを振り返った。前方から突っ込んでくる一台のバイク、その背後に乗用車のヘッドライトらしいものも迫ってくる。思い出したのは京都の竹林、車まで出して狩り込もうというのか。
 振り返った視界に直樹が脚をふらつかせるのが映る、その真後ろにライト……。
「っっ!」
 俺は直樹に飛びかかった。精一杯伸ばした手で直樹を突き飛ばす。直樹が跳ね飛び、俺はライトの進路に片足残して道路に転がる。
「!!」
 轢かれる。
 と、前から来ていたバイクがきしり音をたてて斜めに突っ込んで来たかと思うと、俺を轢こうとしていたバイクと俺の間に割り込んだ。突っ込んできたバイクが間一髪、進路を逸らせて急カーブし、手前の路地へ飛び込んで走り去る。
「志郎!」
 ぽかんとしている俺に、お由宇のきびきびした声が飛んできた。今まさに轢かれようとするのから助けてくれた乗り手が、バイクを止めてこちらを見ている。フル・フェイスのバイザーを跳ね上げた隙間から、お由宇のくっっきりした顔立ちが覗いていた。
「早く! アンリの車に乗って!」
 振り向いたワイン・カラーの乗用車の窓から、顔を出したアンリが叫ぶ。
「ハヤク! 滝サン! ナオキ君!」
 お由宇がアクセルをふかし、鮮やかなターンを決めてバイク連中に突っ込む隙に、俺と直樹はアンリの車の後部席に転がり込んだ。
「掴マッテ!」
 片目でウィンクしたアンリがハンドルを切り回し、一気に加速する。背後から獲物を捕らえ損なった悔しさに唸るバイク音、追いかけようとしているのをなおも牽制したらしいお由宇のバイクがすぐに追いついてくる。入り組んだ路地のはずだが、くるくると迷路を擦り抜けるように走り抜け、アンリとお由宇は見事に脱出を成功させた。

「大丈夫デスカ? …血ノニオイ……ケガデスカ?」
 アンリがバックミラーを見ながら尋ねてくる。ほっとしたのと、車の振動で眠くなりかけていた俺ははっとした。
「あ…あ、そうなんだ、直樹が」
「救急箱、借りてるぜ、アンリ」
 直樹は既に革ジャンとセーターを脱いでいた。車の後ろにあった箱から、包帯とガーゼを取り出し、手慣れた様子でまくり上げたシャツの下の傷に巻き付け始める。生暖かい血の匂いに軽く眉をしかめたアンリは、ぽつりと呟いた。
「ヤッパリ…大沢デスカ」
「うん、大沢だ。モレリー・コレクションのことは本当らしいぜ」
「トイウコトハ…」
 アンリと直樹の、よくわからない会話を聞きながら、俺は車の側を擦り抜けて先へ走り出していくバイクを眺めた。
(あれは…お由宇だったのか)
 周一郎と和野岬へ行った時、二台のバイクの背後から追ってきていたライダー、止まれ、と合図を送ってきていると運転手が言った。それを、周一郎は振り切るように命じた、おそらくはお由宇だとわかっていただろうに。
(お由宇は周一郎のやろうとしていることを知っていた…だから止めに来た……でも)
 周一郎はその手を振り切った。
 笑みが脳裏を横切っていく。切ないような、淋しいような……薄々殺されることを予想しながら、救いの手を振り切っていった者の笑み。
(そうせざるをえないように……俺が、追い詰めた)
 シートにもたれる。
 あの日、周一郎は何を考えていただろう。今の俺と同じように車のシートにもたれ、窓の外に近づく救いを拒否して、隣に自分の命を狙う男を置き…。
「滝さん」
「ん?」
 呼びかけられて我に返る。
 手当を終えたらしい直樹が肩を竦める。
「悪いけど、肩貸してくれよ。疲れちまった」
「あ、ああ」
「ふぅ」
 ためらいもなく俺にもたれかかり、疲れ切っていたのだろう、やがて微かな寝息をたて始める直樹を見つめる。
 この事件が始まった日、お由宇からの手紙が来た日を思い出す。高野の声……「よっぽどあなたに気を許していらっしゃるんですね」……背中を向け合ったまま、けれども同じ場所に居て、一つの事件に立ち向かうはずだったあの日……あの場所に居た周一郎を、俺は永久に失ってしまった。
(何が…間違っていた?) 
 俺の自覚、だろうか。
 俺が、周一郎にとって、どういう存在なのかがわかっていなかったから?
 いや、周一郎が俺にとって、どういう存在なのかがわかっていなかったからだ。
「…ん…」
 直樹の安らかな寝息に涙ぐみそうになった。
(もっと、ゆっくり眠らせてやればよかった)
 寝起きの慌てる顔を見たいなぞと思わないで。
 せっかく得た安眠を、守ってやればよかった。
「……ちぇ」
 情けない。
 ああしてやればよかった、こうしてやればよかったばっかりだ。
「アチラモ、ナリフリ、カマワズデスネ」
「え?」
 響いたアンリのことばに視線を上げる。
「『彼』ニシテハ、強引ナヤリ方ダト、由宇子サンガ言ッテマシタ」
「ふうん」
「イツモ、法律トハ上手クヤッテイタノニ、今回バカリハ、法律カラハミダスシカナクナッタヨウネ、ト」
「へえ…」
 で、お前はお由宇とどういう関係なんだと尋ねようと思ったが、ただでさえ落ち込み気味のところにダブル・パンチの気配濃厚、それ以上は突っ込まないでおく。
「……コワイ人デスネ」
 しばらく黙っていたアンリが再び話し出す。
「お由宇が?」
「彼女モ、コワイ人デス。敵ニシタクアリマセン。コッチノ意図ヲ伝エル前ニ、ソレニ応ジテ行動サレマスカラネ……刃物ミタイデス」
「そうかあ…?」
 確かに不思議な女で、悪魔のように頭がいいとは思うが、こわいと思ったことはない。
 と、アンリがバックミラーの中からくすりと笑った。
「ボクガ『コワイ』ト言ッタノハ、アナタノコトデスヨ、滝サン」
「え?」
 余りにも意外な応えに驚く。アンリがくすくすと楽しげに笑った。
「アナタハ、何ノ意図モナシニ、コチラノ本音ヲ引キ出シテイッテシマウ。ツイ、本音ヲ言ッテシマウ。アナタト話スノハ、大変ウレシイ……ケレド、ボクラ……人ノ裏バカリ見テイル人間ニトッテハ……大変コワイ人デス……味方ニスルニハ、不安……」
 アンリの顔が、少し前までの愛想良さを捨てていた。酷薄に光る青い瞳、鋭い視線をこちらに向ける。
「……カト言ッテ、敵ニナッテホシクハナイ……モシ、アナタガ敵ナラ、ナントカシテ、助ケタクナルデショウ……ナントカシテ、自分ノコトモ心配シテモライタイ……ケレド、ソノ代償ハ本音……大変、困リマス…………周一郎君ノ気持チ、ワカリマス」
 アンリは一転、柔らかで渋い苦笑を見せた。
「モシ、許サレルナラ……友人ニナッテホシイト思ッテシマウ。コンナ、自分デモ、許サレルナラ…」
 憂うような表情が、にっと笑みに崩れた。
「アア…ホラ、ネ…ツイ話シテシマウデショウ?」
「友人って……俺は特に友達を選ばないけど」
 そのせいで宮田なんかがやってくるんだろうな、きっと。
 溜め息をつくと、ふっとアンリは笑った。その笑みが、どこか周一郎の微笑に似ていてぎくりとする。
「ソウ……デモ、自分ハダメジャナイカト……思ウ時ガアルンデス、アナタミタイイナ人ニ会ッテシマウト、ネ」
 きゅっ、と目元に軽く皺を寄せて、アンリはウィンクした。魅力的で華やかな、女性ならばくらりとするような笑顔、けれどどことなく、何を考えているのかわからないような笑みに戻る。
「由宇子サンハ、本格的ニ綾野ヲ追イ詰メルツモリデスヨ。大丈夫デスカ? 滝サン」
 大丈夫かと確認されるのは、これで何度目だろう。それでも。
(何とかなるさ)
 胸の中で呟く。
 踏み込めば、変わるものがあるのを、俺は知っている。踏み込んで、終わらせなくてはならないものがあるのも知っている。
 だから。
(これが終わったら)
 俺は朝倉家を出て行こう。
 時々墓参りに行くことは許してもらって、俺は俺の生活を始めるんだ。
(淋しいだろう)
 亡くしてきた大事な人同様に。きっと数ヶ月は、周一郎の姿を探しちまうことだろう。
 それでも、俺はもう一度、自分の生活を始める。
(「滝さん」って呼ぶ奴がいなくなる)
 バイトを始めなくちゃならないな……幾つ掛け持ちするかな。
(あのレンガ塀ともお別れだ)
 しばらくはお由宇の所へ転がり込んでいようか。
(墓の下は寒いだろう…)
 下宿を探そう……コートをカタに取られないような所を。
(ルト…どうするんだろ)
 大丈夫だろう、何とかやっていくだろう。
 そして俺は新しい生活を始めるんだ。
 窓の外の流れ去る景色を見つめた。
 直樹は眠っている。アンリも黙って運転し続けている。
 そして俺は、これからの生活を思い。
 俺は。

「…くそっ」

 そんな風に割り切れりゃ、誰も厄介事に巻き込まれるもんか!
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