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『名無しの種』
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息子が小学生になった時、私は、いよいよ、あの丘に登って話をする時が来た、と思った。
「どこへ行くの?」
「うん。てつやも小学生になったからな」
「何しに行くの?」
「大事なことなんだ」
私は少し緊張していた。
思えば、私の父親は、とてもうまく話してくれた。私のおじいさんの、そのまたおじいさんの話を、まるで物語のように話してくれた。
私は、あんな風にうまく話せないだろう。でもこれは、我が家のたった一つの守りごとだから、何が何でもちゃんとしなくてはならないのだ。
リュックサックを背負って、時々不思議そうに私を見上げる息子と、電車に乗ってバスに乗って、ずっと昔に住んでいた街へ着くまで、私はドキドキしっ放しだった。
街のコンビニでおにぎりを買って、それからずんずん、街外れの、海が見える丘に登った。
「お父さん、ここで何するの?」
「つまりな、えーとな、あっ、ああっ!」
もう少しで登り切るところで、私は丘の上にこじんまりと立っている木を見つけて叫んだ。慌てて駆け寄ると、少し見上げるほどの高さになった木が、さわさわと風に揺れて、私を迎えた。
「もう、こんなになったのか」
「この木なあに、お父さん」
「これはな、おじいちゃんのおじいちゃんが植えたんだ」
「おじいちゃんのおじいちゃん?」
「そうだよ。おじいちゃんのおじいちゃんは、昔結構なお金持ちだった。でも、大きな地震があって、そのあと事業がうまくいかなくなって、故郷に帰って来たんだ。故郷にはとても綺麗な丘があった。その丘がここだ。ここに、おじいちゃんのおじいちゃんは種を一つ、植えたんだ」
「ふうん。ねえ、お腹空いたよ。おにぎり食べてもいい?」
「ああ、木の下で食べよう」
私は息子と木の下に座った。おにぎりを一口食べると、息子が尋ねた。
「それがこの木になったの?」
「そうだ。おじいちゃんのおじいちゃんは、それから戦争に行った。その前にひいおじいちゃんに、この木のことを頼んだんだ。ひいおじいちゃんは、戦争で一杯、悲しいことや苦しいことにあった。その度に、この木の小さな芽を見て頑張ったそうだ。やがて戦争が終わって、ひいおじいちゃんにも子どもができた。おじいちゃんだな。ひいおじいちゃんはおじいちゃんに、おじいちゃんのおじいちゃんが植えた木の話をした。ひいおじいちゃんがこの木を見て、どれだけ頑張れたかも話した。だから、おじいちゃんも戦争の後、食べ物がなかった時に、この木を見に来て頑張った。この木の側で泣いたりもしたそうだ。そうしておじいちゃんは、お父さんに、木を植えたおじいちゃんのおじいちゃんと、ひいおじいちゃんの話をしてくれた。お父さんが大人になって、子どもが生まれたら、話をしてあげるんだよってね」
私は父親のことをはっきり思い出した。父親と過ごした子どもの時間も、大人になってこの街を離れた時、バスの中からじっと丘を見ていたことも、思い出した。
「お父さんが子どもの頃、この木はまだ小さかった。離れて行く丘の上に、ぼんやり緑のものが有るか無しかで、お父さんはずいぶん寂しかった。でも、困った時、いつもここを思い出してたよ」
私は頷いて、木を見上げた。木はさやさやと葉を鳴らした。
「ぼくもすきだな、ここ」
「そうか」
「おじいちゃんのおじいちゃん、何の種を植えたんだろう」
「うーん……葉っぱから見ると、しい、かな。……図鑑を持って来れば良かったな」
「何の種だって言ってたの?」
「さあな。名前は知らないって。名前は無いと言ってたかな」
「何の種かな」
「うーん、名の無い種、名無しの種か」
「はなしの種?」
息子が尋ねて、私はああっと声を上げた。
そうだ、そうかも知れない。
見上げると、木は素知らぬ顔で、風と日の中に立っていた。
終わり
「どこへ行くの?」
「うん。てつやも小学生になったからな」
「何しに行くの?」
「大事なことなんだ」
私は少し緊張していた。
思えば、私の父親は、とてもうまく話してくれた。私のおじいさんの、そのまたおじいさんの話を、まるで物語のように話してくれた。
私は、あんな風にうまく話せないだろう。でもこれは、我が家のたった一つの守りごとだから、何が何でもちゃんとしなくてはならないのだ。
リュックサックを背負って、時々不思議そうに私を見上げる息子と、電車に乗ってバスに乗って、ずっと昔に住んでいた街へ着くまで、私はドキドキしっ放しだった。
街のコンビニでおにぎりを買って、それからずんずん、街外れの、海が見える丘に登った。
「お父さん、ここで何するの?」
「つまりな、えーとな、あっ、ああっ!」
もう少しで登り切るところで、私は丘の上にこじんまりと立っている木を見つけて叫んだ。慌てて駆け寄ると、少し見上げるほどの高さになった木が、さわさわと風に揺れて、私を迎えた。
「もう、こんなになったのか」
「この木なあに、お父さん」
「これはな、おじいちゃんのおじいちゃんが植えたんだ」
「おじいちゃんのおじいちゃん?」
「そうだよ。おじいちゃんのおじいちゃんは、昔結構なお金持ちだった。でも、大きな地震があって、そのあと事業がうまくいかなくなって、故郷に帰って来たんだ。故郷にはとても綺麗な丘があった。その丘がここだ。ここに、おじいちゃんのおじいちゃんは種を一つ、植えたんだ」
「ふうん。ねえ、お腹空いたよ。おにぎり食べてもいい?」
「ああ、木の下で食べよう」
私は息子と木の下に座った。おにぎりを一口食べると、息子が尋ねた。
「それがこの木になったの?」
「そうだ。おじいちゃんのおじいちゃんは、それから戦争に行った。その前にひいおじいちゃんに、この木のことを頼んだんだ。ひいおじいちゃんは、戦争で一杯、悲しいことや苦しいことにあった。その度に、この木の小さな芽を見て頑張ったそうだ。やがて戦争が終わって、ひいおじいちゃんにも子どもができた。おじいちゃんだな。ひいおじいちゃんはおじいちゃんに、おじいちゃんのおじいちゃんが植えた木の話をした。ひいおじいちゃんがこの木を見て、どれだけ頑張れたかも話した。だから、おじいちゃんも戦争の後、食べ物がなかった時に、この木を見に来て頑張った。この木の側で泣いたりもしたそうだ。そうしておじいちゃんは、お父さんに、木を植えたおじいちゃんのおじいちゃんと、ひいおじいちゃんの話をしてくれた。お父さんが大人になって、子どもが生まれたら、話をしてあげるんだよってね」
私は父親のことをはっきり思い出した。父親と過ごした子どもの時間も、大人になってこの街を離れた時、バスの中からじっと丘を見ていたことも、思い出した。
「お父さんが子どもの頃、この木はまだ小さかった。離れて行く丘の上に、ぼんやり緑のものが有るか無しかで、お父さんはずいぶん寂しかった。でも、困った時、いつもここを思い出してたよ」
私は頷いて、木を見上げた。木はさやさやと葉を鳴らした。
「ぼくもすきだな、ここ」
「そうか」
「おじいちゃんのおじいちゃん、何の種を植えたんだろう」
「うーん……葉っぱから見ると、しい、かな。……図鑑を持って来れば良かったな」
「何の種だって言ってたの?」
「さあな。名前は知らないって。名前は無いと言ってたかな」
「何の種かな」
「うーん、名の無い種、名無しの種か」
「はなしの種?」
息子が尋ねて、私はああっと声を上げた。
そうだ、そうかも知れない。
見上げると、木は素知らぬ顔で、風と日の中に立っていた。
終わり
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