『segakiyui短編集』

segakiyui

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『ウパンヤドの水たまり』

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 ウパンヤドは北の方にある街で雨が多い。街の中にはあちこちに水たまりが出来ている。
 街の人達は時々そっと、水たまりを覗き込んでみる。
 ダルトンの話を知っているからだ。

 昔、ダルトンと言う男がいた。
 雨が好きで、水たまりが好きだった。
 雨が降ると、気に入っている真っ赤な傘を差し、街の中を歩いて回って、水たまりを覗いて行った。
 水たまりの中には、時々不思議なものが落ち込んでいる。通り過ぎて行った車から零れた小さな欠片。駆け抜けて行った人が蹴り飛ばした小石。小粒の泡をつけた虫の死骸。どこに咲いていたのか、まだ綺麗な色のままの花びら。
 ある日、ダルトンが見つけたのは、そのどれとも違っていた。黒くねっとりした泥の奥に、きらきら光る粒が入り込んでいる。こんなものは見たことがない。もっとよく見ようと覗き込んで、ダルトンは足を滑らせた。
 気がつくと、天井に穴の空いた狭い部屋に居た。周りは真っ暗、壁はつるつるしていて、手を突っ張っても足を突っ張っても登れない。穴を見上げていると、灰色の空と落ちてくる雨が見えた。跨いで行くズボンの足や靴の裏も。
 ダルトンは、水たまりの中に落っこちてしまったのだと気がついた。いつも覗いていたのに、今日に限ってどうしてこんなことになったのだろう。
 あの光の粒のせいかも知れない。光の粒だと見えていたのは、水たまりの底にある隙間だったのかも知れない。
 けれど、ここからどうして出ればいいのだろう。
 ダルトンは、今まで水たまりの中に落ち込んでしまった人の話など、聞いたことがなかった。
 仕方がないので、穴を見上げて立っていると、お気に入りの真っ赤な傘が、風に吹き飛ばされて、ころころと水たまりの上を飛んで行くのが見えた。
 雨は相変わらず降り続き、たくさんの人が水たまりを越えて行く。
 その時、穴の端に、ぴょこんと小さな男の子の顔が突き出した。
 危ないよ。落っこっちまうよ。
 ダルトンは両手を振って叫んだ。
 すると、ダルトンの肩がぐいぐいと上の方に引っ張られた。男の子が水たまりを深く覗き込むと、両手も体もぐいぐいと引っ張られる。爪先が浮いた途端、ダルトンは凄い力で吸い上げられ、男の子の青い目の中に吸い込まれた。
 さて、困った。
 丸く青いガラスのような玉の中で座り込み、ダルトンは頭を抱えた。水たまりの中なら何とか出られそうな気がしていたが、人間の目の中からはどうやって出ればいいのだろう。
 男の子はいろんなものを見つめている。にこにこ笑う女の人の顔。眉が太くて髭の濃い男の人の顔。木で作った機関車。色とりどりの絵。風に揺れる花や緑の葉っぱ。ぴかぴかに磨いた床の上に踊る光。
 雨はいつしか止んでいたのだろう。
 ダルトンの居るガラスの部屋に、急に鋭い光が走った。ダルトンはそっと、その光の方へ体を動かした。光は七色の虹のように、きらり、きらりと部屋を横切る。
 おや、これは何だろう。
 ダルトンがそう思った時、光がパチリとダルトンに当たった。七色の眩い光の束がダルトンを包む。そのままぐるりとダルトンを巻き込んで、光の束はするすると男の子の目からダルトンを引き出した。そして、ダルトンは光の束に引っ張られて、男の子が覗いていたビー玉の中に飛び込んだ。
 うわあ、こいつは凄い。
 ダルトンは光の渦の中に居た。
 ビー玉は、男の子が指を動かす度にくるくるきらきら、光を跳ね返していく。あちらこちらから光が飛び込んできて、ダルトンは目が回った。自分がどこに立っているのか、わからなくなる。どちらが上だか下だかもわからない。周り全てが光になり、光に囲まれ、包まれていく。
 ダルトンはぐるぐる回りながら、とても幸せな気持ちになった。周り全部が光だから、何かを見ようと目を凝らすこともない。目を凝らすことがないから、回る景色に目眩を起こすこともない。光はダルトンを温め、守り、豊かにしてくれる。
 ああ、もう、全てがこのままでいい。
 ダルトンは心の底からそう思った。
 だが、その時、もう一つの力がダルトンの体を強く引っ張った。
 どこへ、今度は何処へ行くんだ。
 ダルトンは心配した。光は見る見るダルトンの周りから消えていく。温かさも柔らかさも、どんどんなくなっていく。ダルトンはもがいて光を掴もうとしたが、指の間から光はするすると抜け出してしまう。
 ダルトンはあっと言う間に光から引き離されて、高い空に放り込まれた。足の遥か下に、豆より小さな街が見える。体にひんやりとした水が張り付き、ダルトンの体は重くなった。ゆっくりと、そしてだんだんと速く、ダルトンは街に向かって落ちて行く。雨の粒となって落ちて行く。
 街の片隅の水たまりの横に、1人の男が立っている。男は雨に濡れて、水たまりを覗き込んでいる。
 ああ、あれは私だ。
 びしゃあん、と音を立てて、ダルトンはその男の頭に落ちた。
 ダルトンは、はっと我に返った。
 強い風が吹いて、お気に入りの真っ赤な傘を吹き飛ばしていた。頭にも体にも、冷たい雨が降っていて、びっしょり濡れている。街は忙しく歩く人で一杯で、誰もダルトンやダルトンの傘のことを気にしていないように見える。
 ダルトンは傘を追い掛けた。少し先の水たまりにしゃがみ込んでいた男の子が、飛んで行った傘を拾ってくれた。その男の子は青いガラスのような目をしていた。
「ありがとう、坊や」
「おじさん、ビー玉好き?」
 男の子はポケットからビー玉を出して、にっこり笑った。
「もちろんだとも」
 ダルトンは微笑んだ。
 ビー玉の中に、あの光の世界があった。凍えた体にふっくらと暖かなものが戻ってきた。

              終わり
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