『segakiyui短編集』

segakiyui

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『時を編む人』

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 正子の家にはおばあちゃんが1人居ます。
 今はいなくなってしまったお父さんのお母さんに当たる人で、今年で85歳になります。
 おばあちゃんは、いつも大抵、縁側の端に座って2本の編み棒を動かして編み物をしています。
 お母さんが働きに出ている間、正子はおばあちゃんの側で、おばあちゃんがセーターやベストを編むのを見ています。
 時々、そうやって編み物をしているおばあちゃんのところへ、街の人が話をしにやって来ます。側に居る正子は小さいので何もわからないと思うのでしょうか、街の人達は、おばあちゃんの前で、子どものように泣いたり怒ったり笑ったりします。
「あのね、聞いて下さいよ、うちの嫁ときたらね…」
「わけがわからんことだよ、どうしてあいつにばかり、いい仕事が行くのか……」
「孫がようやく歩けてね…」
「どうしよう、おばあちゃん、彼と別れてしまいそうなの…」
 その度に、おばあちゃんはにこにこと頷き、相手の人が怒ったり悲しんだりしているのを聴き終えると、こう言います。
「さてさて、どこで絡まったのかねえ」
 そうして編んでいる糸を、さも不思議そうに二度三度引っ張って見せるのです。
 編み物と街の人の話は、あんまり関係がないように思うのですが、なぜかおばあちゃんがそうすると、しばらくたって同じ人が、必ずにこにこ笑ってやって来ます。
「おばあちゃん、嫁がね、私にプレゼントをくれたんですよ」
「この間は愚痴を言って済まなかった。あの仕事はわしには難しかったよ」
「孫がそりゃあしっかり歩いてね、こけてもちゃんと起き上がるんだよ」
「彼と話し合ったの。しばらく離れて考えてみるの」

 ある日のこと。
 いつものように正子がおばあちゃんの編み物を見ていると、ふいにおばあちゃんが難しい顔で言いました。
「おや、大変だ。糸がひどく縺れているね。『はさみ』、『はさみ』はどこだい」
 『はさみ』と言うのは、おばあちゃんが拾った小さな犬です。おかしな名前をつけるものだと正子もお母さんも笑ったものですが、おばあちゃんは素知らぬ顔で、『はさみ』と呼んでいるのです。
 その小さな茶色の犬が、おばあちゃんのことばに答えて、庭の隅から飛び出して来ました。
「『はさみ』や、時の糸が縺れてしまったよ。お前、急いで糸を解して来ておくれ」
 おばあちゃんがそう言うと、子犬はわんと吠えて、くるりと向きを変えて走り出しました。
 一体何が起きるのでしょう。
 正子も慌てて『はさみ』を追って、縁側から飛び降り走り出しました。
 『はさみ』は街外れの神社の方へどんどん走っていきます。その後を一所懸命追いながら、正子は自分の横にきらきら光る、そのくせ触ろうとしてもさわれない、不思議な色の糸があるのに気がつきました。
 そう言えば、街の様子がどことなく変です。
 郵便屋さんのバイクが道の真ん中で止まっています。公園で投げられたボールが宙に浮いたまま、落ちて来ません。子どもが泣きながら手足をばたばたさせているのに、その動きはひどくのんびりです。風に揺れた木の枝がひどく傾いだままたわんでいます。
 糸はまっすぐ、神社の中の小さな社に伸びていました。『はさみ』が地面を蹴って社に飛び込み、続いて正子も走りこみました。
「うわあ……」
 社の中では、糸が縺れて蜘蛛の巣のようになっていました。その中を『はさみ』があちらこちらで尻尾を振っては飛び回り、その度にシャキンと音がしました。音がすると糸は切れ、床に落ちて真っ直ぐになります。やがて、すべての縺れが切り解かれると、糸はするする寄り集まって、渦巻く大きな糸玉になりました。
 それを見届けた『はさみ』は、正子を振り向くと、もう一度吠えて社を飛び出しました。正子も急いで後に続きました。
「おかえり『はさみ』、ありがとう。おかえり、正子」
 おばあちゃんが笑って迎えます。その手がもう一度編み物を始めています。
 正子はそっと外を見ました。
 止まっていた全てのものが、いつの間にかいつものように、動き出しておりました。

                                      終わり
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