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『母親似』
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今でも信じられない。
バーガーショップから、真っ黒になった街を見ながら思う。窓ガラスに映った大きな目の女の子が、泣きそうになってる。ママ似だと言われている大きな目が涙で一杯。
目を反らせて、トレイの上のものをまとめ、立ち上がってゴミへ流し込む。ありがとうございましたあ。呑気な声。あれが、この世で聞く最後の声になるかも知れない。そう思うとおかしい。
情けなくて、おかしい。
繁華街で11時はまだ夕方だけど、この辺りの住宅地では深夜。バーガーショップとコンビニだけが明るくて、後はポツリポツリと街灯がついているだけの静かな暗い道。
右手をポケットに突っ込んで、チキチキチキ、とカッターの刃を出してみる。あいた。出しすぎた刃が、ポケットの布越しに脚に当たった。傷ついたかな。きれいな脚だって褒められてんのに。でも、いいか。もう死ぬんだし。もうすぐ死ぬんだし。
チキチキチキ。チキチキチキ。
カッターの刃を出したり引っ込めたり。ブラブラ歩きながら、どこで手首を切ればいいかと考えてる。でも、どこか嘘っぽい。手首をカッターで切っても死なない。そんなことは小学生でも知ってる。
死ぬのは、受験に落ちたから。絶対大丈夫だと思ってた。心配するママを嗤ってやりたかった。あんたの心遣いなんて、あたしの成長には関係ありませんって。あんたなんて、関係ない。あんたなんて。嘘っぽい、ほんと。
チキチキチキ。チキチキチキ。
落ちるなんて。一校しか受けなかった、医学系の大学。ママが育てた病院を継ぐ気なんてさらさらないから。そんな事のために大きくなったんじゃない。見事に受かって、そしてあっさり蹴ってやるつもりだった。能力はあるの。けど、あんたのためには使いたくない、そういうことよ。だって、あんたは騙してたから。ずっとあたしを騙してたから。
チキチキチキ。チキ。
電話ボックスの中に誰か蹲っている。慌てて右手をポケットから出す。酔っ払いかな。ピクリとも動かない。死体? ちょっとすごい。死ぬ予定のあたしが死体を見つける。そっと近寄ってみると、真っ白い顔の男の人が小さく唸っていた。どうしよう。妙なことに関わるのはごめん。でも…。
急ぎ足に離れようとして、振り返る。
死ぬんだもん、いいじゃない。妙なことになっても、死ぬんだもん。
電話ボックス開けたまま座り込んでた男の人は、浅くて速い呼吸をしている。顔色は青い。ママの病院で見たことがある。ショック状態の人。
「たす…け…」
心臓が引っ掴まれた。生きてる。わかってる、あたしがいること。あたしが助けてくれるって、そう思ってる。
竦んだあたしの手首を、男の人が急に握った。冷たい手。死神の手。ああ、ママ、どうしよう。思った途端、ぱあん、とママの声が響いた。意識を見なさい。呼吸は? 脈は? 応答は? 研修医を叱る声。
「大丈夫ですか」
「くる…し…」
「待っててね!」
脈は、打ってる。けど弱い。呼吸は、してる。けどどんどん頼りなくなる。応答はできてる、みたい。握った手はすぐに滑り落ちた。
男の人の体を跨いで、赤いボタンを叩きつけるように押して、救急車を呼んだ。それからしゃがみこみ、男の人の両手を握って叫ぶ。
「頑張って! もうすぐ救急車が来るから! 頑張って! 大丈夫よ!」
ああ、いつかママもこうして叫んでいた。
その時、ママがすぐ側に居るような気がした。頑張って、愛子。頑張って、愛子。死なないで。ここに、居るから。
あんたなんて関係ない。あんたなんて、あんたなんて、あたしの『本当の』母親じゃないのに!
「北里先生?!」
呼ばれて息が止まるかと思った。いつの間に来ていたのだろう、白い救急車から駆け下りて来た隊員が、あたしを呼んでいた。
「北里先生、の娘さんか!」
男の人に走り寄って来ながら続ける。
「うわあ、お母さんかと思ったよ。救急でいつもお世話になってるからなあ! この人だね! 助かったよ、すぐ運ぶから!」
救急隊員が男の人を運んでいく。救急車に乗せて、きっと真っ直ぐ、ママの病院へ。この辺りで唯一、救急患者を受け入れる所へ。
「失礼だなあ……ママは50過ぎてるって……」
あたしは泣きながら笑っていた。それから、着信が一杯の携帯電話を取り出した。
終わり
バーガーショップから、真っ黒になった街を見ながら思う。窓ガラスに映った大きな目の女の子が、泣きそうになってる。ママ似だと言われている大きな目が涙で一杯。
目を反らせて、トレイの上のものをまとめ、立ち上がってゴミへ流し込む。ありがとうございましたあ。呑気な声。あれが、この世で聞く最後の声になるかも知れない。そう思うとおかしい。
情けなくて、おかしい。
繁華街で11時はまだ夕方だけど、この辺りの住宅地では深夜。バーガーショップとコンビニだけが明るくて、後はポツリポツリと街灯がついているだけの静かな暗い道。
右手をポケットに突っ込んで、チキチキチキ、とカッターの刃を出してみる。あいた。出しすぎた刃が、ポケットの布越しに脚に当たった。傷ついたかな。きれいな脚だって褒められてんのに。でも、いいか。もう死ぬんだし。もうすぐ死ぬんだし。
チキチキチキ。チキチキチキ。
カッターの刃を出したり引っ込めたり。ブラブラ歩きながら、どこで手首を切ればいいかと考えてる。でも、どこか嘘っぽい。手首をカッターで切っても死なない。そんなことは小学生でも知ってる。
死ぬのは、受験に落ちたから。絶対大丈夫だと思ってた。心配するママを嗤ってやりたかった。あんたの心遣いなんて、あたしの成長には関係ありませんって。あんたなんて、関係ない。あんたなんて。嘘っぽい、ほんと。
チキチキチキ。チキチキチキ。
落ちるなんて。一校しか受けなかった、医学系の大学。ママが育てた病院を継ぐ気なんてさらさらないから。そんな事のために大きくなったんじゃない。見事に受かって、そしてあっさり蹴ってやるつもりだった。能力はあるの。けど、あんたのためには使いたくない、そういうことよ。だって、あんたは騙してたから。ずっとあたしを騙してたから。
チキチキチキ。チキ。
電話ボックスの中に誰か蹲っている。慌てて右手をポケットから出す。酔っ払いかな。ピクリとも動かない。死体? ちょっとすごい。死ぬ予定のあたしが死体を見つける。そっと近寄ってみると、真っ白い顔の男の人が小さく唸っていた。どうしよう。妙なことに関わるのはごめん。でも…。
急ぎ足に離れようとして、振り返る。
死ぬんだもん、いいじゃない。妙なことになっても、死ぬんだもん。
電話ボックス開けたまま座り込んでた男の人は、浅くて速い呼吸をしている。顔色は青い。ママの病院で見たことがある。ショック状態の人。
「たす…け…」
心臓が引っ掴まれた。生きてる。わかってる、あたしがいること。あたしが助けてくれるって、そう思ってる。
竦んだあたしの手首を、男の人が急に握った。冷たい手。死神の手。ああ、ママ、どうしよう。思った途端、ぱあん、とママの声が響いた。意識を見なさい。呼吸は? 脈は? 応答は? 研修医を叱る声。
「大丈夫ですか」
「くる…し…」
「待っててね!」
脈は、打ってる。けど弱い。呼吸は、してる。けどどんどん頼りなくなる。応答はできてる、みたい。握った手はすぐに滑り落ちた。
男の人の体を跨いで、赤いボタンを叩きつけるように押して、救急車を呼んだ。それからしゃがみこみ、男の人の両手を握って叫ぶ。
「頑張って! もうすぐ救急車が来るから! 頑張って! 大丈夫よ!」
ああ、いつかママもこうして叫んでいた。
その時、ママがすぐ側に居るような気がした。頑張って、愛子。頑張って、愛子。死なないで。ここに、居るから。
あんたなんて関係ない。あんたなんて、あんたなんて、あたしの『本当の』母親じゃないのに!
「北里先生?!」
呼ばれて息が止まるかと思った。いつの間に来ていたのだろう、白い救急車から駆け下りて来た隊員が、あたしを呼んでいた。
「北里先生、の娘さんか!」
男の人に走り寄って来ながら続ける。
「うわあ、お母さんかと思ったよ。救急でいつもお世話になってるからなあ! この人だね! 助かったよ、すぐ運ぶから!」
救急隊員が男の人を運んでいく。救急車に乗せて、きっと真っ直ぐ、ママの病院へ。この辺りで唯一、救急患者を受け入れる所へ。
「失礼だなあ……ママは50過ぎてるって……」
あたしは泣きながら笑っていた。それから、着信が一杯の携帯電話を取り出した。
終わり
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