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『象の「れもん」』
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『れもん』は象の名前です。
とは言っても、地上の象の名前ではありません。
天の象、それも由緒正しい、代々受け継がれてきた名前、空の虹の黄色を吹く象の名前です。
けれども、第136代目の『れもん』は虹を吹くのが下手で、しかも少々気弱な象でした。
今日も今日とて、一番年上の『森』に叱られています。
「こら、『れもん』。どうしてそんなに勢いのない黄色を吹くんだ。虹から一本、落っこちちゃってるじゃないか」
「ご、ごめんなさい『森』…さん」
『れもん』はおどおどと謝りました。
「精一杯、吹いたんだけど…」
「もう一回。しっかりやってくれよ。神様の御用だぞ。お前のお父さんはもっと立派に吹いたよ」
「はい、頑張ります」
『れもん』は一所懸命、黄色の泉からきらきら輝く水を吸い上げました。
「さあ、行くぞ、一、二の三!」
『森』の掛け声と一緒に、7頭の象は、各々の泉から吸い上げた輝く天の水を吹き上げました。紫、青、緑、黄緑、さあ『れもん』の黄色です。が、おやおや、黄色の水が途中から弱々しく力を失って、黄緑の上にかかりました。
「ぷうう!」
黄緑を吹いている『若芽』が、何をやっているんだと言う代わりに荒々しい唸り声を上げました。
『れもん』は必死に頬を膨らませて吹きましたが、黄色はどんどん曲がっていきます。ついに緑へかかりました。
「『れもん』!」
『森』が怒りました。
『れもん』はますます慌てて、黄色の飛沫を上へ吹き上げましたが、逆に喉へ流れ込み、いがらい味とともにひどくむせて咳き込みました。
もちろん、虹は台無しです。
「お前は虹なんか吹けやしない!」
とうとう『れもん』は天から追い出されてしまいました。
「駄目だなあ。僕ってどうして駄目なんだろう」
雲の階段を降り、うなだれながら『れもん』は畑の間の小道を歩きました。
空は夕焼けで真っ赤です。きっと赤の『おひさま』と橙の『みかん』が空一面に水を吹いているのでしょう。もう少しすれば青の『つゆくさ』と紫の『ききょう』が、ゆっくり水を撒きながら、天の端から歩いていてくるはずです。
「ああ、もう天には帰れない」
『れもん』は立ち止まってしまいました。
「これから、どこへ行こう」
もう一つ溜め息をついた『れもん』に、1人の男が声をかけてきました。
「どうしたんだね? 行くところがないのかい?」
『れもん』が振り返ると、赤と白の縞の背広上下に、きらきらした青いチョッキを着た男が立っていました。
「行くところがないなら、わしの所へおいで」
「え? いいんですか?」
「もちろんさ」
男はサーカスの団長でした。この近くまで来て、象が病気になったと言うのです。
「君さえ良ければ雇ってあげるよ。何もできない? 大丈夫、教えてあげよう」
次の日から、『れもん』は赤と白の縞の三角帽子を乗せ、きれいなお姉さんと一緒にショーに出ました。けれども、慣れない仕事でヘマばかり。第一、玉乗りなんてできたものじゃありません。お姉さんを踏み潰しそうになったり、団長を押し倒しそうになったり。
ある日、とうとう団長が言いました。
「お前みたいに何もできない奴は初めてだ。とっとと出ていけ」
「はい、すみません……」
『れもん』はサーカスを後にしました。
またもや『れもん』には行くところがありません。
畑の小道で溜め息をついていると、別の男が声をかけて来ました。
「どうしたんだい、一人かい? じゃあ、私の所へいらっしゃい」
見ると、茶色の作業服を着た、歳のいった男です。
「何もできない? 水を吹くだけ? そりゃあそうさ、象はそれでいいんだよ」
男は『れもん』に動物園の飼育係だと名乗りました。可愛がっていた象が、歳をとって死んだと言うのです。何もできないでもいい、そう言われて、『れもん』はほんの少しがっかりしました。『れもん』は虹の黄色を吹いていたのです。普通の象とも少し違うのです。
それでも『れもん』は男に連れられ、動物園に入りました。男に少しでも役に立つところを見せたくて、毎日思いっきり水を吸い上げ、吹き出しました。虹はできないけど、自分としてはかなりきれいに吹けたと思い始めた頃、『れもん』は男に呼ばれました。
「お前みたいに毎日毎日水を吹き上げて、周りを汚す象は要らないよ。さっさと出ていってくれ」
「はい、ごめんなさい」
『れもん』はまたまた一人です。
「サーカスも駄目、動物園も駄目。僕って本当に仕方がない象だ」
もう歩く気力もありません。
がっかりして疲れ果てた『れもん』は、よろよろと道端にしゃがみ込もうとしました。
その時、
「あ、痛い!」
「え?!」
『れもん』は小さな声に急いで足を退けました。左足の後ろに、踏まれかけたピンクの小花がゆらゆら揺れています。
「ひどいわ、痛いわ。曲がってしまったわ」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
『れもん』は泣きそうになって謝りました。何もできないばかりか、こんな小さな花まで踏みつけてしまったのです。
「大丈夫、大丈夫よ」
『れもん』の謝り方にびっくりしたのか、小花は微かに笑いました。
「もう、大丈夫」
「本当にごめんなさい。何か僕にできることはありませんか」
「そうねえ。喉がからからなの。水を少し下さいな」
「はい、はい、水ですね」
『れもん』は側の小川から、水を少し吸い上げました。小花の根元へチョロチョロ流し、また少し吸い上げて、今度は上から小さなシャワーです。
「ああ、気持ちいい。ありがとう、助かりましたわ」
「僕はそんな……」
「あらあら、いったい。どうなさったの?」
小花の優しいことばに、『れもん』はついに泣き出してしまいました。泣きながら今までのことを話すと、小花はくすくす笑って言いました。
「何もできない人なんていませんよ。だって、あなたは私に水を下すったでしょう」
「けれど、サーカスでも動物園でも駄目だったんです」
「ええ、そりゃ、サーカスや動物園ではね。だってあなたは、虹を吹く象なのでしょう?」
『れもん』はびっくりして泣き止みました。
「虹を吹く象ならば、虹を吹かなきゃ駄目ですよ。天へお帰りなさいな。そうして、私に天から黄色の素晴らしい水を下さいな。私はそれを待っていますよ」
「天から、あなたに?」
「そう、天から、私に」
小花のにこにこしているのにつられて、『れもん』は少し笑いました。すると、何だかやれそうな気がしてきました。
「わかりました。天から水を送ります」
「待っていますわ、『れもん』さん」
『れもん』は天へ帰りました。
「何だ、『れもん』、何しに来た」
「『森』さん、もう一度だけ、黄色を吹かせて下さい。それで駄目なら諦めます」
「ようし、それなら見てやろう」
『森』は一つ頷きました。
「ちょうど一本、御用がある。さあ、『れもん』、吹くぞ」
天から見ると、地上はひどく小さく見えました。小花のいるところはわからぬほど遠くに見えました。
『れもん』は大きく息を吐き、天の水を吸い込みました。身体中が黄色に染まるほど、皮膚が透けて中の黄色が見えるほど、たくさん水を吸い込みました。
「それ、一、二の三!」
『森』の声に、『れもん』は水を吹きました。小花に届くよう、遠く高く吹きました。
残った6頭の象も負けじと力を込めました。
空にかかったのは、これまで誰も見たことがないような、大きくて鮮やかな虹でした。
とは言っても、地上の象の名前ではありません。
天の象、それも由緒正しい、代々受け継がれてきた名前、空の虹の黄色を吹く象の名前です。
けれども、第136代目の『れもん』は虹を吹くのが下手で、しかも少々気弱な象でした。
今日も今日とて、一番年上の『森』に叱られています。
「こら、『れもん』。どうしてそんなに勢いのない黄色を吹くんだ。虹から一本、落っこちちゃってるじゃないか」
「ご、ごめんなさい『森』…さん」
『れもん』はおどおどと謝りました。
「精一杯、吹いたんだけど…」
「もう一回。しっかりやってくれよ。神様の御用だぞ。お前のお父さんはもっと立派に吹いたよ」
「はい、頑張ります」
『れもん』は一所懸命、黄色の泉からきらきら輝く水を吸い上げました。
「さあ、行くぞ、一、二の三!」
『森』の掛け声と一緒に、7頭の象は、各々の泉から吸い上げた輝く天の水を吹き上げました。紫、青、緑、黄緑、さあ『れもん』の黄色です。が、おやおや、黄色の水が途中から弱々しく力を失って、黄緑の上にかかりました。
「ぷうう!」
黄緑を吹いている『若芽』が、何をやっているんだと言う代わりに荒々しい唸り声を上げました。
『れもん』は必死に頬を膨らませて吹きましたが、黄色はどんどん曲がっていきます。ついに緑へかかりました。
「『れもん』!」
『森』が怒りました。
『れもん』はますます慌てて、黄色の飛沫を上へ吹き上げましたが、逆に喉へ流れ込み、いがらい味とともにひどくむせて咳き込みました。
もちろん、虹は台無しです。
「お前は虹なんか吹けやしない!」
とうとう『れもん』は天から追い出されてしまいました。
「駄目だなあ。僕ってどうして駄目なんだろう」
雲の階段を降り、うなだれながら『れもん』は畑の間の小道を歩きました。
空は夕焼けで真っ赤です。きっと赤の『おひさま』と橙の『みかん』が空一面に水を吹いているのでしょう。もう少しすれば青の『つゆくさ』と紫の『ききょう』が、ゆっくり水を撒きながら、天の端から歩いていてくるはずです。
「ああ、もう天には帰れない」
『れもん』は立ち止まってしまいました。
「これから、どこへ行こう」
もう一つ溜め息をついた『れもん』に、1人の男が声をかけてきました。
「どうしたんだね? 行くところがないのかい?」
『れもん』が振り返ると、赤と白の縞の背広上下に、きらきらした青いチョッキを着た男が立っていました。
「行くところがないなら、わしの所へおいで」
「え? いいんですか?」
「もちろんさ」
男はサーカスの団長でした。この近くまで来て、象が病気になったと言うのです。
「君さえ良ければ雇ってあげるよ。何もできない? 大丈夫、教えてあげよう」
次の日から、『れもん』は赤と白の縞の三角帽子を乗せ、きれいなお姉さんと一緒にショーに出ました。けれども、慣れない仕事でヘマばかり。第一、玉乗りなんてできたものじゃありません。お姉さんを踏み潰しそうになったり、団長を押し倒しそうになったり。
ある日、とうとう団長が言いました。
「お前みたいに何もできない奴は初めてだ。とっとと出ていけ」
「はい、すみません……」
『れもん』はサーカスを後にしました。
またもや『れもん』には行くところがありません。
畑の小道で溜め息をついていると、別の男が声をかけて来ました。
「どうしたんだい、一人かい? じゃあ、私の所へいらっしゃい」
見ると、茶色の作業服を着た、歳のいった男です。
「何もできない? 水を吹くだけ? そりゃあそうさ、象はそれでいいんだよ」
男は『れもん』に動物園の飼育係だと名乗りました。可愛がっていた象が、歳をとって死んだと言うのです。何もできないでもいい、そう言われて、『れもん』はほんの少しがっかりしました。『れもん』は虹の黄色を吹いていたのです。普通の象とも少し違うのです。
それでも『れもん』は男に連れられ、動物園に入りました。男に少しでも役に立つところを見せたくて、毎日思いっきり水を吸い上げ、吹き出しました。虹はできないけど、自分としてはかなりきれいに吹けたと思い始めた頃、『れもん』は男に呼ばれました。
「お前みたいに毎日毎日水を吹き上げて、周りを汚す象は要らないよ。さっさと出ていってくれ」
「はい、ごめんなさい」
『れもん』はまたまた一人です。
「サーカスも駄目、動物園も駄目。僕って本当に仕方がない象だ」
もう歩く気力もありません。
がっかりして疲れ果てた『れもん』は、よろよろと道端にしゃがみ込もうとしました。
その時、
「あ、痛い!」
「え?!」
『れもん』は小さな声に急いで足を退けました。左足の後ろに、踏まれかけたピンクの小花がゆらゆら揺れています。
「ひどいわ、痛いわ。曲がってしまったわ」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
『れもん』は泣きそうになって謝りました。何もできないばかりか、こんな小さな花まで踏みつけてしまったのです。
「大丈夫、大丈夫よ」
『れもん』の謝り方にびっくりしたのか、小花は微かに笑いました。
「もう、大丈夫」
「本当にごめんなさい。何か僕にできることはありませんか」
「そうねえ。喉がからからなの。水を少し下さいな」
「はい、はい、水ですね」
『れもん』は側の小川から、水を少し吸い上げました。小花の根元へチョロチョロ流し、また少し吸い上げて、今度は上から小さなシャワーです。
「ああ、気持ちいい。ありがとう、助かりましたわ」
「僕はそんな……」
「あらあら、いったい。どうなさったの?」
小花の優しいことばに、『れもん』はついに泣き出してしまいました。泣きながら今までのことを話すと、小花はくすくす笑って言いました。
「何もできない人なんていませんよ。だって、あなたは私に水を下すったでしょう」
「けれど、サーカスでも動物園でも駄目だったんです」
「ええ、そりゃ、サーカスや動物園ではね。だってあなたは、虹を吹く象なのでしょう?」
『れもん』はびっくりして泣き止みました。
「虹を吹く象ならば、虹を吹かなきゃ駄目ですよ。天へお帰りなさいな。そうして、私に天から黄色の素晴らしい水を下さいな。私はそれを待っていますよ」
「天から、あなたに?」
「そう、天から、私に」
小花のにこにこしているのにつられて、『れもん』は少し笑いました。すると、何だかやれそうな気がしてきました。
「わかりました。天から水を送ります」
「待っていますわ、『れもん』さん」
『れもん』は天へ帰りました。
「何だ、『れもん』、何しに来た」
「『森』さん、もう一度だけ、黄色を吹かせて下さい。それで駄目なら諦めます」
「ようし、それなら見てやろう」
『森』は一つ頷きました。
「ちょうど一本、御用がある。さあ、『れもん』、吹くぞ」
天から見ると、地上はひどく小さく見えました。小花のいるところはわからぬほど遠くに見えました。
『れもん』は大きく息を吐き、天の水を吸い込みました。身体中が黄色に染まるほど、皮膚が透けて中の黄色が見えるほど、たくさん水を吸い込みました。
「それ、一、二の三!」
『森』の声に、『れもん』は水を吹きました。小花に届くよう、遠く高く吹きました。
残った6頭の象も負けじと力を込めました。
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