『闇から見る眼』

segakiyui

文字の大きさ
上 下
102 / 237
第2章

51

しおりを挟む
「課長?」
「あ、はい」
 ぼうっと湯舟に浸っていた京介は我に返った。
「もうすぐ御飯ですから、そろそろ出てきて下さい」
「わかった……と」
 急いで立ち上がろうとして、脚が不規則に痙攣し、倒れそうになって慌てて体を支えてシャンプーのボトルを倒す。
「課長っ」
「あ」
 ばたんっ、と開いた扉に顔を上げる。湯気の向こうに伊吹の顔が浮かんでいて、それがみるみる赤くなっていくのがとんでもなく可愛くて、思わず見愡れた。
「大丈夫ですか」
「大丈夫」
「のぼせたの?」
「いや、久し振りに走り回ったから、脚が限界」
 苦笑しながら手で脚を叩き、ああ、と頷きながら視線を降ろした伊吹が固まる。
「っ」
「伊吹さん?」
「早く、上がって下さいっ」
「あ、うん」
 何なの、そんなに僕おかしな顔してたかな。
 ぼんやりと考えて視線を降ろし、京介も固まる。
 伊吹さんも入ってたお風呂なんだよね、僕じゃちょっと狭いけれど、伊吹さんならすっぽりここに入っちゃう、髪の毛濡れてたってことは、さっき入ったってこと、同じ場所で身体の隅々まで洗ってたってこと。
 そんな妄想を暴走させてしまってたから、反応しかけた下半身は、さっき暴れかけたから余計に感度がよくて。
「まず」
 いきなりなもの見せちゃった、思いきり引くわけだ。
 さすがにここでどうこうはできないから、なるべく気持ちを逸らせて何とかおさめて出ていくと、小さなテーブルには様々な種類の食器と大皿の焼そば。
「お先~」
 明がビールのコップをあげて笑い、あんたのはそこね、と示された。
「あ、僕、お酒はちょっと」
「飲めないの? ひどいなあ、義理の弟が選んだビールなのに」
「義理の…っ」
 ぎょっとした顔の伊吹にちょっと傷つきながら、京介もジャージに着替えた姿で座る。
「何、どうしたの、明……何があったんですか、課長」
「あ…うん」
 大体明と会うなんて言ってなかったじゃないですか。
 伊吹に睨まれて、少しうろたえてビールのコップを掴んだ。全く飲めないわけじゃないし、と一口含むと、冷えた感触が予想外においしくて、思わずごくごく飲み干してしまう。
「おお~、一気!」
「……おいし…」
「大丈夫? って、こら、もう注いじゃだめ、明!」
「や、だって、旨そうに呑むんだもん、ねえ、京介」
「京介? 呼び捨て? いつのまに?」
「あ、ありがとう」
「こら!」
 きょとんとする伊吹が、注がれたビールをまた掴もうとした京介を制した。
「駄目です、ちゃんと御飯食べてから」
「大丈夫、だよ」
「お酒全然弱いんでしょ?」
「うん、全然弱い」
「あ、ほんと、もう赤くなってきてるし~~」
 かーわいい、と明がけらけら笑って、伊吹が眉を寄せた。
「あんたも弱いくせに」
「うちで強いの姉ちゃんだけじゃん~」
「はいはい、黙れ酔っぱらい」
 制された明の側にはもう空いた缶が転がり始めている。
「伊吹さん、強いの?」
「普通です、って、こら、何次注ごうとしてるか!」
「焼そば食べたよ、凄くおいしい」
「あ、嬉しいなあ、俺、料理趣味なんだ」
 にちゃ、と明が笑った。まっすぐ向けられる笑顔にほっとする。
「趣味なの?」
「七海も喜んでくれるんだよ、俺の飯は天下一品って!」
「わかるな~、おいしいよ~~」
 ななみ、って誰だろう、そう思ったけれど、それはどうでもいい気もして、こんなこと初めてだ、と京介は密かに驚く。
 周囲のことを把握し切れなくても気にならないなんて。
 お茶もいれときますね、と別のコップも差し出してくれた伊吹に、また気持ちが緩む。
 明の作った焼そばを食べ、気持ち良くビールを呑む。どうしたの、そう何度か聞く伊吹に、大丈夫、と首を振って笑い、それがおかしな対応だとなじられる。世界がどんどんふわふわと軽くなっていき、体が温かくなる。
 しばらくそうやって笑いあいしゃべりながら食べて呑んで、やがて明が空になった大皿の側で寝転んで鼾をかきだした。
「明? もう、弱いくせに、機嫌よくなると止まらないんだから」
 苦笑しながら伊吹が寝転んだ明に布団をかけるのを見ながら、京介も何だかずっと伊吹とこうやって暮らしていた気がしてきた。酔いも手伝っているのか、嬉しくてにこにこ笑っていると、ようやく、伊吹がそっと寄り添ってくれる。
「京介?」
「はい~」
「何があったの?」
「いっぱい~、でも、僕」
 頑張ったんだよ~、いっぱいがんばったの、だからねえ、伊吹さん。
 くっついて、頭を擦り寄せて、ねだる。
「キスして~」
「京介」
「御褒美~ねえ~キス~」
「あのね」
 柔らかな色の唇がすぐそこにある。奪えばいいけど、今は伊吹から与えてほしい。なのに、伊吹がなかなかくれない。
 くふん、と鼻を鳴らしてしまった。
「伊吹さん、僕のこと嫌いなんだ~」
「はいい?」
「嫌いなんだ~悲しい~僕頑張ったのに悲しい~」
 繰り返している間に本当に悲しくなって涙が溢れてくるままにしがみつく。
「伊吹さぁん、僕のこと好き~?」
 好きだって言ってよ、嫌いにならないでよ、死んじゃうから、抱き締めてよ、一人にしないでよ、そう繰り返していると、そっと顔を上げられて唇を塞がれる。
「ん…」
「静かにしましょうね?」
 優しく低く叱られて、また嬉しくなる。
「もう夜遅いから」
「泊まっていい?」
「何を今さら」
「キスして?」
 首を傾げてみせる。う、と伊吹が微かに唸って眉を寄せ、確信犯かよ、と呟いて続けた。
「そうしたらもう寝る?」
「京介って呼んで?」
「……京介」
 柔らかく呼ばれて、もう一度キスしてもらって、ちょっとだけ舌も舐めてもらって。
「おやすみなさい」
 髪を撫でられながら、京介は満足して眠りに落ちた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

ドSな彼からの溺愛は蜜の味

鳴宮鶉子
恋愛
ドSな彼からの溺愛は蜜の味

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

鳴宮鶉子
恋愛
辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話

水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。 相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。 義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。 陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。 しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。

契約婚と聞いていたのに溺愛婚でした!

如月 そら
恋愛
「それなら、いっそ契約婚でもするか?」  そう言った目の前の男は椿美冬の顔を見てふっと余裕のある笑みを浮かべた。 ──契約結婚なのだから。 そんな風に思っていたのだけれど。 なんか妙に甘くないですか!? アパレルメーカー社長の椿美冬とベンチャーキャピタルの副社長、槙野祐輔。 二人の結婚は果たして契約結婚か、溺愛婚か!? ※イラストは玉子様(@tamagokikaku)イラストの無断転載複写は禁止させて頂きます

元彼にハメ婚させられちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
元彼にハメ婚させられちゃいました

処理中です...