『ラズーン』第六部

segakiyui

文字の大きさ
上 下
118 / 119

9.人として(13)

しおりを挟む
「ひゅっ!」
 悲鳴と呼吸の漏れる音が同時に空中に響き、鮮血がジュナの全身を染めた。
 一瞬に絶命したイリオールの腕から力が抜ける。少年の喉笛を掻き切った短剣を放り出し、ジュナはのろのろとイリオールの体を押しのけた。物と化した少年がぼとりと重い音を立てて床に落ちる。
 腹に突き刺さった剣を押さえてジュナはよろよろ立ち上がった。目に血が入ったのか、視界が赤く滲んでいる。加熱した頭の中で、こんなことがあるはずはない、と呟き続けていた。
 イリオールは完全に支配下にあったはずだ。イリオールはあの憎らしいユーノを殺してくれるはずだ。アシャはリディノへの手回しで死ぬはずだ。そしてジュナの未来は『運命(リマイン)』の覚えめでたく輝いていたはずだ。
「う…」
 痛みに砕けそうな腰に何とか上半身を乗せる。揺れる体は自分のものではないようだ。イリオールが自分を襲う……どこに誤算があったのか。一歩、また一歩と扉に向かって歩いていくジュナの視界、ゆっくりと戸が開いた。ユーノ・セレディスだ。だが大丈夫だ、小娘1人ぐらい、この場の状況を言いくるめれば…。
「あ…」
 傷の痛みに耐えつつ忙しく頭を働かせていたジュナは、続いて現れたアシャに呆気にとられた。傷一つない、それどころか、前より一層艶やかで華やかな姿ではないか。そんな馬鹿な。そんなことはあるはずがない。そんなことが。
「そんなことはあるはずがない、とはご挨拶だな」
 アシャの冷ややかな声に、口に出していたと気がついた。
「生憎だが生きている。お前の企みに乗ってやれなくて悪かったが」
「し…って…」
「ああ知っていた。今、それさえも悔やんでいるよ、ジュナ・グラティアス」
 静かに足を進めたユーノが、転がったイリオールの虚ろな目を優しく閉ざしてやりながら応じた。
「もっと早く…手を打つべきだった」
「違う…」
 そうだ違う、そう言うことじゃない、この状況はもっと別の。
 続けようとしたことばは、再び遮られる。
「違う? 冗談を仰らないで頂きたい」
 深草色の衣に身を包み、深い青の瞳を滾らせたジノが現れる。その右手に構えられた剣に目を惹きつけられた。
 それはリディノを屠った剣、己の栄光を刻みつけたはずの剣……。
「覚えておいでだろう? 姫様の剣だ。今こそ鞘に戻そう、ジュナ・グラティアスと言う肉鞘にな」
 待ってくれ、とジュナは叫ぼうとした。きっとこれは何かの間違いだ、少し待ってくれれば、確かな説明ができる、ジュナのせいではないと、リディノ自身の愚かさのせいだと。
 だが、剣の先は容赦なく、よろめいたジュナの胸に吸い込まれた。
「あ…あ…あ…」
 か細く頼りない声を上げて、ジュナ・グラティアスと呼ばれた視察官(オペ)は、いつか自分が葬った小さな姿の沈む、昏い澱みの中へ引き摺り込まれて行った。

「イリオールは」
 人々が静かに眠りについた邸、広間の一角で、ユーノとジノ、セシ公は仄かな明かりの下、盃を交わしていた。灯皿の光がセシ公の髪を透かす。広間のそこここに蹲る闇の気配を気にした様子もなく、セシ公はことばを継ぐ。
「ジュナ・グラティアスと関わりがあったことから、『運命(リマイン)』と何らかの繋がりがあったと見るべきでしょう。イリオールが使った剣は護身用ですが、使いようによっては暗殺もできます。直前にユーノ様を捜していたこと、様子がおかしかったこと、アシャ様の部屋の前から走り去る姿を兵が見ていたことなど、想像を逞しくすると、ユーノ様を狙っての刺客だったと考えもできましょう」
 ユーノは無言で盃に注がれた飲み物を見つめた。
 病み上がりのアシャはレアナと『西の姫君』アリオに連れられ、早々に部屋に引き取っている。今頃はレアナが付き添い、眠りについているだろう。
「それ以上のことは憶測にすぎませんが、ジュナの夜伽をしていたとの噂もあります。或いはギヌアの側近くに居たのかも知れません。そのイリオールがなぜジュナに刃を向けたのか……それはもう永遠の謎となってしまった」
 イリオールの体の温もりがユーノの腕に蘇る。洞窟で助けた時、少年は既にユーノの命を狙っていたのだろうか。どこか頼りなげな弱々しい姿も、イリオールの仮面の一つだったのだろうか。
『ユーノ様』
 笑って見上げる瞳、泣きながらしがみついていた小さな体、あれらも全てまやかしだったのか。
「何はともあれ、誰が『運命(リマイン)』側なのか見分けるのは、ますます困難になるでしょう。そうしている間に疑心暗鬼となり、互いの胸の裡に闇が育つ」
 ユーノの逡巡を見抜いたようにセシ公が呟く。
「だから…レスファートを説得しろ、と?」
 ユーノはセシ公を見た。茶色の瞳が促すように見つめ返す。
「…人の死に様は、どうして決まると思う、セシ公」
「…」
「私は、その人間の生き様によるのだと思う」
 ユーノは盃を揺らせた。
「どんな死に様をするのか、その時まで誰もわからない。けれどそれはきっと、どう生きてきたかと言う問いかけの答えなんだろう。だからどう死ぬかと言うことじゃなくて、どう生きるかが死の持つ意味だろうと思う」
 セシ公はユーノを見つめたままだ。
「ならば、自分の心が求める通りに、納得する生き方をしたい。……私は甘いのかも知れない。けれど、この生き方が、例えどんな死に様を招こうと、後悔はしない」
 セシ公が溜め息をついた。
「答えは同じ、ですか」
「何度聞かれてもね。いい加減な返事はしていないよ、セシ公。きっと、何度生まれても、何度同じ場面を繰り返されても、私の答えは変わらない。私には人を分けられない。自分にできないことをレスにはさせられない」
 ユーノは盃を置いて立ち上がった。
「もう休むよ、おやすみ」
「おやすみなさい」
 セシ公とジノが答えるのに頷いてユーノは背中を向けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

飯屋の娘は魔法を使いたくない?

秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。 魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。 それを見ていた貴族の青年が…。 異世界転生の話です。 のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。 ※ 表紙は星影さんの作品です。 ※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。

『役立たず』のはずが、いつの間にか王宮の救世主だと知ってました? ~放り出してくれて感謝します。おかげで私が本気を出す理由ができました~

昼から山猫
ファンタジー
王子と婚約していた辺境伯の娘サフィールは、控えめで目立たない性格ゆえ「役立たず」と侮られ、ついに破棄を言い渡される。胸の痛みを抱えながらも、「私は本当に無能だろうか?」と自問自答。実は祖母から受け継いだ古代魔法の知識を、ほとんど見せたことがないだけでは――と気づく。 意を決したサフィールは、王都を離れてひっそりと各地を回り、祖母の足跡を辿る旅に出る。 その頃、王都は魔物の侵入と自然災害で大混乱に陥っていた。

元聖女だった少女は我が道を往く

春の小径
ファンタジー
突然入ってきた王子や取り巻きたちに聖室を荒らされた。 彼らは先代聖女様の棺を蹴り倒し、聖石まで蹴り倒した。 「聖女は必要がない」と言われた新たな聖女になるはずだったわたし。 その言葉は取り返しのつかない事態を招く。 でも、もうわたしには関係ない。 だって神に見捨てられたこの世界に聖女は二度と現れない。 わたしが聖女となることもない。 ─── それは誓約だったから ☆これは聖女物ではありません ☆他社でも公開はじめました

[完]本好き元地味令嬢〜婚約破棄に浮かれていたら王太子妃になりました〜

桐生桜月姫
恋愛
 シャーロット侯爵令嬢は地味で大人しいが、勉強・魔法がパーフェクトでいつも1番、それが婚約破棄されるまでの彼女の周りからの評価だった。  だが、婚約破棄されて現れた本来の彼女は輝かんばかりの銀髪にアメジストの瞳を持つ超絶美人な行動過激派だった⁉︎  本が大好きな彼女は婚約破棄後に国立図書館の司書になるがそこで待っていたのは幼馴染である王太子からの溺愛⁉︎ 〜これはシャーロットの婚約破棄から始まる波瀾万丈の人生を綴った物語である〜 夕方6時に毎日予約更新です。 1話あたり超短いです。 毎日ちょこちょこ読みたい人向けです。

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

異世界転生したのだけれど。〜チート隠して、目指せ! のんびり冒険者 (仮)

ひなた
ファンタジー
…どうやら私、神様のミスで死んだようです。 流行りの異世界転生?と内心(神様にモロバレしてたけど)わくわくしてたら案の定! 剣と魔法のファンタジー世界に転生することに。 せっかくだからと魔力多めにもらったら、多すぎた!? オマケに最後の最後にまたもや神様がミス! 世界で自分しかいない特殊個体の猫獣人に なっちゃって!? 規格外すぎて親に捨てられ早2年経ちました。 ……路上生活、そろそろやめたいと思います。 異世界転生わくわくしてたけど ちょっとだけ神様恨みそう。 脱路上生活!がしたかっただけなのに なんで無双してるんだ私???

ワルシャワ蜂起に身を投じた唯一の日本人。わずかな記録しか残らず、彼の存在はほとんど知られてはいない。

上郷 葵
歴史・時代
ワルシャワ蜂起に参加した日本人がいたことをご存知だろうか。 これは、歴史に埋もれ、わずかな記録しか残っていない一人の日本人の話である。 1944年、ドイツ占領下のフランス、パリ。 平凡な一人の日本人青年が、戦争という大きな時代の波に呑み込まれていく。 彼はただ、この曇り空の時代が静かに終わることだけを待ち望むような男だった。 しかし、愛国心あふれる者たちとの交流を深めるうちに、自身の隠れていた部分に気づき始める。 斜に構えた皮肉屋でしかなかったはずの男が、スウェーデン、ポーランド、ソ連、シベリアでの流転や苦難の中でも祖国日本を目指し、長い旅を生き抜こうとする。

処理中です...