『ラズーン』第六部

segakiyui

文字の大きさ
上 下
67 / 119

5.リディノ哀歌(9)

しおりを挟む
「…ってことはだな」
「はっはっはっ…」
 夜に赤々と燃える炎、浮かれ騒ぐ男達の間をすり抜けるように、黄色のマントを肩に留めた男は一つの天幕(カサン)に入っていった。
「よう…」
 中に居た顎の張った無骨そうな男が、手にしていた酒杯から顔を上げる。
「どうした。浮かぬ顔だな、モディスン」
「…気に食わん」
「何が」
「…気にならないのか、シダルナン」
 神経質に言い放って相手を見据え、思い直したようにマントを外し天幕(カサン)の外へ放り投げて、モディスンはグルセトの主の側に腰を下ろした。目の前におかれた酒杯に手も伸ばさぬまま、じっと考え込む。
 シダルナンの方もさすがに気になったのだろう、片手に抱いていた女を手放して人払いをする。側に侍っていた女2人と少年が一礼して引き上げると、再び酒杯に酒を満たしながら問いかけた。
「何をだ?」
「おかしいとは思わないか」
「だから、何を、と尋ねている」
「『銀羽根』だ」
「『銀羽根』?」
 モディスンは目に被さった髪の下で考え込んだ顔を崩さない。
「お前はどうか知らぬが、こっちは何度か『銀羽根』とぶつかったことがある。優男揃いのお飾り集団と踏んでいたが、どうしてどうして、長のシャイラを筆頭に動きは素早い、策は巧み、初めから終わりまで振り回され、数で優勢の戦局をようよう引き分けての生還だった」
「『眼』から情報が入っていただろうが」
 シダルナンはモディスンの弱気を嘲笑うようにことばを継いだ。
「今回のシャイラの東への出陣は当人の本意ではなく、ミダス公の命令によっての嫌々ながらの出征だと。アシャがユーノ・セレディスを西へ囮として出したのに、シャイラはひどく反発して怒り、会議の場から立ち去るほどだったらしい。挙げ句の果てに、アシャやセシ公への信頼も失い暴走したのが、この有様を招いたまでのことだ」
「だが…あの『銀羽根』のシャイラが……。それに、アギャンが動かなかったのも解せん」
「アギャン? あいつは元々腰抜けだったではないか」
「む…」
 そこまで言われては、モディスンも反論のしようがなくなる。
 確かに、ラズーン潜入中の『眼』からの情報は、今まで間違ったことなどない。だからこそ、ギヌアも『眼』の情報に従ってシダルナン、モディスンを東へ派遣し、東から中央へ攻め込めと命を下したのだ。
 だが、それならそれで、モディスンにはもう一つ引っかかることがある。
(なぜ、ギヌア様は我らに『穴の老人』(ディスィヤト)なぞをつけられたのだ?)
 その命令は、モディスン達が『銀羽根』を敗退させた報告と折り返しに届けられた。
 もし、ギヌアが始めに命じた通り、ラズーンを攻めるにおいて弱い東から攻め入るつもりなら、モディスン達が東を崩したと聞いて、なぜ自ら乗り込んでこないのだろう。まるで、不利になるかもしれない戦線の一端を保たせるように、しかも『穴の老人』(ディスティヤト)などと言うわけのわからぬ一群を寄越したのみで、自分は全く動こうとしていない。
「『眼』によれば…」
 モディスンのしかめっ面に、やれやれと言いたげにシダルナンは口を開いた。
「ラズーンでは東を崩されたのにうろたえ慌て、アシャに対する不信が湧き上がっていると言う。が為に、アシャは東に出兵、自ら指揮をとるそうだ。となると、いよいよこちらに主力がくるのだろう。ギヌア様の読みは間違っていなかったと言う訳だ」
(読み…)
 東が崩れる、アシャが動く。ラズーンの本隊が押し寄せても、こちらにはグルセト軍、モス軍、加えて『穴の老人』(ディスィヤト)がいる。かなりの乱戦になるのは必至、ギヌアが東へ動いてくる時間を稼ぐにも、十分に持ちこたえられるはずだ。
 モディスンはむっつりとしたまま、もう一度その図式を胸の中で繰り返した。
(東が崩れる、アシャが出る。ギヌア様が東へ……『来る』、か?)
 自分ならどうする? アシャが動けば中央は空く。『氷の双宮』が無防備になる。そのまたとない機会を放っておいて、ギヌアが東へ兵を動かす、どんな理由がある?
「まさか…」
(囮、か?)
「まさか? 何がまさかだ?」
 シダルナンがモディスンを訝しげな目で見た。
(もし、『そう』だとしたら。もし、『銀羽根』の崩れたのが、罠だとしたら)
「モディスン?」
 シダルナンの声を無視して、モディスンは立ち上がり、天幕(カサン)の隅、ラズーン全土と周辺を彫り込んだ地図の木板を覗き込んだ。急かされるように、自分達の居る場所を改めて確認する。
(今野営しているのはアギャン公分領地、ラズーン外壁よりわずかに外、前方には『泥土』、後方には『白の流れ』(ソワルド)…っ)
 びくっと体が震えた。
 もし……もし、だ。
 『銀羽根』がどこかに密かに集まっていたらどうなる? モディスン達は東からの攻めを戦い抜いて追い込み、今は『白の流れ』(ソワルド)の北にいる。ということは、万が一退却するにも『白の流れ』(ソワルド)を渡らねば道はないということだ。前へ進めば『泥土』、あそこには『泥獣(ガルシオン)』がいる。もし、自分が『銀羽根』ならどうする? 散り散りに敗退した『銀羽根』ではなく、『特別な意図』を……シダルナン、モディスンが勝利に酔って深追いし、ここまで入り込んでしまう『その時』を待っての『退却』だったとしたら……?
「シダル…」
「敵襲!!」
 振り返って思いついたことを相談しようとしたモディスンは、突如響いた声に体を硬直させた。ぎょっとしたシダルナンが戸口を見る。
「敵襲!! 総員戦闘配置につけ!! 『銀羽根』が……ぎゃあっ!!」
 男の声は絶叫で消えた。
「く、そっ!!」「う、うっ」
 叩きつけるように叫んで立ち上がるシダルナンが酒の酔いに足をふらつかせる。状況があまりにも早く実現して身動きできずにモディスンが立ち竦む。
 互いを見やる目の中には死の予感があった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

王太子さま、側室さまがご懐妊です

家紋武範
恋愛
王太子の第二夫人が子どもを宿した。 愛する彼女を妃としたい王太子。 本妻である第一夫人は政略結婚の醜女。 そして国を奪い女王として君臨するとの噂もある。 あやしき第一夫人をどうにかして廃したいのであった。

嘘はあなたから教わりました

菜花
ファンタジー
公爵令嬢オリガは王太子ネストルの婚約者だった。だがノンナという令嬢が現れてから全てが変わった。平気で嘘をつかれ、約束を破られ、オリガは恋心を失った。カクヨム様でも公開中。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです

MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。 しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。 フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。 クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。 ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。 番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。 ご感想ありがとうございます!! 誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。 小説家になろう様に掲載済みです。

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...