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5.リディノ哀歌(9)
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「…ってことはだな」
「はっはっはっ…」
夜に赤々と燃える炎、浮かれ騒ぐ男達の間をすり抜けるように、黄色のマントを肩に留めた男は一つの天幕(カサン)に入っていった。
「よう…」
中に居た顎の張った無骨そうな男が、手にしていた酒杯から顔を上げる。
「どうした。浮かぬ顔だな、モディスン」
「…気に食わん」
「何が」
「…気にならないのか、シダルナン」
神経質に言い放って相手を見据え、思い直したようにマントを外し天幕(カサン)の外へ放り投げて、モディスンはグルセトの主の側に腰を下ろした。目の前におかれた酒杯に手も伸ばさぬまま、じっと考え込む。
シダルナンの方もさすがに気になったのだろう、片手に抱いていた女を手放して人払いをする。側に侍っていた女2人と少年が一礼して引き上げると、再び酒杯に酒を満たしながら問いかけた。
「何をだ?」
「おかしいとは思わないか」
「だから、何を、と尋ねている」
「『銀羽根』だ」
「『銀羽根』?」
モディスンは目に被さった髪の下で考え込んだ顔を崩さない。
「お前はどうか知らぬが、こっちは何度か『銀羽根』とぶつかったことがある。優男揃いのお飾り集団と踏んでいたが、どうしてどうして、長のシャイラを筆頭に動きは素早い、策は巧み、初めから終わりまで振り回され、数で優勢の戦局をようよう引き分けての生還だった」
「『眼』から情報が入っていただろうが」
シダルナンはモディスンの弱気を嘲笑うようにことばを継いだ。
「今回のシャイラの東への出陣は当人の本意ではなく、ミダス公の命令によっての嫌々ながらの出征だと。アシャがユーノ・セレディスを西へ囮として出したのに、シャイラはひどく反発して怒り、会議の場から立ち去るほどだったらしい。挙げ句の果てに、アシャやセシ公への信頼も失い暴走したのが、この有様を招いたまでのことだ」
「だが…あの『銀羽根』のシャイラが……。それに、アギャンが動かなかったのも解せん」
「アギャン? あいつは元々腰抜けだったではないか」
「む…」
そこまで言われては、モディスンも反論のしようがなくなる。
確かに、ラズーン潜入中の『眼』からの情報は、今まで間違ったことなどない。だからこそ、ギヌアも『眼』の情報に従ってシダルナン、モディスンを東へ派遣し、東から中央へ攻め込めと命を下したのだ。
だが、それならそれで、モディスンにはもう一つ引っかかることがある。
(なぜ、ギヌア様は我らに『穴の老人』(ディスィヤト)なぞをつけられたのだ?)
その命令は、モディスン達が『銀羽根』を敗退させた報告と折り返しに届けられた。
もし、ギヌアが始めに命じた通り、ラズーンを攻めるにおいて弱い東から攻め入るつもりなら、モディスン達が東を崩したと聞いて、なぜ自ら乗り込んでこないのだろう。まるで、不利になるかもしれない戦線の一端を保たせるように、しかも『穴の老人』(ディスティヤト)などと言うわけのわからぬ一群を寄越したのみで、自分は全く動こうとしていない。
「『眼』によれば…」
モディスンのしかめっ面に、やれやれと言いたげにシダルナンは口を開いた。
「ラズーンでは東を崩されたのにうろたえ慌て、アシャに対する不信が湧き上がっていると言う。が為に、アシャは東に出兵、自ら指揮をとるそうだ。となると、いよいよこちらに主力がくるのだろう。ギヌア様の読みは間違っていなかったと言う訳だ」
(読み…)
東が崩れる、アシャが動く。ラズーンの本隊が押し寄せても、こちらにはグルセト軍、モス軍、加えて『穴の老人』(ディスィヤト)がいる。かなりの乱戦になるのは必至、ギヌアが東へ動いてくる時間を稼ぐにも、十分に持ちこたえられるはずだ。
モディスンはむっつりとしたまま、もう一度その図式を胸の中で繰り返した。
(東が崩れる、アシャが出る。ギヌア様が東へ……『来る』、か?)
自分ならどうする? アシャが動けば中央は空く。『氷の双宮』が無防備になる。そのまたとない機会を放っておいて、ギヌアが東へ兵を動かす、どんな理由がある?
「まさか…」
(囮、か?)
「まさか? 何がまさかだ?」
シダルナンがモディスンを訝しげな目で見た。
(もし、『そう』だとしたら。もし、『銀羽根』の崩れたのが、罠だとしたら)
「モディスン?」
シダルナンの声を無視して、モディスンは立ち上がり、天幕(カサン)の隅、ラズーン全土と周辺を彫り込んだ地図の木板を覗き込んだ。急かされるように、自分達の居る場所を改めて確認する。
(今野営しているのはアギャン公分領地、ラズーン外壁よりわずかに外、前方には『泥土』、後方には『白の流れ』(ソワルド)…っ)
びくっと体が震えた。
もし……もし、だ。
『銀羽根』がどこかに密かに集まっていたらどうなる? モディスン達は東からの攻めを戦い抜いて追い込み、今は『白の流れ』(ソワルド)の北にいる。ということは、万が一退却するにも『白の流れ』(ソワルド)を渡らねば道はないということだ。前へ進めば『泥土』、あそこには『泥獣(ガルシオン)』がいる。もし、自分が『銀羽根』ならどうする? 散り散りに敗退した『銀羽根』ではなく、『特別な意図』を……シダルナン、モディスンが勝利に酔って深追いし、ここまで入り込んでしまう『その時』を待っての『退却』だったとしたら……?
「シダル…」
「敵襲!!」
振り返って思いついたことを相談しようとしたモディスンは、突如響いた声に体を硬直させた。ぎょっとしたシダルナンが戸口を見る。
「敵襲!! 総員戦闘配置につけ!! 『銀羽根』が……ぎゃあっ!!」
男の声は絶叫で消えた。
「く、そっ!!」「う、うっ」
叩きつけるように叫んで立ち上がるシダルナンが酒の酔いに足をふらつかせる。状況があまりにも早く実現して身動きできずにモディスンが立ち竦む。
互いを見やる目の中には死の予感があった。
「はっはっはっ…」
夜に赤々と燃える炎、浮かれ騒ぐ男達の間をすり抜けるように、黄色のマントを肩に留めた男は一つの天幕(カサン)に入っていった。
「よう…」
中に居た顎の張った無骨そうな男が、手にしていた酒杯から顔を上げる。
「どうした。浮かぬ顔だな、モディスン」
「…気に食わん」
「何が」
「…気にならないのか、シダルナン」
神経質に言い放って相手を見据え、思い直したようにマントを外し天幕(カサン)の外へ放り投げて、モディスンはグルセトの主の側に腰を下ろした。目の前におかれた酒杯に手も伸ばさぬまま、じっと考え込む。
シダルナンの方もさすがに気になったのだろう、片手に抱いていた女を手放して人払いをする。側に侍っていた女2人と少年が一礼して引き上げると、再び酒杯に酒を満たしながら問いかけた。
「何をだ?」
「おかしいとは思わないか」
「だから、何を、と尋ねている」
「『銀羽根』だ」
「『銀羽根』?」
モディスンは目に被さった髪の下で考え込んだ顔を崩さない。
「お前はどうか知らぬが、こっちは何度か『銀羽根』とぶつかったことがある。優男揃いのお飾り集団と踏んでいたが、どうしてどうして、長のシャイラを筆頭に動きは素早い、策は巧み、初めから終わりまで振り回され、数で優勢の戦局をようよう引き分けての生還だった」
「『眼』から情報が入っていただろうが」
シダルナンはモディスンの弱気を嘲笑うようにことばを継いだ。
「今回のシャイラの東への出陣は当人の本意ではなく、ミダス公の命令によっての嫌々ながらの出征だと。アシャがユーノ・セレディスを西へ囮として出したのに、シャイラはひどく反発して怒り、会議の場から立ち去るほどだったらしい。挙げ句の果てに、アシャやセシ公への信頼も失い暴走したのが、この有様を招いたまでのことだ」
「だが…あの『銀羽根』のシャイラが……。それに、アギャンが動かなかったのも解せん」
「アギャン? あいつは元々腰抜けだったではないか」
「む…」
そこまで言われては、モディスンも反論のしようがなくなる。
確かに、ラズーン潜入中の『眼』からの情報は、今まで間違ったことなどない。だからこそ、ギヌアも『眼』の情報に従ってシダルナン、モディスンを東へ派遣し、東から中央へ攻め込めと命を下したのだ。
だが、それならそれで、モディスンにはもう一つ引っかかることがある。
(なぜ、ギヌア様は我らに『穴の老人』(ディスィヤト)なぞをつけられたのだ?)
その命令は、モディスン達が『銀羽根』を敗退させた報告と折り返しに届けられた。
もし、ギヌアが始めに命じた通り、ラズーンを攻めるにおいて弱い東から攻め入るつもりなら、モディスン達が東を崩したと聞いて、なぜ自ら乗り込んでこないのだろう。まるで、不利になるかもしれない戦線の一端を保たせるように、しかも『穴の老人』(ディスティヤト)などと言うわけのわからぬ一群を寄越したのみで、自分は全く動こうとしていない。
「『眼』によれば…」
モディスンのしかめっ面に、やれやれと言いたげにシダルナンは口を開いた。
「ラズーンでは東を崩されたのにうろたえ慌て、アシャに対する不信が湧き上がっていると言う。が為に、アシャは東に出兵、自ら指揮をとるそうだ。となると、いよいよこちらに主力がくるのだろう。ギヌア様の読みは間違っていなかったと言う訳だ」
(読み…)
東が崩れる、アシャが動く。ラズーンの本隊が押し寄せても、こちらにはグルセト軍、モス軍、加えて『穴の老人』(ディスィヤト)がいる。かなりの乱戦になるのは必至、ギヌアが東へ動いてくる時間を稼ぐにも、十分に持ちこたえられるはずだ。
モディスンはむっつりとしたまま、もう一度その図式を胸の中で繰り返した。
(東が崩れる、アシャが出る。ギヌア様が東へ……『来る』、か?)
自分ならどうする? アシャが動けば中央は空く。『氷の双宮』が無防備になる。そのまたとない機会を放っておいて、ギヌアが東へ兵を動かす、どんな理由がある?
「まさか…」
(囮、か?)
「まさか? 何がまさかだ?」
シダルナンがモディスンを訝しげな目で見た。
(もし、『そう』だとしたら。もし、『銀羽根』の崩れたのが、罠だとしたら)
「モディスン?」
シダルナンの声を無視して、モディスンは立ち上がり、天幕(カサン)の隅、ラズーン全土と周辺を彫り込んだ地図の木板を覗き込んだ。急かされるように、自分達の居る場所を改めて確認する。
(今野営しているのはアギャン公分領地、ラズーン外壁よりわずかに外、前方には『泥土』、後方には『白の流れ』(ソワルド)…っ)
びくっと体が震えた。
もし……もし、だ。
『銀羽根』がどこかに密かに集まっていたらどうなる? モディスン達は東からの攻めを戦い抜いて追い込み、今は『白の流れ』(ソワルド)の北にいる。ということは、万が一退却するにも『白の流れ』(ソワルド)を渡らねば道はないということだ。前へ進めば『泥土』、あそこには『泥獣(ガルシオン)』がいる。もし、自分が『銀羽根』ならどうする? 散り散りに敗退した『銀羽根』ではなく、『特別な意図』を……シダルナン、モディスンが勝利に酔って深追いし、ここまで入り込んでしまう『その時』を待っての『退却』だったとしたら……?
「シダル…」
「敵襲!!」
振り返って思いついたことを相談しようとしたモディスンは、突如響いた声に体を硬直させた。ぎょっとしたシダルナンが戸口を見る。
「敵襲!! 総員戦闘配置につけ!! 『銀羽根』が……ぎゃあっ!!」
男の声は絶叫で消えた。
「く、そっ!!」「う、うっ」
叩きつけるように叫んで立ち上がるシダルナンが酒の酔いに足をふらつかせる。状況があまりにも早く実現して身動きできずにモディスンが立ち竦む。
互いを見やる目の中には死の予感があった。
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