『ラズーン』第六部

segakiyui

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1.運命(さだめ)のもとに(7)

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 親衛隊の1人が真っ青な顔で書庫の中を覗き込んでいる。穏やかなセレド皇国、それもこんな夜中に親衛隊がセアラを探し回ったらしい気配、異常を感じた。
「どうしたの?」
 立ち上がり、服の埃を払って近づきながら尋ねる。レアナとユーノのいない今、セアラがセレドの未来を決する鍵を握っている。その重圧に屈しはしない。だが、続いたことばに血の気が引いた。
「シィグトが負傷しました!」
「っ」
 一瞬何を言われたのかわからなかったが、すぐに状況に我に返った。
「今何処にいます?」
 戸口で息を切らせている相手に、矢継ぎ早に問いかけながら迫る。
「負傷とは? 状況は? 答えなさい!」
「あ、あの、自分の部屋に、その、眼を」
「お退きなさい」
 言い捨てて慌てて身を引いた隊士を従え、肩越しに声を投げた。
「眼とは?」
「は、はい、その、辺境に守りを見回りに、」
「他に誰がいたの」
「それが、その、1人で」
「1人」
 つんのめるようにセアラは止まり、そのまま一気に振り向いた。後ろに付き従っていた隊士がぎょっとして身を引く。
「他の守りはどうしていたの」
 妙な出来事が起こり出してから、警備は2人以上で動くように命じていたはずだ。
「その、見回りだけだというので、1人で行けと……っ、セアラ…っ」
 ぱんっ、と隊士の頬が小気味良く鳴った。
「私の命令はそれほど意味がないのですか」
「あ…」
「恥を知りなさい、よくも抜け抜けと。それでも武人、セレド皇宮の親衛隊を名乗る気ですか」
 言い捨てて、再び歩き出す。
「セ、セアラ様っ!!」
 隊士が必死についてくる。
「申し訳ありません、お許しください、決してセアラ様のご命令を無視したつもりは…ただ守りの兵を確認に行くだけのことですので、しかも辺境の守りですので…」
 続くことばに疲労を感じた。
 親衛隊だから辺境の異変のことは詳しくなかったと言うのだろうか。人さらいの噂を耳にしても自分達が相対することないと高を括っているのだろうか。セアラの2人以上で職務に当たれと言う命令を、単に暇だから余分な仕事を与えておいたのだとでも考えたのだろうか。
 誰も、わが身に忍び寄ってくる危険があるとは思いもしていないのだろうか。
「…いいわ」
「は?」
「下がっていい、と言ったのよ」
 隊士が口を噤んで固まっている。
「行きなさい。シィグトが抜けた見回りの穴をもし埋められず、なおも1人で回らせているようなことがあれば」
 殺気を宿して相手を睨み上げた。
「私に、いえ、お父様、セレド皇その人に刃を向けたと考えてよ」
「はっ、はいっ!!」
 親衛隊の男は引きつった顔で一礼し、うろたえて近くの戸口から厩舎に向かって駆け出して行く。負傷し運び込まれたシィグトの代わりに、辺境巡視に向かう予定なのだろう。言い換えれば、今の今までシイグトの抜けた巡視には、誰もついていなかったことになる。
「ふ…」
(彼だけが悪いんじゃない)
 下唇を噛み、顔を背け、セアラは身を翻した。
 古書や伝承を調べるほどに、セレドに起きていることがここ数百年起こっていなかった奇妙な出来事であるのがわかる。けれど、何が起こっているのか、誰も何も知ってはいない。古老達でさえ知らぬと言う。
 だからこそ、自分の付き人、守り役のシィグトをわざわざ放ってまで、異変の波が何処まで、どんな形で押し寄せているのか探ろうとしているのに、それを理解するものがほとんどいない。
(みんな、そうだわ)
 示された部屋に足を急がせながら、ひりひりした気持ちで考える。
 そう、あの隊士が悪いわけではない。今セレドに居る兵士は誰も、おそらく1人の例外なしにこう考えるだろう。辺境の見回り、それなら1人十分だろう、どうして夜眠る動物の吐息を聞いて回る仕事に、大の男を2人も回さなくちゃならない。急な雨でも降ってみろ、体調を崩してしまったら、それこそ門番や街の巡視が疎かになるじゃないか。
(私も、そうだった)
 確かに今までは辺境の守りが耳にするのは、夜鳥の寝ぼけ眼であげる声か、眠り込んだ動物達の安らかな吐息だったかもしれない。
 だが、これからは違うのかもしれない。夜鳥の甘い囁きの代わりに得体の知れない魔物の鬨の声を、夢の中を旅する動物達の柔らかな唸り声の代わりにこの世のものとは思えない不気味な生き物の舌なめずりを聞くのかもしれない。そして、それを聞いたが最後、無事に帰ってこられる保証さえなくなってしまう………。
(シィグト)
 誰も彼も誠意はある。忠誠も疑わない。セレドを守りたいと言う想いの強さも減ってはいない。だが、誰も彼も感じていない、この世に広がりつつある暗い影の速さを、その重さを。
(ユーノ姉さま!)
 なおも足を速めながら、胸の中で縋るように名を読んだ。滲む視界に必死に瞬きをしたが、努力虚しく、歪むように蕩けるように、周囲が陽炎となって頼りなく形を失っていく。
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