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第2章
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「どういうこと?」
「……真崎さんと付き合ってるって聞いたけど」
少しためらった大石はフォークで鴨をまとめ、ぐさ、と突き刺して上目遣いに美並を見た。
「本気?」
「婚約者なの」
「……」
あっさり答えると、大石は目を見開いてうろたえたように美並の左手を見た。軽く曲げている薬指を視線で探り、
「指輪は」
「もらってない」
「、そんなの」
子どもじゃあるまいし。
大石の口調に思わずくすりと笑ったのは、週末ごとの幼いキスと一緒にベッドで眠る日々を思い出したからで。
そんなこと、ありえない、そういうだろうか、大石は。
「いいの、まだ」
答えて笑い事じゃないよな、と少し寂しくなった。
指輪や書類や、そんな簡単なものでは済まない事情が真崎と美並の間にはある。愛してるだけでも済まなくて、お互いの身を削るような関係性がある、それをわかっているのは、今のところ美並だけで。
転がり方によっては、美並は真崎を諦めるしかなくなるのだ。
いいの、まだ。
けれど、その先は永久に来ないかもしれない。
それでも。
「美並」
「大切にしたいの」
「……」
「彼を大切にしたい」
ひょっとすると、それは幻の夢かもしれないのだが。
「彼が一番幸せになるようにしたい」
せめて安心して眠れるように。安心して笑えるように。安心して甘えられるように。
それさえできれば、きっと真崎は美並でなくとも大丈夫だ。
「彼、なんだ、名前じゃなくて」
大石が低い声で呟いた。
「そうね」
名前を呼ぶのは抱かれる時だけ。
いつか言い募った真崎のことばを思い出してくすぐったくなる。口の中でしゃくりと噛んだラディッシュにも、真崎のことばを思い出した。
『くだらない』
大石の自殺を訴えたのを一言で切り捨てた。
『おいしいもの食べて忘れなさい』
課長が聞いたんですよ、と八つ当たり半分で詰ったのにも平然としていて、
『自分の負い目を君に押し付けたりしないから』
そう言った。
ああ、そうか、と閃いたことに瞬きする。
そうだ、自殺をしなくてはならなかった、その苦しさは想像を絶する。きっとその苦しさを本当にわかってやることなどできやしない。
けれど、自殺をするものだって、残された周囲がこの先何十年も抱えていく苦しさを思いやってはいないのだ。生きているものは抱え込む、死んだものの痛みも苦しみも全部自分の痛みの上に引き受けていく。そのきつさをわかっていて、その惨さを考えるなら。
その意味を真崎は知っている。被害者で居続けることは、いつか自分も、あるいは今自分が加害者になっているかもしれないという現実を見るより、うんと楽だということをわかっているからこその、ことば。
そして、真崎は、行動こそはぶっ飛んでても、自分の生い立ちや苦しみを理由にして美並の気持ちを強制することは一度もなかったのだ。
口でどれだけ無茶を言おうと、どれほど勝手に振る舞おうと、美並が心底二度と真崎に会いたくないと伝えたら、きっと全力でそれを叶えてくれようとするだろう、ただ美並が願うから、と。
『僕は、退場するね』
おどけた仕草で。
『真打ちが、でてきたら』
苦しそうな顔一つ見せないで。
『代役は、要らない』
自分をあっさり切り捨てて。
嫌われるからと壊れそうになるのに、好きだと伝えるだけで消えようとする。
『……み……なみ』
切なく呟いた後にぎゅっと抱き締めてくる腕の力を思い出して、胸が痛くなる。
側に居るよ。
いくらことばで言っても伝わらないし信じてくれないなら、時間をかけて証明するしかないじゃないか。
それぐらいには、惚れている。
「は、はは」
何だか我ながら照れて、顔が熱くなり、慌ててオードブルをかきよせた。
「……同情はやめろよ」
「え?」
「同情なんかで、結婚はできない」
大石が突き刺したオードブルを手荒く片付け、空になった皿から引き剥がすように視線を上げた。
「君は彼の境遇に同情してるだけだ」
「………なぜ知ってるの?」
ふいに気付いて、美並はフォークを止めた。
「……」
「京介のことを、なぜ知ってるの?」
「……真崎さんと付き合ってるって聞いたけど」
少しためらった大石はフォークで鴨をまとめ、ぐさ、と突き刺して上目遣いに美並を見た。
「本気?」
「婚約者なの」
「……」
あっさり答えると、大石は目を見開いてうろたえたように美並の左手を見た。軽く曲げている薬指を視線で探り、
「指輪は」
「もらってない」
「、そんなの」
子どもじゃあるまいし。
大石の口調に思わずくすりと笑ったのは、週末ごとの幼いキスと一緒にベッドで眠る日々を思い出したからで。
そんなこと、ありえない、そういうだろうか、大石は。
「いいの、まだ」
答えて笑い事じゃないよな、と少し寂しくなった。
指輪や書類や、そんな簡単なものでは済まない事情が真崎と美並の間にはある。愛してるだけでも済まなくて、お互いの身を削るような関係性がある、それをわかっているのは、今のところ美並だけで。
転がり方によっては、美並は真崎を諦めるしかなくなるのだ。
いいの、まだ。
けれど、その先は永久に来ないかもしれない。
それでも。
「美並」
「大切にしたいの」
「……」
「彼を大切にしたい」
ひょっとすると、それは幻の夢かもしれないのだが。
「彼が一番幸せになるようにしたい」
せめて安心して眠れるように。安心して笑えるように。安心して甘えられるように。
それさえできれば、きっと真崎は美並でなくとも大丈夫だ。
「彼、なんだ、名前じゃなくて」
大石が低い声で呟いた。
「そうね」
名前を呼ぶのは抱かれる時だけ。
いつか言い募った真崎のことばを思い出してくすぐったくなる。口の中でしゃくりと噛んだラディッシュにも、真崎のことばを思い出した。
『くだらない』
大石の自殺を訴えたのを一言で切り捨てた。
『おいしいもの食べて忘れなさい』
課長が聞いたんですよ、と八つ当たり半分で詰ったのにも平然としていて、
『自分の負い目を君に押し付けたりしないから』
そう言った。
ああ、そうか、と閃いたことに瞬きする。
そうだ、自殺をしなくてはならなかった、その苦しさは想像を絶する。きっとその苦しさを本当にわかってやることなどできやしない。
けれど、自殺をするものだって、残された周囲がこの先何十年も抱えていく苦しさを思いやってはいないのだ。生きているものは抱え込む、死んだものの痛みも苦しみも全部自分の痛みの上に引き受けていく。そのきつさをわかっていて、その惨さを考えるなら。
その意味を真崎は知っている。被害者で居続けることは、いつか自分も、あるいは今自分が加害者になっているかもしれないという現実を見るより、うんと楽だということをわかっているからこその、ことば。
そして、真崎は、行動こそはぶっ飛んでても、自分の生い立ちや苦しみを理由にして美並の気持ちを強制することは一度もなかったのだ。
口でどれだけ無茶を言おうと、どれほど勝手に振る舞おうと、美並が心底二度と真崎に会いたくないと伝えたら、きっと全力でそれを叶えてくれようとするだろう、ただ美並が願うから、と。
『僕は、退場するね』
おどけた仕草で。
『真打ちが、でてきたら』
苦しそうな顔一つ見せないで。
『代役は、要らない』
自分をあっさり切り捨てて。
嫌われるからと壊れそうになるのに、好きだと伝えるだけで消えようとする。
『……み……なみ』
切なく呟いた後にぎゅっと抱き締めてくる腕の力を思い出して、胸が痛くなる。
側に居るよ。
いくらことばで言っても伝わらないし信じてくれないなら、時間をかけて証明するしかないじゃないか。
それぐらいには、惚れている。
「は、はは」
何だか我ながら照れて、顔が熱くなり、慌ててオードブルをかきよせた。
「……同情はやめろよ」
「え?」
「同情なんかで、結婚はできない」
大石が突き刺したオードブルを手荒く片付け、空になった皿から引き剥がすように視線を上げた。
「君は彼の境遇に同情してるだけだ」
「………なぜ知ってるの?」
ふいに気付いて、美並はフォークを止めた。
「……」
「京介のことを、なぜ知ってるの?」
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