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第1章
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長時間揺られたバスは土煙を立てて道を遠ざかっていく。
「課長」
「はい」
「……動物霊園に行くって言ってませんでしたか」
「近くにないって言ったよね?」
「ここ、山の中じゃないですか」
「環境はいいんだ、何にもないけど」
「そんなこと聞いてません」
美並はじろりといつものスーツ姿ではない、ポロシャツスラックスの真崎を睨む。
「電車で二時間、バスで三時間、一体ここはどこなんですか」
「僕の故郷」
「…はぁ?」
「あ、故郷ってのはね、実家のあるところで」
「そんなことは聞いてない!」
思わず美並は鞄の把手を握りしめた。
「着替え、忘れた?」
「持ってきました、けど、そういうことじゃなくて!」
「仕方ないでしょう」
真崎はおっとりと笑う。
「向こうに動物霊園なかったんだし、僕はイブキをちゃんと眠らせてやりたかったし」
優しい切なげな声で呟かれて、思わず口を噤む。
「それに心配しないでいいよ? 泊まるところは僕の家だけど、両親はいないし」
「……いないんですか」
「うん。向こうに出る前に亡くなって」
真崎はさらりと続けた。
「まあ、殺されたりしたんだけど」
「……はぁああ???」
ちょっと待て。今何げに凄いことを言わなかったか、あんたは。
「だから、今家に居るのは兄夫婦と子供達だけだし。部屋数はいっぱいあるから…」
「や、そういうことじゃなくて!」
もっと違うところに驚いてるんですよ、わからないんですか、と続けると、真崎はちょっと不思議そうな顔で美並を見下ろし、少し眉を寄せてから、ああ、と頷いた。
「大丈夫」
「はい?」
「寝るところはまだ別々でいいから」
「違うっっ!」
なんかなんかなんか。
美並はぐらぐらしつつ、スニーカーの足を踏み締める。
何だろう、何だろう、この破綻した人格というか、このどうにも深いところがめちゃくちゃ間違ってるキャラクターって。これが真崎の本性ならば、よく今まで世間の中でやってこれたものだ。というか、今までまともに人と付き合ってこれたほうが奇跡かもしれない。
「……よく付き合う気になったなあ、牟田さん……」
「え?」
「いや、よく課長を好きになったりできたなあと」
「……それって酷くない?」
顔を強ばらせてぼそりと真崎が呟き、さすがにまずかったかと謝ろうとした美並は、次のことばにまた固まる。
「第一、僕からアプローチしたんだし」
「はぁ?!」
ぎょっとして相手を見上げると、眼鏡の奥で無邪気そうに瞬きした真崎が、何、と問いかけてくる。
「じゃあ、課長、牟田さんのこと、好きだったんですか」
「ううん」
「……は?」
しらっとした顔で否定されてまた茫然とする。
「だからさ、彼女のパスケースに入ってる写真が孝のものだってわかった方が先。落としたのを偶然拾って届けた時に聞いてみたら、兄だと言うしさ」
「……へぇ」
もう金輪際、こいつの言うことに驚くのは止めよう。思いながら美並は尋ねた。
「じゃあ、それを確かめるために付き合ったんですか」
「………間違ってたけどね」
ぽつりと真崎が吐いて、初めて目を逸らせて道の向こうを見遣る。
「それがわかるまでに、こっちがやられちゃったけどね」
牟田相子はあの後仕事を辞めてしまった。住んでいたマンションも引き払って、どこに行ったかわからなくなっている。真崎への執着を思うと、もっと揉めたりややこしくなるんじゃないかと思っていたのに拍子抜けはしたが、真崎が派手に牟田を振って美並を選んだことは社内で早々噂になったから、無理もないのかもしれない。
親友のことを調べようと近付いた真崎を、それと気付かず好きになって、きっと微妙な距離を感じていただろう、だから無条件に愛されているイブキが疎ましくなったんじゃないか。
牟田の気持ちも、結構切ない。
意外に諸悪の根源はこいつじゃないかとちらっと相手を見ると、片手を上げて誰かに向けて振っている。
「?」
「来たよ、迎えが」
「迎え?」
「京介!」
道の向こうからやってきたジープから、身を乗り出すようにして手を振り返し、ごつい男が笑っていた。
「課長」
「はい」
「……動物霊園に行くって言ってませんでしたか」
「近くにないって言ったよね?」
「ここ、山の中じゃないですか」
「環境はいいんだ、何にもないけど」
「そんなこと聞いてません」
美並はじろりといつものスーツ姿ではない、ポロシャツスラックスの真崎を睨む。
「電車で二時間、バスで三時間、一体ここはどこなんですか」
「僕の故郷」
「…はぁ?」
「あ、故郷ってのはね、実家のあるところで」
「そんなことは聞いてない!」
思わず美並は鞄の把手を握りしめた。
「着替え、忘れた?」
「持ってきました、けど、そういうことじゃなくて!」
「仕方ないでしょう」
真崎はおっとりと笑う。
「向こうに動物霊園なかったんだし、僕はイブキをちゃんと眠らせてやりたかったし」
優しい切なげな声で呟かれて、思わず口を噤む。
「それに心配しないでいいよ? 泊まるところは僕の家だけど、両親はいないし」
「……いないんですか」
「うん。向こうに出る前に亡くなって」
真崎はさらりと続けた。
「まあ、殺されたりしたんだけど」
「……はぁああ???」
ちょっと待て。今何げに凄いことを言わなかったか、あんたは。
「だから、今家に居るのは兄夫婦と子供達だけだし。部屋数はいっぱいあるから…」
「や、そういうことじゃなくて!」
もっと違うところに驚いてるんですよ、わからないんですか、と続けると、真崎はちょっと不思議そうな顔で美並を見下ろし、少し眉を寄せてから、ああ、と頷いた。
「大丈夫」
「はい?」
「寝るところはまだ別々でいいから」
「違うっっ!」
なんかなんかなんか。
美並はぐらぐらしつつ、スニーカーの足を踏み締める。
何だろう、何だろう、この破綻した人格というか、このどうにも深いところがめちゃくちゃ間違ってるキャラクターって。これが真崎の本性ならば、よく今まで世間の中でやってこれたものだ。というか、今までまともに人と付き合ってこれたほうが奇跡かもしれない。
「……よく付き合う気になったなあ、牟田さん……」
「え?」
「いや、よく課長を好きになったりできたなあと」
「……それって酷くない?」
顔を強ばらせてぼそりと真崎が呟き、さすがにまずかったかと謝ろうとした美並は、次のことばにまた固まる。
「第一、僕からアプローチしたんだし」
「はぁ?!」
ぎょっとして相手を見上げると、眼鏡の奥で無邪気そうに瞬きした真崎が、何、と問いかけてくる。
「じゃあ、課長、牟田さんのこと、好きだったんですか」
「ううん」
「……は?」
しらっとした顔で否定されてまた茫然とする。
「だからさ、彼女のパスケースに入ってる写真が孝のものだってわかった方が先。落としたのを偶然拾って届けた時に聞いてみたら、兄だと言うしさ」
「……へぇ」
もう金輪際、こいつの言うことに驚くのは止めよう。思いながら美並は尋ねた。
「じゃあ、それを確かめるために付き合ったんですか」
「………間違ってたけどね」
ぽつりと真崎が吐いて、初めて目を逸らせて道の向こうを見遣る。
「それがわかるまでに、こっちがやられちゃったけどね」
牟田相子はあの後仕事を辞めてしまった。住んでいたマンションも引き払って、どこに行ったかわからなくなっている。真崎への執着を思うと、もっと揉めたりややこしくなるんじゃないかと思っていたのに拍子抜けはしたが、真崎が派手に牟田を振って美並を選んだことは社内で早々噂になったから、無理もないのかもしれない。
親友のことを調べようと近付いた真崎を、それと気付かず好きになって、きっと微妙な距離を感じていただろう、だから無条件に愛されているイブキが疎ましくなったんじゃないか。
牟田の気持ちも、結構切ない。
意外に諸悪の根源はこいつじゃないかとちらっと相手を見ると、片手を上げて誰かに向けて振っている。
「?」
「来たよ、迎えが」
「迎え?」
「京介!」
道の向こうからやってきたジープから、身を乗り出すようにして手を振り返し、ごつい男が笑っていた。
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