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第1章
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入って、と真崎に招かれた部屋は驚くほど何もなかった。
「さっきの玄関のところに猫があって」
「説明しなくていいから」
あ、そうそう、と思い出したように振り返る相手に美並は顔をしかめる。
「それより」
「ん?」
じゃあ、約束したからコーヒー淹れるね、適当に座ってて、と真崎はキッチンの方へ入っていく。足下はしっかりしているし、部屋に入ったとたんに顔色も心なしか平常に戻ったように見える。
「酔ってたんじゃなかったんですか」
「酔ってないって言ったよ?」
「……酔ってるように見えましたよ」
「主観の相違ってやつだね」
真崎は機嫌よさそうに棚からカップを取り出している。
「………だましたんですか」
「人聞き悪いなあ」
じろりと睨むと、軽く肩を竦めてみせた。
「僕は嘘なんてついてない。そう判断したのは伊吹さんだしね」
「……くそぉ」
「それに酒に弱いのは事実だよ」
はいどうぞ、とソファに座った美並の前にカップを置いた。
「飲んだらすぐ帰りますから」
「うん」
反対するかと思ったが、真崎は素直に頷いて、美並の隣に腰を降ろした。む、と眉をしかめて、体一つ分距離を開けると、咎めるような顔で見遣ってくる。
「冷たい」
「温かくしなくちゃいけない義理はないですし」
「一緒に食事したのに」
「あそこに居た人はみんな『一緒に』食事してましたよ」
「コーヒー淹れたのに」
「……代金幾らですか?」
バッグから財布を出そうとすると、そんなことまでする、と真崎は眉を下げてみせた。
「お金要らないから、とにかく僕を見てよ」
「…………はぁ」
粘る相手に美並は大きくため息をついた。
「コーヒーはおいしそうです」
「でしょ?」
僕、コーヒー淹れるのはうまいんだよ、と笑う真崎に付け加える。
「だから、コーヒー代だけは働きます」
「もう一杯淹れようか?」
「………質問に答えて下さいね?」
「うん」
「まず、なんであそこにケージが置いたままになってるんです?」
真崎はびくりと体を震わせて美並の視線の先を見た。リビングの隅にかなり大きめのケージが微かに埃の積もった
状態で置かれている。
「ああ、片付けるのが面倒で」
「猫が死んだのはいつです?」
「……一年ほど前、かな」
「すみません、さっきは説明いらないって言ったけど、猫が置かれてたの、玄関の外側ですか?」
「……………ああ」
「……最後に一つ、ケイって言うのは猫の名前?」
「………………そうだ」
「………つらかったですね」
「っ」
美並が呟くと真崎はぎくりと動きを止めた。
「まさかそんなことをするとは思っていなかった、んですね」
「……何か見えたの」
警戒の色を滲ませた声に美並は真崎を振り返った。
「相手は牟田さん、ですか」
「見えるの……?」
「………課長は勘違いしてます」
「?」
「私は霊能力者じゃない、と言ったはずです。私は『見える』し『聞こえる』けれど、それは『見たり』『聞いたり』してるんじゃない。自分の推理や直感を視覚化したり聴覚化したりしている、そういうことです」
「………どういうこと」
真崎は濡れた瞳をゆっくりと細めた。
「課長は一年前に死んだ猫のケージをずっと置いてて、しかもパニックになって飛び出すほどショックを受けてる。ケイ、という猫を大事にしてたのがよくわかる。なのに、その猫の悲惨な死に方には凄くクールです」
「死んじゃったものは……仕方ないよ」
「ケイは家で飼われていた猫です。なのに、死んでいたのは玄関の外。しかも、そんな殺し方をマンションの廊下でなんてできるわけがない。どこかで殺したのを持ってきて置く、というのも不自然すぎる。一番スムーズにできるのは、家の中で殺して、外に放り出しておくってこと、つまり、誰かこの家に出入りしていた人の仕業だってことです」
「僕かも知れないよね」
「課長はケイの話をしながらミニステーキ食べてました。酷いやり方だけど、もし自分で殺してたなら、とても食べられないですね。大事にしていたのに、殺されて、なのにそんな話を淡々とできるのは、課長の中でまだそれが『終わって』ないってこと、現実から遠いんです。だからケージは残しておく必要がある。けれど、あのケージには『イブキ』って書いてあります。『ケイ』じゃない」
「……」
「猫の名前は『イブキ』です。だから課長は私にこだわった。御飯を食べるときに凄く嬉しそうだったり、初めて一緒に食事する女にデザート半分分けたりするの、私にしたんじゃない、『イブキ』にいつもしていたことじゃないですか」
「……」
「牟田さんが課長に好意を持っていること、執着してることは他から見てもよくわかる。課長が気付いていないはずがない。苦情やトラブルに親身になってうまく応対できる課長なのに、ささいな偶然かもしれないことで、牟田さんを人殺しだと決めてかかる、その理由は『イブキ』を殺したことがあるからじゃないですか。………課長は牟田さんとつき合っていたんですね?」
「さっきの玄関のところに猫があって」
「説明しなくていいから」
あ、そうそう、と思い出したように振り返る相手に美並は顔をしかめる。
「それより」
「ん?」
じゃあ、約束したからコーヒー淹れるね、適当に座ってて、と真崎はキッチンの方へ入っていく。足下はしっかりしているし、部屋に入ったとたんに顔色も心なしか平常に戻ったように見える。
「酔ってたんじゃなかったんですか」
「酔ってないって言ったよ?」
「……酔ってるように見えましたよ」
「主観の相違ってやつだね」
真崎は機嫌よさそうに棚からカップを取り出している。
「………だましたんですか」
「人聞き悪いなあ」
じろりと睨むと、軽く肩を竦めてみせた。
「僕は嘘なんてついてない。そう判断したのは伊吹さんだしね」
「……くそぉ」
「それに酒に弱いのは事実だよ」
はいどうぞ、とソファに座った美並の前にカップを置いた。
「飲んだらすぐ帰りますから」
「うん」
反対するかと思ったが、真崎は素直に頷いて、美並の隣に腰を降ろした。む、と眉をしかめて、体一つ分距離を開けると、咎めるような顔で見遣ってくる。
「冷たい」
「温かくしなくちゃいけない義理はないですし」
「一緒に食事したのに」
「あそこに居た人はみんな『一緒に』食事してましたよ」
「コーヒー淹れたのに」
「……代金幾らですか?」
バッグから財布を出そうとすると、そんなことまでする、と真崎は眉を下げてみせた。
「お金要らないから、とにかく僕を見てよ」
「…………はぁ」
粘る相手に美並は大きくため息をついた。
「コーヒーはおいしそうです」
「でしょ?」
僕、コーヒー淹れるのはうまいんだよ、と笑う真崎に付け加える。
「だから、コーヒー代だけは働きます」
「もう一杯淹れようか?」
「………質問に答えて下さいね?」
「うん」
「まず、なんであそこにケージが置いたままになってるんです?」
真崎はびくりと体を震わせて美並の視線の先を見た。リビングの隅にかなり大きめのケージが微かに埃の積もった
状態で置かれている。
「ああ、片付けるのが面倒で」
「猫が死んだのはいつです?」
「……一年ほど前、かな」
「すみません、さっきは説明いらないって言ったけど、猫が置かれてたの、玄関の外側ですか?」
「……………ああ」
「……最後に一つ、ケイって言うのは猫の名前?」
「………………そうだ」
「………つらかったですね」
「っ」
美並が呟くと真崎はぎくりと動きを止めた。
「まさかそんなことをするとは思っていなかった、んですね」
「……何か見えたの」
警戒の色を滲ませた声に美並は真崎を振り返った。
「相手は牟田さん、ですか」
「見えるの……?」
「………課長は勘違いしてます」
「?」
「私は霊能力者じゃない、と言ったはずです。私は『見える』し『聞こえる』けれど、それは『見たり』『聞いたり』してるんじゃない。自分の推理や直感を視覚化したり聴覚化したりしている、そういうことです」
「………どういうこと」
真崎は濡れた瞳をゆっくりと細めた。
「課長は一年前に死んだ猫のケージをずっと置いてて、しかもパニックになって飛び出すほどショックを受けてる。ケイ、という猫を大事にしてたのがよくわかる。なのに、その猫の悲惨な死に方には凄くクールです」
「死んじゃったものは……仕方ないよ」
「ケイは家で飼われていた猫です。なのに、死んでいたのは玄関の外。しかも、そんな殺し方をマンションの廊下でなんてできるわけがない。どこかで殺したのを持ってきて置く、というのも不自然すぎる。一番スムーズにできるのは、家の中で殺して、外に放り出しておくってこと、つまり、誰かこの家に出入りしていた人の仕業だってことです」
「僕かも知れないよね」
「課長はケイの話をしながらミニステーキ食べてました。酷いやり方だけど、もし自分で殺してたなら、とても食べられないですね。大事にしていたのに、殺されて、なのにそんな話を淡々とできるのは、課長の中でまだそれが『終わって』ないってこと、現実から遠いんです。だからケージは残しておく必要がある。けれど、あのケージには『イブキ』って書いてあります。『ケイ』じゃない」
「……」
「猫の名前は『イブキ』です。だから課長は私にこだわった。御飯を食べるときに凄く嬉しそうだったり、初めて一緒に食事する女にデザート半分分けたりするの、私にしたんじゃない、『イブキ』にいつもしていたことじゃないですか」
「……」
「牟田さんが課長に好意を持っていること、執着してることは他から見てもよくわかる。課長が気付いていないはずがない。苦情やトラブルに親身になってうまく応対できる課長なのに、ささいな偶然かもしれないことで、牟田さんを人殺しだと決めてかかる、その理由は『イブキ』を殺したことがあるからじゃないですか。………課長は牟田さんとつき合っていたんですね?」
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