『闇を見る眼』

segakiyui

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第4章

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 真崎が弾むような足取りで出かけた後、美並は元子に呼び出された。
『ちょっと席を離れられる?』
「ええ、はい?」
『できれば、早退する形で』
「…」
 思わず石塚を見やると、相手が訝しげにこちらを見返す。
『込み入った話をしたいの……課長抜きで』
「夕方に約束があります」
 思わず口走ったのは元子の口調の厳しさを感じたからだ。
「それまでに戻れるなら」
『あなた次第ね』
「…」
 もう一度、部屋の中を見回す。
 確かに今美並が請け負っている仕事はアルバイトの延長で、抜けても仕事の進行を大きく妨げるようなものはない。真崎が席を空けている今、石塚一人で応対しきれないこともあるのは事実だが、会議資料は作り終えた。突然真崎が戻ってきても、今すぐに困ることはない。
 それとも、そういうことを見計らっての連絡か。
「どうしたの?」
 こっそりと石塚が声を潜めて尋ねてくる。
 どちらにしても美並に拒否権はないだろう。
「石塚さんにお願いして時間を空けます」
『お願い』
 ぷつっときれた電話に眉を寄せる。
 お願い? 元子が美並に命じるのではなくて依頼されるようなことがある?
「誰から」
「社長から。これから早退して時間を空けろと言われました」
 口止めは指示されなかった。
「これから」
 石塚は難しい顔で真崎の席を見遣る。
「しかも、課長には知らせずに」
「…どういうことよ」
「わかりません」
 美並は正直に首を振った。
 元子とはまだ今のところ、ほとんど接点がない。いつかの社長秘書勧誘程度だ。それも動き出してはいないし、当面、美並は真崎をサポートして『ニット・キャンパス』を成功させることに全力を注げばいいと思っていた。
「……ふう」
 石塚はうんざりした顔で部屋の中を見回した。
「課長は外回り、高崎は飛び出したら帰らない、お客の電話は容赦ないし、他部署からの応援はなし、で、あなたは早退しちゃうけど課長には知らせちゃいけない。………ほんと給料以上の働きをしてるわ」
「…すみません」
「何か妙な提案されそうね?」
「そんな感じです」
「あなたの解雇には同意しないって伝えて」
 石塚が手元の書類をまとめながら唸る。
「ついでに私の給料を上げる交渉もしてもらっていいわ」
「…善処します」
「課長をどこまでごまかせるか自信がないけど」
 ふうううと石塚はまた溜息を重ね、眉をしかめた。
「……」
「石塚さん?」
「………真崎大輔。知ってるわよね?」
「…はい」
 今なぜその名前が。
 訝る美並に石塚は眉をしかめたまま振り向いた。
「警察の手が入るわ」
「えっ」
 驚きに息を呑む。有沢はまだ動かないと言っていたはずではなかったのか。それとも状況が変わってきたのか、たった数日のことで。
「前に話したことがあったでしょ、学生の時、おかしな合コンに連れ込まれかけた子」
「はい」
「駅で見たんだって」
「駅…」
「滅多に外出しないのにね。その日は友達の家に行こうとしていて、駅で真崎大輔を見てパニック発作を起こして、友達の家に行けなくなって」
「でもあれだけ人がたくさん居るのに」
「様子がおかしかったから目についたって話してた。向かいのホームに居て、始め気づかなかったって。けれど大輔が駅のホームで誰かと揉めたらしくて、別の男となだれ込むようにトイレに入っていったのが目に入って。『そういうこと』があってからね、妙な気配には敏感になってるのよ、あの子。まさかまさかと思って動けなくなって、それでも怖くてじっと見てたらしいわ。そうしたらずいぶん長い時間かかってトイレから意気揚々と出てきて。その『感じ』がね、自分が誘い込まれた時そっくりで。まだ出てこないもう一人の男がどうなったんだろうって考えてたら、もう堪えられなくなって」
 ああ、京介。
 全身を粟立たせながら美並は目を見開いた。
 見ていた。美並だけでなく、こうして遠い誰かがきちんと見ていた。
「倒れて駅員に介抱されて家に運び込まれて、一気に訴えたらしい、あの時の加害者を見つけたって。あれを捕まえてくれ、あれを野放しにしないでくれ、また襲われる、また誰かが被害に遭うって」
 石塚は悲しそうに笑った。
「言ったでしょ、優秀な子なのよ。いい加減なことを言わない、必死に頑張って真面目に生きてきた子なの、だからぎりぎりで逃げられた自分が許せなかったって」
 警察に親と行って、いろいろうんと遅いかもしれないけれど、被害を訴える、って。
「ネットでもそういう動きがあったでしょ。……似てるのかもね、そうしないと、もう生きていられないからって」
 石塚も抱えているのが限界だったのだろう、一気に話し終えると、深く重く溜息をついた。
「だから、ひょっとすると、課長にも警察が来るかも知れない。『ニット・キャンパス』もひょっとすると」
 そうか、だから『課長をどこまでごまかせるか自信がない』のか。
 美並も大きく息を吐いた。
 石塚はもっと別のことも知っているのかも知れない。
 そう思った瞬間に、石塚と同期という高山の顔が浮かぶ。
 そうだ、本当にもっと色々なことを知っているのだろう。役職付きでなくとも、情報なんてどこからでもどんな風にでも手に入れられる、ましてや石塚ほど長く深く職場に勤めていたなら。
 そしてだからこそ、美並が元子に呼び出された今、何が起こるか気遣って、こんな話を出してくれたのか。
「石塚さん」
「あ、でも、課長はそんな男じゃないと思うわよ、特に最近、あなたと付き合い出してから、本当に頑張ってると思うし。お兄さんがそんなのだって、弟がどうってことじゃないと思うし、そこは社長もわかってくれているはずだし」
 兄弟云々を持ち出したのは高山か。元子はそれを見過ごすわけにはいかなくなったのか。『ニット・キャンパス』を成功させるために真崎の能力は不可欠だが、それでも切り捨てざるを得ないと判断したのか。
「……ここまで言ったら、もう隠しても同じだと思うから言うけど」
 石塚は、それでも一瞬口をつぐみ、やがて思い切ったように、
「駅のもう一人の男、課長かも知れない」
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