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第4章
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映画はよくできていた。
近未来。
人と寸分変わらぬロボットが闊歩する世界で、犯罪もまた様変わりしている。
主人公の女性刑事はかつて恋人を犯罪がらみで失っている。その時無力だった自分を悔やみ、主人公は強く生きようとしている。誰かを巻き込んで死なせなくていもいいように、次には大切な誰かを守れるように。
一人必死に生きている主人公に護衛としてロボットが配置される。どこか亡くなった恋人を思い出させる仕草、優しい思いやりに主人公は心を開いていくが、ロボットに痛覚機能があると知って不安を募らせ、やがて自分のミスで相手に大きな損傷を与えてしまった後、ロボットですから大丈夫です、と笑われて気づく、それが問題なんじゃない、と。
いつの間にか愛してしまっていた、かつての恋人を重ねあわせてではなく、一人の人間として。しかし相手は護衛ロボット、主人公の盾となり壊れていくのがその使命。折も折り、かつての恋人を失った事件が再燃、それに巻き込まれていく主人公は否応なく危険に晒される、ロボットとともに。
『俺の宝物はあなたです』
そう囁いて動けなくなった主人公を守るために死地に飛び込むロボットに美並は凍り付いた。
始めは主人公に自分を重ねた。
そっくりな状況、美並しか目に入っていないようなハル、そして今向かっている、別の恋人の過去に絡む事件。
画面で主人公を凝視する動かない表情に、隣に居るハルの横顔が寸分違わず重なって、ハルはこの映画で自分はこのロボットのようなもの、それほど美並が大事だと伝えたいのか、と。
がしかし。
ロボットは主人公に執着し、公私共に距離を縮め、やがては同居し始める。そればかりか、主人公を守ることばかり考え、じわじわと主人公の感情や思考をその存在で覆っていく。
やがて主人公は身動きできなくなっていく。
本来ならば一人で強く生きていこうとしていた部分もロボットの腕に守られることに慣れていって、その分、自分の生き方を忘れていく。そして主人公の過去の事件に絡む一件に、ロボットが主人公を置き去りに飛び込んでいく下りでは、まるで羽根をもがれていく鳥のようにさえ見える。
「……っ」
これは、私だ。
美並は息を呑む。
京介を守るためと口にしつつ、京介の意志も気持ちも確かめることなく、一人難波孝の事件に接近していっている。しかも、有沢と一緒に動いていることを、京介は既に知っているのに、それに対してまともな説明一つしていない。
京介が『ニット・キャンパス』に集中できるように。難波孝の一件に関わって傷つかないように。美並がし残した仕事だから。有沢のことは京介に関係ないから。
当たり障りのいい理由は、映画のロボットが並べ立てる言い訳にそっくりだ。
自分は世界を背負っている。それが自分の仕事であり、使命であり、それはあなたには関係がない。俺はただあなたに幸せに笑っていてほしい。そのためなら何でもする、たとえこの命が消え去ろうとも。なぜなら。
俺の宝物はあなたです。
なんて酷いことを言うんだろう。
いつの間にか深く深くロボットを愛してしまっている、その主人公が身動きできない、その責めを一人で背負って精算すると勝手に決めてしまう傲慢さ。自分が居なくなった後、主人公がどれほど大きな傷を抱えて生涯苦しむのか、全く想像していないのはロボットだからか、それとも、愛という免罪符を掲げた殉教者の愚かさか。
「……美並」
小さく呟いて、ハルがきゅ、と左手を握ってきた。
「冷たい」
囁き声でも周囲には響く。しっ、と叱る気配が周囲に広がったのは、今まさに映画がクライマックスにさしかかったからだ。
ロボットは敵を追い詰めた。
もう俺には守るものなど何もない。
凄惨な顔で笑う。
俺とともにあんたをここで葬って、そして俺はあの人に永遠の平和を贈るんだ。
「ちが…」
違う。
美並にはそうはっきりわかる。
ロボットの顔に今度は京介が重なる。
もし万が一、京介が美並の突っ込んでいる事件を知って、美並を守るために『羽鳥』と相打ちになるなら本望、そう笑われたなら。
かたかたと体が震える。理性でも感覚でもなく、生理的な堪え切れない恐怖、有沢と向かい合って全てを失うつもりで居た時にさえ湧き上がらなかった不安、竦むような感覚に座席に呑み込まれて堕ちていきそうだ。
嫌だ。
そんなことは、嫌だ。
誰が何と言おうとも嫌だ。
だが同時に理解する。
もしこのロボットが美並であったとしたら。
きっとこの恐怖を、行き場のない憤りと這い上がれない深い傷みを、京介もまた味わうだろう、生涯背負う無力感とともに。
そしてそれは美並にはとてもよくわかっている出来事ではなかったか。骨の髄までしみ込んでいる感覚ではなかったか。
大石、という存在によって。
あの絶望を、あの苦しい夜を、京介が味わう…?
「…」
鳥肌が立った。
嫌だ。
それもまた、嫌だ。
ならば、どうする。
どうやって、京介を守る。
どうしたら、京介を守れる。
美並に何ができる。
何もできないんじゃないか。
何も。
何も。
せっかくあそこまで笑えたのに。
せっかくここまでやってきたのに。
また、何もできずに、今。
また。
失う。
「美並」
ハルがまた強く手を握り、やがて少し溜め息をついて、力を緩めた。
「大丈夫」
「……え」
「見て」
ハルがもうこの映画を見ていたのだ、とふいに気づいた。
横を向くと、大人びた優しい顔でハルが画像に意識を促す。
「綺麗」
「きれ…い?」
視界がぼやけてうまく見えずに瞬きすると、頬を涙がつるつると流れ落ちた。けれど、それを拭うよりも先に、視界に入った光景に呆気に取られる。
ロボットが主人公にしがみついて泣いている。敵は背後で悶絶しているが死んではいないようだ。
いつから映画から気持ちを逸らせてしまっていたのだろう。
いつから美並も泣き出してしまっていたのだろう。
ハルがそっと指先で頬を撫でて、涙を拭ってくれる。
さっきは確かにロボットが一か八かで敵を屠ろうとしていた。主人公はそれを必死に止めようとしてできずにいたはずなのだ。
何が起こったのかわからない。
『おかえり』
優しく甘い声が主人公の唇から漏れ、それを吸い取るようにねだるようにロボットが唇を重ねた。
「いのち」
同じぐらい豊かで甘いハルの吐息まじりの声が聞こえた。
近未来。
人と寸分変わらぬロボットが闊歩する世界で、犯罪もまた様変わりしている。
主人公の女性刑事はかつて恋人を犯罪がらみで失っている。その時無力だった自分を悔やみ、主人公は強く生きようとしている。誰かを巻き込んで死なせなくていもいいように、次には大切な誰かを守れるように。
一人必死に生きている主人公に護衛としてロボットが配置される。どこか亡くなった恋人を思い出させる仕草、優しい思いやりに主人公は心を開いていくが、ロボットに痛覚機能があると知って不安を募らせ、やがて自分のミスで相手に大きな損傷を与えてしまった後、ロボットですから大丈夫です、と笑われて気づく、それが問題なんじゃない、と。
いつの間にか愛してしまっていた、かつての恋人を重ねあわせてではなく、一人の人間として。しかし相手は護衛ロボット、主人公の盾となり壊れていくのがその使命。折も折り、かつての恋人を失った事件が再燃、それに巻き込まれていく主人公は否応なく危険に晒される、ロボットとともに。
『俺の宝物はあなたです』
そう囁いて動けなくなった主人公を守るために死地に飛び込むロボットに美並は凍り付いた。
始めは主人公に自分を重ねた。
そっくりな状況、美並しか目に入っていないようなハル、そして今向かっている、別の恋人の過去に絡む事件。
画面で主人公を凝視する動かない表情に、隣に居るハルの横顔が寸分違わず重なって、ハルはこの映画で自分はこのロボットのようなもの、それほど美並が大事だと伝えたいのか、と。
がしかし。
ロボットは主人公に執着し、公私共に距離を縮め、やがては同居し始める。そればかりか、主人公を守ることばかり考え、じわじわと主人公の感情や思考をその存在で覆っていく。
やがて主人公は身動きできなくなっていく。
本来ならば一人で強く生きていこうとしていた部分もロボットの腕に守られることに慣れていって、その分、自分の生き方を忘れていく。そして主人公の過去の事件に絡む一件に、ロボットが主人公を置き去りに飛び込んでいく下りでは、まるで羽根をもがれていく鳥のようにさえ見える。
「……っ」
これは、私だ。
美並は息を呑む。
京介を守るためと口にしつつ、京介の意志も気持ちも確かめることなく、一人難波孝の事件に接近していっている。しかも、有沢と一緒に動いていることを、京介は既に知っているのに、それに対してまともな説明一つしていない。
京介が『ニット・キャンパス』に集中できるように。難波孝の一件に関わって傷つかないように。美並がし残した仕事だから。有沢のことは京介に関係ないから。
当たり障りのいい理由は、映画のロボットが並べ立てる言い訳にそっくりだ。
自分は世界を背負っている。それが自分の仕事であり、使命であり、それはあなたには関係がない。俺はただあなたに幸せに笑っていてほしい。そのためなら何でもする、たとえこの命が消え去ろうとも。なぜなら。
俺の宝物はあなたです。
なんて酷いことを言うんだろう。
いつの間にか深く深くロボットを愛してしまっている、その主人公が身動きできない、その責めを一人で背負って精算すると勝手に決めてしまう傲慢さ。自分が居なくなった後、主人公がどれほど大きな傷を抱えて生涯苦しむのか、全く想像していないのはロボットだからか、それとも、愛という免罪符を掲げた殉教者の愚かさか。
「……美並」
小さく呟いて、ハルがきゅ、と左手を握ってきた。
「冷たい」
囁き声でも周囲には響く。しっ、と叱る気配が周囲に広がったのは、今まさに映画がクライマックスにさしかかったからだ。
ロボットは敵を追い詰めた。
もう俺には守るものなど何もない。
凄惨な顔で笑う。
俺とともにあんたをここで葬って、そして俺はあの人に永遠の平和を贈るんだ。
「ちが…」
違う。
美並にはそうはっきりわかる。
ロボットの顔に今度は京介が重なる。
もし万が一、京介が美並の突っ込んでいる事件を知って、美並を守るために『羽鳥』と相打ちになるなら本望、そう笑われたなら。
かたかたと体が震える。理性でも感覚でもなく、生理的な堪え切れない恐怖、有沢と向かい合って全てを失うつもりで居た時にさえ湧き上がらなかった不安、竦むような感覚に座席に呑み込まれて堕ちていきそうだ。
嫌だ。
そんなことは、嫌だ。
誰が何と言おうとも嫌だ。
だが同時に理解する。
もしこのロボットが美並であったとしたら。
きっとこの恐怖を、行き場のない憤りと這い上がれない深い傷みを、京介もまた味わうだろう、生涯背負う無力感とともに。
そしてそれは美並にはとてもよくわかっている出来事ではなかったか。骨の髄までしみ込んでいる感覚ではなかったか。
大石、という存在によって。
あの絶望を、あの苦しい夜を、京介が味わう…?
「…」
鳥肌が立った。
嫌だ。
それもまた、嫌だ。
ならば、どうする。
どうやって、京介を守る。
どうしたら、京介を守れる。
美並に何ができる。
何もできないんじゃないか。
何も。
何も。
せっかくあそこまで笑えたのに。
せっかくここまでやってきたのに。
また、何もできずに、今。
また。
失う。
「美並」
ハルがまた強く手を握り、やがて少し溜め息をついて、力を緩めた。
「大丈夫」
「……え」
「見て」
ハルがもうこの映画を見ていたのだ、とふいに気づいた。
横を向くと、大人びた優しい顔でハルが画像に意識を促す。
「綺麗」
「きれ…い?」
視界がぼやけてうまく見えずに瞬きすると、頬を涙がつるつると流れ落ちた。けれど、それを拭うよりも先に、視界に入った光景に呆気に取られる。
ロボットが主人公にしがみついて泣いている。敵は背後で悶絶しているが死んではいないようだ。
いつから映画から気持ちを逸らせてしまっていたのだろう。
いつから美並も泣き出してしまっていたのだろう。
ハルがそっと指先で頬を撫でて、涙を拭ってくれる。
さっきは確かにロボットが一か八かで敵を屠ろうとしていた。主人公はそれを必死に止めようとしてできずにいたはずなのだ。
何が起こったのかわからない。
『おかえり』
優しく甘い声が主人公の唇から漏れ、それを吸い取るようにねだるようにロボットが唇を重ねた。
「いのち」
同じぐらい豊かで甘いハルの吐息まじりの声が聞こえた。
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