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第4章
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一瞬、美並は迷った。
手に入れた画像は明が処理してくれたはずだ。だが、ひょっとしたら万が一を考えて、まだ消さずに持っているかもしれない。
それを探し出して、有沢に提供することで、これ以上深入りすることもなく誰も傷つけることもなく、この件は終了し京介の安全も守れるかもしれない。
「伊吹さん?」
有沢の声に目を開く。相手の切なる期待をたたえた視線を受け止める。
だがしかし。
京介は、どうなる?
確かに大輔が遠ざけられれば、恵子も離れるしかなくなるかもしれない。『ニット・キャンパス』に不愉快な干渉もなく、桜木通販としても順調に仕事を展開できるかもしれない。大輔が確保されることで、孝の死の真相も明らかにされ、今もし美並が協力するとすれば、その見返りに真実を有沢から知らせてもらうこともできるかもしれない。
美並はこれ以上関わることなく、全ては穏やかに経過するのかもしれない。
けれど、京介が欲しがっているのは安全ではない、のだ。
ふいにそう気づいた。
二度と大輔や恵子に脅かされない状況、それはもちろんそうだろうけれど、美並は知っている、本当の不安はそういう外部からの力ではなく、それに屈してしまう自分に対して起こることを。
確かに大輔や恵子はいなくなるかもしれない。けれど、大輔や恵子と同じような人間がいないわけではない。同じような人間に同じように迫られた時、それでも巻き込まれないと確信できる自信が、おそらく京介には、ない。
京介が本当に取り戻し回復したがっているのは、自分は孝のようにはならないという確信、自分が自分の望む選択によって生きていける、自分への信頼そのものなのだ。
今その自信を、京介は美並に拠っている。
美並が愛し求めてくれるから、自分が価値ある存在なのだと考えているところがある。
だからこそ、美並が離れる、美並を失う、そういう事態になってしまえば、自分も生きている価値がない、そういう判断になってしまう。
今は大輔を葬りさえすれば危機は去るように見える。
けれどそれはむしろ、京介が自分で自分の人生を歩もうとする意志を奪い、自分の殻ではなく美並という外皮をまとって生きることになっただけ、そういうことではないのか。
ましてや、美並はスーパーマンでも神でもないのだ。
美並自身が不安に揺れ動き、身動きできなくなった時、京介も共に倒れるしかないとなったら、それはお互いを一番ひどく傷つけてしまうことになるのではないか、それこそ今の太田の幻に振り回される有沢のように。
「……話によると」
美並の沈黙に焦れたように、ぼそりと壁際の檜垣が口を挟んだ。
「あんた、『ハイウィンド・リール』で一悶着起こしたらしいじゃねえか」
「!」
ぴしりと鋭い鞭で打たれたような感覚に振り返った。
「檜垣、それは」
有沢が舌打ちしそうな気配で呟く、だがそれも美並の意識から吹き飛んだ。
目の前に居る童顔の刑事、その存在の背後に揺らめく薄赤い靄が血煙のようにも見える。
「なぜ、それを?」
「…………ホテル側から通報があったんだよ」
美並の問いかけに、檜垣が微かに身を引いた。
ホテル側の通報。
なるほど、大輔はあそこの常連だった。地方の有力者が密会がらみで利用する場所、しかもあの日に喜田村も出入りしていたのだから、ホテル側としては警戒もしただろう。
ということは、美並の情報や画像などを利用しなくても、ホテル側の監視カメラにあの場面は撮られていた可能性があるはずだ。それを利用しない、いやできないのはやはり、喜田村の圧力があるからだろう。同じような場面を当事者である美並が脅迫恫喝などの被害として訴えれば、そちらの方がいいという判断とも考えられる。
だが問題は、有沢についているこの部下にも、赤い気配が漂っている、ということだ。
まさか。
「……申し訳ありませんが」
美並は静かに口を開いた。
「そちらの方ではお役に立てないかもしれません」
「……そう、ですか」
有沢が一瞬眉を寄せ、檜垣が険しい顔で腕を組んで椅子にふんぞり返った。
「……また、何かあれば」
「はい。何か、あれば」
美並は頷き、胸の中で続ける。
それは檜垣さんがいないところで話した方がいいかもしれないけど。
「……太田さんの遺品、というのを見せて頂けますか?」
「わかりました」
有沢が合図して、檜垣が持ち出してきたのは三つの品物だった。
よれよれの黒い上着、銀色のライター、派手な蛇革のベルト。
手に入れた画像は明が処理してくれたはずだ。だが、ひょっとしたら万が一を考えて、まだ消さずに持っているかもしれない。
それを探し出して、有沢に提供することで、これ以上深入りすることもなく誰も傷つけることもなく、この件は終了し京介の安全も守れるかもしれない。
「伊吹さん?」
有沢の声に目を開く。相手の切なる期待をたたえた視線を受け止める。
だがしかし。
京介は、どうなる?
確かに大輔が遠ざけられれば、恵子も離れるしかなくなるかもしれない。『ニット・キャンパス』に不愉快な干渉もなく、桜木通販としても順調に仕事を展開できるかもしれない。大輔が確保されることで、孝の死の真相も明らかにされ、今もし美並が協力するとすれば、その見返りに真実を有沢から知らせてもらうこともできるかもしれない。
美並はこれ以上関わることなく、全ては穏やかに経過するのかもしれない。
けれど、京介が欲しがっているのは安全ではない、のだ。
ふいにそう気づいた。
二度と大輔や恵子に脅かされない状況、それはもちろんそうだろうけれど、美並は知っている、本当の不安はそういう外部からの力ではなく、それに屈してしまう自分に対して起こることを。
確かに大輔や恵子はいなくなるかもしれない。けれど、大輔や恵子と同じような人間がいないわけではない。同じような人間に同じように迫られた時、それでも巻き込まれないと確信できる自信が、おそらく京介には、ない。
京介が本当に取り戻し回復したがっているのは、自分は孝のようにはならないという確信、自分が自分の望む選択によって生きていける、自分への信頼そのものなのだ。
今その自信を、京介は美並に拠っている。
美並が愛し求めてくれるから、自分が価値ある存在なのだと考えているところがある。
だからこそ、美並が離れる、美並を失う、そういう事態になってしまえば、自分も生きている価値がない、そういう判断になってしまう。
今は大輔を葬りさえすれば危機は去るように見える。
けれどそれはむしろ、京介が自分で自分の人生を歩もうとする意志を奪い、自分の殻ではなく美並という外皮をまとって生きることになっただけ、そういうことではないのか。
ましてや、美並はスーパーマンでも神でもないのだ。
美並自身が不安に揺れ動き、身動きできなくなった時、京介も共に倒れるしかないとなったら、それはお互いを一番ひどく傷つけてしまうことになるのではないか、それこそ今の太田の幻に振り回される有沢のように。
「……話によると」
美並の沈黙に焦れたように、ぼそりと壁際の檜垣が口を挟んだ。
「あんた、『ハイウィンド・リール』で一悶着起こしたらしいじゃねえか」
「!」
ぴしりと鋭い鞭で打たれたような感覚に振り返った。
「檜垣、それは」
有沢が舌打ちしそうな気配で呟く、だがそれも美並の意識から吹き飛んだ。
目の前に居る童顔の刑事、その存在の背後に揺らめく薄赤い靄が血煙のようにも見える。
「なぜ、それを?」
「…………ホテル側から通報があったんだよ」
美並の問いかけに、檜垣が微かに身を引いた。
ホテル側の通報。
なるほど、大輔はあそこの常連だった。地方の有力者が密会がらみで利用する場所、しかもあの日に喜田村も出入りしていたのだから、ホテル側としては警戒もしただろう。
ということは、美並の情報や画像などを利用しなくても、ホテル側の監視カメラにあの場面は撮られていた可能性があるはずだ。それを利用しない、いやできないのはやはり、喜田村の圧力があるからだろう。同じような場面を当事者である美並が脅迫恫喝などの被害として訴えれば、そちらの方がいいという判断とも考えられる。
だが問題は、有沢についているこの部下にも、赤い気配が漂っている、ということだ。
まさか。
「……申し訳ありませんが」
美並は静かに口を開いた。
「そちらの方ではお役に立てないかもしれません」
「……そう、ですか」
有沢が一瞬眉を寄せ、檜垣が険しい顔で腕を組んで椅子にふんぞり返った。
「……また、何かあれば」
「はい。何か、あれば」
美並は頷き、胸の中で続ける。
それは檜垣さんがいないところで話した方がいいかもしれないけど。
「……太田さんの遺品、というのを見せて頂けますか?」
「わかりました」
有沢が合図して、檜垣が持ち出してきたのは三つの品物だった。
よれよれの黒い上着、銀色のライター、派手な蛇革のベルト。
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