159 / 259
第4章
18
しおりを挟む
美並の視線に有沢がのろのろと背後を振り返る。それに気づいたのだろう、檜垣が改札から問いかけるように体を乗り出した。呼ばれるのか、そういう顔で待機する、その姿に有沢もまた自分を待つ場所に気づいてほしいと願った。
まだ有沢は死んではいない。
そのことに気づいてほしい。
太田という死者に巻き込まれ、傷つけられ、同じ闇にただただ引きずり込まれるのではなく。
「……有沢さん!」
我慢しかねたのか檜垣が叫んだ。
「有沢さん、行きましょう!」
そんな女なんかほっといて。
行きましょう、俺達の闘う場所に。
願いの声は有沢にも届いているはずだ、改札の金属扉を叩きつけて握り締めた無骨な音と一緒に。
生きましょう。
そう響いてほしいと強く願う。
「………ああやって」
有沢が低い声で顔を改札に向けたまま呟いた。
「俺も太田さんを呼んだ」
どんなに厳しい状況でも、どんなに上から圧力がかかっても、なんとかするさ、と笑って先に立つあの人をずっとずっと追っかけて。
「けどああやって、最後の最後で俺は入れなかったんだ」
太田さんのことなんて何もわかっちゃいなかったんだ。
「何のために頑張ってきたんです…?」
太田さんの仇取るために、あれだけ無茶したのに。
「何のために?」
優しい男である有沢は時に犯罪者に甘すぎたのだろう。それを太田は常々戒めていただろう。
けれど、そこを有沢は捨て切れなかった、だから太田が殺された、ずっとそう思ってきた。だからこそ、なりふり構わずの追撃、誰に後ろ指さされても、ただ太田に報いるためだけに突っ走って来たのに、その時間が、美並の介入で全く無意味なものになろうとしている、それを有沢は認めたくないのだ。
けれど。
「……そんなこと、いくらでも、あるか……」
掠れた穏やかな声が響いた。
「信じたものに裏切られたり……願ったものが叶わなかったり……」
美並を振り返った有沢に檜垣が動きを止めて見守る。
「大事な人を失ったり……かけがえないものが壊されたり…」
そんなこと、世の中にはしょっちゅうあることだ。
「警察にいればなおさら」
それが、俺達の世界。
「それで傷ついたり悲しんだり苦しんだり」
悦に入ったりほくそえんだり誇ったり。
「くだらねえ世界ですよねえ」
けど。
「俺……そんなの、嫌なんです」
有沢の瞳は美並を通り抜けている。
「もっと、誰も泣かないような、誰も悲しまないような、誰も傷つかないような」
そんな世界がいい。
「だから俺は警官になった」
その前にあんたが立ち塞がるというのなら。
「……ぶちのめす」
そのことばは美並に向かって吐かれたと同時に、美並が居ることで見せつけられた太田の裏切り、そしてその背後に見え隠れする太田に向けられたものでもあるのだろう。
「……来て下さい」
署にご案内しましょう。
「太田さんの遺品を見てもらいます。事件のことについてもできる限りお話します」
薄い、けれどそれまで見たことのない華やかな笑みが有沢の顔に広がった。
「俺の残り時間はあなたのものだ」
俺を納得させて下さい。
「違いますよ」
ほ、と吐息をついて美並は立ち上がった。
まずは一つ、小さな一歩、でも前へは進めた。
「納得するのはあなたです」
「ほう…じゃあ、あなたの役割はなんですか、伊吹さん」
改札へ向かう美並をエスコートするように従ってくる有沢が尋ねてくる。
前方に居た檜垣が、うげ、と言った表情になったところを見ると、ここに来るまでにある程度の事情を聞かされたのだろう。
「有沢警部補……」
改札を通り抜ける美並をうんざりした顔で見やりながら唸る。
「まだこいつと付き合うんですかぁ」
「付き合うのは無理だよ、この人にはちゃんと婚約者がいる」
「ああ、それならいいや、って、そういう意味じゃねえし」
「口説くにも私には時間がないからな」
なんならお前が口説いてみるか。
有沢が叩く軽口を初めて聞く、そう振り返ると意外にまっすぐで強い視線に射抜かれる。
「遠慮しときます」
檜垣がタクシーを呼び止めながら肩を竦めた。
「オレはもっと可愛いオンナがいっす」
わけわかんない魔女みたいなの、隣に居たら眠れねえ。
まだ有沢は死んではいない。
そのことに気づいてほしい。
太田という死者に巻き込まれ、傷つけられ、同じ闇にただただ引きずり込まれるのではなく。
「……有沢さん!」
我慢しかねたのか檜垣が叫んだ。
「有沢さん、行きましょう!」
そんな女なんかほっといて。
行きましょう、俺達の闘う場所に。
願いの声は有沢にも届いているはずだ、改札の金属扉を叩きつけて握り締めた無骨な音と一緒に。
生きましょう。
そう響いてほしいと強く願う。
「………ああやって」
有沢が低い声で顔を改札に向けたまま呟いた。
「俺も太田さんを呼んだ」
どんなに厳しい状況でも、どんなに上から圧力がかかっても、なんとかするさ、と笑って先に立つあの人をずっとずっと追っかけて。
「けどああやって、最後の最後で俺は入れなかったんだ」
太田さんのことなんて何もわかっちゃいなかったんだ。
「何のために頑張ってきたんです…?」
太田さんの仇取るために、あれだけ無茶したのに。
「何のために?」
優しい男である有沢は時に犯罪者に甘すぎたのだろう。それを太田は常々戒めていただろう。
けれど、そこを有沢は捨て切れなかった、だから太田が殺された、ずっとそう思ってきた。だからこそ、なりふり構わずの追撃、誰に後ろ指さされても、ただ太田に報いるためだけに突っ走って来たのに、その時間が、美並の介入で全く無意味なものになろうとしている、それを有沢は認めたくないのだ。
けれど。
「……そんなこと、いくらでも、あるか……」
掠れた穏やかな声が響いた。
「信じたものに裏切られたり……願ったものが叶わなかったり……」
美並を振り返った有沢に檜垣が動きを止めて見守る。
「大事な人を失ったり……かけがえないものが壊されたり…」
そんなこと、世の中にはしょっちゅうあることだ。
「警察にいればなおさら」
それが、俺達の世界。
「それで傷ついたり悲しんだり苦しんだり」
悦に入ったりほくそえんだり誇ったり。
「くだらねえ世界ですよねえ」
けど。
「俺……そんなの、嫌なんです」
有沢の瞳は美並を通り抜けている。
「もっと、誰も泣かないような、誰も悲しまないような、誰も傷つかないような」
そんな世界がいい。
「だから俺は警官になった」
その前にあんたが立ち塞がるというのなら。
「……ぶちのめす」
そのことばは美並に向かって吐かれたと同時に、美並が居ることで見せつけられた太田の裏切り、そしてその背後に見え隠れする太田に向けられたものでもあるのだろう。
「……来て下さい」
署にご案内しましょう。
「太田さんの遺品を見てもらいます。事件のことについてもできる限りお話します」
薄い、けれどそれまで見たことのない華やかな笑みが有沢の顔に広がった。
「俺の残り時間はあなたのものだ」
俺を納得させて下さい。
「違いますよ」
ほ、と吐息をついて美並は立ち上がった。
まずは一つ、小さな一歩、でも前へは進めた。
「納得するのはあなたです」
「ほう…じゃあ、あなたの役割はなんですか、伊吹さん」
改札へ向かう美並をエスコートするように従ってくる有沢が尋ねてくる。
前方に居た檜垣が、うげ、と言った表情になったところを見ると、ここに来るまでにある程度の事情を聞かされたのだろう。
「有沢警部補……」
改札を通り抜ける美並をうんざりした顔で見やりながら唸る。
「まだこいつと付き合うんですかぁ」
「付き合うのは無理だよ、この人にはちゃんと婚約者がいる」
「ああ、それならいいや、って、そういう意味じゃねえし」
「口説くにも私には時間がないからな」
なんならお前が口説いてみるか。
有沢が叩く軽口を初めて聞く、そう振り返ると意外にまっすぐで強い視線に射抜かれる。
「遠慮しときます」
檜垣がタクシーを呼び止めながら肩を竦めた。
「オレはもっと可愛いオンナがいっす」
わけわかんない魔女みたいなの、隣に居たら眠れねえ。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる