『闇を見る眼』

segakiyui

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第4章

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 美並の視線に有沢がのろのろと背後を振り返る。それに気づいたのだろう、檜垣が改札から問いかけるように体を乗り出した。呼ばれるのか、そういう顔で待機する、その姿に有沢もまた自分を待つ場所に気づいてほしいと願った。
 まだ有沢は死んではいない。
 そのことに気づいてほしい。
 太田という死者に巻き込まれ、傷つけられ、同じ闇にただただ引きずり込まれるのではなく。
「……有沢さん!」
 我慢しかねたのか檜垣が叫んだ。
「有沢さん、行きましょう!」
 そんな女なんかほっといて。
 行きましょう、俺達の闘う場所に。
 願いの声は有沢にも届いているはずだ、改札の金属扉を叩きつけて握り締めた無骨な音と一緒に。
 生きましょう。
 そう響いてほしいと強く願う。
「………ああやって」
 有沢が低い声で顔を改札に向けたまま呟いた。
「俺も太田さんを呼んだ」
 どんなに厳しい状況でも、どんなに上から圧力がかかっても、なんとかするさ、と笑って先に立つあの人をずっとずっと追っかけて。
「けどああやって、最後の最後で俺は入れなかったんだ」
 太田さんのことなんて何もわかっちゃいなかったんだ。
「何のために頑張ってきたんです…?」
 太田さんの仇取るために、あれだけ無茶したのに。
「何のために?」
 優しい男である有沢は時に犯罪者に甘すぎたのだろう。それを太田は常々戒めていただろう。
 けれど、そこを有沢は捨て切れなかった、だから太田が殺された、ずっとそう思ってきた。だからこそ、なりふり構わずの追撃、誰に後ろ指さされても、ただ太田に報いるためだけに突っ走って来たのに、その時間が、美並の介入で全く無意味なものになろうとしている、それを有沢は認めたくないのだ。
 けれど。
「……そんなこと、いくらでも、あるか……」
 掠れた穏やかな声が響いた。
「信じたものに裏切られたり……願ったものが叶わなかったり……」
 美並を振り返った有沢に檜垣が動きを止めて見守る。
「大事な人を失ったり……かけがえないものが壊されたり…」
 そんなこと、世の中にはしょっちゅうあることだ。
「警察にいればなおさら」
 それが、俺達の世界。
「それで傷ついたり悲しんだり苦しんだり」
 悦に入ったりほくそえんだり誇ったり。
「くだらねえ世界ですよねえ」
 けど。
「俺……そんなの、嫌なんです」
 有沢の瞳は美並を通り抜けている。
「もっと、誰も泣かないような、誰も悲しまないような、誰も傷つかないような」
 そんな世界がいい。
「だから俺は警官になった」
 その前にあんたが立ち塞がるというのなら。
「……ぶちのめす」
 そのことばは美並に向かって吐かれたと同時に、美並が居ることで見せつけられた太田の裏切り、そしてその背後に見え隠れする太田に向けられたものでもあるのだろう。
「……来て下さい」
 署にご案内しましょう。
「太田さんの遺品を見てもらいます。事件のことについてもできる限りお話します」
 薄い、けれどそれまで見たことのない華やかな笑みが有沢の顔に広がった。
「俺の残り時間はあなたのものだ」
 俺を納得させて下さい。
「違いますよ」
 ほ、と吐息をついて美並は立ち上がった。
 まずは一つ、小さな一歩、でも前へは進めた。
「納得するのはあなたです」
「ほう…じゃあ、あなたの役割はなんですか、伊吹さん」
 改札へ向かう美並をエスコートするように従ってくる有沢が尋ねてくる。
 前方に居た檜垣が、うげ、と言った表情になったところを見ると、ここに来るまでにある程度の事情を聞かされたのだろう。
「有沢警部補……」
 改札を通り抜ける美並をうんざりした顔で見やりながら唸る。
「まだこいつと付き合うんですかぁ」
「付き合うのは無理だよ、この人にはちゃんと婚約者がいる」
「ああ、それならいいや、って、そういう意味じゃねえし」
「口説くにも私には時間がないからな」
 なんならお前が口説いてみるか。
 有沢が叩く軽口を初めて聞く、そう振り返ると意外にまっすぐで強い視線に射抜かれる。
「遠慮しときます」
 檜垣がタクシーを呼び止めながら肩を竦めた。
「オレはもっと可愛いオンナがいっす」
 わけわかんない魔女みたいなの、隣に居たら眠れねえ。
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