『闇を見る眼』

segakiyui

文字の大きさ
上 下
141 / 259
第3章

53

しおりを挟む
 夕飯は食べていくでしょ、カレーにでもしようか。
 ついに美並の実家を訪れたものの、すぐに出ていった真崎と父親を見送っていた美並に、母親が声をかけてきた。
「…うん」
「すぐ戻ってくるから、か」
「なに?」
「ううん」
 母親は真崎のことばを繰り返し、そっと小さな溜め息をついた。
「形だけだわねえ」
「え?」
「結婚の許しをもらいにきた、って」
 苦笑しながらダイニングキッチンに戻って、椅子の背にかけていたエプロンを首にかける。
「形だけって……いいかげんってこと?」
「そうじゃなくって」
 尋ねる美並に、母親は洗いものの手を止めた。
「もうすっかり二人で暮らしていくつもりなんだなあって」
「……」
「お前と一緒に居るのが普通で当たり前のことなんだねえ、あの人にとっては」
「あ…」
 そうか。
 ふいに気付いて美並は顔が熱くなった。
 すぐ戻ってくる。だから心配しないで待ってなさい。
 真崎のことばはきっとそう続いている。
 僕はちゃんと君のところに戻ってくる、君の場所が僕の場所。
 ことばにされないけれど、当たり前のように示された約束。
「それをお前もあの人も意識してないんだねえ」
 きっとまだ確かめあってはいないのだろうけど、それはもう暗黙の了解、考えるまでもなく必然なこと、お前達はそう考えてるんだ、と母親は穏やかに説明する。
「明はまだ七海ちゃんにおいで、とか、行くから、とか話してるよ」
 それはまだ二人の場所が離れているという意味。
「……そうか」
 だからいつかドレスを見立てたとき、七海があれほど美並との距離を気にしたのか。
 することはして、もうすぐ結婚、そこまで話が進んでいても、熱が出た七海に無体をしかけたり、真崎をさっさと迎え入れようとしたのは、明なりの焦り。
「だから、あの人……京介さん、も玄関で済む、と言ったんだねえ」
 じゃがいもの皮を剥きながら、母親はくすぐったそうに笑う。
「形だけだってわかってるんだよ」
 でもその形を通そうとしてくれたのは、きっとおとうさんのことを考えてくれたんだね。
 京介さん、と柔らかく呼ばれた名前に、何だか無性にほっとした。
 家族というものに傷つけられることしか知らなかった真崎に、かなり遠くからではあるけど、優しい囲いができた気がする。また万が一真崎が壊れて飛び散りかけて、最悪美並が側に居ることができなくても、この遠い囲みが真崎の崩壊を守ってくれそうな気がする。
 初めて感じる柔らかな安堵。
 そうか。
 家族って、そういうものでもあるんだ。
 守るものだけじゃなく、支えるだけじゃなく、自分がどうしても足りなくて包みきれないところを、そっと静かに掌を添えてくれるような。
 真崎を得ることで、ようやく気付いた一つの形。
「おとうさんが反対しても、私がためらっても」
 母親は人参をゆっくり切りながらことばを継ぐ。
 京介さんは平然とお前と暮らし始めるつもりなんだ。
 嬉しそうな誇らしそうなその声は、今まで聞いたことがない。
「……ありがたいね…」
「おかあさん……」
 ふいに母親が俯いて涙声になって戸惑った。
「血も繋がってないのに、これほどお前と居ることを望んでもらえるなんて」
 きしるような呟きに、美並もことばを失う。
 不思議な子、おかしな子、何か奇妙なものを見ている子。
 気味悪がられた娘をどれほどの思いでじっと抱えてくれようとしたのか、それが溢れるように感じられて、思わず胸が詰まる。
 ごめんね、ずっと。
 でも、ありがとう、今まで。
 手にしたタマネギの皮を急いで剥き始める美並に、母親が小さく笑った。
「大事にしてるんだね」
「うん」
「京介さんを見ればわかるよ」
 あの人がお前をどれほど支えにしているか。
「そう、かな」
 そうだといいな。
 自分でも幼い口調になったのを美並は感じた。
 りっ、りりりっ。
 唐突に電話が鳴り、はっとする。
 明は七海の様子を見に行ったし、真崎も父親もまだ戻らない。
「出るね」
「お願い」
「はい、伊吹、です」
 いずれこの名前も変わるのだ、とふいに激しい気持ちになった次の一瞬、電話の向こうの声に固まった。
『あ…伊吹さん?』
 この声は。
『こちらにおられたんだ……おひさしぶりです』
「あの」
 沸き起こった不安に口を噤む。
『覚えておられないかな。有沢基継です。今年から向田署に戻ってきてるんです』
 記憶にあるより大人びて掠れた声は成熟を感じさせる。したたかな気配は変わらずだが、何より安定感のある話し方は桜木元子に似た経験の厚みを思わせた。
 その静かな、けれど人を圧倒する声で、
『あの事件のことを調べ直しているんですが』
 有沢は淡々と続けた、まるでそれが必然でもあるかのように。
 一度御会いできませんか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...