『BLUE RAIN』

segakiyui

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PASSION VALENTINE (番外編)

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 愛していると囁くのは平気だ。
 けれど、俺達の間にはいろいろなことがあったから、シーンに信じてもらえてないかもしれない。
 それが時々不安になる。
 俺の気持ちを伝えたい。
 シーンの気持ちを受け取りたい。
 朝の目玉焼きを作りながら、そんなことを思ってしまった。
「………」
「………珍しいな」
 焦げた目玉焼きをつつきながらシーンが笑う。
「火加減を間違えました」
「うまいぞ、これも」
「健康にはよくない気もしたんですが、でも」
 口ごもった俺の髪に軽くキスして、シーンが食べ終わった皿を片付けに立ち上がる。
「うまいって。安心しろ」
「はい」
 シーンは優しい。
 でも、それは本物なんだろうか。
 
「シーン」
 呼ばれて振り返ると、ファレルが難しい顔で一枚の封筒を差し出していた。
「なんだ?」
「さっさと見ろ、スープが戻ってくる」
「?」
 封筒は市販の白封筒、封はされていなくて中には一枚のカードが入っている。
 そこには端正な文字で『今宵はパッション・フラワーへ御招待』とあった。差出人の名前はない。
「パッション・フラワー?」
 それはこの界隈では『花火』を指すことばだ。
「こんな寒い季節に何の冗談……」
「女の子のDOLLが届けてきた」
「俺に?」
「わからん。だが署あてに『花火』っていうのはうさんくさすぎる」
「……ああ」
 眉をしかめてファレルの配慮に気づいた。
 警察がらみの『花火』なんてのは爆破予告か放火予告、いずれにせよ、打ち上がって、わーきれい、じゃすまされない。
 スープは片腕を自分で吹っ飛ばしている。しかも、記憶処理されているとはいえ、その前には四肢をサイコ野郎に撃ち飛ばされていて、確かに爆発がらみの事件に関わらせるにはまだ日が浅い。
「なるほど」
「封筒からは何も検出されていない」
「DOLLは」
「問題ない。28区に住む若夫婦の娘のコピーだ。事故で子どもを失ったんだが、旦那に問題ありで、もう子どもはできねえんだと」
「ふむ」
「どっかの公園で頼まれたんだろう。恥ずかしがりで、尋ねても首を振るばっかで応えなかったそうだ」
 DOLLの恥ずかしがり、か。もう一度あたってみるにも時間がない。
「幾つぐらい」
「4、5歳の設定だな。親がらみでは駄目だろうと保育所の帰りを狙ったんだが」
「保育所? それ、ひょっとして」
「何ですか?」
 唐突に背中からスープが声をかけてきて、ぎょっとした。
 ファレルに目配せして封筒を内ポケットに入れる。こんなものを見つけたら、自分も巡視して『花火』の可能性をあたると言いかねない。
「お、コーヒーか」
「おい」
 俺の分らしいコーヒーをファレルが先に受け取ってさっさと口をつけた。
「ちっ」
「俺のを渡しましょうか?」
 むっとしてファレルの側を離れる俺に、苦笑しながらスープが飲みかけていたコーヒーを差し出した。じろりと睨んで無視して歩くと、慌てて後からついてきて、部屋を出て廊下まで来る。
「シーン」
「………」
「大人気ないですよ、シーン」
「お前な」
「はい」
「今日が何の日だか知ってるか?」
「いえ」
「今日はな、バレンタインって言って、好きなやつにチョコレート渡す日なんだぞ?」
「はい」
 スープはきょとんとした顔で首を傾げる。
「チョコレートにもコーヒーにも同じ成分が入ってる」
「はい」
「ファレルに渡すやつがあるかよ」
「シーン」
 ぱあっとやつの顔が嬉しそうに綻んだ。
「嫉妬してくれてるんですね?」
「むかついてんだよ」
「壁殴っちゃだめです」
「どこならいいんだ」
「もっと甘いのあげますよ?」
 上目遣いにコーヒーを含む。俺をゆっくり壁に押しつける。
「さっさとよこせ」
 誘うと濡れた口を俺に重ねて、熱ぼったい舌と一緒にブラックコーヒーを流し込んできた。目を閉じ俺の舌を味わうやつを、薄目を開けて見つめる。
 何とかごまかせたような気がするんだが……無理かもな。

 きわどいキスすんな、勃っちまう、とぼやいて、シーンは薄赤くなりながらトイレの方へ消えた。始めはそんな気じゃなかったんだろうけど、何度も重ねているうちに、腰が微かに揺れだしていたから、結構煽られてきたんだろう。
 手にしたコーヒーの残りを飲みながら、奇妙なずれを再確認する。
 シーンはあんなことはしない。仕事中に自分から誘ったことなどない。俺がファレルの所に居たのがまずかったのか、いや、二人の話を聞き出そうとしたのを遮られたか。
 すぐに部屋に入る気になれなくて、戻ってこないシーンを廊下で待った。
 確かにシーンは俺を欲してくれるし、重ねるたびに彼の身体が触れるだけで準備されていくのがわかるけど、それでもシーンは人間で、俺はDOLLでしかなくて。
 不安になるのはおかしいだろうか、いつかシーンが俺を見放すと。
「バレンタイン、か」
 飲み干したコーヒーの底を覗き込む。いつか溜まっていた茶色のシロップ。とけそこねた15本のブラウンシュガー。
 昼休みはもう少しある。通報も入っていない。28区の片隅に確かスウィートショップがあったはずだ。
 まだ戻ってこないシーンは少し気になるけれど、まあいいやとカップを戻して出かけようとした矢先、
「あの」
「はい?」
 いつの間に入り込んでいたのか、4、5歳の女の子のDOLLがにこにこ見上げていた。
「あれ、どうしたの?」
「あのね、さっき渡したお手紙間違いだったの、これ、どうぞ」
「お手紙?」
「シーン・キャラハンさんにどうぞ。今夜、お待ちしています」
「シーンに?」
 女の子は俺に白い封筒を渡した。差出人はロレイン・カーマイン。封がされていないのにどきりとして顔をあげると、走り去っていく女の子が玄関を駆け降り、一人の女性に飛びつくのが見えた。女の子を抱きとめて、にっこり笑って顔をあげる相手と目が会ってどきりとする。
 人間の、女性。
「誰……?」
 俺は知らない。シーンにあんな知り合いがいるとは知らない。手にした封筒が急に重く感じられる。
 女性が俺に気づいて軽く会釈した。ぎくしゃく会釈を返すと、温かそうな深い赤のスーツに包まれたバランスのいい体を翻して、女の子と立ち去っていく。
 呆然としていたせいか、手から封筒が滑り落ち、中からカードが覗いた。端正な女性の筆記体、『花火へようこそ。今夜お約束通りにお待ちしています。 ロレイン』。それから微かに甘いカカオの香り。
「バレン、タイン?」
「何だ、まだ居たのか」
「シーン」
 ぎくりとしてとっさに封筒をポケットにねじ込んでしまった。
「トイレ、長かったですね」
「誰のせいだ?」
「何なら続きをしましょうか、今夜にでも?」
「今夜は……駄目だ」
 どきん、と胸が大きく打った気がした。
「今夜は昔の知り合いと約束してる」
「そんなことは言ってなかったじゃないですか」
 みっともないとは思ったが、つい咎める口調になった。
「明日非番だろ。夜は長いぞ、何がっついてる」
 くすりと笑ったシーンが軽く唇を合わせてくれた。
「帰ってから、朝まででも付き合ってやるから」
「ほんとですね?」
 帰ってくれるんですよね、とは聞けずに笑ってみせた。
「覚悟してください」
「怖いな」
 シーンが肩を竦めて背中を向けるのに、ポケットの中の封筒を握り潰した。

 来てしまった。
 勤務が滞りなく終わって、シーンと家に戻って、それからシーンがいそいそと出かけていって。いつもと違うシャツにきれいに髭をそって、アイロンのかかったスーツに着替え直して出かけるのを見送って。しばらくじっと我慢していたのに。
「この封筒、渡さなきゃ」
 くしゃくしゃになった封筒を丁寧に伸ばした。俺もきちんとした格好に着替えて、調べておいたロレイン・カーマインの住所に出向く。
 皮肉なことに28区のスウィートショップの隣で、とりあえずはと買ったブラックチョコレートにリボンをかけてもらっていると、急に惨めな気分になった。
「なぜこんなことをしてるんだろう」
 こんなもの一つでシーンの何が引き止められるのだろう。
 シーンは人間で、やっぱり最後に魅かれるのは人間じゃないだろうか。最近は女性も大丈夫になってきたようだし、ロレインは上品な美しい人だった。シーンには似合いの相手かもしれない。
 店を出て、近くの路地に入り込む。
 隣の家には小さな庭があって、そこに面した温かな明りの点る窓に女の子と女性の影が動いている。
 それほど待つまでもなく、シーンが駆け込むようにやってきて、興奮した顔で家のベルを鳴らした。ドアが開き、女性が出迎え、わあ、とはしゃぐ声に女の子がしがみつく。シーンが女の子を抱きとめて揺らぎ、三人が笑い転げた。
「大丈夫だ、シーンは安全だ」
 だから俺の仕事なんてない。ここには俺の居場所なんてない。
 体の奥がずきずきと痛くなって、頭も痛くなって視界も曇ってきたから、システムエラーかも知れないと思った。帰ろうとして路地から出て、通りをとぼとぼと歩き出したとたん。
 ぱんっっ!
「っ!」
 背中で突然鋭い爆発音が響いた。爆弾? テロ? とっさに振り返ろうとしたのに、一瞬体が竦んだ。そこへ。
 ぱぱぱぱぱぱっっ!!
「う、わっ!」
 続けさまに閃光が走り爆発音が響いて思わず体を抱えた。竦みあがった手足に混乱して地面に転がりそうになる。手から離れたチョコレートの包みが跳ね飛んだのを追い切れない。
「…ープっ?!」
「っっ」
「おいっ、どうしたっ!」
 潤んだ視界をぎゅっと閉じて蹲った耳に、聞き慣れた声が響いて顔を上げた。
「どうしたっ、何で、お前、こんなとこにっ」
 俺を抱えるようにシーンが覗き込んでくる。心配そうな顔で俺を見つめていてくれる。
「シー……」
「もう一発いきまーす!」
 ほっとして呼びかけた俺の耳にきんきん通るはしゃいだ子供の声が弾けた。
「わ、やめろっ、ロレインっ!」
「は…? ロレイン……?」
 どぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱっっっっ!!!
「うわあああああああっっ」
 悲鳴を上げてシーンにすがりつく。
「やめろって言ってるだろうが、このぶち切れDOLLっっっっっ!」
 俺を抱えたシーンが雷のように吠えた。

「………ごめんなさーい」
「じゃあ、何ですか」
 女の子のDOLL、ロレイン・カーマインと、その母親ジュリー・カーマインを前に、俺は二人の家の居間に招かれて、温かなココアをごちそうになっていた。
「さっきのはニューイヤーに使い損ねた花火で」
「うん」
「その花火をぶっぱなして遊ぼうっていうのに警官立ち会いが必要だと言われ」
「ええ」
「それで花火をする日にシーンが付き合うことになっていた、と」
「まあな」
「………はぁ…」
「ほら、お前はまだ駄目だろうと思ったから」
 シーンがひきつった顔で弁解する。
「一言、話しておいてくれれば」
「いや、だからさ、お前……」
 ぼそぼそとシーンが気まずそうにつぶやく。
「絶対おかしなこと考えるだろうし」
「おかしなことって」
「いや、だからさ」
「おかしなことを考えるかもって考えるあたりがもう怪しいってことでもありますよね」
「スープ」
 シーンが溜め息まじりに唸ったが、俺が目を逸らせて取り合わないのに、いきなり椅子から立ち上がった。
「よし、わかった」
「え」
「俺はもう帰る」
「はい?」
「恋人以外のやつにチョコレートやったりもらったりするやつなんかをあてにしたのが間違いだった」
「はあ?」
「ココアにも同じ成分入ってるんだぞ」
「そんな」
 慌ててカップを置いて立ち上がると、机に置いていたチョコレートの地面に放り出されて変形した包みが転がり落ちた。
「こら、人の家のものを」
「違います」
「え?」
「それ、俺のです」
「何だよ」
 シーンが険しい顔になる。
「まじにどっかの女から受け取ってやがったのか」
「あなたに」
「は?」
「あなたに買ったんです」
「………」
「でも、もう要らないんですよね?」
「う」
「俺のなんて、受け取ってくれないんですよね?」
「………」
「どうせ俺はDOLLですもんね?」
「シーン」
 無言で睨み合う俺達にロレインがうんざりした声でつぶやいた。
「頼むから気力が萎えるようないちゃつき方しないでよぉ」

 ロレインは未来に期待しているそうだ。いつか素敵なDOLLの男性を捕まえて、自分の魅力で思いっきりでろでろにして、耐久年数ぎりぎりまで自分に仕えさせるのが夢だと言う。
 だから保育所への安全教育で出向いたシーンが、俺を恋人にしてると聞き齧って、どうやって『あんなの』をものにしたのか教えなさい、と言ったそうだ。
「お前、俺に『ものにされた』らしいぞ?」
 ベッドの上で息を喘がせながらシーンが笑う。
「ほんとは逆なんですけどね」
 俺はブラックチョコレートをくわえ、シーンの唇に押し込む。
「結構甘いな」
「糖度は?」
「……わからん………教えろ」
「わかりました」
 くすくす笑ってチョコに塗れた舌を絡ませていくと、シーンが掠れた声を上げて俺にしがみついてきた。
「…ープ……っ」
「何?」
「……が……広がる……っ」
「え?」
 甘い声が繰り返す。
 お前のから、俺の中に、熱い花火が広がってくる。
「あなたって人は」
 思わず身体が熱くなって、より深く舌を潜り込ませて抱き締める。
 俺のバレンタインはシーン一人で十分だ、と思った。
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