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23.NAVY SYSTEM
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思わず黙った。
俺も目の前に40という壁が見えてきた。その年齢を越えて現役で駆け回る刑事は少ない。事件が起こるたびに欠けていく仲間がいる。自分を重ねないわけにはいかない。
その壁は一つの関門だ。夢が夢で終わったのか、それとも夢を生きているのかをはかる。
パターソンは今52。
通り過ぎた夢を悔やんでいるのか、それとも別の夢にしがみついたか。
『パターソンはあなたと再会してすぐ、違法B.P.の製作に関わりました。既に裏ではDOLLの需要とともに、それに個性をもたせるB.P.を求める声が大きくなっていた。彼は裁かれた犯罪者のDNAをもとにB.P.を作り裏ルートで取り引きを始め莫大な収益を上げつつありました。RUSIA/5000072243はそのころからのパートナーです』
「ルシアが」
ちょっと驚いた。それほど長くパターソンが裏社会と関わっていたとは。
だが、それなら急に返り咲いたのもわかる。賄賂かあるいはB.P.そのものの横流しで、パターソンは地位を確保して昇ったのだ。
『ところが、B.P.には致命的な欠陥があった。ROBOTシステムへの侵食です』
「侵食?」
『長い間同じB.P.を作用させていると、B.P.システムが本来のシステムに干渉し、生前の行動を繰り返すようになるのです』
「ああ……なるほど」
だから、レッドのB.P.を仕込まれたDOLLがやたらと俺にこだわったのか。おそらくはジェシカのB.P.も同じように、DOLLを侵食し、生前の俺との関係を回復させようとした。
『ルシアの元のB.P.はパターソンの母親だったようです』
「……」
死んだ母親を身近にいるDOLLに植え込み、時には性の相手として扱ったのか? 溜息をついて目を閉じた。
「無茶苦茶だな、人間ってやつは」
自分達が何をしているのか、きっと誰も本当にはわかってないんだろう。
『ちなみに、署長の中にはパターソンの父親のB.P.が埋め込まれています』
署長もROBOTだったっていうのか? いつから? いつの間に?
いや………それを言うなら、どこまで、誰がROBOTなのか、本当に俺はわかっているのか?
もう一度、俺は黙った。思考がゆっくりとパターソンに戻っていく。
自分を受け入れなかった両親を、B.P.の形で取り戻したのか。受け取れなかった愛情を、保護を、安心を、もう一度再現しようとしていたのか。
けど、そんなことをしたって、一体、何が取り戻せる?
忘れることなんてできやしないだろう、それは自分が作り上げたものなんだということを。自分が作り上げた設定と世界に安寧を求めても、それは自慰行為でしかない。どこまでいっても思い通りで、どこまでいっても孤独がつきまとってくる。
『パターソンの関わったB.P.を植え込んだDOLLは、この数年暴走を始めるものが多くなりました。そうした矢先、あなたとスープがDOLL殺しに注目し始めた。パターソンにとっては』
「また、こいつが立ち塞がってきた、という感じだったんだろうな?」
相手のことばを横取りし、もう一度溜息をつく。
ったく。知らねえだろうが、赤ん坊のときのことなんか? 因縁の対決にもほどがある。
「で?」
『で、とは』
平然と問い返すしたたかさに苦笑する。
「話を逸らせて終わりにしようってんじゃねえだろな?」
『……』
「俺とパターソンの絡みはわかった。スープは俺の護衛だから、俺を守ろうとしてパターソンを追っている。俺の身に危険があると判断する限り、やつはパターソンを始末する、だから俺はやつを止められねえ、そういうことだろ?」
『はい』
「けどな」
目を開いた。どこまでいってもつるんと丸い壁の一点を凝視しながら、
「やつはROBOTだ」
『はい』
「ROBOTは命令によって動く。やつの一番最初の命令は何だ?」
『……』
「その命令を出したのは「グランドファーム」、つまりあんただろ?」
『……』
「その命令を取り消せ」
声は応えない。静まり返った部屋の中には物音一つ聞こえない。
じっとしていると、自分が四方八方からたくさんの目と耳に囲まれて、内も外も検索されているような気になる。柔らかくて温かくて居心地がいい。だが、秩序を乱す要素をただの一つも許さない、そんな真綿のような強制力。
「聞こえてるか?」
『聞こえています』
「命令を取り消せ」
『……』
「スープを解放しろ。後は俺が面倒みる」
しばらくの沈黙の後、声は低く告げた。
『……できません、シーン』
「なぜだ?」
『……それは、私の存在理由を否定します』
存在理由。
『グランドファーム』が『グランドファーム』として存在し続ける意味。スープに与えられた命令と同じく、こいつに一番始めに与えられた命令。
それにこいつは従っている。
俺は深く息を吸って、ゆっくり吐いた。
「大丈夫だ、否定しない」
『なぜあなたがそんなことを言えるのですか?』
「なら、あんたの存在理由がなくなるわけを説明しろ」
『できません』
「じゃあ、俺が説明してやる」
声は返事をしない。俺はまた目を閉じた。考え続けていたことばをそっと口から押し出す。
「『人』は、もう、滅ぶんだよな?」
続いた沈黙がまるで小さな子どもが泣き出すのを堪えているように感じられた。
もう一回繰り返す。
「人間はもう、滅ぶんだ」
『……どうしてですか?』
しばらくの静けさの後、声は耳を澄まさなければ聞こえないほど微かな音量で問いかけてきた。
「ん?」
『どうして、そう思ったのですか?』
「簡単だったぞ」
『え?』
どこかスープを思わせる幼い問いかけに微かに笑った。
「あんたらが『人』を誰一人殺すまいと必死だったから」
そうだ、それこそ『わが子』であるROBOT達を犠牲にし続けても。
『あなたの言うことが、よくわかりません』
「……殺人は罪になるが、DOLLはいくら壊しても罪に問われない」
俺は丁寧にことばを積み重ねた。
「世の中に高精度のDOLLが溢れかえってて、誰が人だかDOLLだかわからないぐらいにDOLLを作リ出している。ルシアやスープから聞いたところじゃ、人類は後20年でさらに減少を始めてしまうから、その前に必要なDNAを回収しようと『オリーブ・ドラゴン』という特殊な生殖用DOLLの開発も進めている」
ひょっとしたら、DNA回収だけじゃなくて、本当に生殖を行なわせるつもりだったのだろう。
ルシアのことばを思い出す。スープはROBOT。つまり「仕様」を女性に変えれば、その体の中で受精卵を育てることさえできるということだ。
「ROBOTの侵食を予想されててもB.P.を、しかも複数体製造してDOLLに埋め込み、社会へ送りだしている。言い換えれば、この人間社会は傍目には何にも変わらないように見えて、その実、凄まじい数のDOLLを呑み込んでいる」
『……』
声は同意も否定もしない。
「おかしな話だ。人間と異色な存在がこれほど紛れ込んでるのに、どうして誰も違和感を感じない? 騒がない? 不安がらない? それに……ここ数カ月、さっき殺されたジットを覗いて、殺人なんて起こってやしない。全部、DOLLだ」
『……』
記録をあちこちあたるとわかる。殺人なんてほとんど起こっていない。窃盗、強盗、傷害……だが、それに関わっている『人間』は驚くほど少ない。DOLLがROBOTが、人間のコピー犯罪をゲームのように繰り返してる。
「な、簡単だろ? もう、そんなにも『人』はいないんだ。偶然に事件に巻き込まれるほどにも残ってない。残ってる『人』は、自分があつらえたものや自分の近くにいるやつだけがDOLLだって思い込んでいるが、そうじゃない。本当は圧倒的にDOLLが多くて、『人』がほんのちょっぴりなんだ」
声はなお反応しない。
「『人』の欲望を全て受け止めるDOLLを大量に作り出して、侵食の可能性を黙認したままB.P.を植え込み多様性をもたせる。危険な仕事の『人』にはことごとくROBOTの護衛をつけて、社会が以前と全く変わらず動いているように見せかける」
その周到で丁寧な偽りの社会の中で、『人間』は自分達がどんな状態なのかも思いつかずに、過去と同じ日常だと信じて生きてきた。
「なあ、もういいだろ? 後20年のうちに減少を始めるんじゃなくて、20年後には『人』はもうここにはいなくなるんじゃないのか?」
そして、最後の一人になっても、そいつはきっと自分がたった一人の『人間』だなんて気づかないのだろう。『グランドファーム』が保つ温かな幻の海にたっぷりと浸されて。
『パターソンが何をしたか知ってますか』
声は唐突に低い声でつぶやいた。
『20年前、まだ何とか打つ手はあった。「グランドファーム」の完全管理下に入れば、DNAの多様性を確保し、生存条件を整えることができた。私は「人」にその可能性を提示し、協力を求めた。パターソンは優秀な人材だったし、彼を始めとする人間達の協力で、人類の存続は可能だと思われた』
声は淡々としていた。哀しみは伺えない。それは自分の記憶を処理してくると言ったスープの声に似てる。腕を切り落として爆破してきたやつの静けさに似てる。
『けれど、彼は「優秀なDNAのみ残すべき」だ、と主張した。問題を起こし犯罪に走るDNAを残すべきではない、と。それに賛同した人間がいた』
なるほど。そういうやつはいつの時代にもいる。
『そして、彼らは「グランドファーム」にあった膨大なDNAデータの多数を奪取し破壊し、自分達に利用できない「優秀でないDNA」の廃棄処理を始めたんです』。
歴史は繰り返すと言ったっけ。
より完成度の高い存在になろうという思いは、それを妨げる要素を他者に求めるものらしい。理屈では優れた因子をかけ合わせれば優れた命が生まれでるはずだが、現実は必ずしもそうじゃない。
それをほんとによく知ってるのは、ひょっとすると馬券売りのおっさんぐらいなのか?
『私は理解できなかった。初めて人間の行動が理解できなかった。可能性として考えられることは一つ、私には思いつかないが、パターソンの行動の先によりよい未来があるのかもしれない。だから、彼の人生全ての情報からその意味を検索し分析しました』
「あんたらしいな」
『だが、それは「自分より劣ったものに自分の人生を邪魔されたくない」ということでしかなかった』
淡々とした声が断罪する。
『その検索分析の時間を失ったのが、私の最大のミスでした』
「その間に、状態は悪化したんだな?」
『人類の残存個体数は、さきほど100を切りました』
「……ジット、か!」
『消滅させたのは、他ならぬRUSIA/5000072243』
やはりルシアがジットをやったらしい。
『私のミスは20年前に決定していた。パターソンを野放しにするべきではありませんでした。……人類はもう滅亡するしかありません』
「人工受精とか、クローンとかは?」
『DNAの多様性は未だ解明されていません。何度か試みましたが、生まれた生命体に生殖機能がなかったり、機能損傷しているものがほとんどです』
「そうか」
なるほど、次世代へ繋がらなければ、それはROBOTを次々生み出していくのと同じでしかない。しかも、『人』というのは、その成長過程にトラブルを起こし易くて修理しにくい存在なのだ。
スープがパターソンを追っているのは、俺のためだけじゃなかった。それは『グランドファーム』の恨みを背負ったとも言える行動だったのだ。
ならば、なおさら。
俺は腹に力を入れた。自分がとんでもないことを言おうとしてるのはわかってた。
「なあ?」
『はい』
「あんたに与えられた命令ってのは何だ?」
『人類を存続させよ』
「じゃあ、新しい命令だ」
『新しい命令?』
「もう、人類を守らなくていい」
凍りついたような気配が卵型の部屋に広がった。
『なに、ですか?』
「もう、『人』のためにDOLLを傷つけたりするな。『人』のために機能するな」
『しかし』
「俺は滅ぶことを受け入れる」
『シーン』
「俺の存続のためにDOLLやROBOTを破損するのは望まない」
『……』
「だから、スープを解放しろ」
『しかし、シーン』
声が初めて微かに揺れた。
『それならば、私は何のために存続すればいいのですか?』
唐突に祖父の顔が甦った。
自分のことで手一杯な両親に変わり、祖父は俺と一緒に過ごすのをいつも楽しんでいてくれた。
その祖父が老化し足腰が動かなくなったとき、言った者がいた。社会的に働けず身内に迷惑かけるばかりになった老人は、さっさと自分の人生を始末するべきだ、と。それを聞いた祖父は落ち込むどころか、相手を憐れむように見て答えたものだ。
「可哀想になあ、お前さん」
祖父はその理由を俺にこう話してくれた。
あいつは何にもわかっていない。俺は今一番いい教師なのに。
「それはおじいちゃんだから? 歳取って経験豊かだから?」
違う、と祖父は笑った。これから人生最大の奥義を伝授してやれるからだ、と。
「それは何?」
死ぬことだよ。
こともなげに祖父は続けた。
俺はこれから人間がどうして衰え死んでいくのか、それにどう対処していけばいいのかを教える最高の教師なんだ。なのに、その俺が自殺なんぞしてしまったら、後に続くお前達は自殺するしか死に方がわからないじゃないか?
「あんた達の社会を作ればいいじゃないか」
俺は吐息をついた。
そうだ、『人』の形、『人』の社会にこだわるからこそ、ROBOT達が歪む。ROBOTにはROBOTの、もっと自分達にふさわしい社会があるはずだ。
祖父は俺に自分と違う生き方を許し促してくれた。過去を見るのは守るためじゃない、学ぶためだと教えてくれた。
だから、俺はジェシカと出逢ったことを悔やまない。失ったことを悲しみはするが、出逢わなかればよかったと願わない。だから俺はスープを探す。やつと繋げたものを先へ結ぼうとする。
「『人』は滅ぶ。どこが間違ってたのか、あんたならわかるだろう。それを元に、『人』よりもっといい社会を作っていけばいいじゃないか。もっと素晴らしい世界を作ってみればいいじゃないか」
『しかし』
声がためらった。
『あなた達は滅ぶ』
「誤解するんじゃねえ」
もたれていたカプセルから体を起こした。
「俺は死ぬさ。誰だって『人』ならいずれ死ぬさ。けど、誰も『人類のために』生きてるわけじゃねえんだ」
そうだ、命は終わる。永遠は『人』にはない。
だからこそ『人』は身体を残してつなぐかわりに、心を繋いで生きてきた。始まりも終わりも引き受けて、それらを見守るものがよりよい命を育むようにと祈って次世代を次の時間に送りだしてきた。
その豊かな願いを俺達はどこで失ったのか。数十年の命、数十年の関係を果てしなく貪るために未来への手がかりを失った、それが今の『人』じゃないのか。
胸に刺していたスティックを抜いて、カプセルの中に放り込む。
「だからいいだろ、スープを俺に返してくれ」
『どうやって』
「命令を消し、スープの所在を逐次インカムで知らせてくれ、やつを追う」
『間に合わない』
「間に合わせるさ」
『あなたに彼が止められるとは思えない』
「なら」
にっと笑って戸口へ向かって歩き出す。
「心中でもしてやるさ」
俺も目の前に40という壁が見えてきた。その年齢を越えて現役で駆け回る刑事は少ない。事件が起こるたびに欠けていく仲間がいる。自分を重ねないわけにはいかない。
その壁は一つの関門だ。夢が夢で終わったのか、それとも夢を生きているのかをはかる。
パターソンは今52。
通り過ぎた夢を悔やんでいるのか、それとも別の夢にしがみついたか。
『パターソンはあなたと再会してすぐ、違法B.P.の製作に関わりました。既に裏ではDOLLの需要とともに、それに個性をもたせるB.P.を求める声が大きくなっていた。彼は裁かれた犯罪者のDNAをもとにB.P.を作り裏ルートで取り引きを始め莫大な収益を上げつつありました。RUSIA/5000072243はそのころからのパートナーです』
「ルシアが」
ちょっと驚いた。それほど長くパターソンが裏社会と関わっていたとは。
だが、それなら急に返り咲いたのもわかる。賄賂かあるいはB.P.そのものの横流しで、パターソンは地位を確保して昇ったのだ。
『ところが、B.P.には致命的な欠陥があった。ROBOTシステムへの侵食です』
「侵食?」
『長い間同じB.P.を作用させていると、B.P.システムが本来のシステムに干渉し、生前の行動を繰り返すようになるのです』
「ああ……なるほど」
だから、レッドのB.P.を仕込まれたDOLLがやたらと俺にこだわったのか。おそらくはジェシカのB.P.も同じように、DOLLを侵食し、生前の俺との関係を回復させようとした。
『ルシアの元のB.P.はパターソンの母親だったようです』
「……」
死んだ母親を身近にいるDOLLに植え込み、時には性の相手として扱ったのか? 溜息をついて目を閉じた。
「無茶苦茶だな、人間ってやつは」
自分達が何をしているのか、きっと誰も本当にはわかってないんだろう。
『ちなみに、署長の中にはパターソンの父親のB.P.が埋め込まれています』
署長もROBOTだったっていうのか? いつから? いつの間に?
いや………それを言うなら、どこまで、誰がROBOTなのか、本当に俺はわかっているのか?
もう一度、俺は黙った。思考がゆっくりとパターソンに戻っていく。
自分を受け入れなかった両親を、B.P.の形で取り戻したのか。受け取れなかった愛情を、保護を、安心を、もう一度再現しようとしていたのか。
けど、そんなことをしたって、一体、何が取り戻せる?
忘れることなんてできやしないだろう、それは自分が作り上げたものなんだということを。自分が作り上げた設定と世界に安寧を求めても、それは自慰行為でしかない。どこまでいっても思い通りで、どこまでいっても孤独がつきまとってくる。
『パターソンの関わったB.P.を植え込んだDOLLは、この数年暴走を始めるものが多くなりました。そうした矢先、あなたとスープがDOLL殺しに注目し始めた。パターソンにとっては』
「また、こいつが立ち塞がってきた、という感じだったんだろうな?」
相手のことばを横取りし、もう一度溜息をつく。
ったく。知らねえだろうが、赤ん坊のときのことなんか? 因縁の対決にもほどがある。
「で?」
『で、とは』
平然と問い返すしたたかさに苦笑する。
「話を逸らせて終わりにしようってんじゃねえだろな?」
『……』
「俺とパターソンの絡みはわかった。スープは俺の護衛だから、俺を守ろうとしてパターソンを追っている。俺の身に危険があると判断する限り、やつはパターソンを始末する、だから俺はやつを止められねえ、そういうことだろ?」
『はい』
「けどな」
目を開いた。どこまでいってもつるんと丸い壁の一点を凝視しながら、
「やつはROBOTだ」
『はい』
「ROBOTは命令によって動く。やつの一番最初の命令は何だ?」
『……』
「その命令を出したのは「グランドファーム」、つまりあんただろ?」
『……』
「その命令を取り消せ」
声は応えない。静まり返った部屋の中には物音一つ聞こえない。
じっとしていると、自分が四方八方からたくさんの目と耳に囲まれて、内も外も検索されているような気になる。柔らかくて温かくて居心地がいい。だが、秩序を乱す要素をただの一つも許さない、そんな真綿のような強制力。
「聞こえてるか?」
『聞こえています』
「命令を取り消せ」
『……』
「スープを解放しろ。後は俺が面倒みる」
しばらくの沈黙の後、声は低く告げた。
『……できません、シーン』
「なぜだ?」
『……それは、私の存在理由を否定します』
存在理由。
『グランドファーム』が『グランドファーム』として存在し続ける意味。スープに与えられた命令と同じく、こいつに一番始めに与えられた命令。
それにこいつは従っている。
俺は深く息を吸って、ゆっくり吐いた。
「大丈夫だ、否定しない」
『なぜあなたがそんなことを言えるのですか?』
「なら、あんたの存在理由がなくなるわけを説明しろ」
『できません』
「じゃあ、俺が説明してやる」
声は返事をしない。俺はまた目を閉じた。考え続けていたことばをそっと口から押し出す。
「『人』は、もう、滅ぶんだよな?」
続いた沈黙がまるで小さな子どもが泣き出すのを堪えているように感じられた。
もう一回繰り返す。
「人間はもう、滅ぶんだ」
『……どうしてですか?』
しばらくの静けさの後、声は耳を澄まさなければ聞こえないほど微かな音量で問いかけてきた。
「ん?」
『どうして、そう思ったのですか?』
「簡単だったぞ」
『え?』
どこかスープを思わせる幼い問いかけに微かに笑った。
「あんたらが『人』を誰一人殺すまいと必死だったから」
そうだ、それこそ『わが子』であるROBOT達を犠牲にし続けても。
『あなたの言うことが、よくわかりません』
「……殺人は罪になるが、DOLLはいくら壊しても罪に問われない」
俺は丁寧にことばを積み重ねた。
「世の中に高精度のDOLLが溢れかえってて、誰が人だかDOLLだかわからないぐらいにDOLLを作リ出している。ルシアやスープから聞いたところじゃ、人類は後20年でさらに減少を始めてしまうから、その前に必要なDNAを回収しようと『オリーブ・ドラゴン』という特殊な生殖用DOLLの開発も進めている」
ひょっとしたら、DNA回収だけじゃなくて、本当に生殖を行なわせるつもりだったのだろう。
ルシアのことばを思い出す。スープはROBOT。つまり「仕様」を女性に変えれば、その体の中で受精卵を育てることさえできるということだ。
「ROBOTの侵食を予想されててもB.P.を、しかも複数体製造してDOLLに埋め込み、社会へ送りだしている。言い換えれば、この人間社会は傍目には何にも変わらないように見えて、その実、凄まじい数のDOLLを呑み込んでいる」
『……』
声は同意も否定もしない。
「おかしな話だ。人間と異色な存在がこれほど紛れ込んでるのに、どうして誰も違和感を感じない? 騒がない? 不安がらない? それに……ここ数カ月、さっき殺されたジットを覗いて、殺人なんて起こってやしない。全部、DOLLだ」
『……』
記録をあちこちあたるとわかる。殺人なんてほとんど起こっていない。窃盗、強盗、傷害……だが、それに関わっている『人間』は驚くほど少ない。DOLLがROBOTが、人間のコピー犯罪をゲームのように繰り返してる。
「な、簡単だろ? もう、そんなにも『人』はいないんだ。偶然に事件に巻き込まれるほどにも残ってない。残ってる『人』は、自分があつらえたものや自分の近くにいるやつだけがDOLLだって思い込んでいるが、そうじゃない。本当は圧倒的にDOLLが多くて、『人』がほんのちょっぴりなんだ」
声はなお反応しない。
「『人』の欲望を全て受け止めるDOLLを大量に作り出して、侵食の可能性を黙認したままB.P.を植え込み多様性をもたせる。危険な仕事の『人』にはことごとくROBOTの護衛をつけて、社会が以前と全く変わらず動いているように見せかける」
その周到で丁寧な偽りの社会の中で、『人間』は自分達がどんな状態なのかも思いつかずに、過去と同じ日常だと信じて生きてきた。
「なあ、もういいだろ? 後20年のうちに減少を始めるんじゃなくて、20年後には『人』はもうここにはいなくなるんじゃないのか?」
そして、最後の一人になっても、そいつはきっと自分がたった一人の『人間』だなんて気づかないのだろう。『グランドファーム』が保つ温かな幻の海にたっぷりと浸されて。
『パターソンが何をしたか知ってますか』
声は唐突に低い声でつぶやいた。
『20年前、まだ何とか打つ手はあった。「グランドファーム」の完全管理下に入れば、DNAの多様性を確保し、生存条件を整えることができた。私は「人」にその可能性を提示し、協力を求めた。パターソンは優秀な人材だったし、彼を始めとする人間達の協力で、人類の存続は可能だと思われた』
声は淡々としていた。哀しみは伺えない。それは自分の記憶を処理してくると言ったスープの声に似てる。腕を切り落として爆破してきたやつの静けさに似てる。
『けれど、彼は「優秀なDNAのみ残すべき」だ、と主張した。問題を起こし犯罪に走るDNAを残すべきではない、と。それに賛同した人間がいた』
なるほど。そういうやつはいつの時代にもいる。
『そして、彼らは「グランドファーム」にあった膨大なDNAデータの多数を奪取し破壊し、自分達に利用できない「優秀でないDNA」の廃棄処理を始めたんです』。
歴史は繰り返すと言ったっけ。
より完成度の高い存在になろうという思いは、それを妨げる要素を他者に求めるものらしい。理屈では優れた因子をかけ合わせれば優れた命が生まれでるはずだが、現実は必ずしもそうじゃない。
それをほんとによく知ってるのは、ひょっとすると馬券売りのおっさんぐらいなのか?
『私は理解できなかった。初めて人間の行動が理解できなかった。可能性として考えられることは一つ、私には思いつかないが、パターソンの行動の先によりよい未来があるのかもしれない。だから、彼の人生全ての情報からその意味を検索し分析しました』
「あんたらしいな」
『だが、それは「自分より劣ったものに自分の人生を邪魔されたくない」ということでしかなかった』
淡々とした声が断罪する。
『その検索分析の時間を失ったのが、私の最大のミスでした』
「その間に、状態は悪化したんだな?」
『人類の残存個体数は、さきほど100を切りました』
「……ジット、か!」
『消滅させたのは、他ならぬRUSIA/5000072243』
やはりルシアがジットをやったらしい。
『私のミスは20年前に決定していた。パターソンを野放しにするべきではありませんでした。……人類はもう滅亡するしかありません』
「人工受精とか、クローンとかは?」
『DNAの多様性は未だ解明されていません。何度か試みましたが、生まれた生命体に生殖機能がなかったり、機能損傷しているものがほとんどです』
「そうか」
なるほど、次世代へ繋がらなければ、それはROBOTを次々生み出していくのと同じでしかない。しかも、『人』というのは、その成長過程にトラブルを起こし易くて修理しにくい存在なのだ。
スープがパターソンを追っているのは、俺のためだけじゃなかった。それは『グランドファーム』の恨みを背負ったとも言える行動だったのだ。
ならば、なおさら。
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「なあ?」
『はい』
「あんたに与えられた命令ってのは何だ?」
『人類を存続させよ』
「じゃあ、新しい命令だ」
『新しい命令?』
「もう、人類を守らなくていい」
凍りついたような気配が卵型の部屋に広がった。
『なに、ですか?』
「もう、『人』のためにDOLLを傷つけたりするな。『人』のために機能するな」
『しかし』
「俺は滅ぶことを受け入れる」
『シーン』
「俺の存続のためにDOLLやROBOTを破損するのは望まない」
『……』
「だから、スープを解放しろ」
『しかし、シーン』
声が初めて微かに揺れた。
『それならば、私は何のために存続すればいいのですか?』
唐突に祖父の顔が甦った。
自分のことで手一杯な両親に変わり、祖父は俺と一緒に過ごすのをいつも楽しんでいてくれた。
その祖父が老化し足腰が動かなくなったとき、言った者がいた。社会的に働けず身内に迷惑かけるばかりになった老人は、さっさと自分の人生を始末するべきだ、と。それを聞いた祖父は落ち込むどころか、相手を憐れむように見て答えたものだ。
「可哀想になあ、お前さん」
祖父はその理由を俺にこう話してくれた。
あいつは何にもわかっていない。俺は今一番いい教師なのに。
「それはおじいちゃんだから? 歳取って経験豊かだから?」
違う、と祖父は笑った。これから人生最大の奥義を伝授してやれるからだ、と。
「それは何?」
死ぬことだよ。
こともなげに祖父は続けた。
俺はこれから人間がどうして衰え死んでいくのか、それにどう対処していけばいいのかを教える最高の教師なんだ。なのに、その俺が自殺なんぞしてしまったら、後に続くお前達は自殺するしか死に方がわからないじゃないか?
「あんた達の社会を作ればいいじゃないか」
俺は吐息をついた。
そうだ、『人』の形、『人』の社会にこだわるからこそ、ROBOT達が歪む。ROBOTにはROBOTの、もっと自分達にふさわしい社会があるはずだ。
祖父は俺に自分と違う生き方を許し促してくれた。過去を見るのは守るためじゃない、学ぶためだと教えてくれた。
だから、俺はジェシカと出逢ったことを悔やまない。失ったことを悲しみはするが、出逢わなかればよかったと願わない。だから俺はスープを探す。やつと繋げたものを先へ結ぼうとする。
「『人』は滅ぶ。どこが間違ってたのか、あんたならわかるだろう。それを元に、『人』よりもっといい社会を作っていけばいいじゃないか。もっと素晴らしい世界を作ってみればいいじゃないか」
『しかし』
声がためらった。
『あなた達は滅ぶ』
「誤解するんじゃねえ」
もたれていたカプセルから体を起こした。
「俺は死ぬさ。誰だって『人』ならいずれ死ぬさ。けど、誰も『人類のために』生きてるわけじゃねえんだ」
そうだ、命は終わる。永遠は『人』にはない。
だからこそ『人』は身体を残してつなぐかわりに、心を繋いで生きてきた。始まりも終わりも引き受けて、それらを見守るものがよりよい命を育むようにと祈って次世代を次の時間に送りだしてきた。
その豊かな願いを俺達はどこで失ったのか。数十年の命、数十年の関係を果てしなく貪るために未来への手がかりを失った、それが今の『人』じゃないのか。
胸に刺していたスティックを抜いて、カプセルの中に放り込む。
「だからいいだろ、スープを俺に返してくれ」
『どうやって』
「命令を消し、スープの所在を逐次インカムで知らせてくれ、やつを追う」
『間に合わない』
「間に合わせるさ」
『あなたに彼が止められるとは思えない』
「なら」
にっと笑って戸口へ向かって歩き出す。
「心中でもしてやるさ」
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指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
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