『BLUE RAIN』

segakiyui

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14.PURPLE SHADE

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「痴話喧嘩ですって」
「お前のせいだろ」
「あなたがおかしなことを言うからです」
「俺は何も」
「はい?」
 運転しながらちろりと横目で見られて口をつぐんだ。
「何か反論でも?」
「なんでもねえ」
「反論しないんですか?」
「させてくれんのかよ?」
「じゃあ、やっぱりしたんですね」
「は?」
 ブレーキをかけて路肩に車を止め、やつは俺を見た。
「どんなキス?」
「だから」
「こんな?」
「ん」
 軽く唇を触れてくる。
「ま、そ…っん」
 続いてもう少し深くされて慌てて相手を押し返した。
「待てよ」
「何ですか?」
「何ですかじゃねえだろ」
 昼間っから何考えてやがんだ、と続けると妙な顔になった。
「夜ならいいんですか?」
「あ?」
「夜ならもっと続けていいんですか?」
「お前」
「あなたは何時から夜になるんですか?」
「スープ!」
「はい」
「お前、頭煮えてるぞ?」
 あまりな言い種に思わず突っ込むと、やつは固まった。ふいに自分が何をやっているのかに気づいた。そんな顔で瞬きする。
「大丈夫か?」
「だい、じょうぶです」
「ほんとに?」
「はい、すみません」
「どうしたんだよ、一体」
「何でも、ないです」
 それが何でもないってやつの顔か? 心ここにあらずという表情でハンドルを握り直すやつの顔を盗み見る。
 どうも先日の『グランドファーム』のトータル・チェックから帰ってから様子がおかしい。人間ならば、どっかいっちまってる、という感じだ。
「システムエラーか?」
「!」
 びく、と露骨に体を震わせて、スープは俺を見た。
「違います」
「そうか?」
「はい」
「ならいいが」
「御心配かけてすみません」
 ほら、それだ、とまた突っ込みたくなる。やたらと他人行儀、そのくせさっきのような話題には全身でぴりぴりして反応してくる。
「まずどちらへ向かいますか?」
「32区からかな。所在は?」
「確認できます」
 スープは一瞬目を中空へ投げた。
「今のところは問題ありません」
 ああ、ひょっとして、と思った。シンパシーシステムっていうのは、心の一部を他のB.P.と重ねることなのかもしれない。ならば、スープがここにいなくなっているような感じもわかる。

 32区のジェシカB.P.を仕込まれたDOLLというのは、外見上70歳近くに見える老婆だった。
 物陰から、小さな家の庭でのんびりとお茶を楽しむ夫婦を確認する。
「夫が退職金で誂えたそうです」
「ふうん」
「妻は退職数カ月前に亡くなりました」
「死因は?」
「交通事故」
「惨いな」
「仲の良い夫婦で、退職後世界旅行に出る予定でした」
「それで?」
「夫は旅行をキャンセルし、全額注ぎ込んでDOLLを注文したようです」
 老夫婦はどこにでもいる二人の老人のように見える。長年連れ添ってきて、今人生の終焉を二人でゆっくりと過ごしている、ごく当たり前の夫婦に。
「行くぞ」
「はい」
 老婆の笑顔にジェシカの癖を見て取った。少し鼻に皺を寄せてから笑う、悪戯っぽい笑顔。
 夫はもう80を越えているだろう。時の止まった妻の前で、夫はゆっくり老いていく。夫の死亡後、妻のDOLLは指示がない限り『グランドファーム』に回収される。途中で事件に巻き込まれなければ。
 幸せなのだろうか。
 夫は時を止めた妻と笑いあう。それが偽りだと、幻だと知りながら、余生を自らを欺いて生きる。幸せなんだろうか。
「幸せなんだろうな」
「え?」
「あいつ」
「彼らですか?」
「いや、ダンナの方」
 さすがにROBOTの気持ちまではわからない。
「もう大事な相手は死んじまってるのにな」
 ふっと俺はジェシカの墓を思い出した。
「墓参りなんて行かねえんだろうな」
「お墓?」
「墓参りにいっちまったら、目の前のが偽ものだって思い出しちまう」
「ああ」
「だから、本物は土の中でほったらかしだ」
「そうですね」
「それって、ほんとに大事だったのか?」
「はい?」
「目の前にそっくりなやつがいれば、それでいいってのは、ほんとに大事にしてたっていうのか?」
「シーン」
 車に乗り込みながら、わけのわからないどす黒いものに胸を塞がれた。
「28区へ?」
「ああ、いこう」

 28区はこの前の家の近くだった。
 家はまだ売れていない。開いたドアが俺を誘うように見える。ソファで押し倒されたときの覗き込んだスープの重さを思い出す。猛々しく光る鮮やかな緑の目。やつの体の中に火がついて、それが目から透けているように見えた。
「なあ?」
「はい?」
「あのとき」
「いつ?」
「あの家の」
「ああ」
「俺を抱くつもりだったのか?」
 スープは答えなかった。ハンドルを回して角を回り込む。
「男の抱き方、知ってるのか?」
「はい」
「それは経験ってやつか?」
「そうです」
「どっちを?」
「どちらでも」
「ふうん」
 体を捻って後ろを確認し、車を路地に止めるやつの首筋を何となく見る。
 ROBOTにキスマークってつくもんなんだろうか? ぴんと張り詰めた筋肉はしなやかそうだ。ポイントを押さえるときに引き寄せる肌触りは滑らかだった。どっちもってことは抱いたことも抱かれたこともあるってことか? 
「びみょーだな」
「は?」
「いや」
 面白くない。
「どっちだ?」
「そちらの路地の奥です」
 スープがするりと車を降りた。俺の視線を感じたわけでもないだろうが、ネクタイを緩めながら首をそらせる。シャツの襟元に滑り込む指に妙に煽られた。
「ちっ」
「なんですか?」
「呆れてんだよ」
「何に?」
「できあがっちまってる」
「何が?」
「俺が」
「?」
 いぶかしげなやつにしっしっと手を振る。
「先行け」
「はい」
 路地の奥には俺が住んでるような小さなアパートがある。部屋数は十もないだろう。その入り口からゆっくり出てくる女性がいて、俺はあっけにとられた。
「あれは」
「お知り合いですか?」
「いや」
「彼女がそうです、ナタシア・ブランカ」
「!」
 名前を聞いてぎょっとした。
「ナタシア?」
「何か?」
「あ、いや」 
 女性は入り口を丁寧に掃除している。
 ナタシアはジェシカのセカンド・ネームだ。俺と彼女と彼女の死んでしまった両親しか知らない、つまりは俺達だけの合い言葉のようなものだった。
 茶色の長い巻き毛。遠くからでもあの瞳の色がわかっている。淡い緑。こんなことってあるんだろうか。外見は似てないのに、あの掃除する仕草はジェシカそっくりだ。
「シーン?」
「あ、ああ」
「顔色悪いですよ?」
「そうか?」
 覗き込むスープの視線を避けながら
「いつかオレンジやったろ?」
「はい」
「あれ、あの娘が落としたんだ」
「そう、なんですか」
「たまたま俺が拾って」
「はい」
「腕にいっぱいだったから、一人で拾い切れなくて」
「シーン」
「ん?」
「彼女は一人です」
 ぽつんとスープがつぶやいて、俺ははっとした。スープはまっすぐにアパートの入り口を見たまま続けた。
「もともと、あのアパートのオーナーが娘として注文したそうです」
「……」
「オーナーは二年前に亡くなりました。最後まで世話をし看取ったので、オーナーの身内が所有権を引き継ぎ、アパートの管理人として働いています。何の問題もありません」
 くるりと振り返って微笑む。
「いっそ、あそこに引っ越しますか?」
「え?」
「監視も保護もできます。俺は32区を担当します」
「何言って」
「ただ」
 ふいと強い口調で遮られて口をつぐむ。スープは見返した俺の目を避けて、もう一度ナタシアを見た。
「状況如何に関わらず、一度は俺を抱いて下さい」
「スープ」
「それで回収は終わります」
「待て」
「それから、俺は」
 一瞬ためらったようにことばを切ったが、目を合わさないままで淡々と続けた。
「俺はあなたの護衛から離れます」
「え?」
「後任はルシア、になるでしょう」
「なんで?」
「は?」
「なんでだ?」
 思わず腕を掴んでしまった。
「一度寝たら終わり? そのために護衛してるのか?」
「そうです」
「……」
 あっさり応じられてことばを失う。
「俺はあなたのDNAを確実に回収して、任務を完了します」
「待てよ」
「俺はDOLLですよ?」
「スープ」
「スープじゃない。SUP/20032です」
「違う」
「違わない」
 そのやりとりに何を思い出したのか、スープは辛そうに眉をひそめた。
「俺は、DOLLです。任務が終われば『グランドファーム』に回収される道具だ」
「え?」
「あ」
「今、なんて言った?」
「いえ」
「『グランドファーム』に回収?」
 しまった、と言いたげな表情でスープは俺の手を振り解いた。
「痛いんです」
「あ、すまん」
「衝撃を与えないで下さい」
「悪かった、でも、回収って、廃棄処分?」
「いえ、廃棄ではなくて」
「なくて?」
「解体処分です」
「……なに……?」
「俺の中に蓄えられたDNAの情報は各種の感情体験とともにデータ化されて、『グランドファーム』内で処理され、新しいB.P.を創るんです」
 スープは深い溜息をついた。
「オリーブ・ドラゴンの耐用年数は15年から20年。酷使するので消耗が早いんです。俺はもう20年たってます」
「……」
「普通のDOLLは新しいボディにインストールすればいいんですが、オリーブ・ドラゴンは特殊な造りになっているので、ボディと中のシステムや情報データを分割した時点で、個体特性がなくなるんです、だから……シーン?」
 手を伸ばし抱き締める。腕の中のやつの身体が今にもここで砂になって消えていきそうな気がした。
「記憶処理と同じ?」
「ええ、まあ」
「俺のDNAを回収したら、お前は死ぬ、のか?」
「死にません、俺はROBOTですから」
「でも、いなくなる?」
「……そう、なります」
 なんでだ。
 なんで、俺の大切なやつは、こう次々といなくなっちまう?
 胸が締め付けられて苦しい。背中でナタシアが鼻歌を歌っている。
 わたしの、大好きな、あの人は、いつも、時間に、遅れてくる。
 背筋を寒気が走った。それはジェシカのお気に入りだ。掃除機をかけながら、俺をからかいながら歌っていた。老婆のジェシカ。さっきの老夫婦を思い出した。いつかあんなふうに、二人で寄り添って年老いていけると、寸分違わず信じていた。
「シーン?」
「帰ろう」
「え?」
「疲れた」
「はい」
 そっとスープの身体を離すと冷たい風が入り込んだ。

 署に戻ったとき、俺はひどく顔色が悪かったらしい。早かったな、といいかけたファレルが、大丈夫か、と声をかけてくる。
「大丈夫だ」
「ひどい顔だぜ?」
「そうだろうな」
「どうしたんだ」
「何百年も歳とったみたいだ」
「ああ、そういう顔だ」
「人生って何だろうな?」
 俺の問いにファレルは引きつった。
「ひどいことがあったんだな?」
「まあ、そうだ」
「ところで、そういうときに悪いんだが」
「あん?」
「お前ら夜勤入れってよ」
「げ」
「ほら、この前のでローテーションがぎりぎりのとこへ、今日シクリットが骨折した」
「ああああ」
 思わずうなった。
「時間外手当てとして考えるってさ」
「そうしてくれ」
「とにかくシャワーでも浴びてこいよ」
「そうする、おい、スープ!」
「はい?」
「シャワー行こう、夜勤だとさ」
「わかりました」
「だーかーらっ!!」
 ファレルがまた爆発する。
「誘うなよっ」
「なんで」
「聞くなっ」
「ああ……」
 ようやくぴんときた。
「安心しろ、そんな気分じゃねえから」
「気分なら始めんのかよっ」
「何ですか?」
「いいから、ほっておけ」
「調子でも?」
「月のもんだとさ」
「は?」
「シーーンっ!」
 ファレルは真っ赤になって怒鳴った。

 ファレルを放っておいて、シャワールームへ向かう。
 たった二ケ所の巡視だったっていうのに、全身ぐったり疲れていた。さっさと服を脱いで飛び上がるほど熱いやつを浴びる。
「くあーっ」
 だばだば激しい飛沫を浴びてる間でも、ちょっと慣れてくると、ついつい頭の中をスープのことばが過っていく。
 解体処分? 俺のDNA回収後に?  
 冗談じゃねえ。
「ちっ」
 舌打ちして全身を擦り、今度は凍りつくような冷水を浴びた。ほてった身体が一気に冷えて、頭も一気に冷えてくれるはずだった。いつもなら。
 シャワーを止め、そっと隣のブースを覗く。
 湯気の中にすらりとしたスープの後ろ姿がある。ぼんやりとただ湯を浴びているみたいで、身動きしない。
 こいつがいなくなる。俺とヤり終えたら、こいつは任務完了ってことで消されちまう。
 そう思った意識に、やつの両腕の付け根と両脚のけつの下あたりから、微かに皮膚の色が変わっているのが飛び込んできた。身体は薄白いのに、付け根から先は僅かにベージュがかって濃く見える。そのつなぎ目に水しぶきがはね散るのを見ていたら、じっとしていられなくなった。
 ブースを移動して、やつの背後に滑り込む。伸ばした指でそっと後ろから腕の継ぎ目を撫でた。
「!」
「もう、痛まないか?」
「シーン」
 驚いて振り返ろうとするやつの横から手を伸ばしてシャワーを緩める。そのまま背中から抱き寄せた。ひくっとやつが震えたのは、俺の身体が冷たかったせいだろう。
「水を浴びたんですか?」
「ああ」
「風邪を引きます」
「温めてくれるか?」
「あ」
 耳元で囁いて、首筋へ唇を降ろした。ポイントを探り当て、舌でそっと押す。
「あ!」
「スープ」
「だめ、です」
「何が」
「動けません」
「動けなくしてんだよ」
「どうして」
「聞くのか?」
「っ」
 首筋から背中を経由して腕の付け根へキスを移動させる。
「…ああ」
 思わぬ甘い声が上がって、一気にこっちの体温も上がった。
「痛かったろ?」
「痛覚、機能は、すぐに……っ」
「すぐに?」
「切りましたから……っ…シーン」
「なんだ?」
「どうして」
「あん?」
「いきなり」
「さあ」
「さ……あ?」
 色の変わり目に舌を躍らせると、スープが呼吸を乱した。
 左と右と。そっと舌で舐める。水滴を吸い取りながら、ふと思いついてきつく吸ってみる。
「あ」
「ふうん」
「なに、ですか」
「キスマーク、つくんじゃねえか」
「え」
「おまけに左右差あるんだな」
「さゆう、さ?」
「こっちより、こっちの方が」
「っあ」
「感じやすいのか」
 右腕の方が過敏で弱い。揺れた身体がのろのろとすがるようにシャワールームの壁にへばりつく。
「知ってたか?」
「いえ…」
「今までのやつは指摘しなかったのか?」
「俺は……っく」
 両手を腰に滑らせると、息を引いて身体を緊張させた。
「ここも左右差があんのかな」
「知り、ません」
「教えようか?」
「いえ」
「遠慮するなって。ここでほら、色が」
「っっ」
 スープの身体が竦んだ。
 両脚の付け根をゆっくり辿っていく俺の指に、必死に俯き声を堪える。そっと覗き込むと、苦しそうにゆがめた顔が明るく上気していた。閉じた目を開けさせたくて声をかける。
「スープ」
「はい」
「俺は男の抱き方はしらねえから」
「は、い」
「今はこっちだけな」
「っ!」
 中心で勃ちあがってきつつあったものに触れると、驚いた顔で目を開いた。
「シ、シーン」
「ん?」
「お、俺っ」
「なに」
「出ませんけど」
「あのなー」
 座り込むような脱力感に襲われた。
「何を言い出すかと思えば」
 もう一度、気を取り直して熱を含んだものを撫で上げる。
「っは」
「いいんだよ、そんなこと」
「っっ」
「気持ちいいのはわかんだろ?」
「は、い……っく」
 指を絡めると、辛そうに身体を引いた。おかげでこっちの困ったものに腰を押し付けられる。
「シーン」
「驚くな」
「だって」
「俺に聞くなよ」
「……聞きません……っんん」
 少し笑ったスープがすぐに眉を寄せて呻く。
「やば」
「……え」
「なんか、やばいかも」
「はっ……?」
「こっちの話だ」
 何だろう。こういう気持ちでジェシカを抱いた覚えはない。
 スープの、気持ちいい顔というより、苦しげな顔に煽られる。押さえつけた声にそそられる。必死に堪える仕草に、どこまでも酷く追い詰めたくなる。
「なんかやばいぞ」
「なに、が」
「俺が」
「あなたが」
「何か、とんでもないことをしそうだ」
「とんでも、ない、こ………っあああっ」
 掠れたスープの声をそれ以上聞いていられなかった。一気に追い上げて、仰け反った身体を壁に押し付けた後は、無我夢中でスープの腰に擦りつけて自分も追い上げる。壁と俺に挟まれたスープが切なげに喘ぐ。
「スープっ」
「っく」
「っんっ」
「あああああ」
 弾けたときにシャワーを思いきり捻ったのは、あまりにも甘いやつの悲鳴を他の誰にも聞かせたくなかったからかもしれない。
 そのまま二人、温いシャワーを浴びながらしばらく茫然と立ち竦んでいた。
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