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11.PINK TONGUE
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めいっぱい、泣かれてしまった。
朝から自己嫌悪で死にそうだ。寝起きのぼんやりした頭の中にくるくる回っているのは、夕べのスープの潤んだ緑の目で。切なそうにしゃくりあげるから、ついつい繰り返し唇を貪った。
それでも、ほんとにきわどい一線でかろうじて踏み止まって家に帰したつもりだったのだが。最後までスープは辛そうで。
「やっぱ、まずかったのかなあ」
男相手に迫ったこどなどなかった。確かに始めはジェシカ恋しさからだったが、唇を重ねるほどにとろとろと湧いてくる、スープの中の温かな水がうまかった。どれほど吸っても足りない気がして、ついつい我を忘れてしまった。
実は今でも少し身体がおかしい。それでも、スープを帰してから、自分で多少対処はしたのだ。だが、ちらちら揺れていたピンクの舌とか、それが融けるように消えていく口とか、微かに漏らす溜息とか、とにかく何を思い出しても煽られるばっかりで。
「10代のガキかよ」
諦めて元気のいい息子に付き合うべく、シャワーを浴びることにした。
こういうときに自宅待機というのはいいものか、悪いものか。傷口はほとんど塞がってるし、身体もかなり元気だし。必然的に考えなくてもいいことまで考えちまう。
大怪我をしたせいか、処分はそれほど大きなものにならなかった。
もっとも、ラルゴを殺ったのは誰かということはまだ未解決なままだ。スープは殺ってないと言う。やつがそういうことで嘘をつくメリットはない。とすると、厄介なことに、署内に最低もう一人、裏切り者がいるということになる。
そこのところを突っ込みたくなかったのか、そこは只今内偵中なのか、査問委員会では微妙に追及されなかったのもどうも気になる。スープには気をつけろと言っておいたが、くすんくすん鼻を啜って帰っていったやつが、さてちゃんと聞いていてくれたかどうか。
涙に濡れた顔を思い出して、また微妙な気分になってしまい、情けなくなった。
「どうしてこうなっちまったんだかなあ」
ルシアにキスされてぴんとこなかったあたりが、もうまずかったのだろうか。それとも、あの路地でフラッシュバックに怯えるやつを、何の抵抗もなく抱きかかえたあたりが既にできあがってしまっていたのだろうか。
天国のジェシカはさぞかしふてているだろう、自分の次は男なの、とか。いや、ROBOTなの、か。逆に、そんなのしかいなかったほど自分を愛してくれたのだと感じ入ってくれるだろうか。
「うーむ」
まずい、どうも思考も煮え詰まっている。
朝飯でも食いにいこうと考えて、のそのそジーパンに足を突っ込み、セーターの上からジャケットを羽織る。
アパート下の隣には小さなカフェテリアがあって、トーストとコーヒーを頼めば小一時間はのんびりできる。少なくとも、部下のROBOTに悶々としているよりは生産的な仕事だろう。
カフェテリアは結構混んでいた。
空いた席に座り込んで、ぼんやりと頼みそこねたカフェオレを啜ってると、肩を軽く叩かれた。振仰ぐと、豪勢な金髪美女とどうみても下っ端やくざのガキ、二人が覗き込んでる。
「お席空いてます?」
「ああ」
「じゃ、ここにしましょ、ジット」
「おい」
「何さ」
「そのおねーさんは」
「ROBOTってんだろ、いいの、それは」
ジットはしらっとした顔で応じて、かりかりのトーストにかぶりついた。嬉しそうに見遣るルシアに笑い返して、
「ROBOTのどこがいけないって考えたら、どこもいけなくなかった。今までこんなに優しくしてもらったことなんかない。だから一緒にいるって決めたんだ」
「署長には、情報をもらうって言ってあるんですが」
ルシアまでにこにこ笑って付け加えた。
「だめですか、シーン」
「だめも何も」
夕べの俺と今朝の俺を見せてやりたい。
「俺も似たようなもんだ」
「あら」
「へえ?」
二人は興味深そうにこっちを見たが、俺は知らん顔でカップを持ち上げた。
確かにこうしていたって、ルシアがROBOTだなんてほとんどわからない。周囲の人間の何人が本物なのか、DOLLまでいれるとそれこそ、俺とジットだけってこともありえる。
けれど、だからといって、何がどう問題なのだろう。ルシアはスープのことを心配した。ジットとうまくやっている。命をゴミ扱いし、とっかえひっかえROBOTやDOLLを楽しむ人間の方が、ずっと非人間的じゃないか。
またスープのことを思い出した。まだ泣いてるんだろうか。まさかな。夕べは少しおかしかった。
「ルシア」
「はい?」
「スープはちゃんと来てたか?」
「来てました」
「何か変わったことは?」
「ありません」
「『グランドファーム』に行くようなこと言ってなかっただろうな」
「シーン」
ルシアが眉をしかめた。
「直接スープに聞いた方が」
「ああ、まあ、そうなんだが」
「何?」
「いや、ちょっと気まずくて」
「ヤっちゃったの?」
「ぶっ」
カフェオレを吹き出して咳き込んだ俺に、ジットがけらけら笑う。
「なんだ、まだなの」
「まだ、ってなあ」
いろいろややこしい問題があるんだよ、大人には、とぼやくと、肩を竦めてつぶやいた。
「ほらさあ、それだから」
「あん?」
「子ども、生まれなくなるんだよ」
ぎょっとして相手を見る。
「なに、気づいてなかったの? ここらのガキは知ってるよ、だってさ、わかるもん、ROBOTとかDOLLとか」
「わかるのか?」
「わかるよー、泣かないからね」
「は?」
「泣かないの。涙ってのは出ないんだって」
「え?」
ルシアを振り返ると、彼女もうなずく。
「待てよ、だってスープは」
泣いてたぞ、と思い出して、またずきりと妙なところが疼いた。
「彼らは特別仕様ですから」
「特別仕様?」
「人と交わるために生まれてきた」
「なに?」
ルシアがぽつりと言って、奇妙な笑みを浮かべる。
「人と、交わる?」
「そうです」
「ROBOTなのに?」
「機能的なことはできますから」
「あ」
なるほど、と思わず納得してしまった。物理的なところが可能でさえあればいい。研究室で人工受精させるよりも、もっと自然な形で「受胎」が行える。
じゃあ、貴重なんじゃないのか、と尋ねると、だから大事にして下さいってお願いしました、と言われた。
「スープは20032です。今のところ、32体しか存在しないDOLLです」
「へ、え」
全世界に32体。
「あ、待て」
はたと気づく。それじゃあ、なおさら、俺とどうにかなるのはまずいじゃないか。そんな貴重な生殖用DOLLを非生産的に使ってしまうわけにはいかないだろう。
くすりとルシアが笑った。
「ROBOTですよ?」
「は?」
「だから、性別なんて、ありません」
「いや、でも」
一応あるだろう、と応じた俺のことばが面白かったのか、ルシアはなお笑った。
「だって、あなたが女性が大丈夫なら、女性形が派遣されただろうし。そういうものですから」
「そういうものなのか?」
「だから、あなたがスープでよくて、女性がよければ」
「よければ?」
「ROBOTですからね」
軽くウィンクしてルシアは立ち上がったジットを追った。追加のコーヒーを運んできながら、ジットに手を振る。事前にちゅ、とキスも交わしたあたりがいかにも自然で普通に見えた。ジットはこれから仕事を探しにいくのだという。
「ROBOTだから?」
女性形のスープ? うーん。やはりぴんとこない。
「けれど、スープって凄い名前です」
「え?」
「彼はかなり大量のDNAを貯蔵していますから、まさに混沌のスープ」
「何だ、その混沌の、って」
「物事の始まりに存在するカオスのことです。スープとも呼ばれますから。地球も始めはスープでした、有機物の漂う混沌の、ね」
「はぁ」
ROBOTに生命を説かれてちゃ世話はない。
「あら」
「え?」
ルシアが首を伸ばして通りの方を見、俺も振り返った。ちょうどそこで車を降りたスープの目とぶつかる。やつは素早く俺とルシアを見てとって、うろたえた顔になって立ちすくんだ。そのまま俺達が凝視しているのに、小さく溜息をつき、車をおいて通りを横切ってやってくる。
「おはようございます」
「ああ」
「じゃ、私はこれで」
「もう少ししたら行けるって言っといてくれ、ルシア」
「はい」
「ルシア?」
ちょっと笑って席を離れたルシアを、スープは固い顔で見送った。
「名前、つけたんですか?」
「ああ、アールユーとかじゃ呼びにくいし」
「ルシア」
「綴りがそうなってたんだよ」
「そう、ですか」
「お前だって、エス、ユー、ピーだから」
「スープ」
声を重ねてやつは頼りなく笑った。
「それだけのことか」
「あん?」
「いえ、家で休んでなくて大丈夫なんですか?」
「ああ、まあな。仕事か?」
「……ええ、またDOLLが破損して」
「あのときのやつも結局人間じゃなかったんだってな?」
「はい」
DOLL殺しは続いている。暴行され破損され口に靴を突っ込まれる。同じパターンだ。
だが、犯人は全く捕まらない。警察の巡視の隙間を縫うように犯行を重ねて、次第に人々も気にし始めている。
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
「顔色が悪いぞ」
「そうですか」
「無茶をするなよ」
「あなたほどはしません」
「次、やばくなっても記憶処理なんかするなよ?」
「なぜですか?」
シーンはうっとうしそうに俺を見た。
「ルシアに聞いた」
「え?」
「DOLLの記憶処理は人格を損壊するんだろ?」
「損壊しても」
スープは冷ややかに笑った。
「B.P.は壊れないから大丈夫ですよ」
「は?」
「ジェシカさんは無事ですから」
「違うだろ!」
思わず声を荒げてしまった。
「何が?」
「ジェシカのことじゃなくて」
「俺は器だから」
ほ、と小さくスープは吐息をついて、肩を竦めた。
「器は作りなおせますから。B.P.はまだストックがあるし」
「え?」
俺は瞬きした。
「B.P.って一人から一個しか作れないんじゃないのか?」
「違いますよ、言いませんでしたっけ?」
「聞いてねえ」
「B.P.は原型さえ決まれば複数作れるんです。最大20個かな」
「ってことは、ジェシカが20人に増殖するってことか?」
「まあ、表現は悪いですけど」
「サイコ野郎も?」
「ええまあ……」
言いかけたスープが俺をじっと覗き込んだ。
「シーン」
「ああ、ひょっとして、あいつのB.P.もサイコ野郎だけじゃなかったってことだよな?」
「もし、殺されたDOLLに同じB.P.が仕込まれてて」
「そのB.P.に殺意をもっているB.P.を仕込まれたROBOTがいたとしたら」
スープの緑の目が底光りする。
「もし、ジェシカさんのB.P.を消滅させることに熱中してるB.P.がDOLLを侵食していたら」
ごくん、とスープは唾を呑んだ。ちろ、と乾いた唇を舌が舐める。
「このDOLL殺しは」
「すぐに調べます」
「あ、スープ」
「はい?」
急いで車に戻ろうとする相手をつい引き止めてしまった。
「何です、シーン」
「ちょっとこい」
「はい?」
「もうちょっと近く」
「はい……?」
いぶかしげに顔を寄せてくるスープの首に手をかける。びくりとした相手が固まるのに、唇をそっとかすめ取る。
「シ、シーン」
「この事件が片付いたら」
「はい?」「一緒に暮そうか」
「は?」
「ダメか?」
「あ、の」
ポイントを押さえられて苦しげな相手の耳元へそっと声を吹き込んでやる。
「今度はお前のキスをくれ」
朝から自己嫌悪で死にそうだ。寝起きのぼんやりした頭の中にくるくる回っているのは、夕べのスープの潤んだ緑の目で。切なそうにしゃくりあげるから、ついつい繰り返し唇を貪った。
それでも、ほんとにきわどい一線でかろうじて踏み止まって家に帰したつもりだったのだが。最後までスープは辛そうで。
「やっぱ、まずかったのかなあ」
男相手に迫ったこどなどなかった。確かに始めはジェシカ恋しさからだったが、唇を重ねるほどにとろとろと湧いてくる、スープの中の温かな水がうまかった。どれほど吸っても足りない気がして、ついつい我を忘れてしまった。
実は今でも少し身体がおかしい。それでも、スープを帰してから、自分で多少対処はしたのだ。だが、ちらちら揺れていたピンクの舌とか、それが融けるように消えていく口とか、微かに漏らす溜息とか、とにかく何を思い出しても煽られるばっかりで。
「10代のガキかよ」
諦めて元気のいい息子に付き合うべく、シャワーを浴びることにした。
こういうときに自宅待機というのはいいものか、悪いものか。傷口はほとんど塞がってるし、身体もかなり元気だし。必然的に考えなくてもいいことまで考えちまう。
大怪我をしたせいか、処分はそれほど大きなものにならなかった。
もっとも、ラルゴを殺ったのは誰かということはまだ未解決なままだ。スープは殺ってないと言う。やつがそういうことで嘘をつくメリットはない。とすると、厄介なことに、署内に最低もう一人、裏切り者がいるということになる。
そこのところを突っ込みたくなかったのか、そこは只今内偵中なのか、査問委員会では微妙に追及されなかったのもどうも気になる。スープには気をつけろと言っておいたが、くすんくすん鼻を啜って帰っていったやつが、さてちゃんと聞いていてくれたかどうか。
涙に濡れた顔を思い出して、また微妙な気分になってしまい、情けなくなった。
「どうしてこうなっちまったんだかなあ」
ルシアにキスされてぴんとこなかったあたりが、もうまずかったのだろうか。それとも、あの路地でフラッシュバックに怯えるやつを、何の抵抗もなく抱きかかえたあたりが既にできあがってしまっていたのだろうか。
天国のジェシカはさぞかしふてているだろう、自分の次は男なの、とか。いや、ROBOTなの、か。逆に、そんなのしかいなかったほど自分を愛してくれたのだと感じ入ってくれるだろうか。
「うーむ」
まずい、どうも思考も煮え詰まっている。
朝飯でも食いにいこうと考えて、のそのそジーパンに足を突っ込み、セーターの上からジャケットを羽織る。
アパート下の隣には小さなカフェテリアがあって、トーストとコーヒーを頼めば小一時間はのんびりできる。少なくとも、部下のROBOTに悶々としているよりは生産的な仕事だろう。
カフェテリアは結構混んでいた。
空いた席に座り込んで、ぼんやりと頼みそこねたカフェオレを啜ってると、肩を軽く叩かれた。振仰ぐと、豪勢な金髪美女とどうみても下っ端やくざのガキ、二人が覗き込んでる。
「お席空いてます?」
「ああ」
「じゃ、ここにしましょ、ジット」
「おい」
「何さ」
「そのおねーさんは」
「ROBOTってんだろ、いいの、それは」
ジットはしらっとした顔で応じて、かりかりのトーストにかぶりついた。嬉しそうに見遣るルシアに笑い返して、
「ROBOTのどこがいけないって考えたら、どこもいけなくなかった。今までこんなに優しくしてもらったことなんかない。だから一緒にいるって決めたんだ」
「署長には、情報をもらうって言ってあるんですが」
ルシアまでにこにこ笑って付け加えた。
「だめですか、シーン」
「だめも何も」
夕べの俺と今朝の俺を見せてやりたい。
「俺も似たようなもんだ」
「あら」
「へえ?」
二人は興味深そうにこっちを見たが、俺は知らん顔でカップを持ち上げた。
確かにこうしていたって、ルシアがROBOTだなんてほとんどわからない。周囲の人間の何人が本物なのか、DOLLまでいれるとそれこそ、俺とジットだけってこともありえる。
けれど、だからといって、何がどう問題なのだろう。ルシアはスープのことを心配した。ジットとうまくやっている。命をゴミ扱いし、とっかえひっかえROBOTやDOLLを楽しむ人間の方が、ずっと非人間的じゃないか。
またスープのことを思い出した。まだ泣いてるんだろうか。まさかな。夕べは少しおかしかった。
「ルシア」
「はい?」
「スープはちゃんと来てたか?」
「来てました」
「何か変わったことは?」
「ありません」
「『グランドファーム』に行くようなこと言ってなかっただろうな」
「シーン」
ルシアが眉をしかめた。
「直接スープに聞いた方が」
「ああ、まあ、そうなんだが」
「何?」
「いや、ちょっと気まずくて」
「ヤっちゃったの?」
「ぶっ」
カフェオレを吹き出して咳き込んだ俺に、ジットがけらけら笑う。
「なんだ、まだなの」
「まだ、ってなあ」
いろいろややこしい問題があるんだよ、大人には、とぼやくと、肩を竦めてつぶやいた。
「ほらさあ、それだから」
「あん?」
「子ども、生まれなくなるんだよ」
ぎょっとして相手を見る。
「なに、気づいてなかったの? ここらのガキは知ってるよ、だってさ、わかるもん、ROBOTとかDOLLとか」
「わかるのか?」
「わかるよー、泣かないからね」
「は?」
「泣かないの。涙ってのは出ないんだって」
「え?」
ルシアを振り返ると、彼女もうなずく。
「待てよ、だってスープは」
泣いてたぞ、と思い出して、またずきりと妙なところが疼いた。
「彼らは特別仕様ですから」
「特別仕様?」
「人と交わるために生まれてきた」
「なに?」
ルシアがぽつりと言って、奇妙な笑みを浮かべる。
「人と、交わる?」
「そうです」
「ROBOTなのに?」
「機能的なことはできますから」
「あ」
なるほど、と思わず納得してしまった。物理的なところが可能でさえあればいい。研究室で人工受精させるよりも、もっと自然な形で「受胎」が行える。
じゃあ、貴重なんじゃないのか、と尋ねると、だから大事にして下さいってお願いしました、と言われた。
「スープは20032です。今のところ、32体しか存在しないDOLLです」
「へ、え」
全世界に32体。
「あ、待て」
はたと気づく。それじゃあ、なおさら、俺とどうにかなるのはまずいじゃないか。そんな貴重な生殖用DOLLを非生産的に使ってしまうわけにはいかないだろう。
くすりとルシアが笑った。
「ROBOTですよ?」
「は?」
「だから、性別なんて、ありません」
「いや、でも」
一応あるだろう、と応じた俺のことばが面白かったのか、ルシアはなお笑った。
「だって、あなたが女性が大丈夫なら、女性形が派遣されただろうし。そういうものですから」
「そういうものなのか?」
「だから、あなたがスープでよくて、女性がよければ」
「よければ?」
「ROBOTですからね」
軽くウィンクしてルシアは立ち上がったジットを追った。追加のコーヒーを運んできながら、ジットに手を振る。事前にちゅ、とキスも交わしたあたりがいかにも自然で普通に見えた。ジットはこれから仕事を探しにいくのだという。
「ROBOTだから?」
女性形のスープ? うーん。やはりぴんとこない。
「けれど、スープって凄い名前です」
「え?」
「彼はかなり大量のDNAを貯蔵していますから、まさに混沌のスープ」
「何だ、その混沌の、って」
「物事の始まりに存在するカオスのことです。スープとも呼ばれますから。地球も始めはスープでした、有機物の漂う混沌の、ね」
「はぁ」
ROBOTに生命を説かれてちゃ世話はない。
「あら」
「え?」
ルシアが首を伸ばして通りの方を見、俺も振り返った。ちょうどそこで車を降りたスープの目とぶつかる。やつは素早く俺とルシアを見てとって、うろたえた顔になって立ちすくんだ。そのまま俺達が凝視しているのに、小さく溜息をつき、車をおいて通りを横切ってやってくる。
「おはようございます」
「ああ」
「じゃ、私はこれで」
「もう少ししたら行けるって言っといてくれ、ルシア」
「はい」
「ルシア?」
ちょっと笑って席を離れたルシアを、スープは固い顔で見送った。
「名前、つけたんですか?」
「ああ、アールユーとかじゃ呼びにくいし」
「ルシア」
「綴りがそうなってたんだよ」
「そう、ですか」
「お前だって、エス、ユー、ピーだから」
「スープ」
声を重ねてやつは頼りなく笑った。
「それだけのことか」
「あん?」
「いえ、家で休んでなくて大丈夫なんですか?」
「ああ、まあな。仕事か?」
「……ええ、またDOLLが破損して」
「あのときのやつも結局人間じゃなかったんだってな?」
「はい」
DOLL殺しは続いている。暴行され破損され口に靴を突っ込まれる。同じパターンだ。
だが、犯人は全く捕まらない。警察の巡視の隙間を縫うように犯行を重ねて、次第に人々も気にし始めている。
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
「顔色が悪いぞ」
「そうですか」
「無茶をするなよ」
「あなたほどはしません」
「次、やばくなっても記憶処理なんかするなよ?」
「なぜですか?」
シーンはうっとうしそうに俺を見た。
「ルシアに聞いた」
「え?」
「DOLLの記憶処理は人格を損壊するんだろ?」
「損壊しても」
スープは冷ややかに笑った。
「B.P.は壊れないから大丈夫ですよ」
「は?」
「ジェシカさんは無事ですから」
「違うだろ!」
思わず声を荒げてしまった。
「何が?」
「ジェシカのことじゃなくて」
「俺は器だから」
ほ、と小さくスープは吐息をついて、肩を竦めた。
「器は作りなおせますから。B.P.はまだストックがあるし」
「え?」
俺は瞬きした。
「B.P.って一人から一個しか作れないんじゃないのか?」
「違いますよ、言いませんでしたっけ?」
「聞いてねえ」
「B.P.は原型さえ決まれば複数作れるんです。最大20個かな」
「ってことは、ジェシカが20人に増殖するってことか?」
「まあ、表現は悪いですけど」
「サイコ野郎も?」
「ええまあ……」
言いかけたスープが俺をじっと覗き込んだ。
「シーン」
「ああ、ひょっとして、あいつのB.P.もサイコ野郎だけじゃなかったってことだよな?」
「もし、殺されたDOLLに同じB.P.が仕込まれてて」
「そのB.P.に殺意をもっているB.P.を仕込まれたROBOTがいたとしたら」
スープの緑の目が底光りする。
「もし、ジェシカさんのB.P.を消滅させることに熱中してるB.P.がDOLLを侵食していたら」
ごくん、とスープは唾を呑んだ。ちろ、と乾いた唇を舌が舐める。
「このDOLL殺しは」
「すぐに調べます」
「あ、スープ」
「はい?」
急いで車に戻ろうとする相手をつい引き止めてしまった。
「何です、シーン」
「ちょっとこい」
「はい?」
「もうちょっと近く」
「はい……?」
いぶかしげに顔を寄せてくるスープの首に手をかける。びくりとした相手が固まるのに、唇をそっとかすめ取る。
「シ、シーン」
「この事件が片付いたら」
「はい?」「一緒に暮そうか」
「は?」
「ダメか?」
「あ、の」
ポイントを押さえられて苦しげな相手の耳元へそっと声を吹き込んでやる。
「今度はお前のキスをくれ」
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