『BLUE RAIN』

segakiyui

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10.OLIVE DRAGON

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「よう」
「大丈夫ですか?」
「ま、な」
「無茶ばかりして」
「てめえに言われたかねえよ、ラルゴ射殺したくせに」
 査問委員会が終わった後の廊下で、俺はシーンに睨まれた。
「殺してませんよ」
「DOLLは人を殺せるんだろ?」
「みんながそうじゃありません」
「でもお前はそうなんだろ?」
「……はい」
 この人は、一体どこまで聞いていたんだろう。あれほどの怪我をしながら、あのときの状況を事細かに覚えているのか。額に巻かれている包帯は二週間たってもまだ取れない。今日だって、この後またすぐに自宅に戻ることになっている。
「送りましょうか」
「そうしてくれ」
 のろのろ立ち上がるところを見ると、まだ動くのはきついのだろう。

 俺に送らせたのがたまたまではないことはすぐにわかった。
 下町の小さなアパートに辿り着くと、少しでいいから寄っていけ、と引きずり込まれた。酒はだめです、と制止したが、コーヒーならいいだろうと無理矢理カップを渡されるころには、諦めもついた。
「で?」
「ん?」
「何が聞きたいんです?」
「何がって」
「俺はあなたに早く寝てほしい」
「は?」
「時間がないからさっさと済ませましょう」
「……わかった」
 シーンは眉をしかめて少し考えていたが、こくんと喉を鳴らしてコーヒーを飲むとこう切り出した。
「わかってることを話すから、間違っていたら訂正してくれ」
「わかりました」
「まず、お前はジェシカの記憶か何かを引き継いでる」
「はい」
「それはあのサイコ野郎が、俺の相棒の記憶を引き継いだのと同じだ」
「はい」
「DOLLやROBOTが、どうやって人間の記憶を引き継いでるのか、だが」
「……」
「それがB.P.というシステムだ」
「はい」
「ひょっとして……このB.P.というのは、バイオ・パーツの意味か?」
「……はい」
 全く、この人は。
 そんなに情報が渡ったはずはない。
 末端からちらほら零れていただけの端切れを、どこからどうやってこれほど確実な糸に編み上げてくるのだろう。ましてや、俺に仕込まれていたB.P.がジェシカのものだなんてことは。俺でさえこの前の『記憶処理』のときに初めて知らされたことなのに、いつから気づいていたのだろう。
 ついそう疑問を投げかけると、シーンは少し赤くなった。
「いや、だからさ、赤い薔薇にこだわったり」「一人でいるのが嫌だとか」「赤い靴突っ込まれてるのに引っ掛かったり……あれ、殺されたときのイメージだからだよな?」「ああ、それに」
 ちょっと口ごもってから
「その、キスの癖、とか」
「は?」
「だから、癖がそっくりなんだよ」
「癖?」
「つまり、その、キスするとき、少し舐めてから唇合わせてたんだ、『俺達』は」
 言い放たれて、ずきりと胸が痛くなった。
「ああ、なるほど」
 つぶやいてコーヒーを口に運ぶ。砂糖15本ほど糖度はない。けれど、世界一まずいコーヒーより香りがよくて味わいがある。
 きっとこういう関係だったのだろう、とぼんやり思った。
 甘過ぎない。けれど、味わいがあって、深いところで繋がっている。お互いがお互いのささやかな部分をきちんと丁寧に見分けられるほど。
「それに」
「?」
「ほら、ポイント触るとき、首引き寄せるだろ?」
「ええ」
「あれも、そっくり」
「…はあ、そう、ですか」
 ほんのり顔を赤らめたシーンをまじまじ眺めた。
 我ながら間抜けた応答だった。けど、そうとしか言えなかった。
 俺がやってる仕草はきっと仕込まれたB.P.のせいで、限りなくジェシカのものに近くなっているのだろう。そしてそれは、シーンという存在に刺激されて、ますますジェシカに俺の行動を近づける。シーンが俺を護衛から外すと言ったとき、どうしようもなく悲しくなったように。シーンを殺しかけたラルゴを止めようがなく憎んだように。
 俺はどこまでいっても空っぽの器でしかない。俺の中のジェシカがいつか気持ちも心も乗っ取るのかもしれない。それこそが、『グランドファーム』が望むことなのかもしれない。
 そして、たぶん。
 シーンもそれを望んでいる。
「で、ここからがよくわからないんだが」
「はい?」
「どうして、そんなものが開発されたんだ?」
「ああ……そうですね」
「それに、お前の役割って……本当にDNAの回収だけなのか?」
 やっぱり鋭い。溜息をついた。ごまかせそうにない。いや、ごまかすのはもう疲れた。
「オリーブ・ドラゴン、と呼ばれるDOLLの集団がいます」
「うん」
「俺はそれに属してます」
「うん」
「目的は……人類の存続、です」
「……は?」
 さすがにシーンの顔が惚けた。
「人類の」
「存続」
「なんで?」
「……公的には明らかになっていませんが、出生率はもう0.5を切りました」
「え?」
「つまり、人類はどんどんいなくなってるんです」
「あ、うん」
「残存個体数が100を切ると、その種は存続できません」
「え……どうして」
 きょとんとしたシーンに苦笑する。
「産めよ増やせよ地に満てよ、ですか?」
「あ、まあ」
「100を切ると、遺伝子情報は均一化してしまうんです。つまり適切で生存可能な遺伝子情報が確保できなくなる。個体数こそ、まだそこまで減少していませんが、既に人類の遺伝子情報は均一化しつつあって………『グランドファーム』は後20年内にさらなる減少が始まると予測しています」
「えーと」
 シーンは凍りついた顔になっている。
 それはそうだろう。自分達が滅亡するとわかって平気でいられるものは少ない。
「で、俺達は変化に富み、変異の少ないDNAを可能な限り回収するんです。それらは『グランドファーム』で培養され、B.P.として再度DOLLにセットして社会に戻す。そうやって遺伝子の均一化を阻止すると同時に、DOLLやROBOTにB.P.を作用させることによって、人格的な社会環境の幅も確保している。キャラクターの多様性を持たせて、バランスのいい社会を作ってる、というわけです。ここまではわかりますか?」
「……たぶん」
 本当はわかってなさそうだったが、ここで遮ると話が聞けないと思ったのだろう。シーンは引きつった顔でうなずいた。
「えーと、つまり」
「はい」
「お前はまあ言えば、DNAの見本みたいなもんか? 『グランドファーム』がノアの箱舟で」
「!」
 驚いた。また驚かされた。その昔、この計画は『箱船計画』と呼ばれていた。シーンには物事の本質を掴む特異なほどの才能がある。
「ああ、だから、オリーブ、なのか」
「え?」
「洪水の後、ノアが乾いた地上が現われたかどうかっていうのを、鳩を飛ばして見つけたんだそうだ。で、その鳩が持ち帰ったのが、オリーブの枝だと」
「そうなんですか」
「うん」
 けれど、と俺は考える。俺達は鳩ではなくて、竜なのだ。この世界にあるはずのない命。鋼のうろこに包まれて、B.P.という心臓に動かされる、ちゃちな機械仕掛けの構造物。
「なあ?」
「はい?」
 気がつくと、すぐ側にシーンが立っていた。そのままゆっくりと俺に屈み込んでくる。
「お前の中に、ジェシカのB.P.があるんだよな?」
「はい」
「それはつまり、お前の中にジェシカのかけらがあるってことだよな?」
「……は…い」
 シーンが何を言おうとしているのかに気づいて、俺は茫然とした。
「けど、俺は」
「お前にジェシカを感じたの、正しかったんだ」
「俺、は」
「お前の中のジェシカに、俺のこと、わかるかな」
 囁くような甘い声。聞いたこともないような優しい声。
「俺……」
 違う。これは、俺に、じゃない。
 両頬をそっと包まれて覚った。
 ここにいるのは俺じゃない。俺の形に入った、シーンのただ一人の愛しい女性、ジェシカ・キャラハン、その人でしかない。
 そんなこと、わかっていたのに。
 俺は、『スープ』は、どこにもいない。SUP/20032という、金属と強化プラスティックで作られた『入れ物』があるだけだ。
 それでも、シーンの目が優しくて、俺は思わずつぶやいてしまった。
「はい、俺の中に、います、ジェシカさん」
「うん」
「……味わい、ますか?」
「……うん」
 小さく可愛くうなずいて、シーンが俺の唇を舐める。それからそっと口を合わせてすぐに離した。
「どうですか?」
「よく……わからない」
「じゃあ、もう、一度」
 今度は舐めてきたシーンの舌を突き出した舌で受け止めた。舌先を少し絡めて引き込む。びくりとしたシーンの舌がそのまま深く押し入ってきて、俺は呻いた。
 甘い。凄く、甘い。砂糖15本のコーヒーなんか比較にならない。
 あれは口の中を覆うような甘さだったが、これはもう、表面から中まで侵食されるような甘さだ。とろけるような柔らかな液体が口の中を浸してくる。うねってくる舌が何かを探すように奥へ滑り込んできて、身体が震えた。一瞬逃げかけたのを、シーンが強く抱き込んでくる。
「っんん」
 息が苦しい。大切に抱き込まれて、なだめるように舌を躍らされて、身体の芯が熱くなる。これが疼く、という感覚なのだろう。
 じっとしていられなくなって、思わず下半身を擦りつけようとしかけ、足の間に膨らんだものに気づいて一気に我に返った。まるで、そんなものはない、とジェシカが抵抗したように。
 そうだ、そんなものは、ない。
 これはジェシカへのキスであって、俺へのキスでは、ない。
 冷えた水をぶちまかれたような感覚。抱き締めているシーンの身体が、あやふやになり消えそうだ。
 「スープ?」
「……は、っく」
 唇を離されて呼吸が乱れた。息を整えながら答えようとして、声が喉に詰まり、しゃくりあげてしまう。いぶかしそうにシーンが尋ねる。
「どうした?」
「…えっ」
「なんで、泣いてる?」
 俺は笑った。
「俺はROBOTなんで」
 またしゃくりあげそうになって慌てて声を呑む。呼吸を整える。また記憶処理でも受けよう。制御がきかない。それでも精一杯笑ってシーンに答えた。
「システムエラーです」
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