『BLUE RAIN』

segakiyui

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8.VERMILION LIPS

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「寒いな」
「雪が積もったのに」
「もう少し降るかもしれないな」
 好き勝手で外回りに出ない連中の話を聞きながら窓の外を眺めてると、手元に温もりが差し出された。
「お、サンキュ」
「いいえ」
 淡々とした顔でスープがコーヒーを渡して、もう片手のコーヒーをゆっくり口に含む。砂糖は一切いれていない。
「前のとどうだ?」
「同じです」
「砂糖入ってねえんだろ?」
「糖度は違いますが、構成分子は変わりませんから」
「そりゃ、そうだが」
 なんか冷たいよなあとぼやきながら、やっぱりこの前のがまずかったのかと思う。
 資料室の前でルシアとキスしていた。いつからどこから見ていたのかは知らないが、あれからスープはずっとよそよそしい。ほとんど笑わなくなったし、冗談も言わなくなった。
 もっとも、こっちが本来の姿なのかもしれないが。
「いつ出ます?」
「そうだな」
 窓の外にたれ込めた灰色の雲を睨む。記憶処理は済んでいるというけれど、同じような天気の下で同じような事件を追うのは避けたい。
 だが、こんなときに限って同じような出来事しか起こらない。

 夕べ隣の管区でそっくりなDOLLの破損事件があった。今度は少年だったが、やはり未認可で、口に靴が突っ込まれてた。
 今朝はこっちでROBOTの破損だ。
 ところがよく調べてみると、これが実はDOLLとしての機能も備えていたタイプで、持ち主が捜しまわっていたところだった。中年女性のDOLLだったが、亡くなった妻をモデルにしていたというだけあって、持ち主の悲嘆は強かった。その口にもやはり靴が突っ込まれてる。
 同一犯人だろうと思われた。意図はわからないが、DOLLを暴行破損し、口に靴を突っ込むことに熱中している。何かこだわりがあるのだろう。
 今朝のROBOTの持ち主というのが警察上部に多少のコネのきく資産家で、それでようやくこっちも捜査に本腰をあげることになったというわけだ。
 目標が人間に向く前に捕まえろ。それが指令だった。
「何でDOLLばっかり狙うかな」
「え?」
「見かけじゃROBOTとDOLLは区別がつかない、どうやって見分けてるんだ?」
「犯人が」
「ん?」
「ROBOTであるなら可能です」
「ROBOTが?」
 俺はスープを振り返った。
「どうして」
「さあ」
「人間を殺すのはわかる。そこにいてほしくないからだ。けれど、なぜDOLLを殺す? 次がすぐに作れるのに」
「そうですね」
 スープは目を細めた。
「どのDOLLだって、代わりはいくらでもある。あのおっさんだって、新しいDOLLを注文すると言ってたぞ?」
 今朝の資産家は、もう少し精度と感度のいいDOLLにして、今度は家の外に出さないと言っていた。新しいDOLLをすぐに手に入れることができるのに、前のDOLLに気持ちを注いでいる自分は慈悲深いのだと酔っているように見えた。
「DOLLに代わりはいくらでもいる」
 ぽつんとスープがつぶやいて、我に返る。
「すまん」
「いえ」
「お前のことじゃないぞ?」
「俺も同じです」
「え?」
「代わりなんていくらでもいる」
 スープはひんやりと笑った。
「違うだろ」
「同じです」
「違う」
「同じですよ」
「代わりがいるんなら、出るのにためらったりしねえよ」
「え?」
「同じ目に合わせたくないなんて思わねえだろ?」
 俺のことばにスープが一瞬顔を緩めた。だがすぐに、
「大丈夫です、シーン」
「あん?」
「記憶処理しますから」
「何?」
「どんなことになっても、どんな目にあっても」
 鋭い目で俺を見返す。
「記憶処理してしまえば終わりです」
「だが」
「俺はROBOTですよ?」
 嘲笑うように唇を歪めた。
「使い捨ててくれていい」
「あれ?」
 ふ、と何か妙な感覚が記憶を掠めて俺は眉をしかめた。
「どうしました?」
「いや、何かどっかで」
 似たようなことばを聞いた。似たような……台詞。だが、声が違う。
『いつだって、捨てていいのよ』
 耳元に笑みを含んだ甘い声が響いた。
『あなたは刑事だし、私は刑事の奥さんだし』
 笑う声。
『あなたの足手纏いになるようなら、遠慮なく捨てて』
「ジェシカ…」
「え?」
「いや、そっくりなことばを、あいつが」
「ことば?」
「ほら、今お前が言った……」
 言いかけた矢先に警報が鳴った。事件発生、しかも今度は人が殺されているようだという。
「ちっ、とうとう殺りやがったか」
「シーン、スープ!」
「はいっ」「おう!」
 身を翻して部屋を飛び出したとたん、ルシアに腕を掴まれた。
「あ?」
「ちょっと話が」
「シーン!」
「先行ってろ!」
「ちっ」
 舌打ちしてスープが走り出すのにルシアを振り返る。
「なんだ?」
「お願い」
 紅の唇が柔らかく動いた。
「何を?」
「スープをこれ以上傷つけないで」
「どういうことだ?」
「彼はDOLLだから」
「それが?」
「私達はROBOTだから、記憶は簡単に処理できる、でも」
「でも?」
「DOLLは違うの、記憶を処理すると人格が損壊する」
「なに?」
「DOLLの記憶は人格と結びついている。感情を削れば、その分バランスが崩れるの」
 ぞっとした。
「じゃ、何か? あいつが何度も記憶処理していけば」
「どうやって記憶処理するか知ってる?」
「いや」
「『グランドファーム』で無理矢理心を削ずるの」
 ルシアが話した情景は俺を竦ませるのに十分だった。
 裸に剥かれて、銀のコードで繋がれて、手足を拘束されて、視界を封じられて、強制的に開かれた感覚と残されていた記憶を一つ余さず確認して、必要なものと不要なものに分けていく、という。
『記憶処理してきますから』
 やつがあっさり言うから、そんな目に合ってるとは知らなかった。笑わなくなったスープ。冗談を言わなくなったスープ。それは失ってしまったもの、だからか?
「何で」
「え?」
「何で、そんなやつが刑事の護衛なんかに回されたんだ」
「あなたが」
「俺?」
「あなたがとても貴重だから」
 ひや、と冷気を背中に感じた。
「俺のDNAが?」
「DOLLでなければ受け入れられないでしょう?」
「う」
 確かにルシアにその気にはなれない。
「だからといって、やつに」
「だからお願い、彼を守って」
「……わかった」
 ルシアが祈るようにキスをよこした。しっとり濡れた唇はやっぱり温かい。一瞬抱き締めて、笑い返す。
「あんたもいいやつだな?」
「相棒にいかが?」
「考えとく」

 急いで玄関を飛び出すと、車のエンジンをうならせてスープが待っていた。視線にとっさに口元を拭う。
「ついてません」
「……どうも」
「俺のことは気にしないでください」
 助手席に滑り込んだとたん、かあん、とアクセルをいれられて、あやうくひっくり返りかけた。
「俺はあなたの護衛です」
「ああ」
「護衛にプライベートを説明する義務はないし」
「そうだな」
 静かで表情のない顔。風に乱れる茶色の髪の下の、暗く沈んだ瞳。また酷い目にあったら、こいつはもっと感情を削られてしまうのか。
「スープ」
「はい」
「俺の護衛から外れろ」
「!」
 いきなり急ブレーキがかかって、俺はつんのめった。ダッシュボードに顔をぶつけかけて、必死に堪える。
「おい、運転代われよ!」
「俺じゃだめなんですか?」
「あん?」
「俺が、妙なことを、したから?」
「え?」
「俺が、あなたに、こだわるから?」
 真っ青な顔でこちらを見たスープが震えているのに気づいた。
「おい」
「もう、しませんから」
「大丈夫か?」
「記憶処理しました、大丈夫ですから」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「ちゃんと機能できるし、システムエラーも起こしませんから」
 まるでフラッシュバックを起こしたような反応に不安になる。
「スープ?」
「すみません、俺、おかしいです」
「あ、ああ」
「もう一度、記憶処理、してきます」
「え、いや、それは」
「大丈夫です、すぐ戻れるし」
「待てって」
「もっとちゃんとしてきますから」
「スープ!」
 肩を掴んで揺さぶった。
 はっとしたようにやつが口をつぐむ。
「すみません……」
 ぼろぼろっとふいにやつの目から涙が溢れた。
「すみません、シーン、ポイント押さえてくれませんか」
「え?」
「俺、壊れ、そうです」
「! 待ってろ」
 掠れた声に俺は慌てて首筋に手を差し込んだ。次の瞬間、くたりとスープの身体が崩れた。瞳を閉じる、倒れ込んでくる、その身体を抱きとめる。
 いきなり俺の視界が真っ赤に染まった。スープの身体を抱きとめた瞬間に甦った記憶に圧倒される。
 ジェシカ。
 首筋を掬い、引き寄せて、抱き締めて、それから舌を触れ合わせてからキスするのが、俺達のやり方だった。
「なんでだ?」
 俺はつぶやいた。
「なんで、ここまでそっくり、なんだ?」
 もう一つの声が耳に響く。
『キャル』
 全く違う存在なのに、どうしてあのサイコ野郎は、昔の相棒と同じ名前で俺を呼んだ?
 B.P.。
 閃光のようにそのことばが閃いた。
「待てよ、待て、待て、まさかB.P.ってのは」
 俺は崩れたスープを死にものぐるいで助手席にずらせた。ハンドルを握り向きを変える。
 目指すのは、今飛び出してきたばかりの署の玄関だった。
 
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