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4.暴発(1)
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マイヤを連れ、さとると一緒に店を出た内田を見送って、仁はのろのろと向きを変えた。
もう一度、ちらっと肩越しに遠ざかって行く友人を見る。
(タフ、だよね)
内田の後ろ姿からは、ついさっきまで殺されそうになっていたという気配は微塵も感じられない。自分を殺そうとしていた相手二人を側においてさえ、ふてぶてしいほどの落ち着
き、とても高校生には見えない。
「はぁ」
仁は溜息をついて、重い足を引きずるように歩き始めた。
頭の隅に空いていた穴の気配は今はなかった。けれど、そのあたりに不安定な渦のようなものがある気がして、何かの拍子にそこにある門がぱくりと巨大な口を開ける、そんな気がする。
体は冬山登山をこなしたように重くて疲れ切ってるし、できることなら、今ここで自宅の前まで『移動』したいぐらいだ。
「あつつっ」
だが、考えた瞬間、ガラスでできた花火が脳の中で砕けたような激痛が走って、仁は思わず頭を抱えた。立ち止まった仁を、周囲の人間が不審げに避けていくのに、よろよろと道の端に身を寄せる。
(何が起こってるんだ? マイヤは超能力だって言ったけど)
ふと、すぐ側のウィンドウに目をやると、虚ろな顔をして前屈みになった貧相な子どもが立ちすくんでいるのが見えた。
(こんな僕に、超能力?)
苦笑いが滲んだ。
(お母さんや近所の人に何か言われる事ばかり気にしてる、僕が? ひょっとして、これはみんな、妄想だとか、夢だとか)
ようやく少し頭痛がおさまって、仁は再びのそのそと歩き出した。倒れないように一歩一歩を踏みしめているだけ、それでも見覚えのある横断歩道にさしかかって、赤信号で立ち止まる。
(さっき、ここで転んだんだ。でも、いったい、どこをどう通ってあそこに…!)
思った瞬間に気づく。
『ケーニッヒ』に仁は確かにいた。内田と話もした。それは確かな事だ。口の中に含んだコーヒーの香りがまだしているし、服からわずかに内田の煙草のにおいがする。
もし妙な力で移動したのではないとしたら、一体どうやって『ケーニッヒ』に行ったのだろう。
ゆっくりとあたりを見回した。
横断歩道のこちらには渡っていない。こちらにある店ものぞいた覚えがない。いくら必死に走っていても、今歩いて来た道のりはかなりあった。それを辿る間をまったく覚えていなかったと言うのなら、そちらの方が問題ではないのか。
それとも、今感じている音やにおい、全ての感覚の方がおかしいのだろうか。この現実こそが仁の妄想、超リアルな夢の中で、仁は超能力を使った夢を見ていて、夢の中で困惑したり苦しんだりしているのだろうか。
(内田)
ぞくりと体を竦め、仁は思わず振り返った。
友人といる間は何の苦もなく信じられた現実が、ふいにあやふやなものに溶け崩れていきそうな気がした。今すぐ走って戻り内田を掴んで叫びたい、これは本当の現実なのか、と。
「おい、邪魔だよ」
こづかれて、仁はよろめいた。信号が青になり、渡り始めた人々の間で、ぼんやり立っているのに気づく。
「渡らないなら、のけっての」
不愉快そうにつぶやいた相手を仁は見た。
(聞こえた? 聞こえたよね?)
ぶつかられた腕に鈍い痛みがある。それが薄れて消えていくのに、仁は不安になった。手で腕を掴む、強く、とても強く掴む。
(痛い)
歩きながら、仁は腕をきつく掴んだり緩めたりした。そうすることで、自分の動きと感覚がずれていないことを必死に確認した。何だか腕が痺れてきたような、そう思い出したあたりで、自宅が見え、仁はほっとして家の中に駆け込んだ。
「仁!」
入ってすぐに、ヒステリックな母親の叫びが響いた。
「何処に行ってたの!」
いつもは耳を塞ぎたくなる声が、今日は泣きたくなるほど安心できるものだった。
(人がいれば、大丈夫だ、何とか夢じゃないって思える)
「ごめん」
「何笑ってるの、もう、あんたもお父さんも勝手なことばかり!」
「父さん? どうかしたの?」
「どうもこうも」
母親は頭から湯気をたてんばかりに怒っていた。
父親がもう一度病院に呼び戻されたのだと言う。何でも大切な検査が抜けていたとかで、相手の対応は丁寧だった。費用も全額病院側が持つというのだが、もう1日入院してくれと言われたらしい。
「通院でだめなのかって聞いてって言ったのに、あの人はもう!」
父親はそうか、とつぶやいて、すぐにタクシーで病院に向かったのだそうだ。それから、着いたとも何とも連絡がない。焦れて電話を入れると、慇懃に、検査に入ったので連絡は出来ないと断られたらしい。
母親が不安になるのもわかった。それはいつかの失踪を彷彿とさせる。
「あんたはいったい、どこで何をしてたの、言いなさい!」
「ああ、その、内田と…!」
ほっとしていたせいで口が滑り、ひやりとした。
仁の母親は昔から内田とは相性が悪い。
「また、あの子なの!」
案の定、みるみる母親は眉を吊り上げた。
「つき合うのはよしなさいと言ってるでしょう! そのうち、きっと、とんでもないことに巻き込まれるわ、困ったことになっても、かあさん、知りませんからね!」
(とんでもないこと?)
今ここで、母親に超能力だの、世界的な組織だの、殺し屋だのの話をすれば、どうなるんだろう。急速に疲労感が体中に広がり、もう立っていられないような気がした。
「うん、わかった」
「わかってないでしょう、仁! あのね」
「わかった、から…ごめん、疲れてるんだ」
仁は曖昧に笑って母親をいなした。そのまま、まだ続いている声に背中を向けて階段を上がる。自室のベッドを見つけるのがやっと、そこで仁は崩れるようにベッドに倒れ込み、深い眠りに落ち込んだ。
「勝手に入ってくれ、俺以外の人間はいない」
家の鍵を開け、マイヤを促しながら、内田は気づいて振り返った。
「ああ、襲われる心配はしなくていいぜ、保証してもいい。そんな気分じゃなくってな」
「ええ、わかってるわ」
マイヤは淡く笑った。
「そういう男達はよく知ってるの。あなたは乱暴に振る舞うけど、そういう気持ちは持たない……少し落ち込んでるけど」
「……言っとくが」
内田は顔をしかめてマイヤを睨んだ。
「あんたが俺の事をどう考えようと勝手だ。テレパシーだかで、こっちの心も読めるんだろう。けれど、それで俺のことを『決めつける』のはやめろ」
はっとしたように、マイヤは笑みを引っ込めた。
「人にはそれぞれ守ってるもんがあるんだ。あんたはそれを蹴散らすんだってことぐらい、わかんねえのか?」
「ご、ごめんなさい」
マイヤはうろたえ、頬を染めた。唇を噛んでから、低い声で、
「そんなつもりは…なかったのよ。あなたの心は読めないから……」
「じゃあ、何で落ち込んでるってわかる?」
内田がむっとして尋ねるのに、マイヤはぼそぼそと答えた。
「だって、さっきから3回も溜息をついたわ。がっかりした顔をしてるし……『夏越』様のことを知らないから平気なのかもしれないけど、狙われてる女を自分1人しかいない家に匿おうとしているのに何の緊張もしてないわ。何か別のことに気が取られてるのよ」
内田は苦笑し、肩の力を抜いた。
「なるほど、そりゃ、落ち込んでるかもって思うか。……悪かった」
ドアに鍵をかけ、内田は先に立って奥のリビングに入った。
「なあに、ちょっとな、どうせなら、超能力が効かないんじゃなくて、使える方が面白かったのにな、と思ってるだけだ」
マイヤをソファに座らせ、慣れた手付きでコーヒーをいれる。香ばしい香りが更けていく夜の部屋の隅々にゆっくりと広がる。
片方をマイヤに手渡し、自分もカップを手に、内田はソファのもう一方の端に座った。
「少し話そう…眠いか?」
「いいえ」
マイヤは微笑して首を振った。
「さっきから、俺に超能力は効かない、って言ってるよな? どういう意味だ?」
「…文字どおりよ」
マイヤはコーヒーのカップを包み込むように持つと、香りを味わい、一口含んだ。嬉しそうな無邪気な笑みを浮かべて飲み込む。
「あなたは、超能力では直接攻撃できないの。なぜかはわからない。ひょっとすると、あなたが心を開いてくれるなら、テレパシーは伝えられるのかもしれない。ガードが固いのね、たぶん。普通の人なら反応するようなものにも、あなたは反応しない」
「鈍いって言ってねえか?」
「違うわ」
内田の突っ込みにマイヤは笑った。それを見て、内田もにやりと笑い返す。
「煙草、吸うぜ?」
「どうぞ。とにかく、たぶん、それがあなたの力、なの。だから、私にはあなたの心は読めない。『夏越』様が、私達をよこしたのも、あなたには遠隔接触できなかったからよ」
「ふん?」
内田はくわえた煙草から立ち上る紫煙から、マイヤに視線を戻した。
「あのさとるとやらにはやられたぜ?」
「直接攻撃じゃなかったでしょう? さとるはテレポーター、物質を瞬時に別の場所に移動できるの。雑草の葉をあなたの間近に速度を付けて『移動』させただけで、あなた自身には何もしていないわ」
「なるほどな」
内田は眉をしかめた。煙草を灰皿に押し潰し、コーヒーを含む。
「あなたは気づかなかったでしょうけど、以前、私達の仲間のダリューが、あなたに接触しようとした事があるの。ダリューはサイコキノ……つまり、念動力であなたの体をあなたの意志に背いて動かそうとしたけど、失敗したわ」
ダリュー、と呼んだときマイヤがわずかに頬を染めるのを、内田は見つけた。
「で? そのダリュー、とやらが、あんたの好きな奴だってわけだ」
「嫌」
マイヤがいきなり真っ赤になった。プラチナの髪、透き通るほどの肌が、一瞬にして、ピンクや白やハート形であふれたファンシーグッズの店先のように華やいだ色に変わってしまう。急いで、手にしたカップをおきながら、警戒するように、
「あなた、テレパシーもあるの?」
「これだから妙な力のある奴ってのは…」
うんざりして、内田はぼやいた。
「何が何でも、超能力だの霊だのに結びつけやがって。あんただってさっき言ったろ、テレパシーを使わなくても、人の気持ちがわかる時もあるって。誰かの名前を言うたびに恥ずかしそうにもじもじ赤くなってりゃ、好きなやつだな、ぐらいわかるだろ? 人類を越えた力だか何だかを持ってるにしちゃあ、視野が狭いんじゃないか」
皮肉られて、マイヤはますます赤くなった。
「ごめんなさい…見抜かれるって嫌ね」
「自覚してくれ。けど、そのダリューってのも、『夏越』の仲間なんだろう?」
マイヤは瞳を陰らせて、内田から目を逸らせ、顔を強ばらせたままそっとうなずいた。
「他にもいるわ。マスメディアで騒がれた人間とは別に、結構超能力者っているのよ。ううん、騒がれた経過を知ってるだけに、息をひそめてるって言うか。でも、自分の力が何の役にも立たないことに苛立っているものも多い」
「『夏越』はそこにつけ込むってわけだ」
もう一度、ちらっと肩越しに遠ざかって行く友人を見る。
(タフ、だよね)
内田の後ろ姿からは、ついさっきまで殺されそうになっていたという気配は微塵も感じられない。自分を殺そうとしていた相手二人を側においてさえ、ふてぶてしいほどの落ち着
き、とても高校生には見えない。
「はぁ」
仁は溜息をついて、重い足を引きずるように歩き始めた。
頭の隅に空いていた穴の気配は今はなかった。けれど、そのあたりに不安定な渦のようなものがある気がして、何かの拍子にそこにある門がぱくりと巨大な口を開ける、そんな気がする。
体は冬山登山をこなしたように重くて疲れ切ってるし、できることなら、今ここで自宅の前まで『移動』したいぐらいだ。
「あつつっ」
だが、考えた瞬間、ガラスでできた花火が脳の中で砕けたような激痛が走って、仁は思わず頭を抱えた。立ち止まった仁を、周囲の人間が不審げに避けていくのに、よろよろと道の端に身を寄せる。
(何が起こってるんだ? マイヤは超能力だって言ったけど)
ふと、すぐ側のウィンドウに目をやると、虚ろな顔をして前屈みになった貧相な子どもが立ちすくんでいるのが見えた。
(こんな僕に、超能力?)
苦笑いが滲んだ。
(お母さんや近所の人に何か言われる事ばかり気にしてる、僕が? ひょっとして、これはみんな、妄想だとか、夢だとか)
ようやく少し頭痛がおさまって、仁は再びのそのそと歩き出した。倒れないように一歩一歩を踏みしめているだけ、それでも見覚えのある横断歩道にさしかかって、赤信号で立ち止まる。
(さっき、ここで転んだんだ。でも、いったい、どこをどう通ってあそこに…!)
思った瞬間に気づく。
『ケーニッヒ』に仁は確かにいた。内田と話もした。それは確かな事だ。口の中に含んだコーヒーの香りがまだしているし、服からわずかに内田の煙草のにおいがする。
もし妙な力で移動したのではないとしたら、一体どうやって『ケーニッヒ』に行ったのだろう。
ゆっくりとあたりを見回した。
横断歩道のこちらには渡っていない。こちらにある店ものぞいた覚えがない。いくら必死に走っていても、今歩いて来た道のりはかなりあった。それを辿る間をまったく覚えていなかったと言うのなら、そちらの方が問題ではないのか。
それとも、今感じている音やにおい、全ての感覚の方がおかしいのだろうか。この現実こそが仁の妄想、超リアルな夢の中で、仁は超能力を使った夢を見ていて、夢の中で困惑したり苦しんだりしているのだろうか。
(内田)
ぞくりと体を竦め、仁は思わず振り返った。
友人といる間は何の苦もなく信じられた現実が、ふいにあやふやなものに溶け崩れていきそうな気がした。今すぐ走って戻り内田を掴んで叫びたい、これは本当の現実なのか、と。
「おい、邪魔だよ」
こづかれて、仁はよろめいた。信号が青になり、渡り始めた人々の間で、ぼんやり立っているのに気づく。
「渡らないなら、のけっての」
不愉快そうにつぶやいた相手を仁は見た。
(聞こえた? 聞こえたよね?)
ぶつかられた腕に鈍い痛みがある。それが薄れて消えていくのに、仁は不安になった。手で腕を掴む、強く、とても強く掴む。
(痛い)
歩きながら、仁は腕をきつく掴んだり緩めたりした。そうすることで、自分の動きと感覚がずれていないことを必死に確認した。何だか腕が痺れてきたような、そう思い出したあたりで、自宅が見え、仁はほっとして家の中に駆け込んだ。
「仁!」
入ってすぐに、ヒステリックな母親の叫びが響いた。
「何処に行ってたの!」
いつもは耳を塞ぎたくなる声が、今日は泣きたくなるほど安心できるものだった。
(人がいれば、大丈夫だ、何とか夢じゃないって思える)
「ごめん」
「何笑ってるの、もう、あんたもお父さんも勝手なことばかり!」
「父さん? どうかしたの?」
「どうもこうも」
母親は頭から湯気をたてんばかりに怒っていた。
父親がもう一度病院に呼び戻されたのだと言う。何でも大切な検査が抜けていたとかで、相手の対応は丁寧だった。費用も全額病院側が持つというのだが、もう1日入院してくれと言われたらしい。
「通院でだめなのかって聞いてって言ったのに、あの人はもう!」
父親はそうか、とつぶやいて、すぐにタクシーで病院に向かったのだそうだ。それから、着いたとも何とも連絡がない。焦れて電話を入れると、慇懃に、検査に入ったので連絡は出来ないと断られたらしい。
母親が不安になるのもわかった。それはいつかの失踪を彷彿とさせる。
「あんたはいったい、どこで何をしてたの、言いなさい!」
「ああ、その、内田と…!」
ほっとしていたせいで口が滑り、ひやりとした。
仁の母親は昔から内田とは相性が悪い。
「また、あの子なの!」
案の定、みるみる母親は眉を吊り上げた。
「つき合うのはよしなさいと言ってるでしょう! そのうち、きっと、とんでもないことに巻き込まれるわ、困ったことになっても、かあさん、知りませんからね!」
(とんでもないこと?)
今ここで、母親に超能力だの、世界的な組織だの、殺し屋だのの話をすれば、どうなるんだろう。急速に疲労感が体中に広がり、もう立っていられないような気がした。
「うん、わかった」
「わかってないでしょう、仁! あのね」
「わかった、から…ごめん、疲れてるんだ」
仁は曖昧に笑って母親をいなした。そのまま、まだ続いている声に背中を向けて階段を上がる。自室のベッドを見つけるのがやっと、そこで仁は崩れるようにベッドに倒れ込み、深い眠りに落ち込んだ。
「勝手に入ってくれ、俺以外の人間はいない」
家の鍵を開け、マイヤを促しながら、内田は気づいて振り返った。
「ああ、襲われる心配はしなくていいぜ、保証してもいい。そんな気分じゃなくってな」
「ええ、わかってるわ」
マイヤは淡く笑った。
「そういう男達はよく知ってるの。あなたは乱暴に振る舞うけど、そういう気持ちは持たない……少し落ち込んでるけど」
「……言っとくが」
内田は顔をしかめてマイヤを睨んだ。
「あんたが俺の事をどう考えようと勝手だ。テレパシーだかで、こっちの心も読めるんだろう。けれど、それで俺のことを『決めつける』のはやめろ」
はっとしたように、マイヤは笑みを引っ込めた。
「人にはそれぞれ守ってるもんがあるんだ。あんたはそれを蹴散らすんだってことぐらい、わかんねえのか?」
「ご、ごめんなさい」
マイヤはうろたえ、頬を染めた。唇を噛んでから、低い声で、
「そんなつもりは…なかったのよ。あなたの心は読めないから……」
「じゃあ、何で落ち込んでるってわかる?」
内田がむっとして尋ねるのに、マイヤはぼそぼそと答えた。
「だって、さっきから3回も溜息をついたわ。がっかりした顔をしてるし……『夏越』様のことを知らないから平気なのかもしれないけど、狙われてる女を自分1人しかいない家に匿おうとしているのに何の緊張もしてないわ。何か別のことに気が取られてるのよ」
内田は苦笑し、肩の力を抜いた。
「なるほど、そりゃ、落ち込んでるかもって思うか。……悪かった」
ドアに鍵をかけ、内田は先に立って奥のリビングに入った。
「なあに、ちょっとな、どうせなら、超能力が効かないんじゃなくて、使える方が面白かったのにな、と思ってるだけだ」
マイヤをソファに座らせ、慣れた手付きでコーヒーをいれる。香ばしい香りが更けていく夜の部屋の隅々にゆっくりと広がる。
片方をマイヤに手渡し、自分もカップを手に、内田はソファのもう一方の端に座った。
「少し話そう…眠いか?」
「いいえ」
マイヤは微笑して首を振った。
「さっきから、俺に超能力は効かない、って言ってるよな? どういう意味だ?」
「…文字どおりよ」
マイヤはコーヒーのカップを包み込むように持つと、香りを味わい、一口含んだ。嬉しそうな無邪気な笑みを浮かべて飲み込む。
「あなたは、超能力では直接攻撃できないの。なぜかはわからない。ひょっとすると、あなたが心を開いてくれるなら、テレパシーは伝えられるのかもしれない。ガードが固いのね、たぶん。普通の人なら反応するようなものにも、あなたは反応しない」
「鈍いって言ってねえか?」
「違うわ」
内田の突っ込みにマイヤは笑った。それを見て、内田もにやりと笑い返す。
「煙草、吸うぜ?」
「どうぞ。とにかく、たぶん、それがあなたの力、なの。だから、私にはあなたの心は読めない。『夏越』様が、私達をよこしたのも、あなたには遠隔接触できなかったからよ」
「ふん?」
内田はくわえた煙草から立ち上る紫煙から、マイヤに視線を戻した。
「あのさとるとやらにはやられたぜ?」
「直接攻撃じゃなかったでしょう? さとるはテレポーター、物質を瞬時に別の場所に移動できるの。雑草の葉をあなたの間近に速度を付けて『移動』させただけで、あなた自身には何もしていないわ」
「なるほどな」
内田は眉をしかめた。煙草を灰皿に押し潰し、コーヒーを含む。
「あなたは気づかなかったでしょうけど、以前、私達の仲間のダリューが、あなたに接触しようとした事があるの。ダリューはサイコキノ……つまり、念動力であなたの体をあなたの意志に背いて動かそうとしたけど、失敗したわ」
ダリュー、と呼んだときマイヤがわずかに頬を染めるのを、内田は見つけた。
「で? そのダリュー、とやらが、あんたの好きな奴だってわけだ」
「嫌」
マイヤがいきなり真っ赤になった。プラチナの髪、透き通るほどの肌が、一瞬にして、ピンクや白やハート形であふれたファンシーグッズの店先のように華やいだ色に変わってしまう。急いで、手にしたカップをおきながら、警戒するように、
「あなた、テレパシーもあるの?」
「これだから妙な力のある奴ってのは…」
うんざりして、内田はぼやいた。
「何が何でも、超能力だの霊だのに結びつけやがって。あんただってさっき言ったろ、テレパシーを使わなくても、人の気持ちがわかる時もあるって。誰かの名前を言うたびに恥ずかしそうにもじもじ赤くなってりゃ、好きなやつだな、ぐらいわかるだろ? 人類を越えた力だか何だかを持ってるにしちゃあ、視野が狭いんじゃないか」
皮肉られて、マイヤはますます赤くなった。
「ごめんなさい…見抜かれるって嫌ね」
「自覚してくれ。けど、そのダリューってのも、『夏越』の仲間なんだろう?」
マイヤは瞳を陰らせて、内田から目を逸らせ、顔を強ばらせたままそっとうなずいた。
「他にもいるわ。マスメディアで騒がれた人間とは別に、結構超能力者っているのよ。ううん、騒がれた経過を知ってるだけに、息をひそめてるって言うか。でも、自分の力が何の役にも立たないことに苛立っているものも多い」
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