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第3話 花咲姫と奔流王

23.私室(1)

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「手紙?」
「はい、母から私へのものだと思います」
 レダンはシャルンの元私室で質素な椅子に腰を降ろした。
 玉座の広間より少し離れた場所に設えられていた部屋は、隙間風がひどく、窓も壊れかけていて、調度もかろうじて使える程度、国の立て直しに奔走していたとは言え、これでも随分整えましたと笑ったシャルンに絶句したものだ。
 母が居なくなって、娘の成長にも心の痛みにも気持ちを向けられない父親は、王族としての最低限の設えさえ整えず、侍女任せだったのだろう。いくら有能で目端の利いた侍女であっても、無限に金が湧いてくるわけもない。ルッカも隙間仕事を請け負って必死に設えをましにしようとしたとこぼしていた。
『それなのに何ですかね、あの馬鹿王と来たら、姫様がお食事が十分でなくて2回召し上がるものを3回に振り分けてても気づかずに、年頃だから少食なのだろうと言う始末。そりゃあ繕い物もうまくなりますよ、毎度毎度破れやほつれを手直しするんですから、凍えるような寒さの中で』
 この部屋を見た時、レダンはシャルンの感覚に初めて合点がいった。
 寒気の中、纏う衣類も限られていては、カースウェルの気候はどれほど心地よいだろう。食事もどこまで食べれば明日が残るかと考えることなく食べられるだけで、安心して幸せだと感じるだろう。今着ている衣服が汚れたり傷んだりしたら、次をどうしようかと考える必要がなく、クローゼットを開ければいつも洗濯したての新しい服があるだけで奇跡だろう。
 初めてカースウェルにやって来た時、構うことなく下女の衣服を身につけられたのも納得がいく、シャルンにとってはそれもまた大事な衣類だったのかも知れない。
「足りんな」
「…はい?」
 注意深く手紙を広げるシャルンが顔を上げる。
「全く足りん」
「あ」
 シャルンがはっとしたように手紙を置いた。
「申し訳ありません、只今、お部屋を温めます。その前に温かい飲み物をお持ちしましょう」
「あ、違う違う」
 レダンは慌てて手を振った。
 こう言う場合にすぐに『ハイオルト側』に戻ってしまうシャルンに、またもやじくじくと痛む胸を宥めながら、立ち上がってシャルンを抱える。
「へ、陛下?」
「足りないのは俺。あなたに対する愛情が全く足りない」
「え? あ、あのっ」
 シャルンが顔を青ざめさせた。
「あの、陛下、私」
「ああああ。違う違う違うんだって」
 はい、手紙を持って。
「は…はい」
 促して手紙を手に取るシャルンを、今度はひょいと抱え上げる。
「陛下っ」
「椅子は……2人座ると壊れそうだし、ソファにしよう」
 ソファは新しく新調したものだ。このみすぼらしい部屋にうんと不似合いだが、もう1つ新調したベッドに比べれば抑えた方だ。滅多に使わないのにとシャルンに苦情を言われたが、知るか。シャルンの部屋に、崩壊寸前の、布を詰め込んだ箱が置かれてあるのが気に食わなかっただけなのだから。
「うん、そうだな、ここはおいおい全部やりかえよう」
「あの、陛下、何を……あっ」
 よいしょ、とシャルンを抱えたまま、ソファに座ってようやく安心した。膝の上が暖かくて柔らかい。胸にいい香りがする。ぎゅうっとしばらく抱きしめてシャルンの髪に鼻先を埋めていると、
「陛下」
「…ん?」
「……お寂しかったのですか」
「……ん」
 ふふふ、と小さく笑いが漏れた。
 ほら見ろ、こんなことで感じ取ってくれるぐらい、シャルンは俺のことを見てくれてるぞ。
「ハイオルトは寒いですし……カースウェルより風も強いですし」
「うん」
「陛下にとってはまだ異国ですものね」
「うん?」
 ちょっとしょんぼりした声に聞こえて、急いで顔を離して覗き込んだ。心配そうに見上げてくると思った顔は、ほんわりと綻んでいる。
「こら、シャルン。俺を子ども扱いしたな?」
「はい、させて頂きました」
 にっこり笑って、シャルンから抱きついて来てくれた。
「不思議ですね、私にとっても、ハイオルトがもう異国のようです」
 陛下の統治下であらせられますのに、私が他国のように扱ってはならないのですが。
「あの書庫を見た時……ここにはもう何もないのだなと感じました」
「…そうか」
「私はここで生まれ育ち、様々な思いをしたはずなのですが…」
 テーブルに残していた茶色の革表紙の書物を見やる。
「あれは?」
「日記です。ここで暮らしていた時に、向かった国々のことを書き留めておりました」
 けれど、今読み返してみると、どのような思いをしたのかは書いておりませんでした。
「きっと、もしもう一度行くことになったのならと、そんなことばかり考えて、毎日、必死で…」
「…」
 ことばが一瞬途切れ、かすかに潤んだ気配があったので、レダンはそっと抱きしめる腕に力を込めた。
「ただ、必死で」
「……よく頑張っていたな」
「…はい」
「………よく頑張って、俺の所に辿り着いてくれたな」
「……はい、陛下」
 潤んだ声とともに、慌てたように指を顔に当てる仕草があった。
「その頃のそなたに感謝しかない……敬意を抱く」
「……陛下」
「恵まれた環境でも不平不満の種を蒔く者は多いのに、そなたは厳しい状況においても矜持を失わなかった。王族である責務を果たし続けた。……俺よりも……立派な王だ」
「私は……王でなくても良いのです」
 掠れた声でシャルンは呟いた。
「豪華な衣装も宝石も飾り物も、香り豊かな料理も菓子も、色鮮やかな風景も珍しい異国の音楽や舞も、共に楽しみ共に味わう方なしに、どんな喜びになりましょう。私は、陛下のお側に居たいのです………たとえ、『花咲』に関わるために王妃ではならぬと仰るならば、愛妾であったとしても」
「っ」
「…陛下?」
 思わず体が強張ったのだろう。シャルンが顔を上げて目を見開いた。
「いかがなされましたか、お顔の色が」
「あなたがとんでもないことを言うからだよ」
 レダンは一瞬どがっと殴られたような胸にゆっくり息を吸い入れた。
「俺を殺したいなら、次からその一言で済むな」
「一言?」
「俺に、あなた以外を迎え入れろって………自分で口にしてもやばいな、本当に血の気が引く。大したもんだ」
 ぶつぶつ唸って、驚いた顔のままのシャルンにキスする。
「覚えておいてほしい。あなたが『花咲』だろうと魔女だろうと世界の破滅そのものだろうと、あなたを失った時点で俺は保たないからな? 十分自覚してくれ、あなたが俺の命綱だぞ?」
「……はい……あの……はい、陛下」
 シャルンがはにかむように薄赤くなって、レダンはようやく一息ついた。
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