193 / 216
第3話 花咲姫と奔流王
16.2つ目の願い(3)
しおりを挟む
翌日、シャルンは1人にして欲しいと望んだ。
昨夜はレダンが混乱し不安に慄くシャルンを抱きしめ、休ませてくれた。朝になると、心配そうに振り返りながら部屋を出て、いつでも呼ぶと良い、ガストの部屋に居る、と言い置いてくれた。
夢を見ることはなかった。
夢を見るほどは眠れなかった。
「私が…知っていた…?」
レダンの言っていることは間違いではない。シャルン自身が口にしたことも、思い返せば、その通りだ。
それなら、今までハイオルトで『ガーダスの糸』を見て、『地下迷宮』や『花咲』や『魔法』などを思い出したり考えたことがあるのかと聞かれると、そんな覚えはない。『ガーダスの糸』は『ガーダスの糸』でしかなく、ルシュカの谷で美しい糸やレースになるのを感嘆して眺めた程度、ミディルン鉱石と繋げて考えたこともない。
けれども、ガストやレダンの突拍子もない発想を不思議がることもなくストンと飲み込めたのは、どこかでそれを知っていたからかも知れない。
「では…いつ…どこで…?」
ふと、地下通路を突き進んだときのような気持ちがした。
知るはずがない、知っているわけがない、そう否定して訴えればいいだけのことなのに、知っているかも知れない、ではどこで、と考える自分の気持ちに、少し戸惑う。
「何かが……変わったみたい」
胸にそっと手を当てる。
変わったとしたら、あの蓋の上に突き飛ばされた時だろうか。死ぬかも知れない、その直前まで目を開いていようと思った覚悟からだろうか。
「いえ…違うわ…」
そんなことは何度もあった。繰り返し見知らぬ男、シャルンの何を望むかわからぬ王の元に、たった1人で嫁ぐ度に、暗い夜空に突き飛ばされるような気持ちがしていたと今ならわかる。
見ないようにしていた。
殺されることも、辱められることも、我が身にかかる不幸を全て、幻のように感じるように。時に美しい光景に身を引き戻されて、それを手放す痛みも味わったが。
何が違ったのだろう。
シャルンは必死に思考を凝らす。
淹れられた温かなお茶も、柔らかく蒸された野菜やパンも、色鮮やかな果物も、今は意識に入らない。ただひたすらに自分に問う。
なぜ?
なぜ?
『シャルン!』
伸ばされた掌。
いえ違う。
『陛下!』
伸ばした指。
いつものことだ。
「……ああ…」
思い返して、ようやく気づく。
「…届いた、んだ……」
視界がいきなり霞んだ。
多くの罵倒と嘲笑を浴びながら、意味がないもの価値がないものとして扱われながら、それでもただ真っ直ぐに、やるべきことを進むべき道を探し求めて走り続けて。
初めて、届いた。
望む結果に。
自分がそれを望んでいたとは気づきもしなかった、成就に。
「陛下……っレダン……っ」
吹き零れる涙に顔を覆う。
力になりたかった。
これほど様々に足りないシャルンを守り包み愛おしんでくれたレダンに、何かを返したかった。
今までのように、自分がいなくなることで不快を減らそうとするのではなく、シャルンがいることでレダンが喜び笑って欲しかった。
きっと今までもそうだった、すべての王に対してそうだった、けれど誰一人としてシャルンを望まず、望まれるのはただ居なくなることだけだったので、シャルンはその『願い』を叶えた。
けれど、本当は。
お前が欲しいと言って欲しかった。
あなたが欲しいと伝えたかった。
それが叶わないなら、2つ目の願いでいい。
シャルンが消えることで喜ぶのなら。
シャルンが望まないことで安堵されるなら。
それでいい。
……そうではない。
それは2つ目の願いではなく、全く別の願いなのに、シャルンにはわからなかった。
「あなたが…欲しいのです……っ」
泣きじゃくりながら訴える、誰も部屋には居ないのだが。
「私は……あなたが…っ」
リュハヤなどに渡したくはなかった。水龍が襲った時、動けなかったのは怯んだばかりではない、リュハヤが居なくなるのを欲したのかも知れない、シャルン自身が。突き飛ばされた闇で、部も弁えずに手を伸ばすことなどできなかった、自分の卑怯さを棚上げにして。
けれど、今初めて、欲しいと伸ばしたこの指先が、紛れもなく一番欲しいものに届いたから。
シャルンの中で、何かが変わった。
「れだん………っ………!」
「…シャルン?」
ふわりと背後から抱きしめられて息が止まるほど驚いた。
「陛下……?」
「…つれないな、もうそちらの呼び方に戻るのか?」
いつの間に戻ってきていたのだろう、ベッドに滑り込んだレダンが、静かにシャルンを抱いている。
「どうして…?」
「それはこちらの台詞だと思うが? 夫を求めて泣きじゃくる妻を放置するような男に思われていたとは心外だぞ」
「レダン…」
ぼやぼやと視界が溶け落ちていく。耳元で穏やかに囁かれる声に涙が止まらなくなる。
「私……卑怯でした」
「…ああ」
「一番欲しいものを…断られるのが怖くて……っ」
「うん…」
「でも……物凄く、頑張ってて……」
「うん」
「初めて……っ…届いて……っ」
「うんうん」
すがりつく腕がぎゅうっと深く抱き込んでくれる。髪に唇が触れて囁きが聞こえる。
「聞こえてる」
「私……陛下が……欲しいです…っ」
「わかってる」
「ずっと……側に……居て欲しいです……っ」
「約束する」
「ずうっと…です…っ」
「ずうっとだ」
「ずうっっとですよ…っ」
「俺は…嬉しいよ、シャルン」
密やかに、キスが目元に降りてくる。
「一番欲しいものを手に入れてるからな」
その夜、泣きじゃくりながらお願いし続けるシャルンと約束し続けるレダンが眠りについたのは明け方近く、昼前にお互いに眠い目を擦りながら起き上がった2人はガストの大声に飛び上がった。
「すぐに来て下さい! ルッカが大立ち回りをやらかしてます!」
昨夜はレダンが混乱し不安に慄くシャルンを抱きしめ、休ませてくれた。朝になると、心配そうに振り返りながら部屋を出て、いつでも呼ぶと良い、ガストの部屋に居る、と言い置いてくれた。
夢を見ることはなかった。
夢を見るほどは眠れなかった。
「私が…知っていた…?」
レダンの言っていることは間違いではない。シャルン自身が口にしたことも、思い返せば、その通りだ。
それなら、今までハイオルトで『ガーダスの糸』を見て、『地下迷宮』や『花咲』や『魔法』などを思い出したり考えたことがあるのかと聞かれると、そんな覚えはない。『ガーダスの糸』は『ガーダスの糸』でしかなく、ルシュカの谷で美しい糸やレースになるのを感嘆して眺めた程度、ミディルン鉱石と繋げて考えたこともない。
けれども、ガストやレダンの突拍子もない発想を不思議がることもなくストンと飲み込めたのは、どこかでそれを知っていたからかも知れない。
「では…いつ…どこで…?」
ふと、地下通路を突き進んだときのような気持ちがした。
知るはずがない、知っているわけがない、そう否定して訴えればいいだけのことなのに、知っているかも知れない、ではどこで、と考える自分の気持ちに、少し戸惑う。
「何かが……変わったみたい」
胸にそっと手を当てる。
変わったとしたら、あの蓋の上に突き飛ばされた時だろうか。死ぬかも知れない、その直前まで目を開いていようと思った覚悟からだろうか。
「いえ…違うわ…」
そんなことは何度もあった。繰り返し見知らぬ男、シャルンの何を望むかわからぬ王の元に、たった1人で嫁ぐ度に、暗い夜空に突き飛ばされるような気持ちがしていたと今ならわかる。
見ないようにしていた。
殺されることも、辱められることも、我が身にかかる不幸を全て、幻のように感じるように。時に美しい光景に身を引き戻されて、それを手放す痛みも味わったが。
何が違ったのだろう。
シャルンは必死に思考を凝らす。
淹れられた温かなお茶も、柔らかく蒸された野菜やパンも、色鮮やかな果物も、今は意識に入らない。ただひたすらに自分に問う。
なぜ?
なぜ?
『シャルン!』
伸ばされた掌。
いえ違う。
『陛下!』
伸ばした指。
いつものことだ。
「……ああ…」
思い返して、ようやく気づく。
「…届いた、んだ……」
視界がいきなり霞んだ。
多くの罵倒と嘲笑を浴びながら、意味がないもの価値がないものとして扱われながら、それでもただ真っ直ぐに、やるべきことを進むべき道を探し求めて走り続けて。
初めて、届いた。
望む結果に。
自分がそれを望んでいたとは気づきもしなかった、成就に。
「陛下……っレダン……っ」
吹き零れる涙に顔を覆う。
力になりたかった。
これほど様々に足りないシャルンを守り包み愛おしんでくれたレダンに、何かを返したかった。
今までのように、自分がいなくなることで不快を減らそうとするのではなく、シャルンがいることでレダンが喜び笑って欲しかった。
きっと今までもそうだった、すべての王に対してそうだった、けれど誰一人としてシャルンを望まず、望まれるのはただ居なくなることだけだったので、シャルンはその『願い』を叶えた。
けれど、本当は。
お前が欲しいと言って欲しかった。
あなたが欲しいと伝えたかった。
それが叶わないなら、2つ目の願いでいい。
シャルンが消えることで喜ぶのなら。
シャルンが望まないことで安堵されるなら。
それでいい。
……そうではない。
それは2つ目の願いではなく、全く別の願いなのに、シャルンにはわからなかった。
「あなたが…欲しいのです……っ」
泣きじゃくりながら訴える、誰も部屋には居ないのだが。
「私は……あなたが…っ」
リュハヤなどに渡したくはなかった。水龍が襲った時、動けなかったのは怯んだばかりではない、リュハヤが居なくなるのを欲したのかも知れない、シャルン自身が。突き飛ばされた闇で、部も弁えずに手を伸ばすことなどできなかった、自分の卑怯さを棚上げにして。
けれど、今初めて、欲しいと伸ばしたこの指先が、紛れもなく一番欲しいものに届いたから。
シャルンの中で、何かが変わった。
「れだん………っ………!」
「…シャルン?」
ふわりと背後から抱きしめられて息が止まるほど驚いた。
「陛下……?」
「…つれないな、もうそちらの呼び方に戻るのか?」
いつの間に戻ってきていたのだろう、ベッドに滑り込んだレダンが、静かにシャルンを抱いている。
「どうして…?」
「それはこちらの台詞だと思うが? 夫を求めて泣きじゃくる妻を放置するような男に思われていたとは心外だぞ」
「レダン…」
ぼやぼやと視界が溶け落ちていく。耳元で穏やかに囁かれる声に涙が止まらなくなる。
「私……卑怯でした」
「…ああ」
「一番欲しいものを…断られるのが怖くて……っ」
「うん…」
「でも……物凄く、頑張ってて……」
「うん」
「初めて……っ…届いて……っ」
「うんうん」
すがりつく腕がぎゅうっと深く抱き込んでくれる。髪に唇が触れて囁きが聞こえる。
「聞こえてる」
「私……陛下が……欲しいです…っ」
「わかってる」
「ずっと……側に……居て欲しいです……っ」
「約束する」
「ずうっと…です…っ」
「ずうっとだ」
「ずうっっとですよ…っ」
「俺は…嬉しいよ、シャルン」
密やかに、キスが目元に降りてくる。
「一番欲しいものを手に入れてるからな」
その夜、泣きじゃくりながらお願いし続けるシャルンと約束し続けるレダンが眠りについたのは明け方近く、昼前にお互いに眠い目を擦りながら起き上がった2人はガストの大声に飛び上がった。
「すぐに来て下さい! ルッカが大立ち回りをやらかしてます!」
0
お気に入りに追加
73
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
側妃に追放された王太子
基本二度寝
ファンタジー
「王が倒れた今、私が王の代理を務めます」
正妃は数年前になくなり、側妃の女が現在正妃の代わりを務めていた。
そして、国王が体調不良で倒れた今、側妃は貴族を集めて宣言した。
王の代理が側妃など異例の出来事だ。
「手始めに、正妃の息子、現王太子の婚約破棄と身分の剥奪を命じます」
王太子は息を吐いた。
「それが国のためなら」
貴族も大臣も側妃の手が及んでいる。
無駄に抵抗するよりも、王太子はそれに従うことにした。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持
空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。
その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。
※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。
※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】領地に行くと言って出掛けた夫が帰って来ません。〜愛人と失踪した様です〜
山葵
恋愛
政略結婚で結婚した夫は、式を挙げた3日後に「領地に視察に行ってくる」と言って出掛けて行った。
いつ帰るのかも告げずに出掛ける夫を私は見送った。
まさかそれが夫の姿を見る最後になるとは夢にも思わずに…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる