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第3話 花咲姫と奔流王
14.薄闇の猿ども(3)
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「!」
遠くで悲鳴が聞こえたような気がして、レダンは鋭く頭を上げた。眉をしかめて耳を澄ませる。だが、それ以上の物音は続かない。
「レダン」
「…先へ進む」
左手を壁に突き、右手は空けておく。暗闇の中では僅かな遅れが命取りだ。松明を掲げてもよかったが、サリストア達の話によれば、命綱を切る趣味がある奴らが潜んでいるらしい。明かりを灯してこちらの居場所や人数、装備を明らかにすることはない。
足元はざりざりと乾いた印象だった。ルシュカの谷のように湿気が体を包む感覚はない。なのに、妙に何かひたひたと押し寄せるものがある。
「何ですかね」
ガストも訝しげだ。
「体がちりちりしませんか」
「そうだな、嵐の前のようだ。雷雲が降りてきて、稲妻が走る日に似ている」
「今頃、姫君達は王城に戻っていますかね」
「戻っていたらルッカに仕置きされてるさ」
もっとも、このままじゃ俺の命も危ないもんだがな。
おどけて呟いてみたが、冗談ではないのを感じている。気持ちがささくれ、体から棘が生えそうだ。ガストがそれとなく距離を取ってくれているのが有難い。
シャルン。
シャルン。
こんな暗闇の中をたった1人で、どれほど心細いだろう。それほど遅れて追ったはずもないし、女性の、しかもドレス姿の娘が進むには遠すぎる距離を進んできている。なのに追いつけない。
何度か立ち止まって右側の壁に分岐がないのを確かめてはいるが、それでもひょっとして見逃した小さな通路があったのだろうか、シャルン1人が通れるような細い道が。ガストと体を縄で繋ぎ、道幅一杯も離れてみたこともあるが、それでも別の道はなかったはずだ。
「…っ」
嫌な汗が流れ落ちて、暑くもないのに体が火照る。落ち着け、と言い聞かせても、シャルンの笑顔が闇の向こうに消えていきそうで、息苦しくて辛い。
「…ダン…レダン!」
「っ」
肩を掴まれて危うく振り解くところだった。間近に顔を寄せていたガストが、ふ、と吐息で笑う。
「何だ」
「水を飲みましょう、と言ったんですよ」
「…今はいい」
「飲んで下さい」
「シャルンは水を持っていなかったぞ」
「ならば尚更。あなたがへたっていては、助けられる者も助けられません」
『あなたが疲れ切っていては、この国は建て直せませんよ。さあ、食べて下さい』
声に昔の光景が過った。肩の力を抜く。もちろんそうだ。そんなことも思い出さなくてはならないなど、我を失っているにもほどがある。
「…貰おう」
「どうぞ」
皮袋の水は温かったが旨かった。腰を下ろし、ガストに残りを渡し、手足を伸ばし、ゆっくり呼吸する。
「なあ」
「はい」
「おかしくないか。どうしてシャルンに追いつけない?」
「確認した限りで分岐はありませんね。同じところをぐるぐる回っている感じでもないです」
「こんな暗闇で、しかもドレスを捌きながら、こんなに速く歩めるか?」
「…考えたくはないですが」
ガストが嫌々ながらと言いたげに続ける。
「誰かに捕まって運ばれたのか、どこかで倒れておられたのを見過ごしたか」
「…前者はあり得るが、女1人担いで逃げるには狭すぎるし暗すぎる。後者は違うな、シャルンの匂いはしなかった」
「犬ですか」
「獣だからな」
「では3つ目の可能性です。誰か明かりを持っている者が、奥方様を誘導している」
「…だな」
そうなるとますます、これは仕組まれた企みだ。
しかしシャルンを狙ったのがどうにも解せない。ミラルシア復位の駒としても使いようが難しい。シャルンを攫った時点でレダンにとっては撃滅必須の敵認定だし、レダンが脅しに大人しく屈する性格ではないのは、近隣の国、いやダフラムでも想定内だろう。ましてやレダンのシャルン溺愛は物語にも語られるほど、火薬庫の上で松明を持って踊るバカはいないはずだ。
「ちょっと気になってるんですが」
「何だ」
「この周囲の岩、よおく目を凝らして見ると、チカチカしてませんか?」
「チカチカ?」
「ごく小さな粒なんですが、ミディルン鉱石が含まれてるんじゃないかと思うんですよ」
「…アルシアにミディルン鉱石の鉱脈があるとは聞かないぞ」
「まだ見つかっていないだけでは」
「…地下迷宮か!」
「『魔法は石に封じ込められ、魔女の呼びかけに応えて開く』んですよ。もし、これがミディルン鉱石ならば、『かげ』が見える奥方様の呼びかけに反応したりはしないですかね」
闇の中でガストの目が光った気がした。
「それに」
ガストがごそごそとレダンの近くに寄ってきて腕を掴み、見てて下さい、と囁きながら、岩の表面を袖口で強く擦った。
「っ」
「ね?」
息を呑むレダンに、もう一度ガストはチカチカする点の上を擦る。
今度も確かに点が小さく光を放ち、擦った通りに薄明るく光の筋を描くのが見えた。同時に目を見開いてレダンを見つめる、ガストの顔も一瞬浮かび上がる。
「…どういうことだ」
「たぶん、擦ったことで小さく発火するんでしょう。『迷宮は紫に輝く石で作られ…火を灯し』です」
「だとしたら」
「奥方様を狙った理由は、ミラルシア様復位とは全く別です。ルシュカの谷、龍神教の顛末を知った誰かが、奥方様ならミディルン鉱石の大きな鉱脈を探せると考えたとしたら? その鉱脈を元に、ダフラムでもいい、アルシアでもいい、世界の覇権に近づけると考えたなら?」
レダンの顔から音を立てて血の気が引いた。
なるほどそれならシャルンはまたとない案内人だ。
遠くで悲鳴が聞こえたような気がして、レダンは鋭く頭を上げた。眉をしかめて耳を澄ませる。だが、それ以上の物音は続かない。
「レダン」
「…先へ進む」
左手を壁に突き、右手は空けておく。暗闇の中では僅かな遅れが命取りだ。松明を掲げてもよかったが、サリストア達の話によれば、命綱を切る趣味がある奴らが潜んでいるらしい。明かりを灯してこちらの居場所や人数、装備を明らかにすることはない。
足元はざりざりと乾いた印象だった。ルシュカの谷のように湿気が体を包む感覚はない。なのに、妙に何かひたひたと押し寄せるものがある。
「何ですかね」
ガストも訝しげだ。
「体がちりちりしませんか」
「そうだな、嵐の前のようだ。雷雲が降りてきて、稲妻が走る日に似ている」
「今頃、姫君達は王城に戻っていますかね」
「戻っていたらルッカに仕置きされてるさ」
もっとも、このままじゃ俺の命も危ないもんだがな。
おどけて呟いてみたが、冗談ではないのを感じている。気持ちがささくれ、体から棘が生えそうだ。ガストがそれとなく距離を取ってくれているのが有難い。
シャルン。
シャルン。
こんな暗闇の中をたった1人で、どれほど心細いだろう。それほど遅れて追ったはずもないし、女性の、しかもドレス姿の娘が進むには遠すぎる距離を進んできている。なのに追いつけない。
何度か立ち止まって右側の壁に分岐がないのを確かめてはいるが、それでもひょっとして見逃した小さな通路があったのだろうか、シャルン1人が通れるような細い道が。ガストと体を縄で繋ぎ、道幅一杯も離れてみたこともあるが、それでも別の道はなかったはずだ。
「…っ」
嫌な汗が流れ落ちて、暑くもないのに体が火照る。落ち着け、と言い聞かせても、シャルンの笑顔が闇の向こうに消えていきそうで、息苦しくて辛い。
「…ダン…レダン!」
「っ」
肩を掴まれて危うく振り解くところだった。間近に顔を寄せていたガストが、ふ、と吐息で笑う。
「何だ」
「水を飲みましょう、と言ったんですよ」
「…今はいい」
「飲んで下さい」
「シャルンは水を持っていなかったぞ」
「ならば尚更。あなたがへたっていては、助けられる者も助けられません」
『あなたが疲れ切っていては、この国は建て直せませんよ。さあ、食べて下さい』
声に昔の光景が過った。肩の力を抜く。もちろんそうだ。そんなことも思い出さなくてはならないなど、我を失っているにもほどがある。
「…貰おう」
「どうぞ」
皮袋の水は温かったが旨かった。腰を下ろし、ガストに残りを渡し、手足を伸ばし、ゆっくり呼吸する。
「なあ」
「はい」
「おかしくないか。どうしてシャルンに追いつけない?」
「確認した限りで分岐はありませんね。同じところをぐるぐる回っている感じでもないです」
「こんな暗闇で、しかもドレスを捌きながら、こんなに速く歩めるか?」
「…考えたくはないですが」
ガストが嫌々ながらと言いたげに続ける。
「誰かに捕まって運ばれたのか、どこかで倒れておられたのを見過ごしたか」
「…前者はあり得るが、女1人担いで逃げるには狭すぎるし暗すぎる。後者は違うな、シャルンの匂いはしなかった」
「犬ですか」
「獣だからな」
「では3つ目の可能性です。誰か明かりを持っている者が、奥方様を誘導している」
「…だな」
そうなるとますます、これは仕組まれた企みだ。
しかしシャルンを狙ったのがどうにも解せない。ミラルシア復位の駒としても使いようが難しい。シャルンを攫った時点でレダンにとっては撃滅必須の敵認定だし、レダンが脅しに大人しく屈する性格ではないのは、近隣の国、いやダフラムでも想定内だろう。ましてやレダンのシャルン溺愛は物語にも語られるほど、火薬庫の上で松明を持って踊るバカはいないはずだ。
「ちょっと気になってるんですが」
「何だ」
「この周囲の岩、よおく目を凝らして見ると、チカチカしてませんか?」
「チカチカ?」
「ごく小さな粒なんですが、ミディルン鉱石が含まれてるんじゃないかと思うんですよ」
「…アルシアにミディルン鉱石の鉱脈があるとは聞かないぞ」
「まだ見つかっていないだけでは」
「…地下迷宮か!」
「『魔法は石に封じ込められ、魔女の呼びかけに応えて開く』んですよ。もし、これがミディルン鉱石ならば、『かげ』が見える奥方様の呼びかけに反応したりはしないですかね」
闇の中でガストの目が光った気がした。
「それに」
ガストがごそごそとレダンの近くに寄ってきて腕を掴み、見てて下さい、と囁きながら、岩の表面を袖口で強く擦った。
「っ」
「ね?」
息を呑むレダンに、もう一度ガストはチカチカする点の上を擦る。
今度も確かに点が小さく光を放ち、擦った通りに薄明るく光の筋を描くのが見えた。同時に目を見開いてレダンを見つめる、ガストの顔も一瞬浮かび上がる。
「…どういうことだ」
「たぶん、擦ったことで小さく発火するんでしょう。『迷宮は紫に輝く石で作られ…火を灯し』です」
「だとしたら」
「奥方様を狙った理由は、ミラルシア様復位とは全く別です。ルシュカの谷、龍神教の顛末を知った誰かが、奥方様ならミディルン鉱石の大きな鉱脈を探せると考えたとしたら? その鉱脈を元に、ダフラムでもいい、アルシアでもいい、世界の覇権に近づけると考えたなら?」
レダンの顔から音を立てて血の気が引いた。
なるほどそれならシャルンはまたとない案内人だ。
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