174 / 216
第3話 花咲姫と奔流王
9.龍神祭り(4)
しおりを挟む
陛下はやはりリュハヤ様の方を美しいとご覧になっているのかしら。
さすがにちょっと不安になってレダンを見上げると、相手は厳しい顔でリュハヤを見つめている。いや、正確に言うと、リュハヤの向こうの池の水を、と言うべきか。
「…シャルン」
そればかりか、シャルンの手首を掴み、引き寄せてきた。
「陛下?」
「何か、やばいぞ」
公的な場所で崩すはずのないことば遣いに驚いて、視線の方を振り向くと、確かにさっきまで静かに凪いでいた水が揺れている。
イルデハヤは気づいているのか気づいていないのか、跪いて水を汲み上げ、側のリュハヤの頭から掛けながら、呪文のように繰り返した。
「私の欲望を流して下さい。私の祈りを運んで下さい。私の願いを燃やして下さい……私の欲望を流して下さい。私の祈りを運んで下さい。私の願いを燃やして下さい…」
同じくリュハヤも目を閉じ、池の側に跪き、よく通る声で呟く。
「私の欲望を流して下さい。私の祈りを運んで下さい。私の願いを燃やして下さい…」
ゆら、と水が揺れる。
ゆら、ゆら、と水が動く、まるで祈りに応じるように。
「…ああ」
シャルンは思わず声を漏らした。
『祈りの館』の与えられた小部屋で見た幻のように、池の水が渦巻きながら立ち上がっていく。周囲の岩盤を浸し、灯りを掲げてぐるりと取り囲んで立っている男達の足元まで、シャルンやレダンの靴を濡らしながら溢れ出していく。もちろん、イルデハヤもリュハヤも全身濡れている。そればかりか、池の水が押しのけられた真ん中に、巨大な岩が見え始めた。岩盤の底かと思ったが、そうではなく、池の中央深くに沈んでいた岩が、祈りに呼ばれて立ち上がってくるような気配だ。
「…いけない…」
シャルンは首を振った。
「そのように呼び出しては…」
「シャルン…?」
「それは、そのように呼ばれることを……望まない…」
「どうした? おい?」
手首を強く握られた。背後から案じるように抱きしめられた、けれどシャルンの目に映ったのは、青く水を跳ねて浮き上がる、人の体より遥かに大きな、空洞の半ばまで覆うほどのミディルン鉱石だ。
今やリュハヤとイルデハヤは感極まったように鉱石の前に跪き、泣き出しかけながら呼びかけている。
「私の欲望を流して下さい。私の祈りを運んで下さい。私の願いを燃やして下さいいいい!」
「猛き光の雄々しき龍、湖に満ちし炎をもって、我が祝福となし給ええええ!」
「…っっっ」
ぐわり、と石が割れた。縦横無尽にヒビが入り、空中で一気に砕け散る。
「きゃあああ!」「ううわあ!!」
破片が飛び散り、灯りを砕く。掲げていた男達が腕を裂かれ足を折られて転がり倒れる。イルデハヤがまるで小動物のような素早さで岩陰に飛びすさっていき、不思議なことに傷一つないリュハヤが池の側に座り込んでいる。
「大丈夫か、シャルン!」
「奥方様!」「早くこちらへ!」
とっさに抱え込んでくれたのだろう、レダンの熱い体に抱かれ、シャルンはそれでもまだ池から目を離せなかった。
「ガスト前へ! ルッカ、シャルンを抱えて下がれ、怪我人を確認、対処に当たる……っ?」
「待って下さい」
すぐに体勢を立て直し、飛び出そうとするレダンとガストをシャルンは押し留めた。
「駄目です、今は駄目」
「鉱石は砕けた、リュハヤは無事なようだが、水龍なんてどこにも」
「いえ」
シャルンはごくりと唾を呑んだ。
「駄目です、居ます、すぐそこに」
「何……何……何なの…」
座り込んだリュハヤが怯えた顔で周囲を見る。
「どう言うこと? 水龍は? お父様? どうしたの、何が起きたの?」
「あ…っ、駄目っ!」
「シャルン!」
レダンを押し退け、飛び出したが既に遅かった。
怯えたリュハヤが真っ青になったまま、よろめき立ち上がり、岩陰に居るイルデハヤを見つけて駆け寄ろうとした矢先、があっ、とどこからか激しい咆哮が響いた。次の瞬間、中腰になったリュハヤの上半身がふっつりと消える。
「ヒッ」「ひいいっ」
全身の傷の痛みでのたうち回る男達の間から悲鳴が上がった。残ったリュハヤの下半身が不安定に揺れ、そのままどさりと荷物のように床に転がる。
そうしてシャルンは飛び出したドレスの裾にリュハヤの鮮血を受けたまま、凍りついたように中空を見上げていた。
さすがにちょっと不安になってレダンを見上げると、相手は厳しい顔でリュハヤを見つめている。いや、正確に言うと、リュハヤの向こうの池の水を、と言うべきか。
「…シャルン」
そればかりか、シャルンの手首を掴み、引き寄せてきた。
「陛下?」
「何か、やばいぞ」
公的な場所で崩すはずのないことば遣いに驚いて、視線の方を振り向くと、確かにさっきまで静かに凪いでいた水が揺れている。
イルデハヤは気づいているのか気づいていないのか、跪いて水を汲み上げ、側のリュハヤの頭から掛けながら、呪文のように繰り返した。
「私の欲望を流して下さい。私の祈りを運んで下さい。私の願いを燃やして下さい……私の欲望を流して下さい。私の祈りを運んで下さい。私の願いを燃やして下さい…」
同じくリュハヤも目を閉じ、池の側に跪き、よく通る声で呟く。
「私の欲望を流して下さい。私の祈りを運んで下さい。私の願いを燃やして下さい…」
ゆら、と水が揺れる。
ゆら、ゆら、と水が動く、まるで祈りに応じるように。
「…ああ」
シャルンは思わず声を漏らした。
『祈りの館』の与えられた小部屋で見た幻のように、池の水が渦巻きながら立ち上がっていく。周囲の岩盤を浸し、灯りを掲げてぐるりと取り囲んで立っている男達の足元まで、シャルンやレダンの靴を濡らしながら溢れ出していく。もちろん、イルデハヤもリュハヤも全身濡れている。そればかりか、池の水が押しのけられた真ん中に、巨大な岩が見え始めた。岩盤の底かと思ったが、そうではなく、池の中央深くに沈んでいた岩が、祈りに呼ばれて立ち上がってくるような気配だ。
「…いけない…」
シャルンは首を振った。
「そのように呼び出しては…」
「シャルン…?」
「それは、そのように呼ばれることを……望まない…」
「どうした? おい?」
手首を強く握られた。背後から案じるように抱きしめられた、けれどシャルンの目に映ったのは、青く水を跳ねて浮き上がる、人の体より遥かに大きな、空洞の半ばまで覆うほどのミディルン鉱石だ。
今やリュハヤとイルデハヤは感極まったように鉱石の前に跪き、泣き出しかけながら呼びかけている。
「私の欲望を流して下さい。私の祈りを運んで下さい。私の願いを燃やして下さいいいい!」
「猛き光の雄々しき龍、湖に満ちし炎をもって、我が祝福となし給ええええ!」
「…っっっ」
ぐわり、と石が割れた。縦横無尽にヒビが入り、空中で一気に砕け散る。
「きゃあああ!」「ううわあ!!」
破片が飛び散り、灯りを砕く。掲げていた男達が腕を裂かれ足を折られて転がり倒れる。イルデハヤがまるで小動物のような素早さで岩陰に飛びすさっていき、不思議なことに傷一つないリュハヤが池の側に座り込んでいる。
「大丈夫か、シャルン!」
「奥方様!」「早くこちらへ!」
とっさに抱え込んでくれたのだろう、レダンの熱い体に抱かれ、シャルンはそれでもまだ池から目を離せなかった。
「ガスト前へ! ルッカ、シャルンを抱えて下がれ、怪我人を確認、対処に当たる……っ?」
「待って下さい」
すぐに体勢を立て直し、飛び出そうとするレダンとガストをシャルンは押し留めた。
「駄目です、今は駄目」
「鉱石は砕けた、リュハヤは無事なようだが、水龍なんてどこにも」
「いえ」
シャルンはごくりと唾を呑んだ。
「駄目です、居ます、すぐそこに」
「何……何……何なの…」
座り込んだリュハヤが怯えた顔で周囲を見る。
「どう言うこと? 水龍は? お父様? どうしたの、何が起きたの?」
「あ…っ、駄目っ!」
「シャルン!」
レダンを押し退け、飛び出したが既に遅かった。
怯えたリュハヤが真っ青になったまま、よろめき立ち上がり、岩陰に居るイルデハヤを見つけて駆け寄ろうとした矢先、があっ、とどこからか激しい咆哮が響いた。次の瞬間、中腰になったリュハヤの上半身がふっつりと消える。
「ヒッ」「ひいいっ」
全身の傷の痛みでのたうち回る男達の間から悲鳴が上がった。残ったリュハヤの下半身が不安定に揺れ、そのままどさりと荷物のように床に転がる。
そうしてシャルンは飛び出したドレスの裾にリュハヤの鮮血を受けたまま、凍りついたように中空を見上げていた。
0
お気に入りに追加
73
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
側妃に追放された王太子
基本二度寝
ファンタジー
「王が倒れた今、私が王の代理を務めます」
正妃は数年前になくなり、側妃の女が現在正妃の代わりを務めていた。
そして、国王が体調不良で倒れた今、側妃は貴族を集めて宣言した。
王の代理が側妃など異例の出来事だ。
「手始めに、正妃の息子、現王太子の婚約破棄と身分の剥奪を命じます」
王太子は息を吐いた。
「それが国のためなら」
貴族も大臣も側妃の手が及んでいる。
無駄に抵抗するよりも、王太子はそれに従うことにした。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持
空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。
その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。
※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。
※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】領地に行くと言って出掛けた夫が帰って来ません。〜愛人と失踪した様です〜
山葵
恋愛
政略結婚で結婚した夫は、式を挙げた3日後に「領地に視察に行ってくる」と言って出掛けて行った。
いつ帰るのかも告げずに出掛ける夫を私は見送った。
まさかそれが夫の姿を見る最後になるとは夢にも思わずに…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる