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第3話 花咲姫と奔流王
3.龍と花咲(4)
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その夜。
レダンは出立前に片付ける仕事があるので先に休むようにと言い渡され、シャルンはルッカとともに寝支度をしていた。
「…ねえ、ルッカ」
「はい、なんでございましょう」
「龍神教とはどのような教えなのかしら」
肩に触れる程度の髪を丁寧に梳いていたルッカが手を止める。回数を数えているのだろう、ん、と一瞬間を置いて、じっと鏡の中からシャルンを見返した。
「なぜ、私にお尋ねになりますか?」
「ここにはあなたかしかいないもの」
違いますね、と無言で問いかけてくる視線に頷きを返す。
「……以前、アルシアに居たのでしょう?」
見つめ続けるルッカに微笑む。
「アルシアは戦闘国家、そこで名の知られた剣士、ガストさえ知っているような方が、なぜ私の侍女になったのか」
シャルンは笑みを深めた。
「私も考えてみたの。お母様が亡くなって、その話を詳細に知らない者を侍女につける必要があった、それはわかったわ」
シャルンの母の死には、何か語られてはならないことがある。父は今も語ろうとしてくれないし、事情を知りそうな者は既に王家から離れてしまっている。
「…怪我をしたのですよ」
ルッカが静かに答えた。
「些細な諍いで、背中とお腹に傷を負いました。治癒はしたけれど、それまでのような動きはできなくなりました」
「…温泉に浸かってくれなかったわね」
ダスカスを訪れた時、ルッカは湯を勧めるシャルンに、王族しか入らないと聞いたのでと断った。
「…よく覚えておいでですね」
ルッカは諦めたように笑った。ゆっくりと髪を梳き始める。
「父はあなたに何を頼んだの?」
「…」
「もし、ガストのことば通りなら、『些細な諍い』であなたが傷を負うことはないように思うのだけど」
「…昔話をお望みでしょうか」
「眠る前には御伽噺を聞くものでしょう?」
ほう、とこれは優しい溜息だった。
「………98、99、100……と。敵いませんね。お茶を淹れて参りましょう」
ルッカは一礼して下がった。
「私はアルシアに生まれ、アルシアに育ちました」
ルッカがぽつりぽつりと話し出す。
「私の母も剣士でしたし、父は早くに亡くなりましたが、母が私の剣を磨いてくれました……大好きな母でした」
いつもの元気のいい口調ではなく、どこか沈んだ虚ろな声だった。
「私は若く、母は元気でした。年齢を重ねるうちに、私の剣は国で名を知られるほどになり、母もそれを自慢にしておりましたが……馬鹿なことを吹き込んだ者が居たのですよ」
母と娘、どちらが素晴らしい剣士なのだろう。
「私は母に決まっていると思っておりました」
私の剣は短慮で浅く、確かに伸び代はありましたが未熟でしたので。
「けれど、母はそう思いませんでした」
シャルンはカップを取り上げ、お茶を含む。寝る前のお茶は眠気を吹き飛ばしてしまうかも知らないが、初めて聞くルッカの話の重さには、しっかりした気持ちが必要だった。
「ある日、母は試してみようと言いました」
十分に教えた。十分に学んだ。おそらくこれ以上教えることはないだろう。ならば、その成果を、母親としても剣士としても知っておきたい。
「私は…逃げました」
最初で最後の、戦いを拒んだ瞬間だった。
「母は、自らを馬鹿にされたと感じ、憤ったのですよ」
苦笑いする目元に微かに揺れたのは後悔。
「そして、それは真実でした」
ルッカは自分の力が母より優っていると感じていた。それは剣技ではない、年齢によるものだ。剣士としては母の方が数段優れていると知っているが、若さの反射はそれを上回る。
「…私と母の差は、数十段分はなかった。それを、母も理解しておりました」
逃げるルッカを追い、卑怯だとわかっていながら背中から切りつけ、ルッカも向き合わざるを得なかった。母の剣は重い剣だった。堪えるのに必死になる間にクタクタになり、跳ね返さなくてはもっと嫌なところに踏み込んでくる剣。
「私の剣の命は、この先無くなるとわかりました」
ルッカが少し口を噤み、アルシアでのレダンの試合を思い出した。
『アルシアには戦いこそ人生と言うつまらない血が流れているのですよ』
吐き捨てるような物言い。
レダンと似ている、重い剣を知っている。
「その瞬間、私は母に反撃しておりました」
レダンは出立前に片付ける仕事があるので先に休むようにと言い渡され、シャルンはルッカとともに寝支度をしていた。
「…ねえ、ルッカ」
「はい、なんでございましょう」
「龍神教とはどのような教えなのかしら」
肩に触れる程度の髪を丁寧に梳いていたルッカが手を止める。回数を数えているのだろう、ん、と一瞬間を置いて、じっと鏡の中からシャルンを見返した。
「なぜ、私にお尋ねになりますか?」
「ここにはあなたかしかいないもの」
違いますね、と無言で問いかけてくる視線に頷きを返す。
「……以前、アルシアに居たのでしょう?」
見つめ続けるルッカに微笑む。
「アルシアは戦闘国家、そこで名の知られた剣士、ガストさえ知っているような方が、なぜ私の侍女になったのか」
シャルンは笑みを深めた。
「私も考えてみたの。お母様が亡くなって、その話を詳細に知らない者を侍女につける必要があった、それはわかったわ」
シャルンの母の死には、何か語られてはならないことがある。父は今も語ろうとしてくれないし、事情を知りそうな者は既に王家から離れてしまっている。
「…怪我をしたのですよ」
ルッカが静かに答えた。
「些細な諍いで、背中とお腹に傷を負いました。治癒はしたけれど、それまでのような動きはできなくなりました」
「…温泉に浸かってくれなかったわね」
ダスカスを訪れた時、ルッカは湯を勧めるシャルンに、王族しか入らないと聞いたのでと断った。
「…よく覚えておいでですね」
ルッカは諦めたように笑った。ゆっくりと髪を梳き始める。
「父はあなたに何を頼んだの?」
「…」
「もし、ガストのことば通りなら、『些細な諍い』であなたが傷を負うことはないように思うのだけど」
「…昔話をお望みでしょうか」
「眠る前には御伽噺を聞くものでしょう?」
ほう、とこれは優しい溜息だった。
「………98、99、100……と。敵いませんね。お茶を淹れて参りましょう」
ルッカは一礼して下がった。
「私はアルシアに生まれ、アルシアに育ちました」
ルッカがぽつりぽつりと話し出す。
「私の母も剣士でしたし、父は早くに亡くなりましたが、母が私の剣を磨いてくれました……大好きな母でした」
いつもの元気のいい口調ではなく、どこか沈んだ虚ろな声だった。
「私は若く、母は元気でした。年齢を重ねるうちに、私の剣は国で名を知られるほどになり、母もそれを自慢にしておりましたが……馬鹿なことを吹き込んだ者が居たのですよ」
母と娘、どちらが素晴らしい剣士なのだろう。
「私は母に決まっていると思っておりました」
私の剣は短慮で浅く、確かに伸び代はありましたが未熟でしたので。
「けれど、母はそう思いませんでした」
シャルンはカップを取り上げ、お茶を含む。寝る前のお茶は眠気を吹き飛ばしてしまうかも知らないが、初めて聞くルッカの話の重さには、しっかりした気持ちが必要だった。
「ある日、母は試してみようと言いました」
十分に教えた。十分に学んだ。おそらくこれ以上教えることはないだろう。ならば、その成果を、母親としても剣士としても知っておきたい。
「私は…逃げました」
最初で最後の、戦いを拒んだ瞬間だった。
「母は、自らを馬鹿にされたと感じ、憤ったのですよ」
苦笑いする目元に微かに揺れたのは後悔。
「そして、それは真実でした」
ルッカは自分の力が母より優っていると感じていた。それは剣技ではない、年齢によるものだ。剣士としては母の方が数段優れていると知っているが、若さの反射はそれを上回る。
「…私と母の差は、数十段分はなかった。それを、母も理解しておりました」
逃げるルッカを追い、卑怯だとわかっていながら背中から切りつけ、ルッカも向き合わざるを得なかった。母の剣は重い剣だった。堪えるのに必死になる間にクタクタになり、跳ね返さなくてはもっと嫌なところに踏み込んでくる剣。
「私の剣の命は、この先無くなるとわかりました」
ルッカが少し口を噤み、アルシアでのレダンの試合を思い出した。
『アルシアには戦いこそ人生と言うつまらない血が流れているのですよ』
吐き捨てるような物言い。
レダンと似ている、重い剣を知っている。
「その瞬間、私は母に反撃しておりました」
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