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第2話 砂糖菓子姫とケダモノ王
29.『虹の7伯』(2)
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中には既に数人の男達が乗り込んでいた。ぼろぼろの身なりの下には汚れた筋肉質の体がある。太い腕と足、のっそりとシャルン達を見上げ、すぐにまた怠そうに頭を下げる姿には疲労感が漂い、同じく何かの罪で運ばれる者達なのかも知れない。
「奥へ入れ、もっと奥へ」
「痛いですよ」
ガストが突かれて不満そうにぼやいた。
「もうかなり一杯一杯じゃありませんか」
「すぐにそんな不平も消えるさ」
押し込んだ兵士ががらがらと笑う。
「人の温もりが恋しいと泣き喚く羽目になる。採石場は寒くて辛いぞ。さあて、お前のような優男が何日持つかな」
兵士は気づいていなかった。
ガストのやり取りを振り返っていたシャルンは、兵士とガストの背後に馬車を見送る人々と『水晶亭』を見ることができた。
「…っ」
漏れそうになった声を必死に押し殺した。
いつの間にか、人が増えている。
『水晶亭』の前にも溢れるように人が集まり、その背後から必死に駆けてくる人々によって、数はなお膨れ上がりつつあった。男達が顔を歪めて拳を握りしめている。苦しそうな悔しそうな顔、幾人かは既に膝を突き、深々と礼を取っている。女達は口に両手を当て、シャルンと同じく漏れかけた声を押し殺そうとしているのだろう、それでも溢れた涙をこらえきれず泣き出しているものもいる。子どもが真っ青な顔で親の服にしがみついている、まるで死神に攫われていく身内を見るように。
懐かしい光景だった。
度重なる輿入れに、少しずつ人を減じながらも見送ってくれた民の姿だった。
恐らくは『虹の7伯』から見送るなと命じられ、それでも駆けつけてくれていたのだと、今ならわかる。数が減っていたのは諦めではない虚しさではない、力の前に屈するまいとそれでも抵抗した民の真実だ。
姫様。
声にならぬ声が口の形で伝わってくる。
姫様、ご無事で。
どうか、お幸せに。
気づいている。
気づかれている。
シャルンが姿を変えて戻っていることを。
中央に、まるで魔族のように殺気立って睨みつける『水晶亭』のバラディオスの姿があった。さっきまでの薄笑みはどこにもない。悔いるように怒っている。
「ほうらよ」
どすんと押されて嘲笑われて、馬車の中に閉じ込められる、その瞬間に、シャルンははっきりと見て取った。
バラディオスが膝を折る。
表向きは馬車を寄越したマイン伯への忠誠に見せた、その実まっすぐシャルンに、ハイオルトの王に向けられた敬愛。地面に突いた、固く握りしめられた拳の力。
側でソルドが座り込んでいる、泣き出しながら、革袋を投げ捨てて。
散らばった金を、誰も拾おうとしない。
「…知っていた…」
微かな呟きにレダンがそっと肩に触れてくれる。
「知っていたのですね…?」
「……慧眼だと言っただろう?」
走り始めた馬車が揺れる、がたごとと1人では立っていられないほど揺れて、シャルンの体はレダンに支えられている。ガストが心配そうに見つめてくれる前で、閉ざされてしまった馬車の扉を、その向こうに遠ざかりつつある人々を、シャルンは見つめ続ける。
頬にこぼれ落ちた涙が焼くように熱い。
「知っていて……あの、ことばを」
私に伝えてくれたのですね。
国への落胆を。シャルンへの愛情を。苦しい傷みの中、なおも手放してくれようとする願いを。
「…私はなんと……愚かだったのでしょう……」
馬車の中の囚人が聞き耳を立てているようだが、そんなことは構わなかった。
「…これほど愛されている……ものが……おりますか……?」
なのに、私は自分ばかりが苦しい旅をしていると思い込んで。
「私の目は一体……何を見ていたのでしょう……」
訪れた諸国の王達の目よりも濁り、自己憐憫に曇っていたのではないか。
「……お慕いしておりますよ」
「っ」
ふいに背後から低い声が響いてシャルンはぎょっとした。慌てて振り返り、シャルン達を見つめる男達の視線に気づく。
そのうちの1人が、頭に被さっていた薄汚いフードを落とし、立ち上がって膝を突く。その顔に覚えがあった。
「…マイン伯…」
「お許し下さい、シャルン姫…いえ、シャルン妃」
私どもはあなたの守ろうとされた国を蹂躙させた。
「本来ならば、王を諌め、国の在り方を正し支えてこその『7伯』であったものを」
「私、ども…?」
「私も同罪です」
隣の男がぐしゃぐしゃに乱れた髪を搔き上げ、同じように跪いた。
「ユルク伯…」
「身内の大罪、我らに処罰をお任せ頂きたい……もし、まだあなたの信頼が我らに頂けるのでしたら」
向かい合った席の男が頭に巻いた汚い布を取ると、汚れた金髪が現れる。
「ティルト伯」
「この程度はなさらなくては、見抜かれますよ、姫様」
緑の瞳が嬉しそうに細められた。いそいそと跪く後ろで、残った2人も同じように跪く。
「どうぞ、顔を上げられよ」
レダンが苦笑しながら続けた。
「そんな振る舞いではシャルンが悲しむ……それに」
これからカースウェルのケダモノがこの国を蹂躙していくのだ。
「敵に懐く理由はないと思うが?」
「陛下?」
思わぬことばにシャルンはレダンを見上げる。
「本気だよ、シャルン」
薄笑みに変わったレダンの目は鋭く暗い。
「これだけの男が居て、あなたを守れなかったこの国を、私は許しはしない」
「奥へ入れ、もっと奥へ」
「痛いですよ」
ガストが突かれて不満そうにぼやいた。
「もうかなり一杯一杯じゃありませんか」
「すぐにそんな不平も消えるさ」
押し込んだ兵士ががらがらと笑う。
「人の温もりが恋しいと泣き喚く羽目になる。採石場は寒くて辛いぞ。さあて、お前のような優男が何日持つかな」
兵士は気づいていなかった。
ガストのやり取りを振り返っていたシャルンは、兵士とガストの背後に馬車を見送る人々と『水晶亭』を見ることができた。
「…っ」
漏れそうになった声を必死に押し殺した。
いつの間にか、人が増えている。
『水晶亭』の前にも溢れるように人が集まり、その背後から必死に駆けてくる人々によって、数はなお膨れ上がりつつあった。男達が顔を歪めて拳を握りしめている。苦しそうな悔しそうな顔、幾人かは既に膝を突き、深々と礼を取っている。女達は口に両手を当て、シャルンと同じく漏れかけた声を押し殺そうとしているのだろう、それでも溢れた涙をこらえきれず泣き出しているものもいる。子どもが真っ青な顔で親の服にしがみついている、まるで死神に攫われていく身内を見るように。
懐かしい光景だった。
度重なる輿入れに、少しずつ人を減じながらも見送ってくれた民の姿だった。
恐らくは『虹の7伯』から見送るなと命じられ、それでも駆けつけてくれていたのだと、今ならわかる。数が減っていたのは諦めではない虚しさではない、力の前に屈するまいとそれでも抵抗した民の真実だ。
姫様。
声にならぬ声が口の形で伝わってくる。
姫様、ご無事で。
どうか、お幸せに。
気づいている。
気づかれている。
シャルンが姿を変えて戻っていることを。
中央に、まるで魔族のように殺気立って睨みつける『水晶亭』のバラディオスの姿があった。さっきまでの薄笑みはどこにもない。悔いるように怒っている。
「ほうらよ」
どすんと押されて嘲笑われて、馬車の中に閉じ込められる、その瞬間に、シャルンははっきりと見て取った。
バラディオスが膝を折る。
表向きは馬車を寄越したマイン伯への忠誠に見せた、その実まっすぐシャルンに、ハイオルトの王に向けられた敬愛。地面に突いた、固く握りしめられた拳の力。
側でソルドが座り込んでいる、泣き出しながら、革袋を投げ捨てて。
散らばった金を、誰も拾おうとしない。
「…知っていた…」
微かな呟きにレダンがそっと肩に触れてくれる。
「知っていたのですね…?」
「……慧眼だと言っただろう?」
走り始めた馬車が揺れる、がたごとと1人では立っていられないほど揺れて、シャルンの体はレダンに支えられている。ガストが心配そうに見つめてくれる前で、閉ざされてしまった馬車の扉を、その向こうに遠ざかりつつある人々を、シャルンは見つめ続ける。
頬にこぼれ落ちた涙が焼くように熱い。
「知っていて……あの、ことばを」
私に伝えてくれたのですね。
国への落胆を。シャルンへの愛情を。苦しい傷みの中、なおも手放してくれようとする願いを。
「…私はなんと……愚かだったのでしょう……」
馬車の中の囚人が聞き耳を立てているようだが、そんなことは構わなかった。
「…これほど愛されている……ものが……おりますか……?」
なのに、私は自分ばかりが苦しい旅をしていると思い込んで。
「私の目は一体……何を見ていたのでしょう……」
訪れた諸国の王達の目よりも濁り、自己憐憫に曇っていたのではないか。
「……お慕いしておりますよ」
「っ」
ふいに背後から低い声が響いてシャルンはぎょっとした。慌てて振り返り、シャルン達を見つめる男達の視線に気づく。
そのうちの1人が、頭に被さっていた薄汚いフードを落とし、立ち上がって膝を突く。その顔に覚えがあった。
「…マイン伯…」
「お許し下さい、シャルン姫…いえ、シャルン妃」
私どもはあなたの守ろうとされた国を蹂躙させた。
「本来ならば、王を諌め、国の在り方を正し支えてこその『7伯』であったものを」
「私、ども…?」
「私も同罪です」
隣の男がぐしゃぐしゃに乱れた髪を搔き上げ、同じように跪いた。
「ユルク伯…」
「身内の大罪、我らに処罰をお任せ頂きたい……もし、まだあなたの信頼が我らに頂けるのでしたら」
向かい合った席の男が頭に巻いた汚い布を取ると、汚れた金髪が現れる。
「ティルト伯」
「この程度はなさらなくては、見抜かれますよ、姫様」
緑の瞳が嬉しそうに細められた。いそいそと跪く後ろで、残った2人も同じように跪く。
「どうぞ、顔を上げられよ」
レダンが苦笑しながら続けた。
「そんな振る舞いではシャルンが悲しむ……それに」
これからカースウェルのケダモノがこの国を蹂躙していくのだ。
「敵に懐く理由はないと思うが?」
「陛下?」
思わぬことばにシャルンはレダンを見上げる。
「本気だよ、シャルン」
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