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第2話 砂糖菓子姫とケダモノ王
20.亡国の姫君(1)
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夜とは打って変わって、日差しは強く鋭かった。
「遺跡があるのはずっと前から知っていたのですが、まさかその後方に温泉が湧き出しているとは気付きませんでした」
隣に立ったマムールはいつかの傲慢な口調とは打って変わった静かさで教えてくれた。
「あなたがずっとあの遺跡を眺めていたのを思い出してね」
「私が?」
「さよう……あれから色々あったのですよ」
マムールは遺跡を一つ一つ眺めながら、独り言のように呟く。
「随分と長い間安定していた国の基盤そのものが揺らぐような出来事が幾つも」
それは初耳だった。
「どんな手を打っても、どれだけ合議を重ねても、進展も解決もしない」
絶対君主のマムールが『合議』を行うほどなのだから、本当に追い詰められたのだろう。
「私もまた旧きに学べと古老に言われても反発していた。そのせいであの都が打ち捨てられたのならば、愚かなことだと」
「あの都」
「この場所のことです」
マムールはわずかに微笑んだ。皺のよった目元に見たこともない優しい色が漂って、シャルンは思わず凝視する。
「ここは昔、バレストリアと呼ばれて栄えた都だった」
素晴らしい建物が並び、多くの人が集い行き交い、新たな文化と発想を世界に向けて発信していたと聞く。
「その遺産を見直し、役立つものがあるか検討すべきだと言われたのです」
シャルンは改めて遺跡を眺めた。
見上げるような石柱を建てるのは並大抵の労力ではなかっただろう。数百段を数える石組みを計算し実現した技術は相当なものだろう。
「…昔、ここに一人の美しい姫が居たのだそうです」
「姫、ですか」
「時の王に数々の助言を行い、この都を繁栄させた」
「…亡国の、姫君」
「ご存知ですか」
マムールは一層笑みを深め、なぜか泣いているような表情になった。
「その姫君を望んだ男が居たのです。時の王にしか仕えぬと拒まれても姫君を欲し、挙句に彼女を殺害し、都に火を放った」
「…なぜ」
シャルンは戸惑う。
「そんなことをしても、姫君は手に入らないではありませんか」
「…男の性でしょうかね」
マムールは視線を反らせた。
「手に入らないとなると、存在さえも疎ましくなる」
「そんな…」
「天が見ていたのでしょう。火を放たれた都は地震に襲われ崩れ去った。それがこの遺跡です」
歩きましょうか。
促されて、シャルンはレダンに手を取られ、階段を降りる。
いつかの砦のように放っておかれるのかとの不安は杞憂だった。レダンはしっかり彼女の手を取り、先に立つマムールの後ろから悠々とシャルンを導いて歩く。
今朝方、泣きじゃくったシャルンの気持ちと体が落ち着くまで、レダンは遺跡の案内を待たせ、じっとシャルンを抱きしめてくれていた。もう一度身支度を整えさせ、カースウェルの王妃としてふさわしい振る舞いができるように取り計らってくれた。
手紙の内容を思い出す。
全くの嘘だったとは思えない。
けれども、一番初めに『シャルン・ハイオルト・スティシニア』と呼びかけてきた時点で、シャルンは自分でも思ってもみなかった感情に震えたのに気がついた。
何を言っているの。
シャルンが今どのような位置に居るのか、わからぬとでも?
あれほど自分をいとしんでくれたはずの父親が、どうして今更ハイオルトと呼びかけるのだ。万が一、王の目に触れれば不興を買うのは必至、それに気づかぬ父ではあるまい。
ならば、この呼びかけは意図的で、しかもその目的も明白だ。
父はシャルンを離縁させようとしている。
なぜ?
もうシャルンはハイオルトに居た頃のように世間知らずの娘ではなくなっている。諸国を巡り、かつて袂を分かった諸王の一人一人と新たな関係を結び直し、背後にいつも支えてくれるレダンの温もりを感じて、今まで自分が何をしていたのか、少しずつ見え始めている。
ハイオルトの国境で見かけた兵は旅装ではなかった。近くには見えないけれど、常駐できる何かしらの小屋があって、そこから国境に出向いているのだ。
『兵は飢えながらも全力で城を守っております』
そう説明されて謁見した兵達は、もっと痩せ衰えて苦しげだった。数人でかろうじて巡視を行うと説明されたのも頷けた。
けれど昨日、国境で見た兵士は違っていた。血色のいい顔でこちらに気づいたかと思うと素早く鋭い動きで身を隠した。食が足り、十分な訓練を受けたものの身のこなし、ラルハイドの軍事パレードを見た目にはそうわかる。
なぜ?
シャルンの胸に不安が湧き上がる。
何かをシャルンは見逃している。
度重なる諸侯への輿入れで培われた観察力と洞察力を、今シャルンは改めて自分の国に向けようとしている。
そうして一つの願いを胸に育てようとしている。
「シャルン」
「っ」
囁きかけられて我に返った。
「考え事をしていると、石に躓く」
「はい、陛下」
促されて顔を上げる。
心配そうに覗き込むレダンと、訝しげに振り向いているマムールの姿を見て取り、微笑む。
「申し訳ございません、少しぼうっとしておりました」
「暑すぎるのかもしれないな」
マムールが照りつける日に眉を潜め、小休止しましょう、と提案した。
「遺跡があるのはずっと前から知っていたのですが、まさかその後方に温泉が湧き出しているとは気付きませんでした」
隣に立ったマムールはいつかの傲慢な口調とは打って変わった静かさで教えてくれた。
「あなたがずっとあの遺跡を眺めていたのを思い出してね」
「私が?」
「さよう……あれから色々あったのですよ」
マムールは遺跡を一つ一つ眺めながら、独り言のように呟く。
「随分と長い間安定していた国の基盤そのものが揺らぐような出来事が幾つも」
それは初耳だった。
「どんな手を打っても、どれだけ合議を重ねても、進展も解決もしない」
絶対君主のマムールが『合議』を行うほどなのだから、本当に追い詰められたのだろう。
「私もまた旧きに学べと古老に言われても反発していた。そのせいであの都が打ち捨てられたのならば、愚かなことだと」
「あの都」
「この場所のことです」
マムールはわずかに微笑んだ。皺のよった目元に見たこともない優しい色が漂って、シャルンは思わず凝視する。
「ここは昔、バレストリアと呼ばれて栄えた都だった」
素晴らしい建物が並び、多くの人が集い行き交い、新たな文化と発想を世界に向けて発信していたと聞く。
「その遺産を見直し、役立つものがあるか検討すべきだと言われたのです」
シャルンは改めて遺跡を眺めた。
見上げるような石柱を建てるのは並大抵の労力ではなかっただろう。数百段を数える石組みを計算し実現した技術は相当なものだろう。
「…昔、ここに一人の美しい姫が居たのだそうです」
「姫、ですか」
「時の王に数々の助言を行い、この都を繁栄させた」
「…亡国の、姫君」
「ご存知ですか」
マムールは一層笑みを深め、なぜか泣いているような表情になった。
「その姫君を望んだ男が居たのです。時の王にしか仕えぬと拒まれても姫君を欲し、挙句に彼女を殺害し、都に火を放った」
「…なぜ」
シャルンは戸惑う。
「そんなことをしても、姫君は手に入らないではありませんか」
「…男の性でしょうかね」
マムールは視線を反らせた。
「手に入らないとなると、存在さえも疎ましくなる」
「そんな…」
「天が見ていたのでしょう。火を放たれた都は地震に襲われ崩れ去った。それがこの遺跡です」
歩きましょうか。
促されて、シャルンはレダンに手を取られ、階段を降りる。
いつかの砦のように放っておかれるのかとの不安は杞憂だった。レダンはしっかり彼女の手を取り、先に立つマムールの後ろから悠々とシャルンを導いて歩く。
今朝方、泣きじゃくったシャルンの気持ちと体が落ち着くまで、レダンは遺跡の案内を待たせ、じっとシャルンを抱きしめてくれていた。もう一度身支度を整えさせ、カースウェルの王妃としてふさわしい振る舞いができるように取り計らってくれた。
手紙の内容を思い出す。
全くの嘘だったとは思えない。
けれども、一番初めに『シャルン・ハイオルト・スティシニア』と呼びかけてきた時点で、シャルンは自分でも思ってもみなかった感情に震えたのに気がついた。
何を言っているの。
シャルンが今どのような位置に居るのか、わからぬとでも?
あれほど自分をいとしんでくれたはずの父親が、どうして今更ハイオルトと呼びかけるのだ。万が一、王の目に触れれば不興を買うのは必至、それに気づかぬ父ではあるまい。
ならば、この呼びかけは意図的で、しかもその目的も明白だ。
父はシャルンを離縁させようとしている。
なぜ?
もうシャルンはハイオルトに居た頃のように世間知らずの娘ではなくなっている。諸国を巡り、かつて袂を分かった諸王の一人一人と新たな関係を結び直し、背後にいつも支えてくれるレダンの温もりを感じて、今まで自分が何をしていたのか、少しずつ見え始めている。
ハイオルトの国境で見かけた兵は旅装ではなかった。近くには見えないけれど、常駐できる何かしらの小屋があって、そこから国境に出向いているのだ。
『兵は飢えながらも全力で城を守っております』
そう説明されて謁見した兵達は、もっと痩せ衰えて苦しげだった。数人でかろうじて巡視を行うと説明されたのも頷けた。
けれど昨日、国境で見た兵士は違っていた。血色のいい顔でこちらに気づいたかと思うと素早く鋭い動きで身を隠した。食が足り、十分な訓練を受けたものの身のこなし、ラルハイドの軍事パレードを見た目にはそうわかる。
なぜ?
シャルンの胸に不安が湧き上がる。
何かをシャルンは見逃している。
度重なる諸侯への輿入れで培われた観察力と洞察力を、今シャルンは改めて自分の国に向けようとしている。
そうして一つの願いを胸に育てようとしている。
「シャルン」
「っ」
囁きかけられて我に返った。
「考え事をしていると、石に躓く」
「はい、陛下」
促されて顔を上げる。
心配そうに覗き込むレダンと、訝しげに振り向いているマムールの姿を見て取り、微笑む。
「申し訳ございません、少しぼうっとしておりました」
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