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第2話 砂糖菓子姫とケダモノ王

14.光の噴水(4)

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 光の噴水での一件の後、再び仮面を被ってレダンはシャルンと城下へ繰り出した。
「陛下、ご覧ください、まあ、あの見事な飾り物」
「陛下はなしだよ、シャルン」
 囁けば、戸惑った顔でレダン、と呼んでくれる。
 もちろん周囲は気にしていない。今宵一夜は王も女王も無尽蔵に溢れ返り、常日頃の姿形がどうであれ、被った仮面に応じて振る舞う約束だ。
「レダン、あれはなんですか」
「あれはツォコイのスープだ」
「いい香りがしますね」
「食べて見るか?」
「頂けるのですか」
 驚きと喜びに輝く薄水色の瞳の前では、屋台を買い占めてやってもいいぐらいだ。
 それでもシャルンはそんなことを喜ばないだろうから、大人しく手を引かれた屋台の前で、小さな器に注ぎ分けられたスープを受け取る。
 シャルンは知らなかっただろう。
 広場の端で仮面を少し持ち上げて賞味する彼女は、カースウェルのケダモノの仮面のままだ。寒くなるからと羽織らせた厚めの上着から細い手を出すとあまりにも可愛らしかったから、手袋までつけさせたけれど、他ではなかなか選ばない仮面だけに人目を惹く。
 はふはふと熱さに息を吐く唇に、妄想しない男がいたら褒めてやる。尖らせた唇でちゅるりと滴るスープを吸い込まれたり、小さな舌で唇を舐めたりされては、視界が眩むのは当たり前だ。
 ふと気がつけば、周りの男どもが熱い視線をシャルンに送っていて、彼女は食べるのに必死で気づかなかったのが幸い、さっさと攫って別の場所へ移動した。
「へ、…レダン、あれは」
「花灯りだよ。花びらの形に組まれた籠に灯りが仕込まれて回ってる」
「あれはなんですか」
「ドォオラ飴だ。中に小さく切られた果物が入っていて、飴で固められている。欲しいか?」
「…はい!」
 シャルンはさんざん迷って赤い飴を選んだ。
「甘酸っぱいです、レダン」
「美味しいか?」
「はい、とっても。一口、召し上がりますか」
「あ、あ、うん、そう、だな」
 ガストが見れば気を失うかもしれない、レダンが怯みながらシャルンの齧った飴をそっと舐める仕草など。
「もっとどうぞ、レダン……あっ」
 食いたくなったのは別の方だったから、飴を差し出したシャルンの仮面を少しだけ押し上げて唇を重ねた。
「ん、美味いな」
「、私が勧めたのは飴ですよ、レダン」
「十分もらったよ、あなたから」
「っっっ」
 シャルンは無言でバタバタ飴を振り回していたから、笑って笑って笑いすぎて怒られた。
「ひどいです、レダン」
「お詫びにダンスに付き合おう。ほら、あの広場でみんなが踊ってるよ」
「…はい」
 緊張したシャルンはレダンの足を踏みまくった。
 1度目はよし、2度目はだめ。
 定められたダンスの約束を、シャルンは忠実に守り、レダンと2度目を踊ってくれない。
「もしも陛下が咎められたら大変ですから」
 真面目に訴えるシャルンを、無理やり2度目にダンスに引き込んだ。
 禁忌を犯す誘惑を、人は堪えた試しがない。
 金髪で花に飾られた大柄な女性がカースウェルのケダモノと繰り返し踊っている。
 誰かが無粋に注進したのだろう、ざわめきとともに黒衣のバルゼルの仮面の男が呼び出されてきた。金色ののっぺりした仮面、頭を飾る王冠と花。だが、動きを見ればすぐに分かる。
「この者は私が処分する。その前に、姫君、一曲お相手を」
「あなたは」
 何かに気づいたシャルンに、し、っと緑の瞳が笑った。
「付き合いなさい。それから定めに従いなさい」
 ここは仕方ないだろう、と見守ったレダンの前で、2人は鮮やかに踊りを収め、周囲からやんやの喝采を受けた。
「ケダモノがバルゼルに正されたぞ! これで来年も豊穣だ!」
 賑やかな歓声が上がったから、新しい噂ができるのかもしれない。
 嫉妬にいい加減にしろと殴り込みかけたのを見てとったのか、人々をあしらいながらレダンとシャルンを広場から連れ出してくれたサリストアは、
「1つ貸しだぞ」
 仮面を被り直し、他の不届き者を片付けてこようと姿を消した。
 なぜ女神のナルセルの姿ではないのかと尋ねると、それではシャルンと踊れないだろうと言い放ったので、3度目のダンスをシャルンと踊った。


 夜半。
 どぉおおおん。
 ザーシャルで数十年上がったことのない花火が、夜空を彩る。
「空に咲く花でしたのね」
「ああ、見事だな」
 窓辺に立って眺めていたレダンの隣へ、背後のソファから起き上がったシャルンが、薄物を羽織って立つ。
 ふわふわの金髪はいつもよりちょっと乱れて、急いで整えたのだろう、薄ピンクのリボンで括られた首筋、薄物をかきあわせた胸元、ついさっきまで繰り返しレダンを抱きしめすがりついてくれた細い腕も、何もかもがこの上もなく優しく大切で、思わず抱き寄せた。
「レダン?」
「…どうしようかなあ」
「はい?」
「世の男は、どうして堪えているのか」
「何を、でしょ…」
 額にキスし、頬にキスし、耳にキスして、弾む呼吸に唇を重ねていく。
「あなたを見るたび愛したくなる…この欲望を?」
「…っ」
 シャルンが真っ赤になって、それでもキスに応じてくれる。
 どぉおん。
 どぉおおおん。
 腹に応える重低音とともに、夜空に華々しく散る光の花を横目に、レダンはようやく得られた約束に夢中になる。
「レダ…ん」
 甘い声を飲み込む。ここまで許されるのはレダンだけだと誓ってくれたから、全てを奪いに降りていく。
「シャルン」
 自分の声はこんなに甘かったか。こんなに切なげで苦しげだったか。
「シャルン」
 夢が叶った瞬間は、これほど至上の喜びなのか。
「ケダモノになってくれ、シャルン」
 レダンの腕の中で、今まで溜め込んだ怒りも悲しみも全て吐き出し、軽やかに舞い上がって駆け上がって欲しい。
「俺があなたを解放するから」
 絡みついた軛を引き千切る栄誉を、どうか他の奴に与えないでくれ。
「レダン…」
「ん?」
「あなた、だけ、です」
 私を救ってくれたのは。
「私を自由にし、私のままでいることを許してくださいました」
 光が散る空を背景に、シャルンが微笑む。
「…っ」
 その一瞬。
 ふいに溢れた涙に呆然としながら、レダンはシャルンを抱きしめ、少し、震えた。
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