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第2話 砂糖菓子姫とケダモノ王

5.小さな王子(3)

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 庭からテラスへの階段をゆっくり上がってくる人影がある。
 金色の長い髪は一括りに、白い礼服、白い靴、薄紫のブラウスに紫の瞳。年の頃は4~5歳か。
「突然お声をかけて申し訳ありません」
 幼いながらも整った物言いは、王族か、それに準じた階級の子どもと思えた。
「けれども、美しい姫が嘆かれているのは心配になります」
「嘆かれている…?」
「お寂しそうでした」
 まっすぐに慰められてシャルンは泣き出しそうになった。
「私……そんなに寂しそうでしたか」
「はい、とても」
 見上げてくる瞳に奇妙な既視感があった。
 まさか、この少年は。
 背後を振り返る。けれど、ギースに息子がいるなどとは聞いたことがない。
「よろしければ、一曲お相手を」
 少年は微笑み一礼した。
「私は、グラスタスと申します。父、ゴルスタスはこの国の王です」
 名乗りを上げた相手に息を飲む。ゴルスタスはステルン王国の先代の王の名前だ。
「…あなたは、一体…」
 シャルンはもう一度、背後を振り返った。
 宮殿の中では先ほどと同じように音楽が続いている。そして、少年もまた、何の異変もなく、目の前のテラスで微笑んでいる。
「ダンスは上手ではないのですが」
 幼いギースは無邪気に笑った。
「ご教示願えないでしょうか」
「……喜んで」
 何が何だかわからないまま、シャルンは差し出された手に両手を委ねた。
 流れてくる曲はステルン王国の古い踊り、今のような長いドレスでは踊りにくいが、それでも小さく少年の周りを跳ねてみると、相手が軽やかに笑った。
「お上手ですね、難しいのに」
「ありがとうございます」
 手を繋ぎ換え、ステップを踏み替え、互いの位置を入れ替える。少年の金髪がキラキラと風に翻る、その時。
 けたたましい犬の鳴き声がした。
「番犬だ!」
 はっとしたように少年が身を竦ませる。
「殿下、お下がりください!」
 とっさにシャルンは少年を背中に庇った。
 今この現在において、宮殿に番犬は飼われていないはずだが、確かに闇夜を突いて犬の吠え声が響き渡る。今にも薄暗い木の陰から、獰猛な牙を剥いて飛びかかってきそうだ。
「でも、あなたが」
「いけません!」
 シャルンは前に出ようとする少年を叱りつけた。
「あなたは大切なお方です。お守りする義務があります。どうぞ、後ろに」
 吠え声が近くなる。できるだけ宮殿にすぐに駆けこめるようにと背後の少年を庇いながら後退って、歯を食いしばった次の瞬間、
「どうした、シャルン」
「っ!」
 ふわりと背後から抱きしめられて驚いた。
「何があった? 顔が真っ青だ」
 覗き込むレダンが訝しそうに眉を寄せる。
「それに、こんなテラスで何をしていた? 俺はあなたに部屋で待っているようにと伝えたはずだが?」
「レダン……犬が…グラスタスが…」
「犬?」
 もう一人、別の声が響いて、シャルンは振り返った。いやいやといった気配でレダンも一緒に振り返る。
「番犬は今夜は放っていないはずだが、なぜ…」
 部屋に入ってきたギースが、扉を開けたまま凍りついている。
「あなたは…」
 夢現のような口調で呟きかける。
「グラスタス?」
 これはレダンだ。
「なぜ、あなたがギースの幼名を呼ぶ?」
「一体…何が…」
 シャルンは目を見開いたまま、ギースとレダンを交互に見た。
「それはこちらの台詞だろう。一体何があった、シャルン?」
「……あなただったのか」
 柔らかな声が響いた。
「あの時、私を庇ってくれたのは」
 ギースが微笑んでシャルンを見つめる。
 よく見ると、相手の服装は一部変わっていた。白のブラウスとズボン、紫の礼服、それに地味だが強い光を放つ金の首飾り。
「私はテラスに登っていたから、突然放たれた番犬から逃れられた。犬達はテラスに上がらないよう訓練されていた。もし、あなたが居なければ、私は犬に噛まれていただろう」
 心からの感謝を伝えよう。
「あなたを敬愛する、シャルン妃」
 跪き、ドレスに口づけるギースを、シャルンは呆然と見守った。
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