39 / 216
第2話 砂糖菓子姫とケダモノ王
5.小さな王子(1)
しおりを挟む
「……陛下をお許しください」
「…え」
女官長が静かに髪を梳くのにうっとりとしていたシャルンは瞬きした。振り向こうとして、軽く制され、そうだ、髪を整えてもらっていたのだったと思い出す。
「…ステルン王を、ですか」
「あなた様を苦しめたいばかりではなかったのです」
声は低く緊張している。
「…どういうことですか」
振り返ることは許されないなら、聞こえて来る声と指先に意識を集中するしかない。
けれども、女官長が他国の王妃、しかも自国の王が無礼な振る舞いをした上での弁明を口にするには、よほどの覚悟がいったはずだ。相手は絞り出すようにことばを継いだ。
「…あの曲は、私が探し出して参りました」
「…あなたが……。………お名前を聞いていいでしょうか」
「カルミラ、と申します」
「…カルミラさんはなぜ、あの曲を?」
「……陛下は……あなた様をお望みでした」
小さな声が震えるように告げた。
「……一番初めの閨で……あなた様が犬の鳴き真似などされなければ…」
「……」
シャルンは黙り込んだ。
「……あの曲は…ハイオルトの古い曲だと聞きました」
女官長は髪を梳きながら歌うように話す。
「想い合った恋人達が……ようやく結ばれて踊る曲だと」
「…私は、レダンの妻です」
「……ええ……ええ、もちろん……」
一瞬、髪を梳く手が止まる。何かを堪えるように苦しげな呼吸が続いた後、
「…それでも…私は……あなた様を舞踏会に招かれた……陛下のお気持ちをお支えしたかった…」
「……あなたは……陛下をお好きなのですか」
「………いいえ」
声が震えた。
「いいえ、いいえ。そんなことはあろうはずもございません」
いささか強く髪が束ねられていく。
シャルンは抵抗せずにされるがままになっていた。
「…けれど…」
「けれど?」
「……陛下がお小さい頃、宮殿の番犬に噛まれて辛い思いをされたのは……よく存じておりました…」
「……私が許せなかったのですか?」
シャルンは窓の外をじっと眺めた。
返答はない。
ただただ髪が強く束ねられていく、時にきつすぎるぐらいに強く。
やがて、女官長はそっと尋ねてきた。
「……ご存知でしたのですね?」
「………はい」
シャルンは溜め息をついて応じた。
「…噂で耳にしたことがありました」
求婚は受けるが正式な婚儀に持ち込まれてはならない宿命を背負ったシャルンは、求婚される必要があり、かつ、それを相手側から退けてもらう必要があった。
ステルン王国の求婚を失わないためには、少ない財政をやりくりして、なんとか精一杯おめかしをして、宮殿に入り込む必要があった。けれども女にだらしないと噂の王ならば、弄ばれただけで捨て置かれてしまうかもしれない。閨に招かれた時に、どうして切り抜けるかを考えなければならなかった。
「…ステルン王は犬が苦手で、かつて宮殿で飼っていた番犬を今は全て手放してしまったと」
「……」
「もしそうならば、ただでさえ華やかではない私が、閨に招かれた時に無粋にも犬の鳴き真似をしたならば、きっと王は私をお望みになるまいと考えました」
賭けにしかすぎなかったが、賭けてみるしかなかった。
「…え」
女官長が静かに髪を梳くのにうっとりとしていたシャルンは瞬きした。振り向こうとして、軽く制され、そうだ、髪を整えてもらっていたのだったと思い出す。
「…ステルン王を、ですか」
「あなた様を苦しめたいばかりではなかったのです」
声は低く緊張している。
「…どういうことですか」
振り返ることは許されないなら、聞こえて来る声と指先に意識を集中するしかない。
けれども、女官長が他国の王妃、しかも自国の王が無礼な振る舞いをした上での弁明を口にするには、よほどの覚悟がいったはずだ。相手は絞り出すようにことばを継いだ。
「…あの曲は、私が探し出して参りました」
「…あなたが……。………お名前を聞いていいでしょうか」
「カルミラ、と申します」
「…カルミラさんはなぜ、あの曲を?」
「……陛下は……あなた様をお望みでした」
小さな声が震えるように告げた。
「……一番初めの閨で……あなた様が犬の鳴き真似などされなければ…」
「……」
シャルンは黙り込んだ。
「……あの曲は…ハイオルトの古い曲だと聞きました」
女官長は髪を梳きながら歌うように話す。
「想い合った恋人達が……ようやく結ばれて踊る曲だと」
「…私は、レダンの妻です」
「……ええ……ええ、もちろん……」
一瞬、髪を梳く手が止まる。何かを堪えるように苦しげな呼吸が続いた後、
「…それでも…私は……あなた様を舞踏会に招かれた……陛下のお気持ちをお支えしたかった…」
「……あなたは……陛下をお好きなのですか」
「………いいえ」
声が震えた。
「いいえ、いいえ。そんなことはあろうはずもございません」
いささか強く髪が束ねられていく。
シャルンは抵抗せずにされるがままになっていた。
「…けれど…」
「けれど?」
「……陛下がお小さい頃、宮殿の番犬に噛まれて辛い思いをされたのは……よく存じておりました…」
「……私が許せなかったのですか?」
シャルンは窓の外をじっと眺めた。
返答はない。
ただただ髪が強く束ねられていく、時にきつすぎるぐらいに強く。
やがて、女官長はそっと尋ねてきた。
「……ご存知でしたのですね?」
「………はい」
シャルンは溜め息をついて応じた。
「…噂で耳にしたことがありました」
求婚は受けるが正式な婚儀に持ち込まれてはならない宿命を背負ったシャルンは、求婚される必要があり、かつ、それを相手側から退けてもらう必要があった。
ステルン王国の求婚を失わないためには、少ない財政をやりくりして、なんとか精一杯おめかしをして、宮殿に入り込む必要があった。けれども女にだらしないと噂の王ならば、弄ばれただけで捨て置かれてしまうかもしれない。閨に招かれた時に、どうして切り抜けるかを考えなければならなかった。
「…ステルン王は犬が苦手で、かつて宮殿で飼っていた番犬を今は全て手放してしまったと」
「……」
「もしそうならば、ただでさえ華やかではない私が、閨に招かれた時に無粋にも犬の鳴き真似をしたならば、きっと王は私をお望みになるまいと考えました」
賭けにしかすぎなかったが、賭けてみるしかなかった。
0
お気に入りに追加
73
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
側妃に追放された王太子
基本二度寝
ファンタジー
「王が倒れた今、私が王の代理を務めます」
正妃は数年前になくなり、側妃の女が現在正妃の代わりを務めていた。
そして、国王が体調不良で倒れた今、側妃は貴族を集めて宣言した。
王の代理が側妃など異例の出来事だ。
「手始めに、正妃の息子、現王太子の婚約破棄と身分の剥奪を命じます」
王太子は息を吐いた。
「それが国のためなら」
貴族も大臣も側妃の手が及んでいる。
無駄に抵抗するよりも、王太子はそれに従うことにした。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
【完結】妃が毒を盛っている。
井上 佳
ファンタジー
2年前から病床に臥しているハイディルベルクの王には、息子が2人いる。
王妃フリーデの息子で第一王子のジークムント。
側妃ガブリエレの息子で第二王子のハルトヴィヒ。
いま王が崩御するようなことがあれば、第一王子が玉座につくことになるのは間違いないだろう。
貴族が集まって出る一番の話題は、王の後継者を推測することだった――
見舞いに来たエルメンヒルデ・シュティルナー侯爵令嬢。
「エルメンヒルデか……。」
「はい。お側に寄っても?」
「ああ、おいで。」
彼女の行動が、出会いが、全てを解決に導く――。
この優しい王の、原因不明の病気とはいったい……?
※オリジナルファンタジー第1作目カムバックイェイ!!
※妖精王チートですので細かいことは気にしない。
※隣国の王子はテンプレですよね。
※イチオシは護衛たちとの気安いやり取り
※最後のほうにざまぁがあるようなないような
※敬語尊敬語滅茶苦茶御免!(なさい)
※他サイトでは佳(ケイ)+苗字で掲載中
※完結保証……保障と保証がわからない!
2022.11.26 18:30 完結しました。
お付き合いいただきありがとうございました!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持
空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。
その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。
※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。
※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる