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第1話 出戻り姫と腹黒王
7.恋心の過ごし方(5)
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「姫様?」
「レダン様が戻られたら、すぐに知らせてちょうだい。お願いルッカ」
「か、かしこまりました」
「それまで私はもう少し休むから」
「お食事は」
「必要ない…いえ、そうね、軽いものをお願い」
「はい、ただいま」
急いで出て行ったルッカが銀製の盆にスープとパン、果物を少し添えてくれ、シャルンはそれらを丁寧に食べた。美味しいはずだが、味などほとんどわからない。けれど、戻ってくるレダンを迎えるために、そして相手を不快がらせるために、しっかり食べておかなくてはならなかった。
食べ終えると、ベッドから出て、衣裳部屋に向かった。
あれかこれか。
あの日、あれほどどきどきしながら選んだ衣装を丹念に見回り、一枚を選ぶ。
胸元の開いた、鮮やかな紅の、たくさんのレースとリボンで飾られた、目の眩むように派手なドレス。胸元だけではなく、背中も大きく空いていて、首の少し下から腰の上まで素肌を見せることになる。レース仕立ての両袖、足元もレースに切り替えてあり、膝上まで脚が透ける。我ながらひどい趣味のものを選んだと思う。首に巻く艶やかな黒いリボンにはレースで作られた紅の大輪の花が飾り付けられていた。同じものは足首にも巻くようになっており、髪飾りも同じ造りの花が揃えられている。
「……ルッカが見たら目を回しそう…」
姿見で一瞬体に当てて見ただけで、恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
それでも、それを手に部屋に戻り、準備だけ済ませて横になった。
どんな顔をレダンはするのだろう。
離宮の主と全く違う、頭の空っぽな浮ついた女に見えてくれるといいのだが。
うとうとしたのは数時間だった。
起こされるまでもなく目を覚まし、身支度をして椅子に腰掛け、ルッカを待つ。王国の姫なら、自ら支度をすることなどありえないが、シャルンは別だ。一人でしなければならない時が多すぎた。
なのに待てど暮らせど、ルッカはやってこない。
「……今夜もお帰りにならないのかしら」
だんだん一人で待つのが心細くなって、シャルンは立ち上がった。
居室を出て、うろ覚えながら離宮の正面入り口に向かって歩いていく。暗くなり始めた屋敷の中では、燭台に明かりが灯され始めていた。光が壁に飾られた掛け物や古めかしいけれど上品な調度を照らし出す。天井には花々が象られ、並ぶ柱にも蔦の絡む意匠が施されていて、明かりに柔らかな陰影を浮かばせている。
昼間とは違った光景に、ついつい目を奪われていて、曲がるべきところを通り過ぎてしまったらしい。ここだと思って進んだ廊下は、庭園に面した小部屋に続いていた。気になったのは、その小部屋だけが明かりが灯されておらず、かと言って冷たく閉ざされているのではなく、扉が開け放たれていたからだ。
「ここは……」
シャルンは昼間の姿を思い出そうとしたが、どうにも思い浮かばなかった。記憶違いでなければ、今まで一度も入ったことがない部屋ではないだろうか。
「…」
ためらったが、シャルンは一つ頷いて部屋に入り込んだ。
もし、ここがシャルンが入ってはならない部屋ならば、好奇心旺盛な無作法な姫として、レダンに嫌われることができるのではないか?
扉の隙間から滑り込むと、中は思ったよりも暗かった。廊下に灯る明かりがちょうど入り込めない角度なのだろう、目を凝らしていても、間近に近づかなくては置かれた椅子やテーブルを避けられない。
注意深く進んでいるうちに目が慣れてきた。少し離れた場所に窓を見つけてほっとする。とにかくその側までと歩み続け、ふいに『それ』に気づいた。
「……ああ…ひょっとして…」
窓辺から庭園を見渡すような位置に飾られた一枚の肖像画。
濃い瞳の色はレダンと似ている。凛とした気配の、背筋を伸ばして微笑んだ、黒髪も美しい一人の貴婦人。真紅のドレスが鮮やかに描かれているが、それに勝る華やかな姿は今を盛りと咲き誇った大輪の花のようだ。確かに気品溢れる、この館の主人にふさわしい女性。
「この方が、アグレンシア・カースウェル…」
「パラスニア」
「っ」
背後から突然声が響いて、シャルンは息を呑んだ。
「レダン様が戻られたら、すぐに知らせてちょうだい。お願いルッカ」
「か、かしこまりました」
「それまで私はもう少し休むから」
「お食事は」
「必要ない…いえ、そうね、軽いものをお願い」
「はい、ただいま」
急いで出て行ったルッカが銀製の盆にスープとパン、果物を少し添えてくれ、シャルンはそれらを丁寧に食べた。美味しいはずだが、味などほとんどわからない。けれど、戻ってくるレダンを迎えるために、そして相手を不快がらせるために、しっかり食べておかなくてはならなかった。
食べ終えると、ベッドから出て、衣裳部屋に向かった。
あれかこれか。
あの日、あれほどどきどきしながら選んだ衣装を丹念に見回り、一枚を選ぶ。
胸元の開いた、鮮やかな紅の、たくさんのレースとリボンで飾られた、目の眩むように派手なドレス。胸元だけではなく、背中も大きく空いていて、首の少し下から腰の上まで素肌を見せることになる。レース仕立ての両袖、足元もレースに切り替えてあり、膝上まで脚が透ける。我ながらひどい趣味のものを選んだと思う。首に巻く艶やかな黒いリボンにはレースで作られた紅の大輪の花が飾り付けられていた。同じものは足首にも巻くようになっており、髪飾りも同じ造りの花が揃えられている。
「……ルッカが見たら目を回しそう…」
姿見で一瞬体に当てて見ただけで、恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
それでも、それを手に部屋に戻り、準備だけ済ませて横になった。
どんな顔をレダンはするのだろう。
離宮の主と全く違う、頭の空っぽな浮ついた女に見えてくれるといいのだが。
うとうとしたのは数時間だった。
起こされるまでもなく目を覚まし、身支度をして椅子に腰掛け、ルッカを待つ。王国の姫なら、自ら支度をすることなどありえないが、シャルンは別だ。一人でしなければならない時が多すぎた。
なのに待てど暮らせど、ルッカはやってこない。
「……今夜もお帰りにならないのかしら」
だんだん一人で待つのが心細くなって、シャルンは立ち上がった。
居室を出て、うろ覚えながら離宮の正面入り口に向かって歩いていく。暗くなり始めた屋敷の中では、燭台に明かりが灯され始めていた。光が壁に飾られた掛け物や古めかしいけれど上品な調度を照らし出す。天井には花々が象られ、並ぶ柱にも蔦の絡む意匠が施されていて、明かりに柔らかな陰影を浮かばせている。
昼間とは違った光景に、ついつい目を奪われていて、曲がるべきところを通り過ぎてしまったらしい。ここだと思って進んだ廊下は、庭園に面した小部屋に続いていた。気になったのは、その小部屋だけが明かりが灯されておらず、かと言って冷たく閉ざされているのではなく、扉が開け放たれていたからだ。
「ここは……」
シャルンは昼間の姿を思い出そうとしたが、どうにも思い浮かばなかった。記憶違いでなければ、今まで一度も入ったことがない部屋ではないだろうか。
「…」
ためらったが、シャルンは一つ頷いて部屋に入り込んだ。
もし、ここがシャルンが入ってはならない部屋ならば、好奇心旺盛な無作法な姫として、レダンに嫌われることができるのではないか?
扉の隙間から滑り込むと、中は思ったよりも暗かった。廊下に灯る明かりがちょうど入り込めない角度なのだろう、目を凝らしていても、間近に近づかなくては置かれた椅子やテーブルを避けられない。
注意深く進んでいるうちに目が慣れてきた。少し離れた場所に窓を見つけてほっとする。とにかくその側までと歩み続け、ふいに『それ』に気づいた。
「……ああ…ひょっとして…」
窓辺から庭園を見渡すような位置に飾られた一枚の肖像画。
濃い瞳の色はレダンと似ている。凛とした気配の、背筋を伸ばして微笑んだ、黒髪も美しい一人の貴婦人。真紅のドレスが鮮やかに描かれているが、それに勝る華やかな姿は今を盛りと咲き誇った大輪の花のようだ。確かに気品溢れる、この館の主人にふさわしい女性。
「この方が、アグレンシア・カースウェル…」
「パラスニア」
「っ」
背後から突然声が響いて、シャルンは息を呑んだ。
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