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第1話 出戻り姫と腹黒王
3.暁の星(3)
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暁の星が落ちて来た。
みすぼらしい衣類の波の中から、いきなり転がり出したのはくしゃくしゃに縺れてなおも輝く金色の髪。慌てて見上げて来るのは白くて小さな顔、赤く染まった頬に薄水色に瞬く瞳、二つ。
「…」
レダンはしばらくぼんやりと相手を見下ろしていた。
まわりのぼろぼろの衣類のせいか、彼女自身の粗末な衣装のせいか、それとも自分の目がどうにかしてしまったのか。
なんでこんなに綺麗なものが、なんでこんなところに無防備に転がってるんだ。
細い手足には衣服は大きすぎて、ぎゅっと締めたエプロンが衣服のあちこちをたるませている。両手を床について見上げて来る白い首筋、がさがさした布に押し込められて、柔らかい膨らみが窮屈そうだ。
ふと視界の端を鼠が走ったのに気づいて、レダンは総毛立った。
「えっ、あの…っ」
「シャルン姫でしょう? 間違いないですね?」
戸惑う相手に駆け寄り、一気に抱き上げる。ばさりと広がる分厚い布が自分と彼女を隔てているのが不快でむかつく。
「なんでこんなものを」
思わず口走って、しまったと思ったのは、今度は見上げる形になったシャルンがみるみる瞳を曇らせたせいで。
「あ、あの、ごめんなさい」
曇っただけではなく潤み始めた瞳に思わず舌打ちした。
「あの…ごめんなさい、私が悪いんです、ごめ、」
ことばが続かなくなった彼女が振り落とした涙が頬に落ちて、一瞬蕩けそうな感覚に揺れた。
一雫の涙だけで、これほど気持ちいいなら。
薄く笑う。
そうだ、自分はもっと、と望める立場にいるのではなかったか?
「あの、謝罪します、ごめんなさい、私、大変なご迷惑を、あの」
「いいえ、こちらこそお詫びしなければ。お迎えもせず、こんな所に押し込めたりして、失礼を重ねてしまいました」
抱え上げていた体をそのままに戸口へ向かう。
「ご事情は後ほど。とにかくここには鼠がいる。別の部屋にお連れしましょう…ついでに着替えも」
ごくり、と喉が鳴ったのを聞かれたかとひやりとしたが、シャルンは体を震わせて余計に怯えたようだ。だ。
「鼠…? 着替え…?」
「あなたが来られるのをお待ちしておりました」
用意していたおざなりの社交辞令に熱がこもるのを感じた。それ以上強く抱きしめないのに苦労した。冷えた支度部屋に触れ合う温もりが快かった。
「私のかけがえのない姫になってくれるのだとね」
この柔らかな体をベッドの上で堪能できる権利をレダンは持っている。それがこれまで成し遂げたどんな功績よりも得難い物のような気がした。
「あの、でも、私」
何事か訴えようとするシャルンの頭を抱え、戸口を屈みこんでそっとくぐり抜け、下ろす気も全くないまま再び抱き上げて通路を歩きながらもう一度見上げる。揺れる金髪に引っかかっていた布がばさりと音を立てて落ちて行く。ふわりと広がった髪が一気に膨れ上がって光輪のように顔を飾り、また少し見とれてしまった。
「ひょっとしたら、ご期待に、添えない、かもしれなくて」
おどおどと話す声は密やかで優しい。かすれて甘い。このままずっと聞いていたい。
「大丈夫ですよ」
レダンは笑った。
もちろん大丈夫に決まっている、本能が叫んでいる、この姫を手放すなと。肖像画なんて嘘っぱちだった、100分の一、いや1000分の一も彼女のことを描いていない。
「髪の色と目の色だけは合ってたか」
「え?」
「いいえ、送ってくださった肖像画の画家は馘になさったほうがいい」
「肖像画?」
「ご存知ない?」
「ええ…はい」
ふうん、とすると、あれも一つの企みだったのか。
頷きながら、これまでシャルンが断られた国々が急に気になった。
肖像画は求婚の申し入れ時に送り届けられる。それだけを見て断っているならまだしも、彼女は少なくとも1週間は滞在しているはずだ。それらの国々は肖像画だけでは断る気がなく、シャルンを手に入れるつもりだった。なのに、間違いなくどの国も彼女を送り返している。
これほど見事な宝石を、どうして手放す気になったのだろう。
「…調べ直すか」
「え?」
「いや……こちらの話」
「あの、そろそろ下ろしていただければ………私歩けますし…」
遠慮がちにシャルンが申し出るのをどう断ろうかと考えるうちに、
「姫様!」「レダン王!」
前方からわらわらと人を引き連れて、半分泣いて半分怒り狂った太った侍女とかなり苛立ったガストが走り寄って来るのを見つける。離れなくてはならないのが口惜しい。
「残念だな」
「はい?」
「もう少し、こうやってあなたを抱いていたかったのに」
ぼやきながら、仕方なしに下ろすと、真っ赤になったシャルンが小さな声で呟いた。
「あ、ありがとうございます」
「…は?」
ありがとうございます?
訝しく相手を見やると、忙しく瞬きをしたシャルンが微笑む。
「あの、思いやってくださって、ありがとうございます」
「思いやって…?」
丁寧に返されてひやりとした。
これを思いやりだと? この舞い上がるような、溢れるような、とめどなく彼女を抱いていたい気持ちが、作られたものだと?
「…不愉快だな」
気がつくとシャルンに言い返していた。
「私は思いやりなんかで話していないが」
「あ、の…」
降ろされたシャルンがみるみる顔色を青ざめさせた。
またもやしまったと思い、泣き出されたら慰めようと思って差し伸べたレダンの手は、虚しく空に浮く。
シャルンが青ざめた顔のまま、突然にっこりと笑ってこう答えたからだ。
「いえ、優しく思いやってくださって、本当に嬉しいです、ありがとうございます、『陛下』」
みすぼらしい衣類の波の中から、いきなり転がり出したのはくしゃくしゃに縺れてなおも輝く金色の髪。慌てて見上げて来るのは白くて小さな顔、赤く染まった頬に薄水色に瞬く瞳、二つ。
「…」
レダンはしばらくぼんやりと相手を見下ろしていた。
まわりのぼろぼろの衣類のせいか、彼女自身の粗末な衣装のせいか、それとも自分の目がどうにかしてしまったのか。
なんでこんなに綺麗なものが、なんでこんなところに無防備に転がってるんだ。
細い手足には衣服は大きすぎて、ぎゅっと締めたエプロンが衣服のあちこちをたるませている。両手を床について見上げて来る白い首筋、がさがさした布に押し込められて、柔らかい膨らみが窮屈そうだ。
ふと視界の端を鼠が走ったのに気づいて、レダンは総毛立った。
「えっ、あの…っ」
「シャルン姫でしょう? 間違いないですね?」
戸惑う相手に駆け寄り、一気に抱き上げる。ばさりと広がる分厚い布が自分と彼女を隔てているのが不快でむかつく。
「なんでこんなものを」
思わず口走って、しまったと思ったのは、今度は見上げる形になったシャルンがみるみる瞳を曇らせたせいで。
「あ、あの、ごめんなさい」
曇っただけではなく潤み始めた瞳に思わず舌打ちした。
「あの…ごめんなさい、私が悪いんです、ごめ、」
ことばが続かなくなった彼女が振り落とした涙が頬に落ちて、一瞬蕩けそうな感覚に揺れた。
一雫の涙だけで、これほど気持ちいいなら。
薄く笑う。
そうだ、自分はもっと、と望める立場にいるのではなかったか?
「あの、謝罪します、ごめんなさい、私、大変なご迷惑を、あの」
「いいえ、こちらこそお詫びしなければ。お迎えもせず、こんな所に押し込めたりして、失礼を重ねてしまいました」
抱え上げていた体をそのままに戸口へ向かう。
「ご事情は後ほど。とにかくここには鼠がいる。別の部屋にお連れしましょう…ついでに着替えも」
ごくり、と喉が鳴ったのを聞かれたかとひやりとしたが、シャルンは体を震わせて余計に怯えたようだ。だ。
「鼠…? 着替え…?」
「あなたが来られるのをお待ちしておりました」
用意していたおざなりの社交辞令に熱がこもるのを感じた。それ以上強く抱きしめないのに苦労した。冷えた支度部屋に触れ合う温もりが快かった。
「私のかけがえのない姫になってくれるのだとね」
この柔らかな体をベッドの上で堪能できる権利をレダンは持っている。それがこれまで成し遂げたどんな功績よりも得難い物のような気がした。
「あの、でも、私」
何事か訴えようとするシャルンの頭を抱え、戸口を屈みこんでそっとくぐり抜け、下ろす気も全くないまま再び抱き上げて通路を歩きながらもう一度見上げる。揺れる金髪に引っかかっていた布がばさりと音を立てて落ちて行く。ふわりと広がった髪が一気に膨れ上がって光輪のように顔を飾り、また少し見とれてしまった。
「ひょっとしたら、ご期待に、添えない、かもしれなくて」
おどおどと話す声は密やかで優しい。かすれて甘い。このままずっと聞いていたい。
「大丈夫ですよ」
レダンは笑った。
もちろん大丈夫に決まっている、本能が叫んでいる、この姫を手放すなと。肖像画なんて嘘っぱちだった、100分の一、いや1000分の一も彼女のことを描いていない。
「髪の色と目の色だけは合ってたか」
「え?」
「いいえ、送ってくださった肖像画の画家は馘になさったほうがいい」
「肖像画?」
「ご存知ない?」
「ええ…はい」
ふうん、とすると、あれも一つの企みだったのか。
頷きながら、これまでシャルンが断られた国々が急に気になった。
肖像画は求婚の申し入れ時に送り届けられる。それだけを見て断っているならまだしも、彼女は少なくとも1週間は滞在しているはずだ。それらの国々は肖像画だけでは断る気がなく、シャルンを手に入れるつもりだった。なのに、間違いなくどの国も彼女を送り返している。
これほど見事な宝石を、どうして手放す気になったのだろう。
「…調べ直すか」
「え?」
「いや……こちらの話」
「あの、そろそろ下ろしていただければ………私歩けますし…」
遠慮がちにシャルンが申し出るのをどう断ろうかと考えるうちに、
「姫様!」「レダン王!」
前方からわらわらと人を引き連れて、半分泣いて半分怒り狂った太った侍女とかなり苛立ったガストが走り寄って来るのを見つける。離れなくてはならないのが口惜しい。
「残念だな」
「はい?」
「もう少し、こうやってあなたを抱いていたかったのに」
ぼやきながら、仕方なしに下ろすと、真っ赤になったシャルンが小さな声で呟いた。
「あ、ありがとうございます」
「…は?」
ありがとうございます?
訝しく相手を見やると、忙しく瞬きをしたシャルンが微笑む。
「あの、思いやってくださって、ありがとうございます」
「思いやって…?」
丁寧に返されてひやりとした。
これを思いやりだと? この舞い上がるような、溢れるような、とめどなく彼女を抱いていたい気持ちが、作られたものだと?
「…不愉快だな」
気がつくとシャルンに言い返していた。
「私は思いやりなんかで話していないが」
「あ、の…」
降ろされたシャルンがみるみる顔色を青ざめさせた。
またもやしまったと思い、泣き出されたら慰めようと思って差し伸べたレダンの手は、虚しく空に浮く。
シャルンが青ざめた顔のまま、突然にっこりと笑ってこう答えたからだ。
「いえ、優しく思いやってくださって、本当に嬉しいです、ありがとうございます、『陛下』」
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