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第1話 出戻り姫と腹黒王
2.暁の星(1)
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「いい加減になさっていただきたいもんですよ」
ルッカがぶつぶつ唸りながら荷物をまとめる。
昔から付き添ってくれている乳母のようなもの、嫁いでは出戻ってくるシャルンを案じていつも同行してくれる侍女だ。
「ええ、ええ、そりゃあ、あちらこちらへ旅行に行ったと思えばよろしいんです、珍しいものを見て変わった景色を眺めて、まあこりゃすごいあら大変だわとか言ってればいいんですけど、姫様がどれだけ傷つかれるかってことを、全くお考えにならないあたりが!」
「ルッカ…」
苦笑いしながら相手を見やり、シャルンは荷造りの手を止める。ふわりと落ちてくる前髪の下、少し歪んだ表情を見せまいと俯いた。
半年も経たず返される、もしくはもっと早く戻ってくるのだろうと思っているから、荷物もだんだん簡素に少なくなって来た。必然、荷造りの腕も上がってしまう。
「私はね、情けのうございます、姫様」
ルッカがお仕着せのエプロンを掬い上げて顔に押し当てた。
「姫様のどこがいけないんですか、お優しくてお情け深くて、いつも一所懸命に尽くそうとされるじゃありませんか、どんなクソミソな王にだって!」
「ル、ルッカ…」
ふくよかな体を震わせて嘆くルッカをシャルンは慌てて嗜める。そんなことを誰かが聞いていたら、ルッカが厳しく咎められる。
「王妃様がご存命でいらしたら、国王様もこんなことをお考えにはならない、いえ決してこんなことを繰り返されなかったはずでございますよ!」
「そう……かもしれない、わね」
ハイオルトの王妃、ラクレス・ハイオルト・エリクシアは10年前に亡くなった。
シャルンは詳細を知らない。それほど幼かったはずはなく、けれどどうして母が亡くなったのかは誰からも語られず、ある日突然母が病に伏したと知らされ会うこともできなくなり、数ヶ月もせずに没したと聞かされた。覚えている光景は、母を失ってからの父親が何をする気力もなく、毎日呆然と玉座に座り込んで居た姿だけだ。
触れてはならないことが起きたのだ。そう推察したのは、母親の死について説明してくれようとした侍女が辞めさせられ、代わりにルッカが入ったからだ。
ルッカは明るく楽しい女性だった。身動きできない呼吸さえままならないような父娘の暮らしに慰めを与えてくれた。市井の暮らしを面白おかしく語り、奇妙な出来事不思議な話を集めては知らせ、僅かな気候の変わり目に鳥が鳴いただの葉が色づいただの、折々の自然に目を向けることを教えてくれた。
『姫様、まあご覧ください、世の中というものは、そりゃあおかしくておっかないもんですよ。けれどそれだってね、人間様が驚いてやったり笑ってやったりしなければ、なあんにもできないもんでございますよ!』
繰り返される破談に、気を取り直して向かえたのは、ルッカあってこそと言えるかもしれない。
そのルッカまで失うわけにはいかない。シャルンはそれから、母親について尋ねたことはない。
『スティ……可愛い私の宝石』
耳の底にシャルンの幼名を呼ぶ声が戻ってくる。抱きしめて愛しんでくれた優しい腕も甘い香りも忘れていない。それでいい、それで十分だと思うようにはして来た。
けれどふと。
「いつまで……続くのかしら」
呟いた途端にハッとしてルッカを振り返った。
エプロンから顔を上げたルッカが再び涙を溢れさせる。
「姫様…」
「あ、ごめんなさい、大丈夫、大丈夫よ。さ! さっさと仕上げてしまいしょう!」
「は…はい…っ。ええ、もちろんお任せ下さい! 頑張りましょうね、今度こそ生涯を共にと望んでいただけるように!」
「え…ええ…」
グッと両腕を振り上げて力こぶを作ってみせるルッカに、シャルンは引きつりながら笑みを返した。
ルッカがぶつぶつ唸りながら荷物をまとめる。
昔から付き添ってくれている乳母のようなもの、嫁いでは出戻ってくるシャルンを案じていつも同行してくれる侍女だ。
「ええ、ええ、そりゃあ、あちらこちらへ旅行に行ったと思えばよろしいんです、珍しいものを見て変わった景色を眺めて、まあこりゃすごいあら大変だわとか言ってればいいんですけど、姫様がどれだけ傷つかれるかってことを、全くお考えにならないあたりが!」
「ルッカ…」
苦笑いしながら相手を見やり、シャルンは荷造りの手を止める。ふわりと落ちてくる前髪の下、少し歪んだ表情を見せまいと俯いた。
半年も経たず返される、もしくはもっと早く戻ってくるのだろうと思っているから、荷物もだんだん簡素に少なくなって来た。必然、荷造りの腕も上がってしまう。
「私はね、情けのうございます、姫様」
ルッカがお仕着せのエプロンを掬い上げて顔に押し当てた。
「姫様のどこがいけないんですか、お優しくてお情け深くて、いつも一所懸命に尽くそうとされるじゃありませんか、どんなクソミソな王にだって!」
「ル、ルッカ…」
ふくよかな体を震わせて嘆くルッカをシャルンは慌てて嗜める。そんなことを誰かが聞いていたら、ルッカが厳しく咎められる。
「王妃様がご存命でいらしたら、国王様もこんなことをお考えにはならない、いえ決してこんなことを繰り返されなかったはずでございますよ!」
「そう……かもしれない、わね」
ハイオルトの王妃、ラクレス・ハイオルト・エリクシアは10年前に亡くなった。
シャルンは詳細を知らない。それほど幼かったはずはなく、けれどどうして母が亡くなったのかは誰からも語られず、ある日突然母が病に伏したと知らされ会うこともできなくなり、数ヶ月もせずに没したと聞かされた。覚えている光景は、母を失ってからの父親が何をする気力もなく、毎日呆然と玉座に座り込んで居た姿だけだ。
触れてはならないことが起きたのだ。そう推察したのは、母親の死について説明してくれようとした侍女が辞めさせられ、代わりにルッカが入ったからだ。
ルッカは明るく楽しい女性だった。身動きできない呼吸さえままならないような父娘の暮らしに慰めを与えてくれた。市井の暮らしを面白おかしく語り、奇妙な出来事不思議な話を集めては知らせ、僅かな気候の変わり目に鳥が鳴いただの葉が色づいただの、折々の自然に目を向けることを教えてくれた。
『姫様、まあご覧ください、世の中というものは、そりゃあおかしくておっかないもんですよ。けれどそれだってね、人間様が驚いてやったり笑ってやったりしなければ、なあんにもできないもんでございますよ!』
繰り返される破談に、気を取り直して向かえたのは、ルッカあってこそと言えるかもしれない。
そのルッカまで失うわけにはいかない。シャルンはそれから、母親について尋ねたことはない。
『スティ……可愛い私の宝石』
耳の底にシャルンの幼名を呼ぶ声が戻ってくる。抱きしめて愛しんでくれた優しい腕も甘い香りも忘れていない。それでいい、それで十分だと思うようにはして来た。
けれどふと。
「いつまで……続くのかしら」
呟いた途端にハッとしてルッカを振り返った。
エプロンから顔を上げたルッカが再び涙を溢れさせる。
「姫様…」
「あ、ごめんなさい、大丈夫、大丈夫よ。さ! さっさと仕上げてしまいしょう!」
「は…はい…っ。ええ、もちろんお任せ下さい! 頑張りましょうね、今度こそ生涯を共にと望んでいただけるように!」
「え…ええ…」
グッと両腕を振り上げて力こぶを作ってみせるルッカに、シャルンは引きつりながら笑みを返した。
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