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4.視察官達(4)
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十数日後。
「ハイラカたち、どのへんまで行ったかな…」
「ガズラは出てるさ」
「ふうん」
ガズラの次は、えーと、と地図を思い出しながら指を折るレスファートを見下ろして、アシャは微笑む。
夕食後の静かな宵、清冽な外気、細かな貴石を散らしたような星空の下、虫(シエト)の声が草むらの中から聞こえてくる。
背後で静かに扉が開く音がして、振り返ったレスファートが出て来た人影に嬉しそうな声を上げる。
「ユーノ! もう歩けるの?」
アシャもそちらを振り返る。
人影はまだどこかぎこちない動きで二人の方へゆっくりと近づいてきた。
「もうほとんどね。明日には出発できるよ。心配かけてごめんね、レス、アシャ」
「ぼくはユーノがいてくれればいいの」
レスファートが甘えてユーノに身を寄せるのに、アシャは笑う。
「ちゃんと寝かせておいたのはレスの手柄だな」
「うん!」
「ああいう脅迫は初めてだったよ」
「ふふっ」
ユーノが苦笑するのに、レスが自慢そうに鼻をこする。
「その腕で、イルファも慰めてやってくれる?」
「イルファ?」
「首飾りが見つからなかったから、アレノに完全に振られたって落ち込んでるんだ」
「ん、わかった!」
なんだ、それじゃまだまだ下心十分だったんじゃないか。
密かに呆れながら、アシャが家に入っていくレスファートを見送っていると、
「ごめん、アシャ」
低くユーノが謝ってきて振り返った。
「ボク、まだ、子どもだね」
まばゆそうにアシャの視線を避けて俯きながら、ユーノが小さく呟く。
「一流の剣士なら、自分の体ぐらい自分で面倒みなきゃいけない……自分が果たす責任ぐらい、ちゃんとわかってなくちゃいけないのに」
いつもいつも気持ちが先走って、あなたやみんなに迷惑ばかりかけてる。
「……お前は責任を背負い込み過ぎだ」
アシャは苦笑を深めた。
「責任を果たすことと無茶は違うぞ」
「うん、剣士失格だよね」
しょんぼりして肩を落としてしまうユーノの、滑らかな首筋が夜闇の中で薄白く浮かび上がる。襟元からはまだ包帯が覗いている。
(もう少しで失うところだった)
アシャの手の届かない場所で、骨となって朽ち果てるまで打ち捨てられるような惨い死に様を晒させて。
(二度とこの手に触れられないまま)
手を伸ばしたのは意識していなかった。けれど肩に触れた瞬間、その温もりを離したくないという思いしか頭になかった。不審そうに見上げるユーノを一気に腕の中に引き寄せ、抱き込み、ほっとする。
(大丈夫だ、生きている)
びくりと震えた相手の耳に,静かに熱く囁きかける。
「どこまで心配させれば気が済む」
「あ、しゃ…」
「何と言えば、俺の側に居る?」
竦むユーノの、慌てふためいたように走り出していく鼓動が胸に伝わってくる。
生きている。
その鼓動の何と快いことか、その温もりの何と愛おしいことか。
「…や…」
拒む相手の動きを封じて髪に唇を押し付け、柔らかな匂いに酔う。小刻みに震え出すユーノに、今このとき、怒りにまかせて一刀両断されても悔いはない、断じた自分の心の緩さに苦笑する。
(媚薬を呑ませるか、呪術を使うか)
恋の手管など覚える必要さえ感じなかったのに、手足を竦めて抱かれることに怯える相手の不安をもっと煽って、是否もなくこの身に崩れ堕ちさせたい。
(できることなら)
ユーノが誇りを保ったまま、アシャを望んでいる、そう告げられたいのは傲慢か。
薄く眼を開け、眉を寄せて目を閉じているユーノの首、包帯の上に唇を落とそうとした、その矢先。
「アシャぁ!」
ばむっ、とぶち抜かれそうな勢いで扉が開いて、さすがに手が緩んだ。
その一瞬の隙を見逃すようなユーノではない。腕から飛び離れたユーノが、一瞬泣き出しそうな顔でこちらを見返し、すぐにくるりと身を翻す。
引き止める間などなかった。飛び出してきたイルファと入れ替わりに家の中に姿を消してしまうのを、アシャは茫然と見送る。
「なんだ? 抱擁が欲しいのか?」
アシャが差し出していたままの両手に気づいて、イルファが同じように両腕を差し伸べながらぬっと前に立つのに、うんざりして腕を下ろした。
「……ちっ」
(こいつはどうしていつもいつも)
胸が寒い。腕が寒い。失ってしまった温もりが恋しい。
「ちっ? 何がちっ、なんだ?」
「何でもない」
目をぱちくりさせるイルファに仏頂面で応じた。
「ユーノと何かあったのか?」
(何かあるはずだったんだ、それをお前が)
「何でもない」
ののしりたくなった自分を制して、強いて相手に顔を振り向けた。
「それより、何だ、急用か?」
「おお、それだ!」
せっかくのいい雰囲気を壊した責任はとってもらうぞと殺気を込めて頷けば、イルファは大きく頷き返した。
「実は、俺は本気でアレノに惚れていた!」
「……ああ、そうだな」
どこか偶然を装って、この男の頭に落とせる岩はないだろうか。
煮え詰まったアシャの想像をよそに、イルファは顔を紅潮させて続ける。
「あの女性こそ、俺のために降臨してきた女神だと信じていた!」
「……」
「だが! あの女性には既に恋人がいた!」
ぐっとイルファはこぶしを握って天を見上げた。
「だが、俺だって男だ、潔く諦めて、アレノに幸せになってもらえればと、首飾りを探しに湖にまで潜った!」
「……」
そんなことは俺だって知っている、というか、なぜ今更そんなことを延々と俺に。
「だが、ああ、なんたる運命の悪戯だ、首飾りを見つけたとたん、湖が荒れ、俺は首飾りを見失い、ついに再び探し出すことはできなかった!」
がっくりとイルファは首を落とす。
(なるほど)
それなら少しは俺にも関係があるか。
アシャは僅かに肩を竦める。
彼が『運命(リマイン)』と熾烈な闘いを繰り広げたせいで、湖の水はあの水盤から吸い出されて蒸気と化し、おかげで湖の水位は著しく下がり、水が泡立ち、底の泥までかき乱されたらしい。回復には数年かかるとの話だが、浅くなった湖の底に沈んでいた宝物をこっそり持ち帰る不逞の輩も出没し、聖なる湖はあっという間に混沌の俗界に堕ちたのだが。
(あのとき、首飾りを見つけていたのか)
そうと知っていても、あの時のアシャに制御する気はなかっただろう。
「アレノは俺を見切った。俺のせいではないと弁解しても無駄だった……おい、聞いてるのか?」
「聞いてるよ」
さすがに少々居心地悪く頷き返す。
「しかし、俺はアレノを愛し続けようとしたんだ、報われないと知ってはいても!」
再びイルファは顔を天に向け、苦悶の表情よろしく眉を寄せた。
アシャは溜め息をついた。アレノの気持ちは自分にはない、それでも自分には真の愛がある、そうイルファが言い続けてもう数日たつ。ユーノの体調が戻っても、イルファをここへ残して出発しなければならないかと考え始めていたところだ。
「だが!」
「ん?」
いきなりイルファがくるりと顔を戻して満面笑みとなり、アシャは瞬きした。何か新展開があったらしい。
「レスが俺に希望を与えてくれた!」
「レスが?」
微妙に不安になったのは気のせいか?
「アレノは、お前に似てるんだ!」
アシャの体から気力が一気に抜け落ちた。
「俺の真の愛は、つまりお前を通しても満たされるということだよな!」
「レスぅ……」
一体何の恨みがあって、そんなむちゃくちゃなことをこの男に吹き込んだ。
「これで万事良しだ、わはははは!」
ぐったりしたアシャと上機嫌のイルファの足下で、虫(シエト)が再び澄んだ声を響かせ始めた。
「ハイラカたち、どのへんまで行ったかな…」
「ガズラは出てるさ」
「ふうん」
ガズラの次は、えーと、と地図を思い出しながら指を折るレスファートを見下ろして、アシャは微笑む。
夕食後の静かな宵、清冽な外気、細かな貴石を散らしたような星空の下、虫(シエト)の声が草むらの中から聞こえてくる。
背後で静かに扉が開く音がして、振り返ったレスファートが出て来た人影に嬉しそうな声を上げる。
「ユーノ! もう歩けるの?」
アシャもそちらを振り返る。
人影はまだどこかぎこちない動きで二人の方へゆっくりと近づいてきた。
「もうほとんどね。明日には出発できるよ。心配かけてごめんね、レス、アシャ」
「ぼくはユーノがいてくれればいいの」
レスファートが甘えてユーノに身を寄せるのに、アシャは笑う。
「ちゃんと寝かせておいたのはレスの手柄だな」
「うん!」
「ああいう脅迫は初めてだったよ」
「ふふっ」
ユーノが苦笑するのに、レスが自慢そうに鼻をこする。
「その腕で、イルファも慰めてやってくれる?」
「イルファ?」
「首飾りが見つからなかったから、アレノに完全に振られたって落ち込んでるんだ」
「ん、わかった!」
なんだ、それじゃまだまだ下心十分だったんじゃないか。
密かに呆れながら、アシャが家に入っていくレスファートを見送っていると、
「ごめん、アシャ」
低くユーノが謝ってきて振り返った。
「ボク、まだ、子どもだね」
まばゆそうにアシャの視線を避けて俯きながら、ユーノが小さく呟く。
「一流の剣士なら、自分の体ぐらい自分で面倒みなきゃいけない……自分が果たす責任ぐらい、ちゃんとわかってなくちゃいけないのに」
いつもいつも気持ちが先走って、あなたやみんなに迷惑ばかりかけてる。
「……お前は責任を背負い込み過ぎだ」
アシャは苦笑を深めた。
「責任を果たすことと無茶は違うぞ」
「うん、剣士失格だよね」
しょんぼりして肩を落としてしまうユーノの、滑らかな首筋が夜闇の中で薄白く浮かび上がる。襟元からはまだ包帯が覗いている。
(もう少しで失うところだった)
アシャの手の届かない場所で、骨となって朽ち果てるまで打ち捨てられるような惨い死に様を晒させて。
(二度とこの手に触れられないまま)
手を伸ばしたのは意識していなかった。けれど肩に触れた瞬間、その温もりを離したくないという思いしか頭になかった。不審そうに見上げるユーノを一気に腕の中に引き寄せ、抱き込み、ほっとする。
(大丈夫だ、生きている)
びくりと震えた相手の耳に,静かに熱く囁きかける。
「どこまで心配させれば気が済む」
「あ、しゃ…」
「何と言えば、俺の側に居る?」
竦むユーノの、慌てふためいたように走り出していく鼓動が胸に伝わってくる。
生きている。
その鼓動の何と快いことか、その温もりの何と愛おしいことか。
「…や…」
拒む相手の動きを封じて髪に唇を押し付け、柔らかな匂いに酔う。小刻みに震え出すユーノに、今このとき、怒りにまかせて一刀両断されても悔いはない、断じた自分の心の緩さに苦笑する。
(媚薬を呑ませるか、呪術を使うか)
恋の手管など覚える必要さえ感じなかったのに、手足を竦めて抱かれることに怯える相手の不安をもっと煽って、是否もなくこの身に崩れ堕ちさせたい。
(できることなら)
ユーノが誇りを保ったまま、アシャを望んでいる、そう告げられたいのは傲慢か。
薄く眼を開け、眉を寄せて目を閉じているユーノの首、包帯の上に唇を落とそうとした、その矢先。
「アシャぁ!」
ばむっ、とぶち抜かれそうな勢いで扉が開いて、さすがに手が緩んだ。
その一瞬の隙を見逃すようなユーノではない。腕から飛び離れたユーノが、一瞬泣き出しそうな顔でこちらを見返し、すぐにくるりと身を翻す。
引き止める間などなかった。飛び出してきたイルファと入れ替わりに家の中に姿を消してしまうのを、アシャは茫然と見送る。
「なんだ? 抱擁が欲しいのか?」
アシャが差し出していたままの両手に気づいて、イルファが同じように両腕を差し伸べながらぬっと前に立つのに、うんざりして腕を下ろした。
「……ちっ」
(こいつはどうしていつもいつも)
胸が寒い。腕が寒い。失ってしまった温もりが恋しい。
「ちっ? 何がちっ、なんだ?」
「何でもない」
目をぱちくりさせるイルファに仏頂面で応じた。
「ユーノと何かあったのか?」
(何かあるはずだったんだ、それをお前が)
「何でもない」
ののしりたくなった自分を制して、強いて相手に顔を振り向けた。
「それより、何だ、急用か?」
「おお、それだ!」
せっかくのいい雰囲気を壊した責任はとってもらうぞと殺気を込めて頷けば、イルファは大きく頷き返した。
「実は、俺は本気でアレノに惚れていた!」
「……ああ、そうだな」
どこか偶然を装って、この男の頭に落とせる岩はないだろうか。
煮え詰まったアシャの想像をよそに、イルファは顔を紅潮させて続ける。
「あの女性こそ、俺のために降臨してきた女神だと信じていた!」
「……」
「だが! あの女性には既に恋人がいた!」
ぐっとイルファはこぶしを握って天を見上げた。
「だが、俺だって男だ、潔く諦めて、アレノに幸せになってもらえればと、首飾りを探しに湖にまで潜った!」
「……」
そんなことは俺だって知っている、というか、なぜ今更そんなことを延々と俺に。
「だが、ああ、なんたる運命の悪戯だ、首飾りを見つけたとたん、湖が荒れ、俺は首飾りを見失い、ついに再び探し出すことはできなかった!」
がっくりとイルファは首を落とす。
(なるほど)
それなら少しは俺にも関係があるか。
アシャは僅かに肩を竦める。
彼が『運命(リマイン)』と熾烈な闘いを繰り広げたせいで、湖の水はあの水盤から吸い出されて蒸気と化し、おかげで湖の水位は著しく下がり、水が泡立ち、底の泥までかき乱されたらしい。回復には数年かかるとの話だが、浅くなった湖の底に沈んでいた宝物をこっそり持ち帰る不逞の輩も出没し、聖なる湖はあっという間に混沌の俗界に堕ちたのだが。
(あのとき、首飾りを見つけていたのか)
そうと知っていても、あの時のアシャに制御する気はなかっただろう。
「アレノは俺を見切った。俺のせいではないと弁解しても無駄だった……おい、聞いてるのか?」
「聞いてるよ」
さすがに少々居心地悪く頷き返す。
「しかし、俺はアレノを愛し続けようとしたんだ、報われないと知ってはいても!」
再びイルファは顔を天に向け、苦悶の表情よろしく眉を寄せた。
アシャは溜め息をついた。アレノの気持ちは自分にはない、それでも自分には真の愛がある、そうイルファが言い続けてもう数日たつ。ユーノの体調が戻っても、イルファをここへ残して出発しなければならないかと考え始めていたところだ。
「だが!」
「ん?」
いきなりイルファがくるりと顔を戻して満面笑みとなり、アシャは瞬きした。何か新展開があったらしい。
「レスが俺に希望を与えてくれた!」
「レスが?」
微妙に不安になったのは気のせいか?
「アレノは、お前に似てるんだ!」
アシャの体から気力が一気に抜け落ちた。
「俺の真の愛は、つまりお前を通しても満たされるということだよな!」
「レスぅ……」
一体何の恨みがあって、そんなむちゃくちゃなことをこの男に吹き込んだ。
「これで万事良しだ、わはははは!」
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