43 / 52
41
しおりを挟む部屋に戻ると、ベルがお茶を入れてくれた。ベルガモットの香りのする落ち着くお茶。
「帰らないってちゃんと言えたね。」
「うん。」
「言い残したことはない?」
「もっとたくさん、文句を言いたかった。」
「ああね。今から言いに行く?」
「……やめとく。」
もっと文句を言ってやりたかった。それは本当だ。でも今、冷静になってトマス神官の話を思い出すと、色々考えてしまう。
聖人を守るために、聖人のことを知るのだと言っていた。
お金があれば、たくさんの可哀想な子供達が助けられると、私が受け取っているお金を子供達に使うために王家とアシュリーを紐付けようとしたのだと言った。
私が聖女を辞めることを覚悟すれば、トマス神官が子供も聖人も守り、優しい世界を作ってくれるのかしら。
トマス神官はトマス神官なりに、信念を持って動いたのはわかった、とおじいちゃんは言っていた。トマス神官の考えは、私にとって厳しいだけで、世間的には優しいことなのかしら。
それなら、私の中にある6代目の種を、然るべき相手に譲りたいと思うのは我儘なのかしら。
「何か考え込んでいるね。」
思考の海を泳いでいた私を、ベルの言葉が引き戻した。
「うん……。トマス神官の言っていたことは、正しいことなんじゃないかなって、今更思えてきて。」
「そうだね。大勢のことを優先するのは間違ってはいないよね。」
「じゃあやっぱり、嫌って思う私が我儘なのかなあ。」
「それは違うでしょ。立場によるんじゃないかな。」
「立場?」
「国のために命を捧げろって言われたらどうする?って話でしょ。全のために個を犠牲にする。側から見たら素晴らしく尊い自己犠牲精神なんだろうけど。そんなの、酔ってでもいなきゃ普通は無理なんじゃない?お前が死ねば皆が助かるから死んでくれって言われて、はい、わかりました。って納得できるかな?逆に皆が死ねば自分が助かるんなら、誰も許さなくても自分はそれを選んでも良いんだ。」
「それはちょっと、どうなのかしら……」
「誰でも、自分は傷つきたくなくて当然でしょ。もしもその犠牲になる人が愛する人や家族なら?守るでしょ。悪いわけがないんだよ。一部の特権階級以外はね。」
「特権階級の人はダメなの?」
「そりゃダメでしょ。特権が許されているんだもの。いざという時に責任を持つ代わりの特権。自らを犠牲にする責務があるからね。だから生まれた時から自覚させる教育をされるんだ。」
「そんな責務、なんか嫌ね。」
「……へえ。」
「ん?」
「聖女様は、特権階級の人間が責任を担うのを当たり前だとは思わないんだね。」
「え?ああ、それは、当たり前だとは思うんだけど、生まれながらって言うのが嫌。犠牲なるために生まれてきたなんて悲しいわ。その覚悟を持ってその立場に立った人とは違うと思う。」
「良いね。」
「ん?」
ベルが私を見つめてくるので、なんだか気恥ずかしさに俯いてしまう。
「ねえ。胎内巡り、やってみない?」
「え?何?突然。」
俯いていた顔を上げるとまだベルは私を見ていた。
「突然思ったんだもの。聖女様は自分の考えとか意思っていうものが弱いと思うんだ。」
「そうかしら……。」
「だって、色々聞くたびに揺れるでしょ?これからも、たくさんの人に会って、それぞれの考え方に触れる機会は、きっと何度もあるよ。その度に自分の考えや意思を疑っていたら、だんだん、いろんなことが見えなくなる。そうなる前に、自分の意思、自分がどう在りたいかってことを、はっきりと自覚しなくちゃ。」
「自分の考えを疑うってどういうこと?」
「自分が間違ってるのかも、って思っちゃうでしょ。それはまだ良いんだ。自分の中で考えて答えを出すんだから。問題は、相手の言ってることがが正しいかもって思っちゃうこと。」
目をまっすぐに見て話すのは王子様だからかしら。と、あさってなことを考えている間もベルの話は続く。
「感化されるのは悪いことじゃないんだけど、流されたり染まるのは良くない。大神官様が聖女様に、ずっと自由を強調してた意味がわかったよ。人の考えに巻き込まれて染まってしまうのを恐れたんだと思うな。」
「……難しい。」
「そう言う考え方もあるんだな。自分とは違うなって、いうクッションを自分の思考に入れないと、あの人はこう言ってて正しいと思ったのに、この人の言ってることも正しい気がする。どうしたら良いのかわからなくて人の言いなりになっちゃうんだよ。」
「それは、ちょっとわかる……。」
「聖女様を、いや、誰のことも、都合のいいように使っていいはずがないんだ。きちんと自分で考えて、そして選ばないといけない。だから、生まれ直して、自分がそこに居ることを自覚してみたらどうかな。あの中、すっごい自分の気持ちがわかるからさ。それが君の意思で、君の在り方 だよ。」
ちょっともう、話の内容が頭に入ってこない。ベルの言葉に熱がありすぎて、心の腰が引けている。
「そういうことなら、大神官様が勧めてくれたんじゃないかなあ?でも言われなかったってことは、必要ないんじゃないかな。」
「大神官様は、君にはまだ早いと思ったんだろうね。だから言わなかった。でも、君がやりたいと言うなら、反対はしないと思うし、僕は今の君ならやってみても良いと思う。」
ベルは優しい。私の言うことや行動を否定しない。居心地が良いと思ったのは、きっと、私を尊重してくれるからだ。そのベルが、強く何かを勧めてくることは珍しいことだった。
いや、実際には勧められてはいない。やってみない?と誘われただけだ。やらないと答えることのできる余地を残している。
いつも、命令も、決めつけも、強制同意を求めることもない。常にどうしたい?と聞いてくる。相手に選ばせるように選択肢を出してくる。これがこの人の在り方というやつなのかもしれない。
「あ、これも、大神官様の意図はそうじゃないかなって推測で、僕も、そう思うことを君に伝えただけ。そういうものが在るという情報を得て、やるかやらないか、または気にも留めないか、大神官様が行ってくれるまで待つか、それは君自身が決めるんだよ。」
ベルはそう言ってから、お茶セットを片付けて部屋を出て行った。
メラニアは、今、初めて気づいたことがある。ベルは、人当たりが優しいだけで、決して甘やかな人ではない。言い方が優しいから話しやすくて勘違いしそうになるけれど、自分で考えろ、自分で決めろというのは、人によっては突き放されたように感じるのではないかと思う。
彼にとって、相手の意思を尊重することが当たり前だから、そういう風に言うのだと知らなければ、私も冷たい人だと思ったかもしれない。
「好き嫌いを別にして人を理解するとはこういうことかしら。ベルは私の心の自立を望んでいるんだわ。」
そして、それはきっと、おじいちゃんも。
胎内巡り。それがどういうものかは知らないけれど、前向きに考えようと思った。まずはそれがどういうものなのかを聞かなくては。怖いのとか体力を使う系だったら嫌だなあ。聞いてから、大丈夫そうなら、やってみたいと言おう。そうメラニアは思った。
32
お気に入りに追加
90
あなたにおすすめの小説

『忘れられた公爵家』の令嬢がその美貌を存分に発揮した3ヶ月
りょう。
ファンタジー
貴族達の中で『忘れられた公爵家』と言われるハイトランデ公爵家の娘セスティーナは、とんでもない美貌の持ち主だった。
1話だいたい1500字くらいを想定してます。
1話ごとにスポットが当たる場面が変わります。
更新は不定期。
完成後に完全修正した内容を小説家になろうに投稿予定です。
恋愛とファンタジーの中間のような話です。
主人公ががっつり恋愛をする話ではありませんのでご注意ください。

【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?

ハイエルフの幼女に転生しました。
レイ♪♪
ファンタジー
ネグレクトで、死んでしまったレイカは
神様に転生させてもらって新しい世界で
たくさんの人や植物や精霊や獣に愛されていく
死んで、ハイエルフに転生した幼女の話し。
ゆっくり書いて行きます。
感想も待っています。
はげみになります。

【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します
怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。
本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。
彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。
世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。

妹が聖女の再来と呼ばれているようです
田尾風香
ファンタジー
ダンジョンのある辺境の地で回復術士として働いていたけど、父に呼び戻されてモンテリーノ学校に入学した。そこには、私の婚約者であるファルター殿下と、腹違いの妹であるピーアがいたんだけど。
「マレン・メクレンブルク! 貴様とは婚約破棄する!」
どうやらファルター殿下は、"低能"と呼ばれている私じゃなく、"聖女の再来"とまで呼ばれるくらいに成績の良い妹と婚約したいらしい。
それは別に構わない。国王陛下の裁定で無事に婚約破棄が成った直後、私に婚約を申し込んできたのは、辺境の地で一緒だったハインリヒ様だった。
戸惑う日々を送る私を余所に、事件が起こる。――学校に、ダンジョンが出現したのだった。
更新は不定期です。

【完結】元婚約者であって家族ではありません。もう赤の他人なんですよ?
つくも茄子
ファンタジー
私、ヘスティア・スタンリー公爵令嬢は今日長年の婚約者であったヴィラン・ヤルコポル伯爵子息と婚約解消をいたしました。理由?相手の不貞行為です。婿入りの分際で愛人を連れ込もうとしたのですから当然です。幼馴染で家族同然だった相手に裏切られてショックだというのに相手は斜め上の思考回路。は!?自分が次期公爵?何の冗談です?家から出て行かない?ここは私の家です!貴男はもう赤の他人なんです!
文句があるなら法廷で決着をつけようではありませんか!
結果は当然、公爵家の圧勝。ヤルコポル伯爵家は御家断絶で一家離散。主犯のヴィランは怪しい研究施設でモルモットとしいて短い生涯を終える……はずでした。なのに何故か薬の副作用で強靭化してしまった。化け物のような『力』を手にしたヴィランは王都を襲い私達一家もそのまま儚く……にはならなかった。
目を覚ましたら幼い自分の姿が……。
何故か十二歳に巻き戻っていたのです。
最悪な未来を回避するためにヴィランとの婚約解消を!と拳を握りしめるものの婚約は継続。仕方なくヴィランの再教育を伯爵家に依頼する事に。
そこから新たな事実が出てくるのですが……本当に婚約は解消できるのでしょうか?
他サイトにも公開中。

私と母のサバイバル
だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。
しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。
希望を諦めず森を進もう。
そう決意するシャリーに異変が起きた。
「私、別世界の前世があるみたい」
前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる