聖女は祖国に未練を持たない。惜しいのは思い出の詰まった家だけです。

彩柚月

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 この牢には何もない。ベッドも机もない。おそらく用を足すための壺と、藁で編んだように見えるむしろがあるだけだ。

 仕方なくむしろに横たわる。硬い床が体に感じられて、途方もなく悲しくて涙がどんどん溢れてくる。

 「死んでも良い、なんて。」

 本当に食べ物や水を止められたらどうしよう。もう大樹の元へ行けなくなっても、神官に話した方が良いのかもしれない。伯父の望み通り、念書を書いて、この力をリリィに譲ってしまえば、ここから出してもらえるのだろうか。どうせすぐに聖性は消えてしまうだろうけど。

 弱い心がムクムクと頭をもたげる。

 秘密を守って死んでも、守らなくて助かっても、どちらにしても聖人は生まれなくなる。そうしたらこの国はどうなるかな。荒廃したりしたら、少しは聖人の有り難みをわかってくれるかな。

 この種を持っているから、こんな目に遭うのなら、こんな種、捨ててしまった方が幸せなのかもしれない。種が消えてしまってから、皆、後悔すれば良いんだわ。

 そんなことをグルグル考えていたが、しばらくして気持ちが落ち着いてきた。

 ——どのくらい経ったかな。

涙も止まっていた。

 ——こんなことを思うってことは、もう感情は十分に吐き出したわ。涙も打ち止めね。

 この種を感情で捨ててはいけない。5代も前のご先祖様から、大切に受け継がれてきたものだ。

 見たこともないご先祖様のことは知らないが、母も祖母も大切にしていた。大切に、光を失わせないでね、と託された、大切な種。

 「消えても構わないなんて思ってごめんね。」
 
 種に心から謝った。できれば、適正のある人に受け継ぎたかったけど、できなければ仕方がない。

 あの男は自然死なら種が残ると言ったが、そうじゃない。正確には、聖性を保ったまま死んだら種が残るのだ。苦しんで死ぬと、その苦しみに囚われて聖性を失ってしまうから。心安らかに自然死すると遺りやすい。そういうことだ。
 
 例え、ここで渇いて餓死することになっても、私の内にある間は、決して種を消滅させない。私が死ぬ時は必ず種を遺す。

 そう、強く意識した時だった。胸元に忍ばせていた枝が熱を持っているような気がした。決して熱くはないが、ほんのり温かい。取り出してみると、ポワポワ光っている。

 「励ましてくれているのかしら。」

 嬉しくなって両手に収めて何とはなしに
 「ᛟᛈᛖᚾ ᛏᚺᛖ ᚱᛟᚪᛞ」
 と唱えた。

 思ってもいなかったことが起きた。
 見慣れた扉が現れたのだ。
 
 迷わずメラニアは扉を潜った。
 そこは、見慣れたユグドラシルの大樹の元。

 助かったという安心と、知っている場所に戻れたという嬉しさと、恐怖心からの解放と、その他にもいろいろ、とりあえずものすごく泣いて、泣き疲れて、眠ってしまった。

 何しろここは、世界で一番安全な場所だから。

 
 安心と疲れで、大樹の根元で横になって眠ってしまった。



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