14 / 42
◆とらわれのにんぎょ
しおりを挟む 裏の井戸へと瓶を手にやって来て、ぐるるる……と弱り気味に喉を鳴らし、耳を寝かせた挙げ句に溜息を吐いた。背を丸め冷たい水を汲み取り、柄杓で一杯飲み干す。
「冷えてきたな」
肌に感じる温度や空気の乾き、森に生きる生き物の鳴き声からして、もうすっかり夜であると知った。瓶を水で満たし庵へと戻ると、篤実は十兵衛の姿を認めて彼を呼んだ。
「十兵衛」
「飯は、口に合いましたか、若君」
「ちと、塩が強かった」
「この辺の味噌は、都に比べるとそうかもしれねえ。次は薄く……」
「いや、そんなことはしなくてよい、十兵衛」
篤実は碗を手に立ち上がった。つられて十兵衛が顔を上げると微かに笑むような吐息が聞こえた。
「これが其方の味なのだな。此の儘で良い。して……何処に下げれば良い」
「いや、若! 儂が片付けます、どうかごゆるりと」
十兵衛は水瓶を足元に置き、篤実の気配のする方へ手探りで進む。その手を篤実が取り、空になった碗を握らせた。
「では、余は先に休む。十兵衛、寒いのは余は好まぬ故」
「はい、湯湯婆を……」
「いや」
するり……と十兵衛の着物の上から、冷えた薄い掌が撫でた。そうして、肘の辺りが摘ままれる。
「余に添い寝せよ、十兵衛。その方が良い」
篤実の言葉に十兵衛は無い目を瞠った。
「…じゃが、若君、儂は…」
「余の命が聞けぬか?」
十兵衛の脳裏には、五年前に見た若者が首を傾げながら自分を睨め付ける様がありありと再生できた。息を詰め、眉間に皺を寄せた後渋々頷く。
「――御意、若君」
篤実の手が十兵衛の着物の袖を再びキュッと握った後、手の甲を名残惜しげに撫でて離れていく。
とさりと横に鳴る音を聞いて、十兵衛は掻き込むように夕餉を済ませた。
湯を沸かし、熱い茶を飲んだ後に布団に近付くと、篤実は大人しくしていたがその僅かな気配の違いから狸寝入りをしているのがばればれであった。なにせ十兵衛は盲になった分気配に敏いのだ。
「……失礼します」
布団をめくり、潜る。五年振りにして、初めて褥を共にする若君の背は、こうして並ぶと以前よりも伸びている。それでも頭が十兵衛の胸元に収まり、つま先はすねの辺りまでしかない。
「十兵衛」
「はい」
囁く声に十兵衛は擽ったさをおぼえて、狼の立ち耳をぴるるるっと震わせる。
「余を抱きしめよ」
ぶわぁっと毛皮が逆立った。
「さ…すがに、そんな無礼はできねぇ、若君」
「……よい。余とそなたしかおらぬ」
布団の中で十兵衛よりも細い身体が擦り寄せられる。己と違い毛皮の無いつるりとした肌。濃縮されたひとのにおい。
あの戦場で庇い、抱き締めた若君のにおい。ずっと嗅いでいたい、生き物の本能に絡み付くにおいがする。
「余は――におう、か? 十兵衛」
その台詞に、この人は己の心を見抜く目を持っているのだと、十兵衛はかえって恥ずかしくなった。
「あ、明日、湯を沸かしましょう。それか風呂を借りに」
「……そうか」
獣の匂いをまとわりつかせた若君が腕の中に身を落ち着けて、十兵衛は尚のこと眉間の皺を深くした。あまりにもその匂いが濃くて、近い。横を向いた十兵衛は後ろ向きであるらしい若君の身体に腕を回し、意識を静かに眠らせていった。
「冷えてきたな」
肌に感じる温度や空気の乾き、森に生きる生き物の鳴き声からして、もうすっかり夜であると知った。瓶を水で満たし庵へと戻ると、篤実は十兵衛の姿を認めて彼を呼んだ。
「十兵衛」
「飯は、口に合いましたか、若君」
「ちと、塩が強かった」
「この辺の味噌は、都に比べるとそうかもしれねえ。次は薄く……」
「いや、そんなことはしなくてよい、十兵衛」
篤実は碗を手に立ち上がった。つられて十兵衛が顔を上げると微かに笑むような吐息が聞こえた。
「これが其方の味なのだな。此の儘で良い。して……何処に下げれば良い」
「いや、若! 儂が片付けます、どうかごゆるりと」
十兵衛は水瓶を足元に置き、篤実の気配のする方へ手探りで進む。その手を篤実が取り、空になった碗を握らせた。
「では、余は先に休む。十兵衛、寒いのは余は好まぬ故」
「はい、湯湯婆を……」
「いや」
するり……と十兵衛の着物の上から、冷えた薄い掌が撫でた。そうして、肘の辺りが摘ままれる。
「余に添い寝せよ、十兵衛。その方が良い」
篤実の言葉に十兵衛は無い目を瞠った。
「…じゃが、若君、儂は…」
「余の命が聞けぬか?」
十兵衛の脳裏には、五年前に見た若者が首を傾げながら自分を睨め付ける様がありありと再生できた。息を詰め、眉間に皺を寄せた後渋々頷く。
「――御意、若君」
篤実の手が十兵衛の着物の袖を再びキュッと握った後、手の甲を名残惜しげに撫でて離れていく。
とさりと横に鳴る音を聞いて、十兵衛は掻き込むように夕餉を済ませた。
湯を沸かし、熱い茶を飲んだ後に布団に近付くと、篤実は大人しくしていたがその僅かな気配の違いから狸寝入りをしているのがばればれであった。なにせ十兵衛は盲になった分気配に敏いのだ。
「……失礼します」
布団をめくり、潜る。五年振りにして、初めて褥を共にする若君の背は、こうして並ぶと以前よりも伸びている。それでも頭が十兵衛の胸元に収まり、つま先はすねの辺りまでしかない。
「十兵衛」
「はい」
囁く声に十兵衛は擽ったさをおぼえて、狼の立ち耳をぴるるるっと震わせる。
「余を抱きしめよ」
ぶわぁっと毛皮が逆立った。
「さ…すがに、そんな無礼はできねぇ、若君」
「……よい。余とそなたしかおらぬ」
布団の中で十兵衛よりも細い身体が擦り寄せられる。己と違い毛皮の無いつるりとした肌。濃縮されたひとのにおい。
あの戦場で庇い、抱き締めた若君のにおい。ずっと嗅いでいたい、生き物の本能に絡み付くにおいがする。
「余は――におう、か? 十兵衛」
その台詞に、この人は己の心を見抜く目を持っているのだと、十兵衛はかえって恥ずかしくなった。
「あ、明日、湯を沸かしましょう。それか風呂を借りに」
「……そうか」
獣の匂いをまとわりつかせた若君が腕の中に身を落ち着けて、十兵衛は尚のこと眉間の皺を深くした。あまりにもその匂いが濃くて、近い。横を向いた十兵衛は後ろ向きであるらしい若君の身体に腕を回し、意識を静かに眠らせていった。
42
お気に入りに追加
760
あなたにおすすめの小説

普通の男の子がヤンデレや変態に愛されるだけの短編集、はじめました。
山田ハメ太郎
BL
タイトル通りです。
お話ごとに章分けしており、ひとつの章が大体1万文字以下のショート詰め合わせです。
サクッと読めますので、お好きなお話からどうぞ。

ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
全8話。1日1話更新(20時)。
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!


見ぃつけた。
茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは…
他サイトにも公開しています
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

ヤンデレ化していた幼稚園ぶりの友人に食べられました
ミルク珈琲
BL
幼稚園の頃ずっと後ろを着いてきて、泣き虫だった男の子がいた。
「優ちゃんは絶対に僕のものにする♡」
ストーリーを分かりやすくするために少しだけ変更させて頂きましたm(_ _)m
・洸sideも投稿させて頂く予定です

食欲と快楽に流される僕が毎夜幼馴染くんによしよし甘やかされる
八
BL
食べ物やインキュバスの誘惑に釣られるお馬鹿がなんやかんや学園の事件に巻き込まれながら結局優しい幼馴染によしよし甘やかされる話。
□食い意地お馬鹿主人公受け、溺愛甘やかし幼馴染攻め(メイン)
□一途健気不良受け、執着先輩攻め(脇カプ)
pixivにも投稿しています。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる