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小舟に乗って
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今朝、祖父は、雫が起床したほんの少し前に、疲れているだろうから起こさなくていい、と言って出かけてしまったそうだ。
雫の考える朝の始まる時間よりも、この家の朝の始まりは相当に早いらしい。
気になって秀真は何時に起きているのか、和美さんに聞いてみると、いつも和美さんが来る頃には、秀真は身支度も整えて、朝の書道も終わった後なので、実際何時に起きているのかは、はっきりと分からないのだとか。
和美さんが来るのは7時らしいから、それを考えると相当早く起きていると思われる。
食事を終えて、洗面や歯磨きを終わらせると雫は着替えをしに部屋へ戻った。
これも、雫の家では当たり前の順番だったが、この家では身支度が先のようだ。
当たり前と思っていた習慣も、少し外へ出てみると全く違う物だなぁと、なんとなく思う。
同じ日本で、しかも母が育った家なのに、すっかり習慣が違うのだから。
着替えを終えて、再びリビングに降りると秀真が大きなキャンバストートにお弁当を入れている所だった。
後ろから覗き込むと、お弁当の包みと保温ポット、水筒、紙袋に包まれた何かが入っている。
「その袋は?」
声をかけると、秀真がサッと振り向いて、驚いたように見上げてきた。
「あ、ごめん。その紙袋、何かな?と思って。」
秀真は、ああ、と言って、紙袋を開けて見せてくれた。
中はクッキーと、クロワッサンが、ビニルの袋に包まれて入っていた。しかも、クロワッサンにはチョコが挟まれている。
「わ、マジで美味しそう。」
秀真は大きく頷くと、
「これは、マジで美味しい。」
そう言いながら、ちょっと小ぶりなスケッチブックを2冊、筆箱や色鉛筆もトートに収めた。
「絵、描くの好きなんでしょ?そうやって聞いたから。」
秀真は言い訳のようにそう言いながら、雫を見上げた。
「まぁ、好きというか。うん、なんとなくだけどね。」
それには何も答えず、秀真は立ち上がると、そろそろ出ようと言った。
和美さんに見送られて外に出ると、秀真は昨日登ってきた坂道とは逆の方へ歩き始めた。
舗装されてはいるが、あまりに細くてクルマが通れるのか、悩むほどの道だ。
「荷物、途中で変わるから。」
そう声をかけて隣に並ぶ。
「そうだね。ありがとう。でも、そんなには重くないよ。」
早すぎない、遅すぎない、2人の歩幅も歩くスピードも、不思議とぴったり息があっている。
昨日は自転車があったから気付かなかったけれど、二人で歩くテンポのシンクロが妙に心地よくて、無言でドンドン歩いた。
この黙々と歩く雰囲気を壊したくなくて、とにかく同じテンポで歩く。
それを秀真が先に壊した。
「雫、ここ。見て…」
秀真は舗装された細道を右に逸れて、そんなにひどくはない草むらを進んでいく。
すると、そこにはあまり深くはなさそうな、川なのか池なのかがあった。ほとりには木の杭が刺さっていて、木の小舟がそこにもやわれている。
秀真は無言のままトートを雫に渡し、小舟を引き寄せて、こちら側から乗りやすいように向きを変えた。
「え、乗る気?」
思わず口をついて出た言葉に、秀真は振り返ってキョトンとした顔を見せた。
「あれ、言ってなかった?」
雫は大きく頷く。
「大丈夫、腰くらいまでの深さしかないから。ただ湧き水だから、とんでもなく冷たいけどね。」
そう言って、秀真は小舟を抑えながら、雫に手招きした。
怖がっているように思われるのは嫌で、雫は一歩を踏み出すと、まず、トートバッグを船に乗せ、船の真ん中辺りに足を乗せた。
「体制を低くして、そっとね。片方に体重をかけ過ぎるとひっくり返るから。」
雫は言われた通り、そっと船に乗り移る。硬い木の板の下の、ふわふわとした心許ない感覚が気持ち良さと不安感の両方をもたらす。
雫が乗り移ってへっぴり腰で座るのを見届けると、秀真も軽やかに船に乗った。
かなり慣れている。
秀真は、もやい綱を木の杭から外すと、船底にあった長い棒で、岸をつき、船はゆらっと岸から離れた。
「池のような溜まりになっているんだ。川になって流れ出してはいるんだけど、ほとんど流れはないから、安心して漂っていられるよ。」
そう言って、秀真は、木の棒を船底に置く。
水はすごい透明度で深さが全くわからない。水底には、ポコポコといった丸い形の藻の塊が、揺れている。
細かい白い砂つぶが、所々でわき立っているのは、そこから水が湧いているのだろう。
信じられない光景、といった美しさに、ついつい呆れたような調子で言葉が出た。
「映画かなんかでしか見たことない景色だわ。」
秀真は笑った。笑顔じゃなく、声をたてて。
「ね、僕も最初はそう思った。」
ほとんど流れはないと秀真は言っていたけど、やはり流れてはいるのだろう、小舟はゆったりと移動している。
宙に浮いているような気持ちだ。
「だからおにぎり。ここで、食べるならおにぎりじゃない?」
秀真はそういうと、向き合った姿勢のまま
、半ば無理に足を伸ばし、寝転がった。
「おわ、寝ちゃうの?」
秀真は返事をせず、ただ、ふふっと笑った。雫も、黙ったまま、秀真の足を避けて反対向きに仰向けになる。
あー、これは確かに、これが正解だ。
真っ青な空が、そのまま覆い被さってくる。ふわふわと空中に飲まれたようだ。
時間は時計がないから分からないけど、お日様はまだ朝の域だ。
手付かずの一日が、まだ丸っと残っている。
雫はぐっと背中を伸ばすと、チョコの入ったクロワッサンをこの船の上で早く食べたいなぁ、なんて思い、ゆるっと笑った。
雫の考える朝の始まる時間よりも、この家の朝の始まりは相当に早いらしい。
気になって秀真は何時に起きているのか、和美さんに聞いてみると、いつも和美さんが来る頃には、秀真は身支度も整えて、朝の書道も終わった後なので、実際何時に起きているのかは、はっきりと分からないのだとか。
和美さんが来るのは7時らしいから、それを考えると相当早く起きていると思われる。
食事を終えて、洗面や歯磨きを終わらせると雫は着替えをしに部屋へ戻った。
これも、雫の家では当たり前の順番だったが、この家では身支度が先のようだ。
当たり前と思っていた習慣も、少し外へ出てみると全く違う物だなぁと、なんとなく思う。
同じ日本で、しかも母が育った家なのに、すっかり習慣が違うのだから。
着替えを終えて、再びリビングに降りると秀真が大きなキャンバストートにお弁当を入れている所だった。
後ろから覗き込むと、お弁当の包みと保温ポット、水筒、紙袋に包まれた何かが入っている。
「その袋は?」
声をかけると、秀真がサッと振り向いて、驚いたように見上げてきた。
「あ、ごめん。その紙袋、何かな?と思って。」
秀真は、ああ、と言って、紙袋を開けて見せてくれた。
中はクッキーと、クロワッサンが、ビニルの袋に包まれて入っていた。しかも、クロワッサンにはチョコが挟まれている。
「わ、マジで美味しそう。」
秀真は大きく頷くと、
「これは、マジで美味しい。」
そう言いながら、ちょっと小ぶりなスケッチブックを2冊、筆箱や色鉛筆もトートに収めた。
「絵、描くの好きなんでしょ?そうやって聞いたから。」
秀真は言い訳のようにそう言いながら、雫を見上げた。
「まぁ、好きというか。うん、なんとなくだけどね。」
それには何も答えず、秀真は立ち上がると、そろそろ出ようと言った。
和美さんに見送られて外に出ると、秀真は昨日登ってきた坂道とは逆の方へ歩き始めた。
舗装されてはいるが、あまりに細くてクルマが通れるのか、悩むほどの道だ。
「荷物、途中で変わるから。」
そう声をかけて隣に並ぶ。
「そうだね。ありがとう。でも、そんなには重くないよ。」
早すぎない、遅すぎない、2人の歩幅も歩くスピードも、不思議とぴったり息があっている。
昨日は自転車があったから気付かなかったけれど、二人で歩くテンポのシンクロが妙に心地よくて、無言でドンドン歩いた。
この黙々と歩く雰囲気を壊したくなくて、とにかく同じテンポで歩く。
それを秀真が先に壊した。
「雫、ここ。見て…」
秀真は舗装された細道を右に逸れて、そんなにひどくはない草むらを進んでいく。
すると、そこにはあまり深くはなさそうな、川なのか池なのかがあった。ほとりには木の杭が刺さっていて、木の小舟がそこにもやわれている。
秀真は無言のままトートを雫に渡し、小舟を引き寄せて、こちら側から乗りやすいように向きを変えた。
「え、乗る気?」
思わず口をついて出た言葉に、秀真は振り返ってキョトンとした顔を見せた。
「あれ、言ってなかった?」
雫は大きく頷く。
「大丈夫、腰くらいまでの深さしかないから。ただ湧き水だから、とんでもなく冷たいけどね。」
そう言って、秀真は小舟を抑えながら、雫に手招きした。
怖がっているように思われるのは嫌で、雫は一歩を踏み出すと、まず、トートバッグを船に乗せ、船の真ん中辺りに足を乗せた。
「体制を低くして、そっとね。片方に体重をかけ過ぎるとひっくり返るから。」
雫は言われた通り、そっと船に乗り移る。硬い木の板の下の、ふわふわとした心許ない感覚が気持ち良さと不安感の両方をもたらす。
雫が乗り移ってへっぴり腰で座るのを見届けると、秀真も軽やかに船に乗った。
かなり慣れている。
秀真は、もやい綱を木の杭から外すと、船底にあった長い棒で、岸をつき、船はゆらっと岸から離れた。
「池のような溜まりになっているんだ。川になって流れ出してはいるんだけど、ほとんど流れはないから、安心して漂っていられるよ。」
そう言って、秀真は、木の棒を船底に置く。
水はすごい透明度で深さが全くわからない。水底には、ポコポコといった丸い形の藻の塊が、揺れている。
細かい白い砂つぶが、所々でわき立っているのは、そこから水が湧いているのだろう。
信じられない光景、といった美しさに、ついつい呆れたような調子で言葉が出た。
「映画かなんかでしか見たことない景色だわ。」
秀真は笑った。笑顔じゃなく、声をたてて。
「ね、僕も最初はそう思った。」
ほとんど流れはないと秀真は言っていたけど、やはり流れてはいるのだろう、小舟はゆったりと移動している。
宙に浮いているような気持ちだ。
「だからおにぎり。ここで、食べるならおにぎりじゃない?」
秀真はそういうと、向き合った姿勢のまま
、半ば無理に足を伸ばし、寝転がった。
「おわ、寝ちゃうの?」
秀真は返事をせず、ただ、ふふっと笑った。雫も、黙ったまま、秀真の足を避けて反対向きに仰向けになる。
あー、これは確かに、これが正解だ。
真っ青な空が、そのまま覆い被さってくる。ふわふわと空中に飲まれたようだ。
時間は時計がないから分からないけど、お日様はまだ朝の域だ。
手付かずの一日が、まだ丸っと残っている。
雫はぐっと背中を伸ばすと、チョコの入ったクロワッサンをこの船の上で早く食べたいなぁ、なんて思い、ゆるっと笑った。
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