The Providence ー遭遇ー

hisaragi

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Chapter 2

storm

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 従業員が避難し、もぬけの殻になったホテルは照明も消えており、鈍色の空のせいもあって薄ら寒かった。

 薄暗いロビーには金属で出来た黒い円筒形の大きな薪ストーブがあり、その周りには英国調の革張りのベンチソファやマホガニーの猫脚の椅子が置かれている。しかし、そういった家具も今は敵の侵入を防ぐために、エントランスのガラス製の自動ドアを塞ぐように積みあげられていた。

 そして、元の場所から動かず、じっと仕事をし続けるアンティークの紫檀製のホールクロックは12時10分を示していた。

 予定ではもうすぐ基山が到着する頃だ。強く吹く風の音がどこからか室内にまで響いていて、気象予報官の読み通りにポツリポツリと小さな水滴が空から落ち始めていた。



 神崎と蒼は同じフロアーに有る自動販機コーナーに来ていた。
 自販機のコンセントは抜かれていたが、照明も点いており、各商品のボタンも点灯していて購入可能であることが分かった。従業員が避難するときに、災害モードに設定していたのだ。本体にもライフライン自動販売機のステッカーが貼ってあり、内臓のバッテリーで1週間ほど稼働できると書かれていた。

「本当だ、飲み物が無料で出てくるぞ!さすが柳川3佐だ」
 蒼より10才くらい年上の神崎が高校生のようにはしゃいでいた。これでも戦闘になれば正確な射撃をするスナイパーだ。しかも、今日初めて戦闘を行い人を殺したというのに、いつもと変わらないように振る舞っていた。
「へーこんな機能が有るんですね。初めて知りました。でも何だか窃盗しているみたいで、良い感じしませんね」
 真面目な性格の蒼はなんだか申し訳なさそうな顔で自販機を見ていた。
「確かにそうだけど、災害モードにしてあるって事はそう言う事なんでしょ。ポッカリスウィートとアルギンX、お!赤マムシ蜥蜴コーヒーもあるじゃん!ラッキー!」

 ケバケバシイデザインの缶が照明に照らされて際立っていた。それを見てテンションを上げる神崎。

「な、何ですかその悪魔が作った液体みたいな飲み物は‥‥‥?」
「結構いけるぜ!俺はハブ酒とか飲むんだけど、これはマムシと蜥蜴も入っているんだ!!ちょっと癖は有るけど結構コクがあっていけるんだよ!飲む?」
(つうか‥‥‥蜥蜴って何トカゲなんだよ‥‥‥)
 神崎は清々しさすら感じるサッパリした笑顔で、蒼に異次元の飲み物を勧めた。
「そ、そうなんですね。僕は遠慮しますね。あっ!そうだ、袋が必要ですね、僕探して来ますから!そうそう、入れるものが無ければ運べないですよね!そうそう必要必要」
(ちょっとの癖ではすまないのでは?それにそんな物を人類が滅亡するかもしれない今は飲みたくないっす‥‥‥)

 神崎と蒼は売店からチョコやカロリーバー、カップ麺を袋に入れ、厨房から箸やフォークなども取って来ていた。

 そして、手分けをして全員に配って歩いた。
「遠山1曹、お好きなのどうぞ」
「お、サンキ‥‥‥蒼‥‥‥なんだこの胡散臭い‥‥‥飲み物か?これ」
 遠山は飲み物を選ぼうと袋に手を入れたが、すぐに手を引っ込めた。本能的に触ってはいけないものだと感じたのかもしれない。
「神崎さんのお勧めの逸品です‥‥‥」
「‥‥‥なるほどね。お、アルギンXとかまだあるのか!じゃ、それと呑兵衛狐うどんも頼むわ」
 神崎が選んだ物と聞いて、素直に納得する遠山。神崎は普段からゲテモノを好んでいるのだろう。
「了解です!後で持ってきますね」
 一通り注文を聞いてから、給湯室でカップ麺にお湯を入れて再び全員に配る。蒼は自分の為に死線を潜っている皆の為に何かをしてあげたいと考えていたが、花宗のように戦闘が出来るわけも無く、こうして飲食物を配る事しか出来なかった。

 医務室に戻ると、沢原と羽犬塚、それに莉子が残っていた。羽犬塚は眠っているようだ。沢原は少し元気になって顔色も良くなっていた。
「取り合えず、糖分と塩分も摂れるように何か食べておこうよ」
「ボ、ボッチ―‥‥‥これって罰ゲーム用?これはコーヒーなの?これ何!?」
 莉子も謎の飲み物の毒々しい缶を見て手を止めた。
「さ、さあ‥‥‥何だろうね‥‥‥ハハハハハハ」
「なんだよこのチョイスは!まったくボッチ―はウケようとして顔と同じくらい滑ってるよ!」
 汗と泥を顔に付けた莉子は相変わらず辛辣なディスリスペクトは欠かせない。

「うっせ!!神崎さんチョイスだよ!沢原さんもスポドリとか飲んで、何かお腹に居れた方が良いよ」
 蒼は莉子と沢原に顔に着いた泥や汗と拭くようにとタオルを渡した。

「う、うん、ありがとう。じゃあ頂くね‥‥‥」
 沢原はそう言うと袋に手を入れて飲み物を取った。
「沢原さん‥‥‥?それは赤マムシ蜥蜴コーヒー‥‥‥だけど?」
 赤と黒のカラーリングに、リアルな心臓のイラスト、それにマムシと蜥蜴が絡み合っている、斬新すぎるデザインだった。しかも500ml入りのロング缶というどこに需要があるのか良く分らない。

「うん、前から気にはなっていたの。それに滋養に良いかと思って。だいぶ疲れているから」
 莉子は、沢原が毒々しいデザインの缶を手に取って、それを飲もうと思う精神状態が少し心配になっていた。戦闘によるPTSDでも発症しているのか?それともただ疲れ切って正常な判断が出来ないだけなのか?

「あ、うん‥‥‥好みは色々あるからね。こういう時は好きなの飲んだ方が身体にも良いよ!」
 蒼は沢原をフォロー気味にそう言ったが、やはり少し引いて苦笑いをしていた。

 沢原がプルタブを開けると、2m離れていても独特な香りが漂ってきた。コーヒーとカブトムシの飼育箱、それに濡れた犬の臭いを混ぜたような、とても人間が飲んでも良いような代物では無かった。
 沢原は一瞬躊躇ったが、意を決して口を付けた。しかし、顔青くして口を押えて立ち上がると医務室から出てトイレに駆け込んだ。それから数分間トイレに居たが、少しふらつきながら戻って来た。
「沢原さん‥‥‥大丈夫?何か持って来ようか?」
「だ、大丈夫、自分で取りに行ってくるから。ゴメンねどうも私の口には合わなかったみたい」
(大丈夫だよ沢原さん普通の人間の口には合わない筈だから。保健所が出動するレベルだから‥‥‥」

「うぐっ!‥‥‥ふぅーふぅーふぅー‥‥‥くっ!」
 呻き声とともに羽犬塚は痛みで目を覚ました。それとも赤マムシ蜥蜴コーヒーのガスを吸って目覚めたのか‥‥‥!?
「だ、大丈夫ですか!?羽犬塚3尉!!」
 3人は寝台に近寄り羽犬塚の顔を見る。
「お‥‥‥、ここは‥‥‥」
 羽犬塚は眉間に皺を寄せ、ゆっくりと目を開けた。
「ここはゴルフ場の近くのホテルです!」
「そうか‥‥‥撃たれて‥‥‥」
 額に脂汗を掻いて、血の気が失せている。あんな小さい弾でも貫通すると、鍛えられた自衛官ですら、ここまで精気が削られてしまう。
「ええ、今は基山さんがこちらに向かって来ています。そうしたら病院に行けますから!」
「蒼君、ありがとう。すまんね、この体たらく・・・・で‥‥‥」
「何言っているんですか!申し訳ないのは僕の方ですよ。僕なんかの為に‥‥‥こんな怪我をして」
「それは関係ない!痛っ!俺は任務の途中で負傷しただけだ。悪いのは君を狙っている奴らだ!」
 羽犬塚は頭を起こして城隅と同じ事を言った。悲しそうな顔をする蒼を見て、その場しのぎの慰めでは無く、心の底から感じている事が口から出たのだ。自らの危険を顧みず‥‥‥自衛官の宣誓にあるように。
「でも……」
「だから気にするな‥‥‥。それは良いとして、何か飲むものはあるか?ポッカリとか有ると良いんだが‥‥‥」
「はい、ありますよ。あと、効くか分かりませんが、アスピリンが有ったので飲みますか?」

 蒼はペットボトルの封を開け、莉子と2人で元ラグビー部の大柄な羽犬塚を何とか抱き起した。眉間に皺を寄せ痛みを耐える。アスピリンを飲ませるとペットボトルを口に近付けた。
「ありがとう。喉がカラカラでへばり付いていた‥‥‥なんとか人心地ついたよ」
 相当な痛みが有る筈なのに、出来るだけ平然を装っている。子供達の手前怖がらせてはいけないという羽犬塚の配慮だ。

蒼兄あおいにい、あたし厨房からストローとか探して来るよ」
「そうか、そうだね。有ると良いかも。莉子にしては気が利くな!」
 蒼の一言に莉子はキッと睨んで医務室から出て行くと、入れ違いに花宗が入って来た。
 

「蒼、今良い?」
 花宗は蒼の前に立つと目を正面から真っすぐに見つめた。
「な、なんかあったの?見張りは?」
 急に見つめられて落ち着きが無くなる蒼。
「神崎さんに交代して貰った。蒼に円筒印章の使い方を教えておこうと思って」
 蒼は、昨日花宗に円筒印章が使えると言われたばかりで、本当に自分が使えるのか半信半疑と言うより、殆ど信じていなかった。
「今から?良いと思うけど‥‥‥沢原さん莉子と2人で羽犬塚さんをお願いできる?」
「え、ええ、勿論良いですよ」
 沢原はかなり調子を取り戻していた。

「じゃ、バンケの厨房に行きましょう」
「バンケって?」
「このホテルのバンケット、つまり宴会場の厨房の事よ。レストランの厨房より広いから」
「へー、ユヅキさん色々知っているんだね」
 同い年なのに、なんでも知って、そしてなんでもできる花宗は、今までどんな人生を歩んで来たのだろう。そんな事をふと考えていた。

 従業員用の階段を使って地下1階へ行った。このバンケの厨房は主に披露宴の料理を作っていた。その為、広いステンレス製の作業台に、口数が多いコンベクションオーブン、温かい物を作るホット場、冷たい物を作るコール場も作業スペースが広く作られている。披露宴の当日は何十人ものスタッフが戦場のように仕事をしていたのだ。

 チャンバーと呼ばれる、人が入れる程の大きさの冷蔵庫の前に6帖ほどのスペースがあり、そこで2人は足を止めた。
「先ずは利き腕で握って。落とさない程度のちからで大丈夫。そして振る」
 闇雲に腕を水平に振るが、ただ空を切るだけで何も起こらない。
「‥‥‥」
「最初は誰でもそんなもんだよ。振るときにイメージするの。自分を守るとか相手を吹き飛ばすとか」
「学校であの男を吹き飛ばした時みたいに?」
「そうね。うまく使えば大人の男も吹き飛ばせるわ」
 今度は何かを吹き飛ばす事を考えながら、下から振り上げた。
「‥‥‥」
「体の中から自我の一部が飛び出すように。でも力んじゃ駄目。スっと好きな人の手を取るみたいに‥‥‥」
「え!?そ、そんなの僕分からないよ‥‥‥、その、‥‥‥ゴショゴショの手を取るとか」
 花宗は手を差し出した。意味も分からず蒼も花宗に手を出すと握手をするみたいに軽く握った。
「え!?あ!こ、これは、そ、その‥‥‥」
 そこで蒼は、花宗の言葉と、この動作が繋がり顔を真っ赤にして俯いた。
「まぁ良いわ。これは口で説明できないの。何とか自分で感覚を見つけるしかない」
「わ、分かった‥‥‥。ちょっとやってみるよ」
「イメージ。それだけに集中して」
 何回手を降ったり、振り上げたりしたのだろう。繰り返し繰り返し円筒印章を動かした。空調装置が動いていない地下の厨房は、ジメっとしていて蒸し暑かった。
 蒼の額から顎の先へ滴り落ちる汗が、排水溝のグレーチングに何度も落ちていた。
 
 花宗は、盛り付けられた料理が、披露宴会場にサーブされる前に並んでいたであろう大きなステンレス製の作業台の上に腰を掛け、足と腕を組んで蒼の練習を見ていた。
 隕鉄で作られた円筒印章はズシリと重く、何度も振っていると肩が抜けそうに感じる。
 暑さと疲れでフラつく蒼いは、辛いのを押し隠し懸命に練習していた。


 僅かにノイズが聞こえた。
『‥‥‥A‥‥‥キー‥‥‥送‥‥‥‥‥‥こち‥‥‥ARTこちら‥‥‥キーロウ送れ』
 基山から個人用携帯無線機に通信が入った。やっと携帯無線機の交信範囲に来たのだ。短いホイップアンテナでは通信距離は短い。それに山間部や建物に入っていれば遮蔽され更に通信し辛くなる。かなり近くにいる筈だった。
『こちらART送れ』
 柳川が無線に応えた。
『‥‥‥到着まで10分、‥‥‥南側から侵入する。送れ』
『了解。負傷者の搬送が必要。通信終わり』

『聞いた通りだ。もうすぐ基山が来る。すぐに移動できるように準備しておけよ!』
『了解!!』

「蒼、時間切れね。また今度練習しましょう!大丈夫、私もあるときフッと出来るようになったから心配しないで。でも、これが出来ると、もう一つの便利な技が使えるようになるの」
「はぁーはぁー‥‥‥そ、そうなの?ど、どんな?はぁーはぁー」
「それはまだ秘密よ」
 花宗はそう言うとニコリと笑って、作業台から勢いよく飛び降りた――。
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