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中編
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「お断りします」
ナターシャがはっきりとそう告げた途端、アンセルにしがみつく女性の顔が真っ赤に染まった。
甲高い声を上げたと思えばよりいっそうアンセルの腕に胸を押し付けてナターシャを睨みつける。
その姿は貴族の令嬢にはありえないほど恥じらいのない醜態であったが、頭に血が上っているらしい女性はそんなことにはお構いなしにグイグイと見せつけるように身体を寄せていく。
「貴女ねぇ!状況がわかってないの?なに澄ました顔で『お断りします』とか言ってるわけ?私とアンセル様はこのとおり愛し合ってるのっ!!貴女は用無しなの!捨てられたのよ!?」
「……そうだ。ナターシャ、僕は真実の愛に気づいたんだ。君がなんと言おうと、婚約は解消させてもらう」
「お断りします」
二人して詰め寄られても、ナターシャはやはり少しの困り顔のままで口調だけはきっぱりと言い切った。
「だって、わたくしアンセル様を愛しておりますもの」
絶句する二人をよそに、ナターシャは胸元で握り合わせていた手をほどき、恥ずかしそうに赤らんだ頬を隠す。
その様子はたった今自身の婚約者に浮気を見せつけられた挙げ句に婚約の解消を言い渡された少女の仕草ではなかった。
年頃の少女でなくとも今この状況でとる仕草ではない。
ナターシャの様子だけを見れば想いを寄せる人に愛の告白をして恥じらう可憐な乙女であった。
「あ、貴女ねえ……っ」
女性から見て、ナターシャ・フィル・イスメイアという少女は一見ただ可愛らしいだけのいかにも世間知らずのご令嬢であった。
ろくに口を挟むこともできずに泣き寝入りするものとばかり思っていた。それがまったく予想もしていない展開を見せている。
だいたい目の前で他の女と散々イチャついて自身は蔑ろにする。そのうえに一方的に婚約の解消を迫る。そんな男に対して詰るでも責めるでもなく少々の困り顔で『愛しておりますもの』だなどと普通、言えるものだろうか。
しかもその後に見せたのは恋する乙女の恥じらいである。
「…………っ、あ、痛っ」
知らず縋る手に力が入り長い爪に肌を傷つけられたアンセルが小さく呻いた。
「あ、ごめんなさい」
慌てて謝罪をしてアンセルの顔を見上げた女性は、次の瞬間ぎょっと目を見張って小さく悲鳴を上げた。
いつの間に寄ってきたものか、手を伸ばせば届くほどの距離で、ナターシャが自分をじぃっと見つめている。
小柄なナターシャは同性の女性と並んでも頭半分以上も低い。
ふわふわの蜂蜜色の髪に翡翠色のタレ目気味な瞳、小さな唇はふっくらとして羨ましいほどに白く柔らかそんな肌にはシミ一つ、ニキビの跡の一つもない。
アンセルから聞いていたとおり、小動物を思わせる見た目の少女ではある。
ただしその中身は果たしてどうなのだろうか。
見た目のとおり従順で弱々しく世間知らずのご令嬢なのか。
あるいはまったく違うのか。
真っ赤になっていた顔がどんどん色を無くしていくのが鏡を見るまでもなくわかる。
「ナターシャ」
アンセルの声に、ナターシャの視線が揺れた。
逸らされたタレ目の瞳に、女性がほっと息をつく。
「子供みたいに聞き分けのないことを言わないでくれ。だいたい君の家より僕の家の方が爵位が高い。君がどう言おうと婚約の解消は決定事項だ」
「ではアンセル様は我が家ではなくそちらの女性の家に婿入りなさるのですか?」
「そうだ」
「――え?」
ああ自分は一人ではないのだ。アンセルがいて自分をこそ愛してくれている。
アンセルの家は公爵家でナターシャの家は候爵家。ナターシャがどう言おうと結局は爵位の差がある以上覆ることはない。
そう安堵しかけていた女性はアンセルとナターシャの会話に、少し遅れて間の抜けた声を上げることになった。
「え?…………え?ちょっと待って、婿ってどういうことよ。アンセル様は嫡男なのよ!公爵家の跡継ぎでしょう?」
「いいえ?」
「違うぞ?」
矢継ぎ早の疑問に妙にキレイに揃った声が答えを返す。
「だって、だって、長男でしょう!」
「そうだが?」
「ならなんで婿なのよっ!普通は嫡男として家を継ぐはずでしょう!!私が公爵家の妻として嫁ぐものでしょう?それに婿と言われたってうちにはすでに兄がいるのよ!」
「だからいいんじゃないか」
あっさりとした応えに、女性は唇を戦慄かせて恋人の顔を唖然と見上げた。
意味がわからない。
すでに跡継ぎのいる家に婿に入ったところで当然ながら爵位を継ぐことはできない。
もともと金で爵位を買った商人の家だから、公爵家の嫡男から平民同然、というか平民になる。
なのに「だからいいんじゃないか」とはいったい何を言っているのだろうか。
平然とした顔で見返してくる男に、女性の腕から力が抜けた。
「申し訳ありませんが、わたくしは貴女がどちらのお家の方か存じませんの。お名前を教えてくださる?」
その様子をじぃっと眺めていたナターシャが唐突にそう尋ね、にこりと優しく笑った。
ナターシャがはっきりとそう告げた途端、アンセルにしがみつく女性の顔が真っ赤に染まった。
甲高い声を上げたと思えばよりいっそうアンセルの腕に胸を押し付けてナターシャを睨みつける。
その姿は貴族の令嬢にはありえないほど恥じらいのない醜態であったが、頭に血が上っているらしい女性はそんなことにはお構いなしにグイグイと見せつけるように身体を寄せていく。
「貴女ねぇ!状況がわかってないの?なに澄ました顔で『お断りします』とか言ってるわけ?私とアンセル様はこのとおり愛し合ってるのっ!!貴女は用無しなの!捨てられたのよ!?」
「……そうだ。ナターシャ、僕は真実の愛に気づいたんだ。君がなんと言おうと、婚約は解消させてもらう」
「お断りします」
二人して詰め寄られても、ナターシャはやはり少しの困り顔のままで口調だけはきっぱりと言い切った。
「だって、わたくしアンセル様を愛しておりますもの」
絶句する二人をよそに、ナターシャは胸元で握り合わせていた手をほどき、恥ずかしそうに赤らんだ頬を隠す。
その様子はたった今自身の婚約者に浮気を見せつけられた挙げ句に婚約の解消を言い渡された少女の仕草ではなかった。
年頃の少女でなくとも今この状況でとる仕草ではない。
ナターシャの様子だけを見れば想いを寄せる人に愛の告白をして恥じらう可憐な乙女であった。
「あ、貴女ねえ……っ」
女性から見て、ナターシャ・フィル・イスメイアという少女は一見ただ可愛らしいだけのいかにも世間知らずのご令嬢であった。
ろくに口を挟むこともできずに泣き寝入りするものとばかり思っていた。それがまったく予想もしていない展開を見せている。
だいたい目の前で他の女と散々イチャついて自身は蔑ろにする。そのうえに一方的に婚約の解消を迫る。そんな男に対して詰るでも責めるでもなく少々の困り顔で『愛しておりますもの』だなどと普通、言えるものだろうか。
しかもその後に見せたのは恋する乙女の恥じらいである。
「…………っ、あ、痛っ」
知らず縋る手に力が入り長い爪に肌を傷つけられたアンセルが小さく呻いた。
「あ、ごめんなさい」
慌てて謝罪をしてアンセルの顔を見上げた女性は、次の瞬間ぎょっと目を見張って小さく悲鳴を上げた。
いつの間に寄ってきたものか、手を伸ばせば届くほどの距離で、ナターシャが自分をじぃっと見つめている。
小柄なナターシャは同性の女性と並んでも頭半分以上も低い。
ふわふわの蜂蜜色の髪に翡翠色のタレ目気味な瞳、小さな唇はふっくらとして羨ましいほどに白く柔らかそんな肌にはシミ一つ、ニキビの跡の一つもない。
アンセルから聞いていたとおり、小動物を思わせる見た目の少女ではある。
ただしその中身は果たしてどうなのだろうか。
見た目のとおり従順で弱々しく世間知らずのご令嬢なのか。
あるいはまったく違うのか。
真っ赤になっていた顔がどんどん色を無くしていくのが鏡を見るまでもなくわかる。
「ナターシャ」
アンセルの声に、ナターシャの視線が揺れた。
逸らされたタレ目の瞳に、女性がほっと息をつく。
「子供みたいに聞き分けのないことを言わないでくれ。だいたい君の家より僕の家の方が爵位が高い。君がどう言おうと婚約の解消は決定事項だ」
「ではアンセル様は我が家ではなくそちらの女性の家に婿入りなさるのですか?」
「そうだ」
「――え?」
ああ自分は一人ではないのだ。アンセルがいて自分をこそ愛してくれている。
アンセルの家は公爵家でナターシャの家は候爵家。ナターシャがどう言おうと結局は爵位の差がある以上覆ることはない。
そう安堵しかけていた女性はアンセルとナターシャの会話に、少し遅れて間の抜けた声を上げることになった。
「え?…………え?ちょっと待って、婿ってどういうことよ。アンセル様は嫡男なのよ!公爵家の跡継ぎでしょう?」
「いいえ?」
「違うぞ?」
矢継ぎ早の疑問に妙にキレイに揃った声が答えを返す。
「だって、だって、長男でしょう!」
「そうだが?」
「ならなんで婿なのよっ!普通は嫡男として家を継ぐはずでしょう!!私が公爵家の妻として嫁ぐものでしょう?それに婿と言われたってうちにはすでに兄がいるのよ!」
「だからいいんじゃないか」
あっさりとした応えに、女性は唇を戦慄かせて恋人の顔を唖然と見上げた。
意味がわからない。
すでに跡継ぎのいる家に婿に入ったところで当然ながら爵位を継ぐことはできない。
もともと金で爵位を買った商人の家だから、公爵家の嫡男から平民同然、というか平民になる。
なのに「だからいいんじゃないか」とはいったい何を言っているのだろうか。
平然とした顔で見返してくる男に、女性の腕から力が抜けた。
「申し訳ありませんが、わたくしは貴女がどちらのお家の方か存じませんの。お名前を教えてくださる?」
その様子をじぃっと眺めていたナターシャが唐突にそう尋ね、にこりと優しく笑った。
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