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前編
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華やかな色どりどりのドレスに身を包んだ令嬢たちがそれぞれパートナーに手を取られてクルクルとターンをして踊る。
神話の一節が美しい絵画として描かれた天井から下げられた豪奢な紫水晶のシャンデリアが蝋燭の灯を反射してキラキラと煌めくボールルーム。その傍らにあるテラスで、とある男女三人が向き合っていた。
正確にはピッタリと寄り添い合う男女に、ブルーグレイのベルラインのドレスを着た華奢な少女が相対している。
少女のドレスの色は相対した男女のうち、男性の側の瞳の色と同じだった。腰の高い位置で結ばれたリボンの色は濃い紫で、こちらは男性の髪の色と同じ。細い首にかけられたネックレスの宝石も濃い紫のアメジスト。
対する二人は男性――いや、年の頃からするとまだ青年というべきか――は襟や袖口に金糸の刺繍がなされた白の正装に傍らの少女の瞳の色と同じ薄い水色のハンカチーフを胸ポケットから覗かせ、女性の方はというとピタリと身体のラインに沿った青のスレンダーラインのドレスにブルーグレイの手袋、濃いアメジストの宝石をいくつも連ねたチョーカーと耳には揃いの意匠のイヤリング。
どちらの少女もパーティーに相応しい装いであり、かつ青年の瞳や髪の色のドレスやアクセサリーを身につけている。
パーティーでは相手の色を纏うことが恋人であったり婚約者であったりする証となる。
本来なら男性が女性に自分の色のドレスや宝石を贈り、自身は女性の色のハンカチーフやタイを身につける。
けれど寄り添い合う男女に相対するブルーグレイのドレスの少女――ナターシャ・フィル・イスメイアは身につけたドレスも宝飾品も、すべて自分で用意したものだった。
ナターシャの婚約者――彼女の目の前で他の女性の腰を抱いたアンセルは、ナターシャにそれらを贈ることも、パーティーのエスコートをすることもなく、別の女性に自らの色の宝飾品を贈り、エスコートをし、あまつさえファーストダンスさえ踊っていた。
失望に涙する。あるいは怒りに震え罵倒していてもおかしくはない場面で、しかしナターシャの面に浮かんでいるのは困り顔のみであった。
少し小首を傾げて相手を見上げるその様子は小動物的な雰囲気を持つ小柄なナターシャにはよく似合ってはいる。
似合ってはいるが、婚約者の浮気現場に立ち合った令嬢が浮かべるには少々不釣り合いでもあった。
困り顔といってもナターシャのその表情はどう見ても深刻なものではなく、飼い猫の粗相を見つけてしまった時のような――ごく軽い雰囲気のものであったから。
ちなみにナターシャは候爵家の令嬢であり、そういった時、見つけたからといって自分で処理するわけはなくメイドを呼ぶだけである。
「あらあらどうしましょう。ねぇ、シェリーちゃんがここに粗相をしてしまったわ」
ってな具合に。
「ナターシャ」
「はいアンセル様」
そんなナターシャとはうらはらに、真剣そのものといった雰囲気で眉根を寄せたアンセルの男らしい顔立ちを、ナターシャはタレ目気味な翡翠色の瞳をパチパチさせて見上げた。
両手を胸の前で握り合わせ、小首を傾げて見上げる様は、ふわふわとした柔らかいクリームイエローの髪や大きめのリボンを腰の前で結んだレースたっぷりのベルラインのドレスと相まって男の庇護欲をそそる可愛らしい雰囲気を醸し出している。
稚げで可愛らしい少女。
小柄で華奢な身体と潤んだタレ目気味の瞳で見上げてくる様は「キュウン」と小さく鳴いて尻尾を振る弱々しく従順な仔犬のように見えた。
それはアンセルの傍らで腕に飽満な胸を押し付けている女性にしてみても同様であったのだろう。
「ふん」
と鼻で笑いながら不躾な視線をナターシャの全身に向けていた。
それでもナターシャは女性には目を向けず、アンセルの顔だけをただ小首を傾げた状態でじぃっと穴が空きそうなほど見つめている。
「…………ナターシャ」
「はい、アンセル様」
「悪いが君との婚約は解消させてもらう」
数瞬の沈黙の後にそう切り出されてもなお、ナターシャの表情はほとんど変わらなかった。
ただほんのわずかに首を傾げた角度が深くなった。それと髪と同色の少々太めな眉毛がへニョンと垂れただけであった。
ナターシャはコテンとばかりに首を傾げ、黙っていた。
あたりには沈黙が落ち、ボールルームから流れてくる優雅な音楽がしばらく場を満たしていた。
「お断りします」
長い沈黙にアンセルの腕に絡みついていた女性が苛立ちを滲ませた頃、ようようナターシャは応える。
その応えに、
「……はあ!?」
と、甲高い声を女性が上げると、ナターシャはその時になってはじめて頭の位置を戻し、女性に視線を向けた。
神話の一節が美しい絵画として描かれた天井から下げられた豪奢な紫水晶のシャンデリアが蝋燭の灯を反射してキラキラと煌めくボールルーム。その傍らにあるテラスで、とある男女三人が向き合っていた。
正確にはピッタリと寄り添い合う男女に、ブルーグレイのベルラインのドレスを着た華奢な少女が相対している。
少女のドレスの色は相対した男女のうち、男性の側の瞳の色と同じだった。腰の高い位置で結ばれたリボンの色は濃い紫で、こちらは男性の髪の色と同じ。細い首にかけられたネックレスの宝石も濃い紫のアメジスト。
対する二人は男性――いや、年の頃からするとまだ青年というべきか――は襟や袖口に金糸の刺繍がなされた白の正装に傍らの少女の瞳の色と同じ薄い水色のハンカチーフを胸ポケットから覗かせ、女性の方はというとピタリと身体のラインに沿った青のスレンダーラインのドレスにブルーグレイの手袋、濃いアメジストの宝石をいくつも連ねたチョーカーと耳には揃いの意匠のイヤリング。
どちらの少女もパーティーに相応しい装いであり、かつ青年の瞳や髪の色のドレスやアクセサリーを身につけている。
パーティーでは相手の色を纏うことが恋人であったり婚約者であったりする証となる。
本来なら男性が女性に自分の色のドレスや宝石を贈り、自身は女性の色のハンカチーフやタイを身につける。
けれど寄り添い合う男女に相対するブルーグレイのドレスの少女――ナターシャ・フィル・イスメイアは身につけたドレスも宝飾品も、すべて自分で用意したものだった。
ナターシャの婚約者――彼女の目の前で他の女性の腰を抱いたアンセルは、ナターシャにそれらを贈ることも、パーティーのエスコートをすることもなく、別の女性に自らの色の宝飾品を贈り、エスコートをし、あまつさえファーストダンスさえ踊っていた。
失望に涙する。あるいは怒りに震え罵倒していてもおかしくはない場面で、しかしナターシャの面に浮かんでいるのは困り顔のみであった。
少し小首を傾げて相手を見上げるその様子は小動物的な雰囲気を持つ小柄なナターシャにはよく似合ってはいる。
似合ってはいるが、婚約者の浮気現場に立ち合った令嬢が浮かべるには少々不釣り合いでもあった。
困り顔といってもナターシャのその表情はどう見ても深刻なものではなく、飼い猫の粗相を見つけてしまった時のような――ごく軽い雰囲気のものであったから。
ちなみにナターシャは候爵家の令嬢であり、そういった時、見つけたからといって自分で処理するわけはなくメイドを呼ぶだけである。
「あらあらどうしましょう。ねぇ、シェリーちゃんがここに粗相をしてしまったわ」
ってな具合に。
「ナターシャ」
「はいアンセル様」
そんなナターシャとはうらはらに、真剣そのものといった雰囲気で眉根を寄せたアンセルの男らしい顔立ちを、ナターシャはタレ目気味な翡翠色の瞳をパチパチさせて見上げた。
両手を胸の前で握り合わせ、小首を傾げて見上げる様は、ふわふわとした柔らかいクリームイエローの髪や大きめのリボンを腰の前で結んだレースたっぷりのベルラインのドレスと相まって男の庇護欲をそそる可愛らしい雰囲気を醸し出している。
稚げで可愛らしい少女。
小柄で華奢な身体と潤んだタレ目気味の瞳で見上げてくる様は「キュウン」と小さく鳴いて尻尾を振る弱々しく従順な仔犬のように見えた。
それはアンセルの傍らで腕に飽満な胸を押し付けている女性にしてみても同様であったのだろう。
「ふん」
と鼻で笑いながら不躾な視線をナターシャの全身に向けていた。
それでもナターシャは女性には目を向けず、アンセルの顔だけをただ小首を傾げた状態でじぃっと穴が空きそうなほど見つめている。
「…………ナターシャ」
「はい、アンセル様」
「悪いが君との婚約は解消させてもらう」
数瞬の沈黙の後にそう切り出されてもなお、ナターシャの表情はほとんど変わらなかった。
ただほんのわずかに首を傾げた角度が深くなった。それと髪と同色の少々太めな眉毛がへニョンと垂れただけであった。
ナターシャはコテンとばかりに首を傾げ、黙っていた。
あたりには沈黙が落ち、ボールルームから流れてくる優雅な音楽がしばらく場を満たしていた。
「お断りします」
長い沈黙にアンセルの腕に絡みついていた女性が苛立ちを滲ませた頃、ようようナターシャは応える。
その応えに、
「……はあ!?」
と、甲高い声を女性が上げると、ナターシャはその時になってはじめて頭の位置を戻し、女性に視線を向けた。
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